自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち
“K子さん”が亡くなってから四年半が経つ・・・彼女が、はじめて連絡してきたのは2020年12月3日。「末期癌で余命二ヶ月の宣告を受けた」衝撃的な告白に戸惑いを覚えた。「できる準備はしておきたいので」相談の内容は、自身の遺品整理についてだった。「できたら特掃隊長に担当してほしい」彼女は、このBlogの愛読者だった。詳しくは、2021年1月26日・30日、2月3日、2022年3月2日「残された時間(四篇)」に書いた通り・・・初めて会ったのは2020年12月13日、音信が途絶えたのは翌2021年2月9日、そして、2月18日に入院し3月2日に亡くなった。私が、それを知ったのは、死去から一週間が過ぎた3月9日。遺言により、彼女の友人が知らせてくれた。癌は脳にまで広がり、連絡を取り合っていた頃の終盤には、「薬が効かなくなってきた」「意識が朦朧・混濁する」といったメッセージが増え、誤字乱文や誤変換、変換しきれていない平仮名から、“その日”が近づいてきていることがヒシヒシと伝わってきていた。そんな状況だったから、入院したときは、もう 自分も何も ほとんどわからない状態だったそう。訃報を受けたのは現場から現場への車中だったのだが、「悲しい」とか「淋しい」とか、言葉では簡単に表せない切なさで心が深く沈み込んだのを覚えている。かつて、彼女は、最期の局面ではないときにリアルな臨死を体験したことがあった。その記憶が強烈に残り、「死後も現世と似たような世界がある」と、死も恐れていなかった。また、「心の力」とでも言うか、人の“祈り”の力や、人の間に行き交う“以心伝心”の力も信じていた。私も、“第六感”の類をどこかで信じている。そんな私は、そんな彼女に、あるお願いをした。それは、「何か合図みたいなものを送ってください」「不可解な現象があったらK子さんだと思いますから」「スマホの画像に写り込んでもいいですよ!」というもの。死後における“コンタクト”を試みることだった。そんな突拍子もない“頼みごと”でも、彼女は、ジョークを交えて快諾してくれた。「死を間近に迎えようとしている人に、よくもまあ、そんなことが頼めたもんだ」と呆れる人がいるかもしれないけど、当時の関係性(本音本心の対話)では不自然(不躾)なことではなかった。で、実際はどうか・・・話の流れからすると、「何かが起こった」「何かを感じた」とするのが“お決まり”なのだろうけど、それが・・・何もない。私の意識の中では何もないのである。また、幸か不幸か、私は、自覚的な霊感もない。ただ、特に、何があったわけでもないのに、ここ一~二か月前くらいからやけに彼女のことが頭に浮かぶようになっている。だから、この“異変“については、「自分が知覚できないところで自分の心が“K子さんの合図”に反応しているのかも?」とも思って、ちょっと新鮮な感じがしている。特殊清掃は、ほとんど単独作業。楽なライト級はもちろん、得意の(?)ヘビー級でも同じ。「特殊清掃」なんて仰々しく言っても、賃貸物件の入居者入れ替えの際に行われるような全面的なルーム(ハウス)クリーニングほどの頭数は要らない。大の男(女)が寄ってたかってやるようなことではない。しかし、外部の人からは「一人でやるの!?」と驚かれることが少なくない。つい10日前も、孤独死マンションで管理組合の女性理事長に「一人!? 大丈夫なの!?」と目を丸くされた。過酷な作業を想像してのことと思うけど、それ以外に、“死”というものを忌み嫌う本能と、故人(霊魂)に対して“畏れ”のようなものを感じているせいもあると思う。しかし、故人は、自分が汚したものを掃除してくれる人間に悪意を抱くだろうか・・・仮に、マイナスの感情を抱かれるとしても、せいぜい、自分が大切にしてきた物(遺品)が雑に扱われることを不快に思うとか、あとは、「それ、ちょっと高くない?」と、料金に不満を持たれるくらいではないだろうか。感謝されるかどうかは別としても、“自分の味方”くらいには思ってもらえると思う。そんな風に思うから、私の内には、霊魂や霊力を恐れる感情は湧いてこない。この仕事、自慢はできないけど自負はある。前の「熱中症」で記したように、“ゾーン”に入ってハイパフォーマンスを展開することも日常茶飯事。しかし、この身体が加齢や病で衰えてきているのは明らか。更に、そのスピードは速まるばかり。自分自身でよくわかる。なのに、パフォーマンスはそれほど下がっていない。逆に、上がっているところがあるかもしれない。“力”から“技”へ自然とスイッチされてきているせいもあるだろうけど、ここにきて、私は、それだけではないような気がしている。特殊清掃の相談が入った。時季は真夏、その日も朝から悪夢の30℃超え。早朝から現場に出ていた私は、ヘビー級腐乱死体アパートの駐車場で特殊清掃を始める準備をしていた。そんな中、会社から連絡が。「新規の問い合わせが入ったので、すみやかに応答するように」との指示。このアパートで特掃をジックリやるつもりだった私は、“軽症なら俺が行かずに済むかも・・・”“もっとも、軽症想定なら俺に指示は来ないか・・・”等と思いながら、伝えられた連絡先に電話をかけた。電話に出た声は中年の男性。「高齢の母親が自宅で孤独死」「警察の見立てでは死後二週間余り」「現場は市営住宅で近隣住民から管理会社に異臭のクレームが入っているよう」「今日の午後、現場に行くから、それに合わせてきてもらえないか」といった相談。“真夏の二週間”“近隣苦情”それだけでヘビー級かどうかまでは定められないものの、ライト級ではないことは ほぼ間違いなかった。男性は、自分にも仕事がある中で故人の死後手続きなどに追われているようで、都合を訊くと、「早くても14:30頃の到着で、遅くとも15:30には現場を離れたい」と、限られた時間帯を指定。それを受けた私は、その時間に行くことを前提に、その日の時間割を再考した。アパートから現場まで、想定される移動時間は一時間半から二時間。つまり、アパートにいられるのは13:00まで、渋滞などを考えて少し余裕をみるとタイムリミットは12:30。その日は、そのアパートで気が済むまで特掃をやって、終わったら帰社する予定でいた私。しかし、ヘビー級が想定されたから私に指示が来たわけ。行かないわけにはいかない。私は、男性と「14:30頃」と約束し、「12:30迄、できるところまでやろう!」と、そそくさとアパートに入った。そこは、長い工期で請け負った現場。“急がば回れ”、何事も焦り急ぐとロクなことがない。「できなかったところは日をあらためてやればいい」私は、そうラフに考えて、部屋に置いてあった故人の置時計に目をやりながら、頭の中で予め組んでおいた段取り通りに作業を進めた。自分の手際のよさを褒めながらも、結局、当初の予定の七割くらいのところでタイムアップ。中途半端感は否めなかったが、それでも作業の山場を越し、異臭が減退していく過程まで持っていくことができた。そして、私は、「近いうちに また来ます」と、姿なき こっちの故人に一声かけ、あっちの故人宅に向かってそそくさとアパートを出たのだった。訪れた現場は、東京隣県の市営住宅。依頼者の男性も約束の時間に現われた。私と男性は、それぞれ、団地の利用者だけしか通らない建物前の道路に車をとめ、一緒に故人の部屋へ。「近隣からクレームは来ている」と聞いていたので、それなりの異臭が漏れていることを想像(覚悟)しながら。で、玄関前に着いた我々は、まず臭気確認。しかし、私の鼻は異臭を感知せず。男性も、同じで「???」と怪訝顔を傾げた。ただ、やはり、そこは“真夏の二週間”。玄関を開けると異臭がプ~ン。男性を外に置き去りにしなければならない程の異臭ではなかったものの、外とは違う世界となっていた。間取りは広めの2DK。故人は、片方の和室のベッドで死去。布団には人型の汚染がクッキリ残り、片足がベッドから垂れていたようで、敷かれたカーペットの一部も汚染。それをめくってみると、下の畳にも脂が浸みていた。また、多くのハエも湧いて、一部はベランダ側の窓に貼りつき、一部は死骸となって窓際に転がっていた。汚染異臭は決して軽症ではなかったけれど、それを除けば、部屋はとてもきれいな状態。