例え忘れられたとしても ④
「……なかなか来ぉへんなぁ」
執務室に掛かっているアナログ時計の針はそろそろ15時を指す。
予定時刻を大幅オーバー、ドレッドハートが操る車ならここまで遅刻するはずもない。
十中八九、途中で何かが起きたのだろう。
「渋滞にでも嵌ってんのか? 咲良、アタシ探してくるよ」
「いいや、小埜寺はんは待機で。 うちの仕事回らんくなるわ」
小埜寺 空香、私の秘書を務める元魔法少女だ。
元から発現した時期が遅かったため、活動時期は短いがそれでも秘書としての腕は信頼がおける。
何より、気を抜いて話が出来る数少ない相手だ。 今抜けると私はきっと書類の山に埋もれて死んでしまう。
「あーはいはい、分かりましたよ。 お茶でも用意してくる、折角あの始まりの10人がやってくるってんだからな」
「頼むわぁ、けどパリで見つかるなんてなぁ……」
「しかも急に帰国なんてな、おかげでこっちはてんやわんやだよ」
日向 天、始まりの10人の1人である魔法少女ゼクトルの変身者。
黎明期の混乱が落ち着いてきたころ、いつの間にか失踪していた謎多き人物だ。
……まあ、こうした突拍子のない行動で周囲を振り回すのは彼女にとっていつもの事だが。
「それでも、あの人が姿を見せたっちゅうことは何かがあるって事や。 はよ見つけて保護しないと」
「何かあるとすれば魔女絡みかな、良い予感は全くしないけど……」
しだいに室内にお茶の葉が開く心地いい匂いが満ちる、普段ならホッとする香りだが気分は落ち着かない。
虫の知らせという奴か、もし私の予想と帰国した彼女の勘が正しいのなら……
「……保険は打ったで、うちは信じて座すだけしかないわ」
――――――――…………
――――……
――…
「――――たしかこっちだよな!」
駆ける脚は上手く進んでくれないが、子供の歩幅だから当たり前だが今はそれが酷くもどかしい。
少し走っただけで息が切れそうだ、変身さえできればこの程度の距離ひとっ跳びなのに。
《ちょっ、マスター! 行ってどうする気ですか、何度も言いますが今のあなたは……》
「だからってそれは見捨てる理由にはならない!」
走りながら再び甲高い声が聞こえてくる、今度ははっきりと「悲鳴」として聞き取れるものだ。
状況は危ない、しかし悲鳴が上がるという事はまだ生きているのは確かだ。
《マスター、まだ間に合いますよ! 暁ちゃんの所に戻って助けを乞いましょう!》
「………………っ」
《マスター!!》
ハクの声を無視してなお走る。 分かっている、彼女が魔女として戦えるならそれが合理的だ。
だが、出来る限り魔女の力は使わせたくない ……いや、魔女じゃなくても俺は戦わせたくないんだ。
≪――――ギョギョギョギョギョ!!≫
「……んなっ!?」
最後の曲がり角を抜けて、辿り着いたシャッター街を眼前にして息を飲む。
天井を覆うアーケードの屋根には逆さに張り付いた毒々しい色合いとヒョウモン柄に身を染めた巨大トカゲ。 そしてその口から飛び出した人間の腕だった。
じたばたともがく腕はまだ飲み込まれている人間が生きていることを示している、だが嚥下されるのも時間の問題だ。
《マスター、まだあそこに人が残っています!》
「おい、あんた! 早く逃げろ!!」
ハクの指摘通り、トカゲの真下にはへたり込んだまま頭上の怪物を見上げる女性の姿があった。
腰が抜けて動けないのか、目の前で一人の人間が捕食されているというのに逃げようともしない。
あのままでは次の餌食はあの人だ。 迷う暇はない、今はあの人だけでも逃がして――――
「――――箒! 頭下げなさい!!」
「えっ―――? おわっ!?」
短い警告の後、俺の頭上を掠めて一匹のカブトムシが飛び出して行った。
一直線にトカゲ目掛けて飛んだカブトムシはその背中に激突し、炸裂。
≪グッゲェ!?≫
そしてトカゲもその衝撃で口に加えた犠牲者をポンと吐き出した。
唾液にまみれたその男性は意識もないままあわや地面と衝突……する寸前に、飛び込んだ魔女の手によって抱きかかえられ、ゆっくりと地面に下ろされる。
「ふぅ、水臭いわねーアンタ。 一人で飛び出すもんだから後追いかけちゃったじゃない」
「あ、暁……ついて来てたのか?」
「あっ、この格好でもわかる? まあさっきまで一緒にいたし分かるか……そうよ、黙ってたけど私は魔女って奴。 あんたらはちょっと下がってなさい」
抱き抱えた男性を降ろして、暁は隙もなく未だ天井にへばりつくオオトカゲを見据える。
その佇まいにはどこか写真で見たゼクトルと印象が重なる。 まるで歴戦の魔法少女のような風格だ。
「だ、だけど……」
「私の得物は見ての通り爆弾よ、巻き込まない自信はないの、早く退いて」
「…………分かった、気をつけてくれ」
「あいあい、あんたいい子ねーほんとに」
本人は悪気がないんだろうが、その言葉が胸に刺さる。
今の俺はただの子供だ、幾ら無茶をしようとも誰一人助ける事が出来ない。
彼女の言う通り、せめて邪魔にならないようにしている事しかできないんだ。
「さーて、そこのトカゲもいつまでへばりついてるつもり? アンタの相手はこの私よ」
≪グギルルル……! グゲェ!!≫
《……あっ、逃げた!》
再度爆弾をちらつかせる暁を見て、怯えたトカゲは文字通り尻尾を巻いて逃げだした。
暁も一瞬追うかと迷うそぶりを見せるが、俺たちの姿を見て深追いは危険とその足を止める。
「チッ……けど顔は覚えたわ、逃がさないわよ!」
舌打ち混じりに暁が腕を振るうと、地面に数匹のサソリが放たれる。
そしてカサカサと地を這うサソリたちは逃げたトカゲの後を真っ直ぐに追っていく。 確かサソリは追跡型の爆弾だったか。
「ひとまずはこれで勘弁しておくわ。 箒、大丈夫?」
「あ、ああ。 俺は何ともないけど……こっちの人たちが――――」
そこまで言い掛けて、余裕が戻って来た俺はようやく気付いた。
唾液にまみれて気絶したその人に見覚えがある。 この町で再開して、もう二度と会う事はないと思っていた人。
……それは、俺の父親その人だった。