うつ病と闘った3年の日々からの贈り物 2 | 森田ゆり/エンパワメント・センター

森田ゆり/エンパワメント・センター

心と身体のヒーリング、めい想とアロハ・ヒーリング・ヨーガのこと、スピリチュアルな意識のシフト。            
多様性、子どもの虐待、DVなどの専門職研修日米での提供40年から。

 

桜の季節だった。

桜の気配に誘い出されて, 桜の木々の下へ。

見上げて、あ。三分咲き、五分咲き、七分咲き、満かーいと一喜一憂する。

そして風に舞い散る花嵐に出会うと、心臓がどきどきして、いのちへの畏敬の深みに共鳴し、

身体の全細胞が喜びだすようで、もう泣き出すしかなかった。

 

桜の感動は、縄文の火焔土器を見た時の興奮によく似ていた。

春のいのちのエネルギーにつき動かされる自分と縄文人に、1万年前の時を超えたつながりを感じてにんまりした。

 

 

 

 

脳の中の電気回路がショートを起こしたその日から、桜に、春に、縄文に深く揺さぶられる心はどこかへ消えた。

眠れなくなった。どんなに身体が疲れていても、脳は休むことを拒否した。

 

眠れない夜が3日、4日と続いて5日目になってようやく2時間ぐらいの浅い眠り。

睡眠薬は功を奏せず、温熱療法、瞑想、テルミー、光線療法と自分でできるあらゆることを試みた。

マッサージ、お灸、頭蓋仙骨療法、ホメオパシーなどにも通ったが、施術をしてもらった日はとりわけ眠れなかった。

 

喜怒哀楽がなくなったことは前回書いたが、恐怖の感情だけは異様に肥大していった。

眠れないことが怖かった。

 

パソコン作業が怖くなった。

連載原稿を編集者にメールで送る添付作業が苦しくてたまらない。それなのに原稿を書くことはまだできた。

ネットで航空券を買う作業ができなくなった。それでも元気そうに振舞って地方講演をそつなくこなすことはまだできた。

 

そのうちに物事を決めることができなくなった。夕飯を何にするか決められない。

スーパーに行っても買う物が決められなくて、「どうしよう、どうしよう」と心の中でつぶやきながら食品売り場をウロウロする。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようと、どうどうめぐりがいつまでも続く。

 決められないことが怖い。

 

心療内科や精神科へ行くと、薬を処方されるだけなので行く気になれなかった。

睡眠導入剤のほかにSSRIやSNRIや NaSSAなどの抗うつ薬に加えて漢方薬も処方されたが、何の変化も起きなかった。

 

保険適用外でカウンセリングもしますという精神科にも複数通った。その一つは本を何冊も出版されている精神科医の病院で、10分の診療のために1時間待たされるのは普通で、最高2時間待ったこともあった。待合室にはその医師の著書や精神医療の専門書が何冊も置いてあった。

 

薬を処方された後、別室でカウンセリングを受けてくださいと言われた。

別室で30分ほど待たされた後、入ってきた心理士さんは事務的に症状を聞いてカルテに記録した後、

「ここに一本のりんごの木の絵を描いてください」と指示すると出て行った。

 

「バウムテストやるわけか」と気力が抜けてしまった。

30年前アメリカの大学院でバウムテストを始めとする描画法を気乗りしないながら単位取るためにだけ学んだ時から、

患者の内的世界を一般的な反応に照らし合わせて解釈分析する方法に私は懐疑的だった。

 

それでも従順な患者らしく振舞って、根っこがなくて風が吹けば倒れそうなひ弱な木、りんごがすでに地面に落ちている絵を描いた。

心理士さんが戻ってきて言った。

「はい、今日はここまでです」

「え? この絵について話さないんですか?」

「それは、次回、先生がされます」

これで診療代金の他カウンセリング料金8000円請求された。

「バウムの絵を描かせるだけの時間をカウンセリング・セッションと呼ぶ。占い師のところに行った方が良かった。」

 

もうここにくるのはやめたいと思ったが、医師が絵について何を言うかにかすかな興味があったので、また行って、また1時間以上待たされた。

 

「すごいですよ!この絵は。」と医師は興奮気味だった。

何がすごいかって、要するに私の内面の荒廃がすごいと言うことらしい。

「落ちているりんごがやたら大きいのもすごい。」

すごいを連発するこの医師、語彙が少ないなあ。

 

彼の描画法分析によれば、過大な自信が地に落ちた私の絶望の大きさがすごいらしい。

それで10分。

 

 

医師の私の内面への勝手な解釈を聞かなければならない馬鹿馬鹿しさ。これにまた8000円払うのだろうかと心配になる。

心の荒廃がすごく、自信喪失がすごい、と分析解釈断定することが、どれだけ患者を傷つけ症状を悪化させるかの理解がまるでない。さらにそれをカウンセリングと称して課金する。

荒廃しているのはあなたですと言いたくなる。

もう一刻も早く帰りたい。

 

「薬はいいです」と言うと「いやいや、途中でやめてしまうから良くならないのです」とただされ、前と同じ2種類を処方された。捨てるしかない。

この病院へはその日を最後に二度と足を運ばなかった。

 

しばらくして、近所の心療内科の女医さんが「いい先生だ」と言う口コミだけで、通い始めた。

ここは待ち時間平均30分。診察時間15分だったからいい方かな。そして穏やかで誠実そうな人柄だった。

希望すればその女医さんによる保険適用外の50分で1万円のカウンセリングを受けられた。

 

カウンセリングはひたすら傾聴してくれるだけだった。1回目は傾聴だけでも、次からは何かあるかと期待したら、2回目も3回目も同じだった。常套的な傾聴の返し言葉が繰り返し出てくるだけで、それ以上のスキルはないらしい。4回目でやめてしまった。

 

この女医さんのところに通っていた頃、桜の季節がめぐってきた。

 

医院まで続く長い桜並木を歩いても、満開の桜が青空に向かって枝を伸ばしているのを見上げても、

かつてのように心と身体細胞が喜ぶことはなかった。灰色の化石のように固まっていた。

 

 

 

 

 

今日はここまで。

次回からは楽しくなるよと予告したが、また暗いエンディングになってしまった。

うつ病の深刻な苦しさの理解を広げたいとの思いがあるので、こうなってしまうのは最初は仕方ないかな。

 

お付き合いいただきありがとうございます。

また次回も。

 

 

 

 

 

 

 

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