家具・家電・日用品、すべて秩序よく置かれ、部屋や水廻りの清掃はキチンとされており、物は少なくないのにスッキリ感は充分。孤独死って、急に亡くなるわけだから、仮に整理整頓や清掃がキチンとできていても、雑然とした生活の匂いがそれなりに残っていることが多い。しかし、ここは生活感がありながらも、長い間の留守に備えて片付けたかのように整然としていた。「まるで準備して逝かれたような感じですね・・・」そう言うと、男性は、「“いつ逝ってもいいようにしておかないと”とよく言ってましたから」と、故人の真面目な気質を、幾分 誇らしげに語った。ここは公営住宅。原状回復の責任については、民間の賃貸物件に比べると緩い。しかも、内装建材への直接的な汚染はなく、要する作業は、「特殊清掃」と言うより「汚染物撤去」。更に、故人の死にかかわらず、経年劣化した内装は改修するはずなので、消臭消毒については安価な簡易消臭でも通るのではないかと思われた。しかし、男性は、私に費用を訊いたうえで、「そのくらいで済むなら」とシッカリした消臭を要望。それは、貸主や他住人への体面を気にしてのことではなく、几帳面できれい好きだった母親の想いを汲んでのことと思われた。解せなかったのは、「近隣からクレームが来ている」ということ。発見のキッカケも近隣からの通報だったそう。しかし、外部への異臭漏洩はなし。「遺体搬出で異臭漏洩が止まった?」と考えられなくもなかったが、外でも感じられるくらいの重異臭が発生しているとなると、遺体は重腐敗、周辺は重汚染のはず。遺体を搬出したところで、部屋には重汚染や腐敗不衛生物が残るわけで、そのくらいでニオイが収まるとは思えず。ただ、クレームを出している住人を探し出して問い正すことなんてできるわけもなく、結局、その辺のカラクリはわからずじまいだった。想像の範囲で・・・長くここに暮らしていた故人は、近所付き合いもうまくやっていたはずそんな故人の姿が急に見かけられなくなったことを、近隣住人は不審に思うように気にしてみると、夜になっても明りも灯らず、生活の気配もなく、インターフォンに応答もなしそれで、隣人がベランダの隔て板越しに故人宅を覗いてみると、窓には無数のハエがそうしてやってきた警察の遺体搬出作業を野次馬見物その際に漂ってきた遺体臭を嗅ぎ、それがメンタルにこびりついてしまったそれで、実際は臭っていなくても「臭う」と苦情を言っているのではないか・・・といったストーリーを創って語った。すると、男性は「なるほど・・・多分、そんなところでしょうね」と大いに納得。更に、「さすがですね!」と感心してくれた。そして、それに気をよくした私は、「何か言われたら、“専門業者にキチンと処理させましたから”と言って下さい」「場合によったら私のことを伝えてもらってもいいので」と、大人げないドヤ顔で、らしくない侠気をみせた。男性は私と同年代で、故人も私の母親と同年代。そのせいか、この事案が他人事のようには思えず。そして、私の母親も几帳面できれい好き。その家事負担は老体には重荷だけど、きれいにしていないと気が済まないそう。「いつ死んでもいいように」と備えていた故人も、“死”は受け入れることができても、自らの身体が部屋を汚してしまうのは我慢ならないのではないか・・・この惨状をみたら自己嫌悪に陥るのではないか・・・それは避けた方がいいはず・・・「そうでしょ?おかあさん」そんな風に想うと、耳に聞こえない“返事”が来るような気がして、作業の手に自然と力が入っていった。汚染はヘビー級でも、内装建材が直接やられていなかったのが幸いだった。寝具・ベッド・敷物・畳一枚を撤去すれば汚物は皆無に。もともと重異臭が残留していたわけでもないし、長めの工期をもらったお陰もあって消臭は成功。強力な消臭をかけた後に残りがちな作業臭も残らず。畳一枚がポッカリ抜けた跡から独特の寂しさが滲み出ていたものの、ニオイも含めて、故人の部屋は何事もなかったかのような落ち着きを取り戻したのだった。いつのことだか、どこかで誰かが、私のことを「縁の下の力持ち」と評してくれたことがあった。「力持ち」かどうかはわからないけど、「縁の下」というのはシックリくる言葉だった。私は、社会の陰、しかも誰も入れないような隙間に生きているから。極めて狭い世界で、細々と生きているから。それでも、必要としてくれ頼りにしてくれる人がいる。不安を拭えて安堵し、平安を取り戻せて感謝してくれる人がいる。誰かの支えになれているとすれば、まったく、ありがたいことだ。自分本位の感情移入は、もともとの“主義”じゃない。一人よがりの感傷には充分な警戒が必要(どの口が言う?)。だけど、この仕事を長くやり過ぎて頭がイッてきてるせいか、はたまた、短い先において“散り菊”になっても 尚 粘って燃えようとしているせいか、このところは、一件一件の故人に対する構えも変わってきているように思う。汚物に対する嫌悪感はあるけど、故人に対する嫌悪感はない。死に対する恐怖心はあるけど、死体に対する恐怖心はない。作業に対する不安はあるけど、霊魂に対する不安はない。身体はキツいんだけど、気持ちは意外に穏やか。イザとなったら、誰かが力添えしてくれそうな安心感がある。「肩肘張らず故人と向き合うことで力が増し加わる」と言うか、故人との間で不思議な一体感を覚えるようになっている。生前の“K子さん”は、やたらと私を応援してくれていた。今でも、どこかで応援してくれているのだろうか・・・私にはわからない。だけど、今も、その想いに励まされ、その記憶が励みになっているのは間違いない。それに気づくと、彼女が、ひたむきに、私のあの時の”頼みごと”を聞いてくれていることがわかってくる。そして、知らず知らずのうちに、それが新たな力を宿してくれる。晩夏とは思えないほどの猛暑の中、「天の上の皆さん、ありがとうございます」と、一人ぼっちでも一人ぼっちじゃないポンコツ男は、今日もどこかの“縁の下”で大汗をかいているのである。本件詳細は⇒死後推定2週間の特殊清掃事例52
2025-08-25 07:00:15
これまでの高温記録が更新されている通り、今年の夏は、一段と暑いらしい。「らしい」というのは、例年に比べて特段の実感がないから。“汚い!””クサい!”“キツい!”は毎夏同じことで、気温が記録的に高いからといっても私にとっては大差ない。また、現場の凄惨さから言えば、昨年の方が酷かったような気がする。もちろん、特掃隊長が「今年は、ちょっと物足りねぇなぁ・・・」と不満に感じているわけではないと思うけど。仮に、“彼”が「物足りない」って感じているとなると、自分が強くなっていることを喜ぶべきか、変態的になっていることを危ぶむべきか悩むところだ。そんな夏の今時分、夏休みをとっている人も多いよう。恐れ多いことに、世の中には、8月9日(土)~8月17日(日)九連休の人もいるらしい。そんな人達は、旅行や帰省、遊興や飲食、自宅でのんびり、それぞれに暑い(熱い)夏を過ごしているのだろう。ちなみに、今月、私は8日(金)に休みをとり、次は18日(月)の予定で、月内にあと一日くらいはとれるかも。それも、たまった私用でアッと言う間に終わる。半分、好きでやっているようなところもあるけど、年を追うごとに気温は上がり、年を負うごとに身体は衰え、更に、休みは前述の通り。このトリプルパンチを受けて疲弊しないわけはなく、私は、逆ギレする力も失くし、夕方、退社する頃には“抜け殻”のようになる。そして、朝、出社する頃に、再び“身”を入れていくのである。私の仕事は屋内作業が多い。屋外は、飛び降り自殺とか、動物死骸とか、遺品の運搬とか、それくらい。しかし、屋内といっても、エアコンを利いた涼しいところはほぼなく、外の方がよっぽど涼しい現場も多々。エアコンは動かせず、窓も開けられず、熱気に近い重異臭が充満する中で、ハエが飛び回り、ウジが這い回り、逝った人が置いていった汚物が広がっている・・・スゴ~く!不衛生で、スゴ~く!クサいサウナに入っているようなもの。サウナが苦手な(怖い)私は、本物のサウナに入ったことはないのだが、この“蒸腐呂(むしぶろ)”には何度も入ったことがある(こっちもまあまあ怖いけど)。本物のサウナで味わえるのは快感、“蒸腐呂”で味わわされるのは怪感。本物のサウナは心身が整うそうだが、“蒸腐呂”は心身が乱れる。玉のように噴き出してくるのは快汗ではなく冷汗か脂汗。どう見ても心身には悪そうだ。