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例え忘れられたとしても ⑤

《……マスター、この人って》


「……父、さん……?」


以前と変わらずしわがれた顔、白髪の増えた頭、暫く張ってはいなかったがまさか見間違えるはずもない。

トカゲに食われていたのは俺の父親、七篠秀夫で間違いない。


「えっ、お父さん!? マジで!?」


「あっ、いや……ち、違うよ。 ちょっと似てる気がして……」


驚く暁を前にして慌てて誤魔化す、父さんが目を覚ませば色々齟齬が出てしまう。

……そうだ、この人は既に俺の父親ではない。 なんせ東京での代償で親子としての記憶は焼き切れてしまったのだから。


《……マスター、という事はですよ。 もしかしてあそこでへたり込んでいる人って》


「―――――あっ」


心臓が跳ねる。 脳裏に蘇るのは「七篠陽彩」の始まりの記憶。

煮え湯を投げつけ、俺を罵倒するあの人の姿だ。


「……母、さん?」


口から零れた震える声はあまりにも小さく、今度は暁にすら届かなかった。


「…………あら、あなた……どちら様かしら?」



――――――――…………

――――……

――…



「――――検査にはしばらく時間がかかります、恐れ入りますが暫くロビーでお待ちください」


「ええ、お願いします」


ところ変わって病院、目を覚まさない父さんを担ぎこむと慌てた様子ですぐにスタッフが対応してくれた。

「魔物に襲われた」と伝えればすぐに対処を進めてくれる辺り、ここは良い病院だ。

現在父さんは命に別状はないものの、脳の検査や体に付着した唾液の採取などで院内中をたらい回されている。 そしてその間、俺たちは一緒にロビーで待ちぼうけだ。


「……なあ、別に無理して付き合わなくてよかったんだぞ。 魔女だっていうなら正体が公になるような真似は不味いだろ」


「馬鹿ね、そんな顔したアンタを放っておけるわけないでしょ。 それに、その身体でどうやって大人1人運んでくる気?」


俺の隣では仏頂面の暁が並んで椅子に座っている。

トカゲを逃がしたことが消化不良なのだろうか、それでも自分の都合を優先せずに一般人の保護に回るのだから根は悪い子じゃない。


「……そっか、ありがと。 本当にありがとうな、おかげで父s……あの人は死なずに済んだ」


「ま、見殺しにする理由もないからね。 けどアンタも随分心配しているものね? ……ま、あれを見たら仕方ないか」


「―――――うわああああん! 秀ちゃん、秀ちゃんが死んじゃったぁ!!」


「お、落ち着けって……死んでないってば、縁起でもない」


俺の隣では母親……だった人が一目も憚らずワンワンと大声を上げて泣いている。

まあ目の前で自分の夫がオオトカゲに飲み込まれたんだ、取り乱すのも無理はない。

しかし()()。 この人は、俺の母さんはこんな人ではなかったはずだ。


《……マスター。 なんていうかその、言っちゃ悪いですけどこの人……》


「…………」


ハクが言わんとしていることは分かる。 母さんの振る舞いはまるで感情の抑えが利かない子供のようだ。

俺の記憶が正しければ多少感情的な所もあったが、子供も2人を抱える母親として相応の落ち着きはあった人だ。 間違っても人目も気にせずに泣きわめくような人ではない。


「えっと、君達? もしかして夕さんを連れて来てくれた子?」


「ん? ええ、そうよ。 夕さんってのは……」


「……たぶん、こっちの女性の事だろ」


七篠 夕(ななしの ゆう)、それが俺の母親の名前だ。

そして俺たちに話しかけて来たナースは母の事を知っているらしい。


「そっか、ありがと。 夕さんの事はその……気にしないでね、この人は昔ご家族に不幸があったみたいで……その」


「ああ、なるほどね。 分かった、それ以上は聞かないわ」


「――――――…………」


「……ねえ箒、アンタ本当に顔色悪いけど大丈夫? あのトカゲに何かやられた?」


「えっ? あ、ああいや……なんでもない」


暁とナースが揃って俺の顔を覗き込んでいる辺り、相当なものなのだろう。

確かに以前、父さんから母さんの状況については聞いていた。 しかしここまで精神的に病んでいたとは考えていなかった。


月夜が亡くなったせい? いや、俺に熱湯を浴びせたあの日の事を苦に――――いや違う。

俺の記憶を失ったせいだ。 七篠陽彩という感情の逃げ道を無くしたから母さんは……。


「ね、え秀ちゃんは? 秀ちゃんは大丈夫なの?」


「ええ、大丈夫ですよ。 もう少ししたら検査も終わって病室まで連れて行きますから、安心してお待ちください」


「本当ぉ? 本当よねぇ、嘘じゃないわよねぇ?」


「はい、それまで一緒に待っていましょうねー。 ……ごめんなさい、あなた達ももう少し待っててもらえるかしら」


「構わないわよ、箒も一緒に診てもらったら? あんた本当酷い顔してるわよ」


「いや……大丈夫だよ、これは気分の問題だからさ」


これ以上ロビーで騒がれる前に、ナースは慣れた様子で母さんを別室に連れて行く。

俺はその後姿を何の言葉をかけるでもなく、ただ見送る事しかできなかった。


「……さて、一応私達は民間人って体で通っているけどすぐにボロは出ると思うわ。 トカゲの事も根掘り葉掘り聞かれるだろうしね」


「ああ、生身の人間じゃ魔物は退けられないしな」


魔物が出たとなれば一大事だ、すぐに魔法局から職員が派遣され、俺たちに対するインタビューが始まるだろう。

そうなると暁は魔女とバレるリスクも高い、さっさとこの場を後にするのが吉か。


「どっこいしょっと。 にしても検査ってどれぐらい時間かかるのかしらね、30分くらい?」


「……って、おい。 逃げなくていいのか?」


しかし暁は俺の予想に反し、どっかりと椅子に腰かけてその場を動かない。

逃げる気のない堂々とした振る舞いは日向さんそっくりだが、現状が分かっているのだろうか。


「何言ってんのよ、さっきも言ったけどあんた置いていける訳ないでしょ。 私について来るって感じでもないし一緒に残るわよ」


「お前……そんなんでいいのか?」


「私の生き方は私の勝手よ、それにバレたらバレたでその時考えるわー」


あっけらかんとした口ぶりだが、顔色の悪い俺を気遣っての言葉だろう。

出来た子だ、本当に何で魔女になっているのか分からないほどに。

しかし今はその言葉に甘えよう、心を落ち着かせるために俺もその隣に腰を下ろ……


「……ふーん? 人が心配して飛んで来たのにまーた新しい女連れて何やってるのカナ?」


……そうとした背中に、聞きなれた冷たい声が突き刺さった。

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