銘柄を検索

亡妻の等身大パネルと暮らす78歳、リースバック失敗で「死ぬしかない」《楽待新聞》

  • 配信
  • 不動産投資の楽待

「黒沢さんともいよいよお別れですわ。今までお世話になりました。ありがとうございました……」

ある夜。留守電に録音された陰鬱な声。

不吉な内容に驚いてコールバックすると、留守電とは一変、ハキハキした関西弁で「つまらない電話かけて本当にスンマヘン!」と謝罪され、私はため息をついた。

声の主は東京・足立区に住む蛭田進(ひるた すすむ)さん(78)。足立区内で4店の洋品店を営む社長だった。

だった。と過去形なのはすでに引退・廃業されているからだが、そんな進さんと知り合ったのは2021年末。

前回の記事で紹介した埼玉県・八潮市のトンデモ施設「八潮秘宝館」の兵頭喜貴館主から、「隣町にすごい家があるよ」との情報が入り、ストリートビューで確認したところ、これ以上なく雑にペイントされた極彩色の民家が出現。

予想を上回る禍々しさに驚き、外壁になぐり書きしてあった電話番号にダメ元でかけてみたところ、2コール目で応答した男性が、何を隠そう進さんだったのだ。

「かみさんが死んで鬱病なりましてね……。4店やってた店も畳んでしまって、借金背負って、ちょうど今、首吊ってあの世へ行く準備をしてたところなんですわ」

これ、通常なら110番案件だが、芝居がかった甲高い関西弁で言われると、どこかユーモラスな響きもあって、とりあえずこの日は警察を呼ぶまでもないと判断。なだめ、励まし、お話聞かせてくださいと懇願し、電話の2日後、巨大台風が接近するさなか、進さんの自宅を訪問した。

■衝撃的すぎる蛭田さんとの出会い

問題の家は、中川堤防の脇に建つ19坪のガレージ付き戸建て。ベースは平凡な民家だが、ガレージのシャッターや外塀はストリートビューで見た通りの極彩色。

富士山、謎のキャラ、その上に「ブティック進」と謎めいた屋号が記され、これ以上なく禍々しい雰囲気を醸し出していた。

ガレージの軒先には小さな物干し台。その脇で大柄な男性がひとり、強風に吹き飛ばされそうな服を必死で抑えている。男は私の存在にハッと気付くや、物干し台を支えながら、凄まじくよく通る声でこう叫んだ。

「黒沢さん! 蛭田ですゥ! とってもお忙しいのに、こんな遠いところまで来てくれてありがとうね!(ペイントされた『ブティック進』の屋号を指差し)これね、女房とやってた店の名前なんです。店閉じた後も在庫が余っちゃって、こうして家の前で売ってるんやけど、誰も買ってくれませんわ!」

進さんの印象を簡潔に表すなら、昭和の刑事ドラマを思わせる渋い顔。大衆劇団の座長めいた色気。演歌歌手さながらの美声。

過去にはキングレコードからデビューしたこともあるそうで、文字通りの元演歌歌手でもあった。

この時すでに70代半ばの進さんだが、年齢を感じない見事な滑舌。矢継ぎ早にハキハキ喋りながら、事あるごとに「ごめんね」「ありがとね」を挟む、典型的な人情家タイプ。

そんな彼は2019年、最愛の妻・京子さんを病で失い、足立区内で40年間あまり経営した4店の「ブティック進」グループを廃業。

「やることもないから、ガレージで不良在庫を捌いてるんですわ。どうぞ中見て、笑ってやってください!」

言われて覗き込んだ私は、壁から天井から、亡くなった京子さんの写真でびっしりデコレーションされたガレージを目の当たりにして、文字通り言葉を失った。

写真の隙間には「京子ありがとう」「京子忘れないよ」みたいな、手書きのメッセージが、なんとマジックで直接壁に書き殴ってあり、事情を知らなきゃホラー映画の世界だった。

ガレージに収まる進さんの愛車は、妻の京子さんが生前、誕生日祝いに買ってくれたもの。この車も例外なく、中も外も京子さんの写真や謎のシールが耳なし芳一レベルでビシビシに貼られ、よくぞ車検が通ったと感心するほど。