当社の夏季ユニフォームは、上は半袖のポロシャツ、下は作業用パンツ。シャツの色は、男は黒、女は赤。作業時は、全身がビショビショになるくらいに汗をかく。作業が終わると、それが徐々に乾いていくわけだが、黒いシャツだと、身体が塩を吹いた様がよくわかる(襟や袖口に白塩が浮き出る)。「人間の身体には、本当に塩が入ってんだな・・・」と感心するやら、「ここまで働いて、何になるのか・・・」とジッと手をみるやら、達成感・充実感と疲労感・虚無感が交錯する中、そう遠くはない”限界”が見え隠れしている。元来の私は、“熱しにくく冷めやすい”性格。「冷めたヤツ」高校時代は、周囲から特にそう言われていた。事実、何かに熱くなることはなく、冷ややかでいることがほとんど。自分の壁とは安易に妥協するのに周囲に対して妥協するのはヨシとせず、自分の弱さには簡単に迎合するのに周囲に迎合するのは敗北と捉え、協調性がないことを孤高と勘違い。部活は“帰宅部”、学校やクラスのイベントにも非協力的。体育祭は三年間とも当日バックレ。「バカバカしくてやってられるか!」そんな気分だった。その頃に比べ、今は、少しは“体温”を帯びてきているように思うが、それでも、その後遺症はある。「冷めている」というのとはちょっと違って「心が硬直している」といった方がシックリくるかも。死を迎えた身体が硬直するように、心が死んでいるからそうなのかもしれない。若者に多い文化なのかもしれないけど、今どきの人は、中高年でも“推し”を持っているのが珍しくないそうだが、私は、そんなもの持っていない。好きなもの、応援しているもの、夢中になっていること、熱中していること等、心を熱くするようなことは何にもない。しいて言えば・・・私が没頭しやすいのは“特殊清掃”。決して、好きでやっているわけではないのだが。「他に引き受けてくれる人(業者)がいない」といったHelp!系のヤツは特にそう。しかし、初見の現地調査の段階では、「やりたくない」と「やるしかない」と、気持ちは半々。至極凄惨な汚損を相手にするわけだから、やむを得ない。その後、正式に依頼(契約)を受けると、「やるしかない」という状況に追い込まれる。同時に、「やりたくない」という気持ちは隅に追いやらなければならない。代わってやってくれる者がいるはずもなく、逃げ場は完全になくなる。ただ、その時点ではまだ、「だったら俺がやってやる!」といった漢気は影も形もないのである。作業日は、依頼者の要望と私の都合を調整して事前に決めるわけだが、それが決まると、そこからカウントダウンが始まる。「いよいよ明日か・・・」前の晩になると憂鬱さが増してくる。で、不眠症患者の悪癖か、夜中、半分眠りながらも作業の手順を考えてしまう。合理的・効果的な作業を思案することは、少しでも、自分が傷つかないように、自分を傷つけないようにするためのものでもあるから。現地調査時から作業時、日数があいたりすると、汚染が乾燥したりカビが生じたりして変容していることはあるけど、根本的な汚さにおいて変化はなし。初見の調査時に強いインパクト(ショック)を受けるのはやむを得ないのだが、作業時は既にそれを知って行くわけだから、少しは心の重荷が軽くなるかと思いきや、そんなことはない。自然に改善するわけもないのに、「やっぱ、アノ時(調査時)のままか・・・」とガッカリするのが常。そして、「始めるか・・・」と、憂鬱な気分で作業を始めるのである。トイレ掃除について相談が入った。電話をしてきたのは、内装設備の工事会社。現場は東京隣県、やや遠い某市。内容は、「知り合いが持っているアパートの一室がゴミ部屋になっている」「ゴミを片づけてくれる業者は地元で見つけたがトイレの清掃は拒否された」というもの。「きれいにできる?」という問いと、「きれいしてほしい」という要望が相談の要旨だった。事情は理解できたが、作業の可否は現地を見てみないと判断できない。施工不能という結果も充分にあり得る。無料の現地調査で無駄足を踏みたくない私は、「画像があれば送ってほしい」と返したが、「画像はない」「自分のスマホで撮りたくない」とのこと。そんな画像ばかりのスマホを持つ私でも、その気持ちは理解。相手も“冷やかし”のつもりではないようだったので、とりあえず、現地調査には出向くことにした。訪れた現場は、区画整理のされていない古い住宅地に建つ老朽アパート。そこに暮らしていたのは高齢の女性その女性、歳には勝てず、独居生活が困難になり高齢者施設へ転居。部屋からは限られたものしか持ち出せず、また、施設にも限られたものしか持ち込めず、ほとんどの家財生活用品は不用品として部屋に残置。そして、その後片付けは大家がやらなければならないことに。女性は長くそこに暮らしており、家賃滞納や近隣トラブルもない“善良な居住者”だった・・・はずだった。しかし、蓋を開けてみると、部屋はヒドい有様に。「自分ではどうすることもできない」と判断した大家は、知り合いの工事業者に始末を依頼。しかし、工事業者は内装・設備の改修・修繕が本業。色々あたって、ゴミの始末を引き受けてくれる地元業者を見つけたものの、トイレ掃除までやってくれる業者に巡り会うことはできなかった。汚いところの特掃は散々やってきていたから「こんなヒドイの見たことない!」というようなことはなかったものの、これまでの施工実績にもとづいた“汚手洗ランキング”でいうとトップクラスであることは間違いなかった。女性は、何かを詰まらせて流せなくなった状態でも用を足し続けたよう。で、便器内は糞便尿がタップリ。このままやり続けるといずれ満杯になり、糞便尿が便器から溢れ出る・・・それを阻止するため糞便尿をすくい出そうと試みたのだろう、便器には大きめの御椀が差し込まれていた(仮に、すくい出せたとしても、どこに捨てるつもりだった?)。しかし、残念なことに、椀は“特命”を果たすことなく、そのまま糞便尿に吞み込まれていた(捨てる先がないことに気づいてやめた?)。「椀は、こんなことに使われるために生まれてきたんじゃないはず・・・」「本来の役目は、食べ物を盛り付けてもらうことなのに・・・」「それが、“食べ物だったもの”を喰わされるハメになるなんて・・・」「その上、無残に見捨てられて・・・」私は、正体不明になるくらいにまで糞便尿と同化した椀が自分と重なり、何だか可哀想になってしまった。便器の中だけでなく、外側も便座も床も重症。「まったく、もお・・・」と愚痴りたくなるくらいの状態。「どうやったらこうなんの?」という疑問さえ浮かんでこないくらい。代わりに浮かんだのは、「うわぁ~・・・これ、やりたくねぇなぁ・・・」というもの。まだ、見積も出さず、正式に契約したわけでのないのに、嘆きに近い拒否感が早々と私の頭を巡った。このトイレを含んだユニットバス、交換すると50~70万円もかかる。老朽アパートにつき、大家は、新しいものに交換するのはかなりの抵抗があるよう。そうは言っても空室のまま放置するつもりはなく、最低限の修繕をして、再び入居者を募集したいそう。特掃の費用は、交換工事にかかる費用の一割~二割程度。コスパは、こっちの方が圧倒的にいい。その代わり、原状回復できるかどうかはやってみないとわからない。請負契約にも「成果保証なし」「原状回復保証なし」といった条件を付けざるを得ない。それでも、依頼者側は、「やってみる価値あり」と判断。契約は正式に成立し、施工する運びとなった。取り掛かりは、糞便尿の掻き出し。便器の内部は流線形で奥に向かって狭くなっている。更に、相手は粘土状。だから、それを掻き出すには、融通のきかない道具より意のままに動いてくれる手の方が適している。自分に猶予を与えると躊躇うばかり、勢いが失われていくばかり。こういう時は、自分に余計なことは考えさせず、テンポよくリズミカルに進めるにかぎる。私は、手を使う方が合理的と考え、ラテックスグローブの上にビニール手袋を装着。便器の中に手を突っ込む覚悟を決めた・・・ところが、不用意にも、私の無意識が、タップリとすくい上げた“ブツ”の触感・質感・重量感をイメージ。自ずと、頭には、強烈な気持ち悪さと気味悪さが出現。すると、脳が「No!No!No!No!No!」と急ブレーキ。防衛本能が働いたのか、動きかけていた身体も直感的にStop!結局、最終的には手を直に使わざるを得ないことがわかりながらも、とりあえずはスコップ等を使って脳を慣れさせ、併せて身体をウォーミングアップさせていくことにした。