零れた水は救えない ②
「まったく、どこに行ったんすかねぇあの宇宙さんは……っててて」
『逃げ出したんじゃねえのか? どうせすぐ捕まるってのにな』
『花子が無理して探す必要もないやろ、傷開くから大人しくしとき』
痛む傷口を抱え、誰もいない廊下を歩く。
それもこれもトイレに行くと言ってからギャラクシオンの姿が見えないせいだ、まさか本当に脱走したわけではあるまい。
『大体よぉ、あいつのやったこと考えたら監視が緩くねえか? 独房にでも放り込んでやりゃいいってのに』
「色々難しい事情があるんすよ大人には……ん?」
壁に取り付けられた手すりを辿り、廊下を歩いていると扉の隙間から明かりが漏れている部屋を見つけた。
さらに近づいてみると、中には人がいるらしくうっすらと話し声が聞こえる。
『これは……あのお医者さんとギャラクシオンの奴の話し声か?』
『なんでまたこんな所にいるんだよ……殴り込むか?』
「殴り込まねえっすよ。 静かに、何か話しているっす……」
――――――――…………
――――……
――…
「……子供に聞かせる話ではなかったのではないのか」
「…………気が変わった。 お前みたいなやつだったよ、俺の娘は。 人の話は聞かない、勝手に突っ走る、自分の怪我は二の次で」
「酷い娘だな、それの何処が我と似ている?」
「…………そういう所がな」
「どういう所がだ!」
抗議の声は、信じられないバカを見るような医者の視線によって潰される。
我が足の手当てが終わった医者は、パイプ椅子を軋ませてデスクの前に座り、割れた写真立てを卓上に伏せて置く。
「…………魔法少女名はティガー、火器使いの魔法少女だ。 知っているか?」
「いや……火器使いならゴルドロスの方が先に浮かぶ」
「…………だろうな、戦力不足だった東北に派遣されて活動した期間は3か月も無い。 今の魔法少女達が台頭し始めたのはその後だ」
「……最期は、原因は何だったのだ?」
「…………なんてことない。 良くある話だ、逃げ遅れた人間を庇って魔物の一撃をまともに喰らった」
「――――――……」
「最期は俺が看取った、手術台の上で弱くなる鼓動を聞いた。 手の施しようがないと分かっていながら、無理やり腹をメスで切り開いて傷を縫った」
当時のオペにどういう心境で臨んだのか、私には想像もつかない。
しかし壮絶だったのだろう、最悪自分の手で殺すと分かっていながらほんの僅かな望みに掛けたその覚悟は。
「…………許可の下りていないオペを実行し、娘を殺した俺は医師免許を剥奪。 仇の魔物は別の魔法少女が無事に撃破。 妻とは別れた、お互いに顔を見ると娘の事を思い出しちまうからな」
話し疲れたのか、医者がそこで小さく息を吐く。
思い出し、語るだけでも相当に気力を使うようだ。 その顔にはやや疲労の色が見える。
「…………俺は魔法少女が嫌いだ。 お前は何で魔法少女になったんだ」
「我、は……」
……言葉が出ない。 胸を張って語れるほどの理由がない。
正式な魔法少女の様な誇りも無く、私はただ力が欲しくて魔法少女になった。
順序が逆なのだ。 力を持っているから戦う理由があるんじゃない、戦う力が欲しいからこそ理由がある。
薄汚い欲望といってもいいこの胸の内を、この医者の前で吐き出すことができなかった。
「…………カウンセリングみたいなものだ、無理強いはしない。 だが吐き出してしまえば楽になる事もある」
「……わ、私は……自分を虐めた奴らを、見返してたくて……」
「…………そうか、それで?」
医者は淡々と私のたどたどしい説明に相槌を打ってくれた。
虐められていた子をかばったら今度は自分がいじめられたこと、バケツの水を掛けられたこと、私が育てていた朝顔だけ壊されたこと、先生に話してもなあなあで誤魔化されたこと、後半に至ってはただの愚痴と化していた。
しかしそれでも、医者は私の話を何も言わずに聞いていた。
「…………だからお前は魔法少女になったのか」
「うん……」
「…………親に話したのか?」
「ううん……お母さんたちには、迷惑かけたくなかった」
「…………本当にそれ以外に手段は無かったのか?」
「……あのそばかすにも同じような事を言われた」
魔法少女の力なら確かにいじめっ子たちを捻り潰すのは簡単だ。
だがそれは同じ事をやり返しているだけだと、魔法少女の力はそんなもののために振るうものではないと言われた。
その言葉が棘となって私の胸中からどうも抜けてくれない。
「…………お前がいじめの復讐をするのは簡単だ。 だが、その場合相手は重症……最悪、死ぬだろうな」
「…………うん」
もしその機会があったら、殺す気だった。
死んでもしょうがない奴らだと思っていた。 自分のがやられた痛みをやり返すつもりだった。
今でも憎いと思う気持ちは変わらない、しかしかりそめの力で報復を達成したとして、私はその結果に満足できるだろうか。
「…………迷うなら、もう少し考えろ。 聖人じゃないんだ、やられた仕打ちをやり返すって事を否定するわけじゃない」
「うん……」
「…………魔法少女の力を、後悔するような真似に使ってくれるな。 それは、俺の娘の誇りでもあるんだ」
気づけば、足の痛みなどとうに忘れていた。
時間も大分経過している、クーロンが指定した待ち合わせ時間にはもう猶予がない。
……私は、後悔しない選択ができるだろうか。