例えるなら狂気と正気の狭間というか、進さんの心の闇が垣間見える異次元空間だった。

家事をこなし、店を回し、資金繰りに困れば(どこからか)金を運んでくる。まるで魔法使いのような存在だったという京子さん。

そんな彼女がこの世を去ったのが2019年。進さんと初めてお会いしたこの日、すでに没後2年が経過していたわけだが、悲しみは癒えるどころか増してゆく一方だという。

余談になるがこの訪問の少し前、私の母が京子さんと同じ病で亡くなっていた。何とはなしに母の話をしたところ、進さんは卓越した共感力でひとしきり号泣した後、玄関を開け、私を招き入れてくれたのだった。

「黒沢さんの悲しみ、苦しみ、骨の髄までわかりますわ。ここでこうやって出会うのも運命やったのかもね……。こんな所で立ち話も何やし、上でコーヒーでもどうですか? 普段、うちには誰も入れない主義ですけど、黒沢さんだったらええですわ……」

進さんのご自宅は、変わった間取りの5DK。1人で住むには持て余す広さだが、その広々とした空間には数え切れない「京子グッズ」が怒涛の勢いで並び、右を見ても左を見ても京子、京子、京子……。

それは健康な人がノイローゼになるような勢いで、思い出の写真と遺品に囲まれまくっていた。

結局その日は夜まで進さんのインタビューを撮影し、後日、編集した動画をYoutubeで公開した。するとしばらくして、ネットと無縁な進さんから豪華なハムの詰め合わせがいきなり家に届き、驚いて電話すると……。

「僕はユーチューブとかようわからんけど、友達が何人か検索してくれましてね。黒沢さんの動画見たよって、電話が来たんですよ。ありがとね黒沢さん! 僕みたいなもんを取材してくれて、本当にありがとうね! いつでもまた取材してよね!」

このやりとりをきっかけに、年に何度か進さんの家に立ち寄り、定点観測がてら世間話を交わすという、不思議な関係が始まるのだった。

■華やかな生活から一転、地獄の日々

終戦から2年後の昭和22年。兵庫県に生まれた進さんは、中卒で地元の縫製工場に就職。来る日も来る日も、巨大な織り機に油を差して回る日々。油まみれになりながらも華やかな世界に憧れ、24歳で単身、東京にやってきた。

「学歴社会」という流行語が生まれた70年代。中卒の進さんが希望通りの道に進むのは容易ではなかったというが、そこは持ち前のド根性と腰の低さでクリア。

少しばかり経歴を偽り、とある大手服飾店に潜り込んだ進さんは、一心不乱に服を売って実績を積み、上京からわずか6年後には、銀座にある高級洋品店の店長に収まっていた。

30歳で京子さんと結婚すると、雇われ店長から独立。足立区・綾瀬駅前の空き店舗で「ブティック進」をオープン。

開業当初は売れない在庫を抱え、破滅と背中合わせの生活が長く続いたそうだが、芸能界に人脈のある京子さんの暗躍で、次第に裁ききれないほどの客がついた。そして、支店を増やし、大きなアメ車を次々乗り替え、それなりに豊かな生活も経験した。

ところが2019年、大番頭の京子さんが突然この世を去り、進さんは己の無力さを思い知ることになる。

私生活では念願だったレコードデビューを果たし、芸能人の端くれとして時代劇にも出演。しかしそれらの活動も、不平ひとつ言わず、店を支える京子さんの働きがあってこそ。

何もかも任せきりだった彼女が亡くなると、銀行の残高はおろか、通帳やハンコの置き場所すら分からない有り様。

生前、そんな未来を予知していた京子さんは、生死の境をさまよいながらも、進さんに「することリスト」を書き遺していたという。

リストの通りに相続を済ませ、40年経営した店を閉じ、全ての作業を消化した途端、進さんは真っ暗な宇宙に放り出されたような、究極の孤独に絶望することになる。

悲しみと寂しさと絶望だけの、地獄のような余生が始まったのだ。

■妻の遺産もパチンコに消え…

働くことに明け暮れた40年。夫婦の間に子供は無く、進さんは文字通りのひとりぼっちとなった。

寂しさを紛らわすべく、家中に貼りまくった京子さんの写真。1枚1枚が目に入るたび、寂しさと後悔が炎のように燃え上がる。

「家にいると女房のことばかり考えてしまって……。あいつ、亡くなる3日前にこう言ったんです。『お父さん、私が死んで小遣いに困ったら鏡台の中を見てごらん。それでしばらくパチンコでも行って遊んどきいな』って。うわ言のように繰り返していたんですわ!」