凄まじい臭さの中、道具ですくえるだけの糞便尿を掻き出した後は、いよいよ手の登場。行儀よくカレーを食べるように便器の内側を指で掻き、できるかぎり除去。最奥の排水穴が露わになったところで手指を“イカ”のように細め、奥にググっと突っ込めるだけ突っ込んでみた。すると指先に、何か異物に触れているような感覚が。ただ、厚手のビニール手袋を通してでは、手指の感覚は鈍く“気のせい?”ととれなくもなし。素手でやれば、もう少し奥に入るし、触れている物の正体が掴めそうなものだったが、さすがの特掃隊長でもそれはできず(できるわけない)。しばし思案の末、上のビニール手袋だけ外し、ラテックスグローブ一枚だけつけて再チャレンジすることにした。当社で常用しているラテックスグローブは薄手。その分、素手に近い触感が得られ手指を細かく使える。ただ、安物を使っているわけではないのだけど、強度はほどほど。並の使い方で破れることはないのだが、いらぬ力が加わったり、鋭利なものに触れたりすると、わりと簡単に破れる。で、作業中や作業後、「気づいたら破れてた(-_-;)」といったこともたまにある。「守られている」と思っていた地肌が、「実は守られていなかった」ということが判明したときの怒りと悔しさ、悲しみといったらもう・・・察してもらえるか。素手に比べたら間違いなく安心だけど、これ一枚をつけただけで重汚物に触れるのは ちょっとしたスリルがあって 何気に勇気がいるのである。“ラテックスグローブ一枚作戦”は功を奏し、異物が指先に引っかかった。私は、「逃してなるものか!」と、人差指と中指を“イカゲソ”から“箸”に変身させ、手がつりそうになるくらいの力を指先に込めて“獲物”を挟み、「離してなるものか!」と手前へ数cm引いた。そして、姿の一片を現したそいつを、今度は五本の指でガッチリ掴み、先の読めない重量感と引き換えに“グッ、ググッ“っと手前へ引き寄せた。そうして現れたのはビニール・・・正体は45ℓのゴミ袋だった。ただ、“ただのゴミ袋”にあらず。クサくて汚いドロドロを纏ったシワクチャ状態で、“生前”の面影はまるでなし。「ゴミ袋は、こんなことに使われるために生まれてきたんじゃないはず・・・」「本来の役目は、汚物を入れることなのに・・・」「それが、汚物に入れられるハメになるなんて・・・」「更に、奥に突っ込まれて埋められて・・・」椀と似たような境遇のゴミ袋だったのに、今度は、同情心は湧いてこず。私の意識は、便器の詰りを解消させた高揚感に占有され、大物を揚げた釣人のように「ヨッシャ!」とガッツポーズ。誰も見てないからいいけど、もう、バカ丸出し!だった。便器の詰りを解消したことで、作業の一山は越えた。しかし、糞便尿を取り除いたくらいで白い便器が戻ってくるわけはない。固形化した糞便や石化した尿酸、その他 正体不明の汚れがビッシリ。そいつらを、一つ一つ始末していかなければならない。特に「色白が好み」というわけではないけど、とにかく、“白”を目指し、ペットを可愛がるように何度も便器を撫でまわした。根性はともかく、それは根気も手間と時間もかかる作業。だけど、便器が何事もなかったかのような無垢に仕上がったときは、労苦が報われたような気がして悪くない気分に。結果、依頼者側も「ここまできれいになるとは・・・期待以上!」と大満足してくれた。大したことやってるわけでもないのに達成感を覚える。汚くクサい身体になるからこその爽快感がある。くっだらないでしょ?けったいなヤツでしょ?でも、私は、こんなことに熱中してしまう。誰のためでもなく、自分のためでもなく、熱中してしまう。「バカ丸出し」は「無邪気」と解くこともできる。「熱中」は「夢中」と展じることもできる。実は、無意識の奥底で、特掃隊長の心は喜んでいるのかもしれない。頭と身体は萎えていても、心は癒えているのかもしれない。どういう理屈でそうなるのか、自分でもわからないけど、その感覚はある。もともと冷めているはずの私は、バカバカしくてやってられないはずの汚仕事に熱くなる自分の不可解さを、白旗を上げるように悟り知りつつある。そして、「こういうのも、生き甲斐の一つなのかな・・・」と、まんざらでもない笑みを くたびれた顔の右に浮かべているのである。本件詳細は⇒トイレの特殊清掃事例51
2025-08-15 07:00:00
今、PCや携帯電話を持っている人で迷惑メールが来ない人はいないだろう。SNSを一切やらない私のスマホにさえ、一日、数十通、日によっては百を超える迷惑メールが届く。ほとんどは自動的に「迷惑メールフォルダ」に弾かれるのだが、一部はそのまま受信。3~4通だけど、毎日、夜中や早朝にも毎日のように入ってくる。そして、スマホは枕元にあり、受信したときは着信音が鳴る。それが、浅い眠りを更に浅くする。「着信音を消しとけば?」そう思うだろうけど、仕事の電話は24時間365日入ってくる可能性があるため、そうもいかない(メールの受信音だけ消せる機能があるのかな?)。時々は電話もかかってくる。仕事柄、登録のない番号からかかってくることも日常茶飯事なので、知らない番号でもとる(さすがに“0800”はとらないけど)。気持ち悪いのは、第一声で「〇〇さんですか?」と私の名前がでてきたとき。個人情報保護法はどこへやら、個人情報がダダ漏れになっている実状は百も承知だけど、名前まで知られていると虫酸が走る。ただ、仕事の依頼者やその関係者かもしれないから、とりあえず、「・・・はい」と応える。先に、「ご用件は?」と訊き返したところで、もう本人であること認めているようなものなので、仕方なく「はい・・・」と応える。その後、相手が名乗って仕事関係でないことがわかっても後の祭り。“チッ”と、聞こえない舌打ちして、とりあえず用件を聞く。ほとんど、投資・通信・光熱関係など、ありきたりの営業勧誘。変わったところでは、地方の物産品の販売営業もあった。とにかく、どれもこれも興味も必要もないから、さっさと片付ける。中にはマトモな会社やマトモな商品もあるのかもしれないけど、当事者の承諾なく入手した個人情報をもとに連絡してきた者を相手にして「詳しい話を聞いてみようかな」といった気分になるわけはない。不正に入手した個人情報をもとに、一方的に電話を入れてくる・・・違っていたら申し訳ないのだが、特殊詐欺の“かけ子”と重なって、胡散臭さが拭えない。「部屋の異臭が消えなくて困っている」春先のある日、そんな相談が入った。電話の声は高齢の女性。込み入った事情があるのか、頭が整理できていない様子。何からどう話せばいいのか考えあぐねているようだったので、一つ一つ私から質問をし、女性がそれに応えるかたちで話を進めていった。概要はこう・・・前年の秋、実弟が孤独死発見はかなり遅れ、遺体は腐敗凄惨な汚れと異臭が発生現場は故人所有のマンション間取りは3LDK、遺体があったのは故人が寝室として使っていた一室故人は、そこのベッドに横たわっていた発見のキッカケは、共用通路側の窓に群がる異常なまでのハエの影管理会社や近隣を巻き込んでちょっとした騒ぎに特殊清掃・消臭消毒は、マンションの管理会社ではなく、女性が暮らす街にある不動産会社に紹介された業者が施工遺体汚染はきれいに掃除されているしかし、ニオイが消えていない業者にクレームを入れたが「これ以上の消臭は無理」「内装を解体するしかない」「最初からそう説明したはず」言われ取り合ってくれず結局、部屋はクサいまま・・・というものだった。特殊清掃や消臭消毒において、他社の“尻ぬぐい”に参じることは珍しいことではない。ただ、だからといって、軽率に他社の施工が間違っていたと断じることはできない。当社を含め、専門業者とはいえ万能ではないから。他業者が、できる限りの仕事をしたことが伺える現場もあるし、当社が施工しても似たような成果しかだせなさそうな現場もある。業者の説明不足と依頼者の理解力の限界、業者が想定する成果と依頼者の期待値の乖離、事後に起こるトラブルの原因は主にそういったもの。原因になりやすいことがもう一つある。それは、“メンタル臭”。やはり、腐乱死体臭は強烈なインパクトがある。同じ悪臭でも、生ゴミや肉・魚が腐ったものとは成分が違うし、何より精神的なダメージが天地ほど違う。だから、消臭作業が完了した後の現場において、第三者が「臭わない」としても、メンタルをやられていると「まだ臭うような気がする」となる。“後遺症”が重いと、「あのニオイが鼻に付いてとれない」「どこにいても、あのニオイがする」となる。ちょっと脱線・・・“似臭”として感じることが多いのは食べ物。本来なら食欲をそそられるはずの美味臭がそう感じられてしまうことがあるのだ。私自身も腐るほど経験があるから、その感覚はよくわかる。私の場合、後遺症ではなく単なる職業病だから、それで食欲が減退するようなことはないのだが、それでも、「ん!? これ、あのニオイに似てるな・・・」と、一時停止してしまう。もう30年くらい前のことになるか、大学時代の友人と連れ立って入った飲食店で出てきた割と高めなチーズが、そのニオイにそっくりだったことがある。そっくり過ぎるくらいそっくりで、“本物”には驚かない私でも その“偽物”にはビックリしてしまった。記憶が定かではないけど、直径10cm高さ3㎝くらいの円筒木箱に薄紙に包まれた状態で入っていて、その紙は指が濡れるくらい水気を帯びていた。特掃隊長ジャッジの“似臭ランキング”だと、それが間違いなく一位!あれから随分の時が流れ、色んな“似臭”を嗅いできているけど、それを上回るものは未だ現れていない(現れなくていいけど)。話を戻す・・・前業者は、「これ以上の消臭は無理」「内装を解体するしかない」「最初からそう説明したはず」と言ったそう。確かに、遺体臭をきれいに消すために内装解体を要するケースは少なくない。だから、業者の言い分も理解できたし、私が出向いたところで「結果は同じ」ということも充分にあり得る。とにかく、専門業者が やれるだけやった後なのだから、残留しているとしても軽異臭・微異臭のはず。また、女性固有の“メンタル臭”である可能性も否定できない。となると、事実上、このケースは、原則無料で出向く“一次調査”ではなく、費用が発生する場合がある“二次調査”にあたる。現場を視に行くだけのことでも、移動交通費や半日分の人件費などコストはかかる。そのため、私の頭には、「かかる経費分くらいは負担してもらわないと割に合わない」といった考えが浮かんでいた。そんなところに、女性は、「息子が色々調べてくれて、“そちらの会社がいい”と勧めてきまして」「今、お話ししただけでも、ちゃんとした仕事をなさっている方だとわかりますし」「間違いのない方に視ていただきたいものですから」等々、耳触りのいい言葉を羅列。煽てるつもりはなかったのだろうけど、それは、承認欲求の強い私の“急所”をグサリ!結局、私は、女性の“ヨイショ”に自ら“ヨイショ”と乗っかって、無料で現地調査に出向くことにした。調査の日。訪れた現場は、東京隣県に建つ大規模マンション。長閑なところだったが、都心まで片道一時間~一時間半くらいの通勤圏内。しかも、駅が至近の好立地。建物は、「高級」という程ではないものの、1Fエントランスにはソファーセット等が置かれた談話スペースもあり、その空間は天井が吹き抜けたようなデザイン。「コンセルジュ」はいなかったものの、管理人室の前にはホテルのようなカウンターが設けられていた。ただ、高級感が漂っているのは1Fエントランスだけ。他は、地味なデザイン&シンプルな構造。庶民が憧れを抱きつつも、売却価格は富裕層でなくても手が届くよう工夫されたマンションだった。現地に現われたのは、二人の老齢女性。一人は電話で話した依頼者の女性、もう一人はその妹。事の経緯は、既に電話で聞いていたし、あらためて訊くと長い話になりそうだったので、あえて触れず。その代わりに「こんちには」ではなく、「お疲れ様です」と、ちょっと気さくに挨拶。すると二人は、弟の孤独死腐乱を指してか、前業者の仕事ぶりを指してか、“ホント、とんでもない目に遭ってあってしまったわ”と言わんばかりの愚痴っぽい愛想笑いを浮かべ、「わざわざありがとうございます」「頼りにしてます」と、足労をねぎらいつつ、再び“急所”を突いてきた。玄関の鍵は女性が開錠。そして、「どうぞ」と、私にドアを引くよう促した。“あっても微異臭、もしかしたらメンタル臭?”と思いながら参上した私。油断しまくりの無防備状態。ところが!、玄関を開けると、いきなり異臭パンチが炸裂!強烈な異臭が私の鼻と意表を同時に突いてきた。もう、「何となく臭う」とか「臭うような気がする」といった生易しいものではなく、完全に臭っている。故人がいた寝室は特に深刻で、私は思わず、「(消臭作業)本当にやりました!?」「これじゃ、何もやってないのと同じですよ!」と、声高に。女性を責める筋合いはないのに、責めるようにテンションを上げてしまった。一方の女性も“責められている”みたいに感じたのだろう「“とにかく、早く何とかしないといけない!”と慌てていて・・・」「知り合いの不動産屋さんの紹介だったから間違いないと思って・・・」と、言い訳をするように説明。その業者が、特殊清掃と消臭を施工したそうだったが、結局、異臭はそのまま残留。「業者も当初はそんなつもりはなかったんでしょうけど、結果的には、騙されたと同じですね・・・」と、テンションが下がり切っていなかった私は、冷たいコメントを配慮なく返した。施工した業者について訊いてみると・・・やってきたのは、40代くらいの男性で、礼儀正しく特段の胡散臭さは感じず。知人からの紹介ということもあり、はじめから正規の業者だと信じていた。また、「早く何とかしてほしい!」といった気持ちが強くて、他の選択肢はまったく頭に浮かばず。受けた説明は具体的に覚えておらず。ただ、「部屋は元通りになる」といった類の言葉に大きく気持ちが傾いたのは覚えていた。業者が置いていったものを見せてもらうと・・・名刺はPC自作。個人名の他に会社っぽい名称が記載されていたが法人ではなさそう。ネット検索しても出てこず。見積書も市販汎用品。書いてあることを見ても、とても作業内容が読めるようなものではなく、“何屋”なのかハッキリせず。想像するに、特殊清掃業ではなく、不動産会社や工事会社の下請けでやっている個人事業のハウスクリーニング業者ではないかと思われた。重異臭が残留しているということは重汚染もあったはず。しかし、寝室の床に目立った汚染痕はなし。フローリング材の継目(溝)部分をよく見れば、わずかに遺体系汚物か生活上のものか判別できないくらいの汚れが確認できるくらい。フローリングの濃ブラウン色が汚染痕を目立たなくしているとも考えられたが、遺体液の大半は寝具やベッドマットが吸収したはずで、もともと汚れていなかった、もしくは、汚れていても軽微なものだった可能性の方が高かった。つまり、「業者の清掃技術が高かったから床がきれいなのではない」ということ。それに対して異臭は重症。消臭について、実状は「やらなかった」のではなく「できなかった」。経験も知識も技術も装備も何もない中で、業者は、考えつく作業を試みたはず。しかし、考えついたのは粗悪な誇大広告消臭剤をネットで買ってふり撒くくらいのことだったと思われた。あまりにお粗末・・・の割に、料金は高額。業者は女性を侮り、女性は業者に侮られ・・・紹介者との人間関係もあるし、揉め事も避けたいし、結局、女性は泣き寝入るしかなく・・・そそくさと、業者は消えていき・・・女性の胸中と部屋に残った不快なニオイは、もはやどうすることもできない状況になっていた。故人(二人の弟)には妻子がおらず、このマンションを含めた遺産は 女性姉妹が相続。部屋は空になっているし、内装設備はきれいだし、遺体汚染痕はないに等しいし、問題はニオイだけ。ただ、仮にニオイが消えても、孤独死・腐乱があった事実は消えない。どちらにしろ「事故物件」とされてしまう。だったら、このまま売却するのもあり。そうすれば、これ以上、二人はストレスを抱えずに済む。しかし、二人は、ニオイが残っていることをどうしても受け入れられないようだった。異臭の有無が部屋の査定額にどれだけ影響するものかは定かではなかったけど、少なくとも、買い手の心象には影響するはずだった。ただ、二人は、ニオイを消して少しでも高く売ろうと欲をかいているのではなかった。それは、故人の名誉を考えてのこと。故人が悪事を犯したように捉えられるのは耐えられない・・・亡くなり方の悲惨さや部屋の凄惨さばかり強調されるのは悔しい・・・事故物件とされるのは仕方がないにせよ、無闇に、他人にネガティブな心象を抱かれたくない・・・二人にとっては、ニオイを除去することと故人(弟)の名誉を守ることが重なっているようだった。