京子さんの死後、ふと妻の言葉が頭をよぎり、鏡台を調べると、そこには100万オーバーの札束が収まっていた。

「コロナが始まって、店も閑古鳥鳴いて、金なんかどこにも無かったのに、あいつ、どうやってへそくったのか……。ただね黒沢さん、ここが僕のダメなところなんですが、1人で家におるとたまらなくなるんです。だから京子よ、今日は5万円だけ借りるからな。儲かったらすぐ返すからなって、パチンコ通うようになっちゃいまして。女房の金、1年経たずきれいさっぱりすってしまったんですわ」

泣きながら鼻をかむ進さん。キレイ事では終わらない。煩悩を容赦なくさらけ出すそのスタイルに、私はぼんやり口を空けたまま、どう反応すれば良いやら、考え込んでしまうのだった。

「そらもう、パチンコ屋の玄関で腹切ってやろうか、真剣に考えましたわ。ただね黒沢さん。パチンコやってなかったら僕、とっくに死んでました。女房のへそくりと引き換えに生かされていたんです。もちろん京子にはスマン気持ちだし、遺影の前で土下座の日々ですわ。京子堪えてくれ! また負けたわーって……」

進さん、基本的に家の中で照明はつけず、真っ暗のなか、懐中電灯の明かりだけで生活している。実はこれ、電気代をケチるためではなく、京子さんへの贖罪なのだ。

「僕ね、部屋が明るいとおかしなるんですわ……。図々しく電気をつけて、明るく好き放題やってる自分が恥ずかしゅうて」

1度だけ、暗闇を再現してもらったことがある。目の前が真っ暗になった後、遠くにぼんやり、見覚えのある女の顔が浮かび、恐怖で飛び上がりそうになった。

ついに出たかと身構えると、脇で進さんがウヘヘ……と笑う。幽霊かと思ったそれは、進さんが特注で制作依頼し、顔の部分だけライトアップした京子さんの等身大パネルだった。

「知らない人が見たらお化け屋敷ですわ……。ただね黒沢さん。前にパチンコで大負けして、真っ暗な中、京子のパネルに土下座して謝ってたら、横に吊るした造花の束が風もないのに回りだしたことがあるんです」

京子! おまえなのか?

次の日も、その次の日も。パチンコに負けて土下座するたび、造花の束はクルクルと回った。ただそれも3度まで。あの世の奥さんも呆れ果てたのか、4度目からはピクリとも動かなくなったそうだ。

■「僕と女房がこの世に存在した証を」

ちょうどこの頃から、進さんは自宅の外壁をペイントするようになった。

深夜、スプレー缶を持って自宅の前をうろつき、取り憑かれたように外壁を塗りまくる。

「じっとしていられなくて、絵を描いてたんですわ……。そしたらパトカーが飛んできて、僕の家だよって説明しても信じてくれなくて、大騒ぎになったんです。その晩からですよ、しょっちゅうパトカーが来るようになって」

ウクライナで戦争が始まれば、生け垣の竹を黄色と青のウクライナカラーに塗り分け平和を祈願。隣近所からは変な宗教にはまったと誤解され、私のような自称ユーチューバーが訪ねてくるようにもなった。

「あの頃は悲しくてね。ユーチューバーも全員断ってましたわ。友達からは3回忌が過ぎれば楽になるよって言われたけど、楽になんかならない。もう耐えきれんと思って、ロープかけて死のうとしたそのときなんです。黒沢さんから電話が来たのは」