“息子推薦”であっても、二人は、当社(私)のことをいきなりは信用せず。細かすぎる質問、繰り返される質問から、それが感じ取れた。ただ、それで不愉快な気分にはならず。信用できないのは前業者にダマされたから、探ってくるのは信用の材料を集めようとしているから。協議は長々としたものになったが、私は、どんな質疑にもキチンと応答。この仕事、自慢はできないけど自負はある。二人の信用を得るための材料は豊富にあった。その結果、あらためて当社が消臭作業を施工することに。そして、相応の手間と時間と費用を要しながらも、故人が残したニオイと女性姉妹の憂慮は消えていったのだった。「職業に貴賤はない」と言われるが、それは一つの見方。違う側面から見れば貴賤はある。卑下しているわけでも 僻んでいるわけでも 拗ねているわけでもなく、事実は事実として、そう思う。で、言うまでもなく私の仕事は“賤”の方に入る。特殊清掃業者・遺品整理業者が数えきれないほど涌いている近年では薄らいできていると思うけど、従事している者が“わけあり”“ヤバい奴”等の印象を持たれやすい実状もある。私のことを「胡散臭いヤツ」と感じる人は、自分が思っているほど少なくないかもしれない。事実、私はクサい男。汗脂臭・腐乱臭・ゴミ臭・糞尿臭・動物臭・・・年柄年中、悪臭にまみれているので。おまけに、ここ数年は、厄介な加齢臭まで。更に、「吐く(書く)セリフ(文章)もクサい」ときてる。この仕事、この齢、この性分だから仕方がない。ただ、それらの異臭だけでなく、時々は、自分に浸みついた胡散臭を省みて、消臭を試みてもいいかもしれない。そしたら、意外と自分の芳香がわかるかも。更に、それが“素の自分”だったりしたら めっけもん。自分の芳香を探さず、自分の芳香に気づかず・・・自分を嫌い、自分を軽んじ、自分を蔑んでばかりじゃ、人生がもったいない。何より、自分の“命”が可哀想。だから、今日も、私は“クサい”ことばかり考えては 一人頷いているのである。他社施工後の消臭作業事例㊿
2025-08-05 04:02:10
いつの頃からそうするようになったのか・・・現在の私は、一日二食が基本。ま、意図的に「一日一食」や「一日二食」にしている現代人は少なくないようだから、特に珍しいスタイルではないだろう。私の場合、食事は朝と晩だけ、昼食をとることはほとんどない。まぁ、昼を食べていた頃でもバナナ一本とか、その程度。店に入って定食をガッツリ食べたり、弁当を買ったりすることはなかった。12:00~13:00キチンと昼休憩がとれる仕事でもなく、昼食に時間をとられるのもイヤだし、頭や身体を使うのも面倒臭い。腹が減らないわけではないけど、食べなければ身体は重くならないし、晩飯が美味しく食べられるという利点もある。しかし、そう“舐めたマネ”ばかりしてるわけにはいかないときもある。夏場は特にそう。孤独死現場で孤独死?ほとんどの特殊清掃は単独作業なので、一人でブッ倒れたらシャレにならない。水分はもちろん、エネルギーもキチンと摂取しておかないと身が危ない。なので、作業がハードになりそうなときは、パンとか、傷みにくく 運転中でもサクッと食べられるものを用意することを心掛けている。夏の昼食代わりとして登場するのは、やはりアイス菓子。頻繁に買うわけではないのだけど、現場間の移動時や作業後の帰り道など、やけに欲するときがある。パン同様に、食べる手間が少なく済むうえ、運転中でも食べられるといった利点がある。中学からの好物は「P〇n〇」。だけど、これを運転中に食べるのは難があるし、やはり真夏は氷系の方が口に合う。氷系も色んな商品があるけど、「運転中でも食べられる」といえば、やはり、片手で持ってかじれ、しかも安価な「A乳業のG君」。やっぱ、これ。何年か前の夏、暑さと疲労に負けそうになったとき、それを貪ったことがあった。すると、食べ終わる頃になって、バーに「1本当り」の刻印が出現。予期せぬ出来事に、年甲斐もなく私のテンションは爆上がり。疲れが一気に吹き飛ぶくらいの喜びを感じた。ただ、それはそれ。私は、どこかのレジで“当り棒”を出せるほど強いメンタルは持ち合わせていない。子供の頃は何の恥ずかしさもなく、ハッピーな気分のみで引き換えていたのだが、さすがに、中年になってそれはできない。¥80に このストレスは合わない。「ラッキーはラッキーだけど、俺には、これを引き換える度胸はないわ・・・」と、恩恵にあずかることは早々に断念。ただ、それを捨てるのは幸運を自ら手放すのも同然のような気がして、とりあえず、家まで持ち帰った。そして、“縁起物”として、しばらくそのまま置いておいた(後に廃棄)。これは、懸賞に当たったと同じこと。該当商品に換えることに何の問題もない。では、何が障害になるのか。それは、外聞・世間体・人の目、虚栄心・羞恥心等々。いい歳したオッサンが、「みっともない」というか「恥ずかしい」というか、とにかくカッコ悪い。対応する店員も、腹の中でバカにするだろう。ましてや、汚いオヤジが、まさに“舐めたマネ”した棒なわけで、バックヤードで大悪口を叩かれること必至。もう、それを想像しただけで背筋に悪寒が走って凍りつきそうだ。“当り棒”を使うか(使えるか)どうか、年齢が一つの区切りになるのは私だけではないだろう。「アイスの当り棒、何歳までなら平気で使える?」私の場合・・・小学生だと余裕でいける。中学生でも何とか大丈夫そう。ん~・・・ギリ、高校生までか・・・やっぱ、キツいか。大学生になると、もう無理かな。友達とふざけながらだとできそうだけど、やっぱ、一人だと無理。酒でも煽って気持ちをデカくしてからでないとできそうにない。この感覚は社会一般に合っているのか、それとも私の性格はおかしいのか、興味がある。「何歳までなら使える?」よかったら、コメント欄に投稿を。夏の足音がきこえ始めた晩春のある日、相談の電話が入った。「暑くなる前に壊れたエアコンを交換したい」「今のままでは工事業者が入れない」声の主は弱々しい口調が印象的な男性、年齢は30~40代か。どうも、自宅をゴミ部屋にしてしまっているよう。基本的な質疑応答を繰り返して後、私は、事前の現地調査と見積作成を提案。男性も、その趣旨を理解。「自宅にはずっといるから」「あまり先だと困るけど、都合のいいときに来てくれればいい」とのこと。私は、その言葉に甘えて、自分の都合で日時を設定させてもらった。訪れたのは、高層建のマンション。郊外ながらも駅前の好立地。周囲も賑やかで、日常の買い物や飲食は徒歩圏内で充分済ませられるようなエリア。「いいところに住んでんなぁ・・・」私は、そう思いながら、建物の下から男性に電話。下に着いたらインターフォンではなく電話をする約束だった。男性は、すぐに電話にでた。そして、「2~3分してからインターフォンを鳴らして」と指示。私は、妙な指示を怪訝に思いながら1F入口に移動。2分ほど待機してからインターフォンを鳴らした。すると、今度は、「4~5分してから来て」「鍵は開けておくから勝手に開けて入って」との指示。怪訝さが増し加わった私だったが、とりあえず、開錠されたオートロックをくぐって男性の部屋がある上階へ昇った。「勝手に入っていい」と言われていながらも、「これから入りますよ」の合図のつもりで、一応、玄関前でインターフォンを押した。それから、「失礼しま~す」と、やや声を大きくして、ゆっくりドアを引いた。すると、目の前には立派なゴミ部屋が出現。ゴミ達は、家主がなすがまま床を覆い尽くし、更に、家主に逆らうこともせず堆積。先の電話でだいたいの状況を聞いていたので驚きはしなかったけど、少しはマシな状態であることを期待していたので ちょっとガッカリ。そんな心持ちを知ってか知らずか、湿気と異臭を帯びた不快な空気が、悪気のない悪気で“ムワァ~ッ”と私を出迎えてくれた。季節は晩春。陽によっては夏の前味が感じられるくらい。ゴミをはじめ、湿気や異臭が気分や身体に障ったのはもちろんのこと、その蒸し暑さにも閉口。上階につき、ベランダの窓と玄関ドアを同時に開ければ心地よい風が吹き抜けそうなものだったが、物やゴミに阻まれてベランダ窓は開けられず。結局、私は、ゴミと異臭と蒸し暑さに耐えながら(萎えながら)、男性と向かい合うしかなかった。男性は、奥の部屋の椅子に寄りかかるように座っていた。そこが、昼間の大半を過ごす定位置のようだった。上は肌着Tシャツ・下はトランクス、つまり下着姿。しかも、シャツもパンツもかなりの汚れよう。エアコンも使えず、窓も開けられず、暑いからその成りをしているのだろうけど、冷静に見るとかなり振り切ったファッション。ただ、当の男性は、人目もカッコも まったく気にしてない様子。恥ずかしそうな素振りも、気マズそうな雰囲気もまるでなし。確固たる信念があるのか 俗世を達観しているのか、人の目ばかり気にしてしまう私にとっては、その潔いまでの不格好は、ある意味でカッコよく見えるものでもあった。また、エアコン工事については、実際に、工事業者を呼んで相談したそう。特掃屋の私ならともかく、この部屋に一般の人を呼ぶとは、何ともたくましい。小心者の私にとってそのタフさは、感心を通り越して憧れを抱くくらいのものだった。インパクトのある恰好に奪われていた視線を男性の身体に向けてみるとガリガリの痩身。また、頭髪は少なく白髪混じり、無精髭も目立っていた。肌艶はよくなく、垢なのか何なのか、皮膚はだいぶ荒れていた。パッと見は老人にも見えるくらいの風采。しかし、実年齢は40代前半。私より一回りも若いのに、その身体機能は、立ち上がるにも時間を要し、歩くこともままならないくらい低下。どう考えても、身体に重い障害がある、あるいは厄介な病気を患っているようにしか見えず。しかし、家事援助のヘルパーが入っているような形跡はなし。そもそも、部屋がこの状態では入れないし、入っていたらこんなことにはなっていない。男性が、普段、どのように暮らしているのか、自然と興味を惹かれるものがあった。いつも男性がいる椅子から壁にあるインターフォン操作パネルまでは、ほんの2~3m、玄関までは4~5m。健常なら、インターフォンが鳴れば“秒”で対応できる距離。しかし、機敏に動けない男性は“分”かかる。「マンションの下に着いたらまず電話」「2~3分してからインターフォン」「4~5分したら玄関を開けて勝手に入って」当初の不可解な指示は、思うように身体が動かせない事情があってのことだった。このマンションは、いわゆる投資用マンション。他室の多くは居住者(借主)とオーナー(貸主)が別。しかし、男性は、自分が住むために購入。自己所有なので、専有部分がゴミ部屋で汚くなっていても原則として問題はない。とは言え、他住人に不快感や不安を与えるようなことをするのは御法度。何より、自分に害がある。「エアコンが壊れてよかったのかも」「部屋をきれいにするチャンス」と、男性は、弱々しい口調に反して前向きな言葉を口にした。聞いて理解できるはずもなかったから詳しくは訊かなかったけど、職業はIT系の技術職。在宅ワークのようで、関係していそうなPC機器がたくさんあった。風貌はともかく高い技能をもっているのだろう、収入も悪くなさそう。このマンションも安くはなかったはずだし、宅配や通販もバンバン利用しているようだし、私が出した安くない見積も二つ返事で承諾したし、経済的に困っている風ではなかった。普段、外に出ることはなし(身体的に外出はほぼ不可能)。食料や日用品は、近所のスーパーやコンビニの宅配サービスを利用。外食も自炊もできないので、食事のほとんどは中食。ただ、たいして食欲があるわけではなく、必要最低限のカロリーを接種している程度。それを物語るように、食品系のゴミは“一般的なゴミ部屋”に比べてかなり少な目だった。意外なことに、酒は飲むよう。事実、部屋には焼酎の大ボトルとロックアイスの容器がゴロゴロ。私は、自分のことを棚に上げて、「酒なんか飲んでる場合じゃないんじゃないか?」と、心配に。また、タバコも嗜好。我慢できないのか我慢するつもりがないのか、私がいる前でも自由にプカプカ。「身体によくないだろうに・・・」と、受動喫煙を不快に思う前に、心配の方に輪が掛かった。衣類は、決まったものがあれば充分。私と同じで、ファッションやオシャレへの興味は皆無。そもそも、外出しないから外着は不要。楽な家着、晩春~初秋は下着があれば充分。洗濯はしない。徹底的に着倒して、雑巾のようになったら捨てる。部屋に。そして、新しい物はネット通販で買う。この繰り返し。風呂もかなり汚い状態で、日常生活ではほとんど使っていないよう。「風呂が汚れているから入りたくない」のではなく「入りたくても入れない」というのが実情。寝たきりの高齢者や重度の身体障害者が利用するような訪問入浴サービスを利用しているはずもなく、つまるところ、風呂に入らないで生活しているということ。肌が荒れ皮膚が傷むのは仕方がないことだった。トイレは日常で使用。ゴミ部屋では、ビニール袋やオムツに糞便をし、ペットボトルや瓶に尿を溜めるケースも少なくない中、幸い、ここではそういうことはなかった。ただ、その汚れ方はハンパなし。足元は黄茶色のゴミだらけで、糞便は便器だけでなく便座にまで付着。弱い身体機能が故に、トイレへの移動・便座への着座と排尿・排便のタイミングが合わせられていないことが想像された。男性が身体的に問題を抱えているのは明らか。しかし、その辺のところは一切口にせず。誰しも、人に話したくないことの一つや二つはあるもの。男性は、相当の事情を抱えて苦悩、もしくは、それ自体考えたくないのかもしれず。だから、その他のことはざっくばらんに訊きながらも、その辺のところには触れずにおいた。私は、男性には経済力があるのだから、家事支援等、少しでも生活が快適になりそうなサービスを受けることを助言しようかと思った。ゴミ出しや掃除・洗濯をしてくれる人がいるだけでも生活は随分と改善するはず。けど、やめておいた。男性との会話や男性が話す理屈におかしなところはなし。高い技能を要する仕事もしているわけで、頭はシッカリしている。自分のことは自分でキチンと考えることができるはず。その上で、男性は男性なりの生活を送っている。「それを尊重する善意は必要でも、水を差す独善は不要」助言をやめたのは、私なりに、そんな風に考えたからだった。他人の目には、不自由そうに見える男性。だけど、それを理由に誰かに迷惑を掛けているわけでもないし、誰かを害しているわけでもない。勤労に励み、納税の義務をはじめ、社会的責任もキチンと果たしているはず。その上で、メンツに縛られない。身体は不自由でも、心は自由を謳歌しているようにも見えた。実害のない外聞、誰も気に留めない世間体、過剰な自意識、疲れるだけの虚栄心、つまらないプライド・・・そんなものに囚われて、一体、私は、どれだけの自由を不意にして、どれだけの不自由を甘受してきたのだろう。一本と一人の“ガリガリ君”は、それらの本質を教えてくれているような気がするのである。ゴミ部屋の片づけ事例【障害者】㊾
2025-07-25 07:00:00
2025年も半分過ぎて、時は真夏。西日本で梅雨明けが宣言されたのは6月27日。平年より三週間も早かったそう。そして、私がいる東日本。梅雨明け宣言がどうあれ、梅雨はなかったも同然。そのせいもあってだろう、6月の平均気温は観測史上最高だったそう。年を追って暑さが増しているように感じるのは、やはり気のせいではないようだ。雨量については平年に近いところが多いらしいが、今後の水量に懸念もあるそう。前回投稿の「稲穂」で今年の稲作について触れたが、「梅雨が短い」ということは水不足のリスクも上がるということか。農作物全般そうだが、水田を要する稲作に水不足は致命傷になりかねない。ゲリラ豪雨や線状降水帯は歓迎できないけど、大地がちょうどよく潤うくらい適度に降ってほしいものである。とにもかくにも、特掃隊長にとっては、もっともヤバい季節に突入している。察してもらえると思うから説明は省くけど、本当にヤバい!何がどうヤバいのかわからない人は、過去Blogを参照されたし。そうすれば、大方のことはわかってもらえるはず。果たして、重年による衰えに加えて大病を患っているこの心身が持ち堪えるかどうか、我ながら見ものである。「遺品整理をお願いしたい」依頼者は女性で、声から推測される年齢は五十くらい。亡くなったのは女性の妹で、部屋は賃貸のマンション。部屋を見ないことには、費用や作業内容等、具体的な提案ができないので、私は、いつも通り現地調査を案内。隣県から来る女性の都合を優先した日時を設定し、初回の電話はそれで終わった。約束の日時。訪れた現場は幹線道路沿いに建つマンション。