1本の電話をきっかけに親交が芽生えたのも何かの縁。死に執着する進さんの気分転換にでもなればと、いつからか、2人並んで不定期のライブ配信をするようになった。

「ありがとう! 僕と女房がこの世に存在した証になりますわ!」

奥さんのパネルに見守られながらの生配信。数少ない視聴者に熱っぽく語りかける進さん。そんなあるとき、進さんの口から思いもよらない爆弾発言が飛び出した。

■大後悔のリースバック

「この家も売ってしまいましたから……。もう僕のものではないんです!」

今年3月に行った配信のさなか、進さんが何気なくつぶやいた意外な台詞に驚き、問いただすと、進さんはバツの悪そうな顔でこう述べた。

「黒沢さん。リースバックってわかります? ほら、テレビでCMやってるでしょ?」

ほとんどテレビを見ない私だが「ハウス・リースバック」という言葉には覚えがあったし、進さんの言うCMも見たことがあった。

※リースバックとは
現在住んでいる戸建てやマンションを売却し、まとまった現金を受け取った後、毎月の賃料を支払い、そのまま住み続けられるサービスのこと。
一見、良いこと尽くめに聞こえるが、利用者の多くが高齢者であることから、契約内容や勧誘に関するトラブルが多発している。

天涯孤独。年金非加入。年収ゼロ円の進さん。妻の遺した虎の子までパチンコで溶かし、一体どうやってやりくりしているのか。かねてから知りたくもあり、知るのが恐ろしくもあったが、「リースバック」という言葉を聞いた途端、胸騒ぎが止まらなくなったのを覚えている。

進さんが家を売却したA社は、国内に多数の加盟店を持つ不動産会社。約10年前からリースバック事業をスタートさせている。

「僕が大好きだったタレントが、住み続けられます! って言うもんやから、これなら安心や思うて、迷うことなく電話したんです!」

なんとまあ……。しつこいセールスに根負けした。とかではなく、さながら特攻隊員の如く、自ら飛び込んで行ったのか。

「京子よ……。俺らには家を継いてくれる子供もおらん。だからいっそ、この家売ってしまおうと思うんや」

大きく引き伸ばした妻のポスターに進さんが問いかけると、写真の妻がニコリと微笑んだ(ような気がした)という。

よっしゃ賛成してくれるか! そうと決まれば善は急げや! とA社に電話すると、Yという営業マンがすっ飛んできた。

「営業のY君。30そこそこの爽やかな青年でしたよ。彼を見た瞬間、花を持たせてやりたくなってねえ……」

純真無垢な進さんは、営業マンのY君を息子のように信頼し、Y君はY君で、進さんが缶スプレーで塗りたくった家をあちこち眺めながら「この家なら毎月4万円ちょっとの家賃で住み続けられますよ。たぶんですけど」と無責任に言い放ち、進さんを喜ばせるのだった。

「4万なら上等やんか。よしわかったY君。あんたを信じて家売るわ! そう言うて、ハンコ突きまくってやったんですわ!」

■実際の家賃は聞いていた「倍」に

こうして、足立区の蛭田邸は1000万円ちょいの値段で売却され、いろいろ差し引かれた後、800万円の現金が進さんの手元に残った。

売却後、知り合いの不動産会社から「なんでひと言、うちに相談してくれなかったの?」と言われたが、後の祭り。

「Y君に惚れたのは僕やから愚痴りたくないけど、4万ちょっとの家賃で住み続けられますよって、そう言うてくれたから、4万ならええわと思って話を進めたんです。それがいきなり倍ですわ!」

息子のように思っていたY君は、具体的な交渉が始まるや「買い手の提示価格ですから仕方ないですね」と、月8万4000円の家賃を提示。

「そんな、あんたが4万って言うから……」と面食らう進さんに、これが相場なんですよ蛭田さん! と悲しげな顔で訴え。そのまま押し切ってしまうのだった。

ボタンの掛け違いは他にもあった。進さんは「A社が家を買い取り、A社が管理し、自分はA社に家賃を支払う」ものと思い込んでいたが、A社が絡むのは仲介のみ。家を買い取るのは第三者で、売却後のやりとりは家主(買い手)と進さんの直接交渉となる。

何度も言うが進さんの収入はほぼゼロ。家賃が8万4000円となると、今回の取引で手に入れた800万円を全額ぶっ込んだとしても、約8年でオケラになってしまう計算だ。

「途中で白紙に戻すこともできました。ただそうなればY君のがんばりが無駄になってしまいますでしょ? それはかわいそうで、最後まで言い出せなかったんです。もうどうでもええですわ。どうせ死ぬんだし……」

■新たな「習慣」も増え、ストレス倍増

ちなみに進さん、家賃のほかに毎月1500円を謎のサービスに支払っている。

「この1500円のサービスね……。家売ったとき、A社からセットで入らされまして。週2回、僕が生きてるか確認の電話がかかってくるんですけど、その電話かける手間賃が毎月1500円なんですわ」

安心のためですから。と、当然のように契約させられた「みまもりサービス」。週2回。水曜と日曜の朝9時(曜日と時間は任意)に、自動音声で安否確認の電話が入るというもの。

「朝9時に電話が鳴るでしょ、これが5回のコールで切れちゃうんです。切れたら自動であちこち通報が行っちゃうから、ほんとに気が気じゃないんですわ!」

実際、うっかり寝ぼけて応答できなかったときは、問答無用で通知を受けた管理会社と義理の妹(緊急連絡先)から安否確認の電話が鳴り響き、ごめんね、ごめんねと平謝りする羽目に……。

朝は落ち着いてトイレに行くこともできなくなったという進さん。そもそも大家側が「安心」するためのサービスに、なぜ進さんが金を払わねばならないのか?

■お金も、希望も、家も無い

奥さんが生涯かけてへそくった大金を、一瞬にしてパチンコで溶かしたことからもわかるように、進さんはまとまった金を所持してはダメな種族に属している。

そこに来て今回のリースバック。家を売って手に入れた800万円は一体どうしたのか? 恐る恐る尋ねてみると……。

「800万円ですか? 僕、ブティックやってたとき銀行から融資を受けたんですよ。もうすぐ死ぬんやしね、そんな借金返さんでいいから踏み倒せって人もいます。でもね黒沢さん。僕、借りたものはキッチリ返さんと気がスマンのです。スッキリしたい主義なんですわ!」

こうして借金を一括返済。蓄えはほぼ底をつき、今は京子さんが遺した貴金属などを少しずつ処分しながら、なんとか食いつないでいる状況。近い将来、破滅は免れないと本人も自覚している。

「先月、契約更新だったんですよ。今回はなんとか乗り切りましたけどね。2年後の更新はたぶん無理。それまで家賃を払い続けることも難しい。もうおしまいですわ」

生活保護なり、頼れる制度もあるんだから頼りましょうよ。と励ますも、生活保護受給者となれば、この家を出ることは避けられず……。

進さんの中に、京子さんとの思い出が詰まったこの家を去るという選択肢はない。引っ越すくらいならこの世から消えてしまいたい。それが偽らざる想いなのだ。

「黒沢さんから見たら元気そうかもしれないけどね、中身は80近い爺さんなんですよ……。初めてお会いしたときは僕もまだ勢いがあったから、はげ頭にスプレーしたり身綺麗にもしてました。ただもう、今の僕にはここを出て行く気力もないんですわ……」

A社を責める気はない。違法な手段で家を取り上げたわけでもなく、暴走した進さん自ら、突撃しての結果なのだ。

「黒沢さん。僕ね、とんでもないことしてしまったの。Y君があまりにも良い青年だったもんでね、周りの友達に(A社を)勧めまくってしまったんですわ……」

一度惚れたらとことん面倒見の良い進さん。Y君のため、ひと肌脱いでやろうと親しい仲間に声をかけ、リースバックって良いんだよ。信用できる営業マンを紹介するよ。やったほうがいいよ──と伝道しまくった。

幸い、進さんの言葉を信じてA社に電話した者は1人もおらず、大事には至らなかったそうだが、結果、ドン引かれ、煙たがられ、潮が引くように友達がいなくなったという。

「みんな、僕なんかよりしっかりしてますわ。ただね、あのまま僕がしつこく勧めてたら、中には1人くらい、信じて家を売るヤツがいたかもしれません……。だから黒沢さん、今回のこと、僕のことはどう書いてもええから、包み隠さず公開してほしいんです。僕みたいな人間をこれ以上増やさないためにも」

激動の時代をがむしゃらに生き抜いた苦労人が、人生のゴールを目前にして「うまい話」に足をとられ、ドツボにはまる様を目の当たりにすると、もはや長生きが恐ろしいことのようにも感じてしまう。

なんとかならないものだろうか……。

クーロン黒沢/楽待新聞編集部