戸数の多くない小規模マンションだったが、1Fはオートロックで自由に出入りできず。私は、しばし待機し、約束の時刻5分前になって女性に電話。すると、女性は先に来ていて、既に在室。私が、建物前に着いていることを伝えると、すぐにオートロックを開けてくれた。あくまで見た目による推定だけど、玄関で出迎えてくれた女性は想像していた通り50才前後。「その妹」ということは、当然、故人はそれよりも若年。一般的に「若い」とされるのは10代や20代だけど、“寿命”として捉えると40代や50代でも充分に若い。“死”は老若男女を問わず万民に平等。その摂理がわかっていても、その若い死には特有の寂しさが感じられた。招き入れられた部屋は一般的な1DK。家財の量は多くなく、どちらかと言うと少な目。整理整頓はキチンとできており、汚れがちな水廻もきれいな状態。それは、故人が几帳面できれい好きな性格だったことを物語っていた。と同時に、まだ誰かが居住中であるかのような生活感というか、人の生気のようなものも感じられて、それが、淋しさ滲む現場の雰囲気を柔らかいものにしていた。頼まれた仕事は遺品整理。貴重品を探したり、遺族が持ち帰りたいものを選別したり、故人の生涯を振り返りながら故人との想い出を整理したりする作業。整理整頓が行き届いた部屋においては、そんなに難しいものではない。しかし、女性は、「なかなか気持ちが向いていかないから手伝ってほしい」とのこと。そんな中、女性がもっとも気にしていたのは、故人が大切にしていたネックレス。決して高価な物ではないらしいが、その昔、故人が社会人になった折、両親が就職祝でプレゼントしたもの。故人はそれを愛用。いつも着けているわけではなかったけど、ちょっとオシャレをするときは必ず身に着けていた。それを、老いた両親が、「形見にとっておきたい」との切望しているそうだった。“親の形見”でも淋しいものがあるのに、“娘の形見”だなんて、両親の悲哀を想うと薄情者の心にもかなりの切なさが込み上げてきた。そういう訳で、我々は、二人で丁寧に遺品をチェック。そんな中、目的のネックレスはすぐに見つかった。それは、鏡台の引き出しにあった。見つからなかった原因は、単純な見落とし。鏡台には、小さな引き出しが何段もあり、見落としたにもかかわらず見たつもりになっていたのだろう。私がアッサリと見つけ出したことに女性は戸惑いながらも、「お手柄!」とばかりにすごく喜んでくれた。喜んでもらえたのは嬉しかったけど、あまりに褒めてくるものだから照れくさいところもあった。そしてまた、「ネックレスを両親に渡すことが、せめてもの親孝行・妹孝行のつもりなのかな・・・」という想いもして、一家に対して再び切ないものが込み上げてきた。そんなやりとりを繰り返しているうちに、初対面の他人同士でも会話がしやすい雰囲気が醸成されていった。と同時に、故人の推定年齢や部屋の雰囲気をはじめ、所々、わずかに見受けられる女性のぎこちなさに違和感も覚えていった。そんな私は、“いくら雰囲気が和やかになったとしても、礼儀を忘れて軽口を叩いてはいけない”と自分を戒めつつ、「必要のない質問かもしれないんですけど・・・」と、前置きし、「ここで亡くなられたんでしょうか・・・」と訊いてみた。すると、女性は、わずかに表情を硬め、しばし沈黙。「やっぱり、ちゃんとお伝えしておかないといけませんよね・・・そうです・・・」と、躊躇いがちに応えた。そして、“いずれわかること”、または、“とうに見透かされている“とでも思ったのか、「自分で・・・」と、故人の死因が自死であったことを仄めかした。汚染異臭がない現場の遺品整理において、亡くなった場所や死因がもたらす影響は少ない。また、死因が自殺であっても、私は、それが気になるような人間でもない。ただ、事実を知っておけば、遺族に相応の配慮ができるし、外部(大家・管理会社・近隣など)にも気の利いた対応がとれる。しかし、遺族の傷心に土足で踏み込むようなことにもなりかねない。「仕事に影響しないなら何故訊く?」「無神経じゃないか?」と、私は、自分に問うた。そして、訊いちゃいけないことを聞いてしまったような気がして、「余計なことを訊いてスミマセン」と詫びると、「いいえ、大丈夫です・・・黙っている方がストレスでしたから・・・」と、女性は、ちょっとホッとしたように、気マズくなった空気を流してくれた。故人は、若い頃、職場の人間関係が原因で鬱病を発症。その職場を離れてからも大して改善せず、長く心療内科に通院しながら服薬もしていた。ただ、「死にたい」といった言葉を吐くまでのことはなかったし、そのような行動にでるようなこともなかった。その代わり、「生きていたくない」といった類のことは頻繁に口にし、調子が悪いときは、別人のように強張った顔つきに変わることもあった。そして、事は、そんな中で起きた。発見のキッカケは無断欠勤。それまで、故人は無断欠勤をしたことはなく、前日も何事もなく勤務し退社。そして、一夜明けた当日、故人は姿を現さず。勤務先も連絡を試みたが、電話は繋がらず。そこで、身元保証人になっていた女性のもとへ連絡が入った。女性は、故人の精神が脆弱なことを充分に把握しており、普段から注意して見ていた。ただ、このところの故人は「薬を飲まなくても大丈夫になった」と明るく話しており、時々会ったときの表情も晴れやかで本当に調子が良さそうに見えた。だから、女性も「病状は落ち着いている」「元気にやっている」と安心していた。ところが・・・不穏な胸騒ぎをともなって駆けつけてみると、もうその身体は冷たくなり始めていたのだった。故人の居住期間は短く、しかも、とてもきれいに暮らしており、内装設備等、部屋に物理的な問題はなし。サクッとクリーニングするだけで、すぐ次に貸せるくらい。しかし、大家も管理会社も“事実”を把握。仮に、知られていなくても隠しておくわけにはいかない。通常の退去なら要さない内装改修や設備交換、その後の損害賠償・家賃補償の責務が生じることは容易に想像できる。女性は、そんな連帯保証人としての責任だけではなく、家族としての道義的責任も強く感じていた。「不動産屋さんからは、“後でキチンと話し合いましょう”と言われてまして・・・」「何を言われるんでしょうか・・・色々言われるんでしょうね・・・」と、待ち受ける茨の道、果ては修羅場が想像されてか、女性は、その表情を怯えたように歪め、何かに助けを求めるかのように天を仰いだ。長年、鬱病を患い、「生きていたくない」と呟きながら生きていた故人は、一般の健常者に比べて生きる意欲が低く自死のリスクが高いことはわかっていたはず。しかし、故人の頼みだったのか、成り行きでそうなったのか、賃貸借契約の連帯保証人は女性が担っていた。女性にとってそれは、故人と同じ責任を負わされることを意味するもの。相続を放棄しようが逃げ道はない。家族としての道義的責任はさて置き、法的責任があるのとないのとでは話がまったく変わる。大家や管理会社を無視して女性の立場だけに偏ってみると、そこは保証会社を使うべきところだった。が、もう“後の祭り”、今更 考えても虚しいだけのことだった。しかし、「法律」というものは、人を裁き 人を罰するためだけのものではなく、その前に、人を守り 人を助けるためのものである(誰かのセリフをパクってる?)。私は、連帯保証人と相続人の立場や権利義務の違い、他の裁判例や国のガイドラインを説明。それに、自慢できるくらい豊富な経験と、自慢はできないけど固く持っている自論を付け加え、普段はあまりヨシとしない感情移入もヨシとして、やや熱っぽく話した。そして、「相談に乗るくらいのことしかできませんけど、他に不安なこととかあったら遠慮なく連絡ください」「夜中は寝てますけど、それ以外、朝夕でも土日でも関係なくいつでも大丈夫ですから」と、女性が私の自論を“浅慮”と足蹴にせず真剣に聞いてくれたことをいいことに、善人を気取った。すると、何がどうしたのか、女性は急に目に涙を浮かべた。何かが、女性の心の琴線に触れたよう。察するに・・・妹の死への哀れみ、自死させてしまったことの悔み、老親の心労を察した悲しみ、他に頼れる人がいない心細さ、損害賠償の重圧、亡妹をはじめ、自分や両親に向けられる世間の白い目、それでも生きなければならない自分の人生、孤独な戦い、激しいプレッシャー、際限のない不安、そんなものに一気に襲われた女性は精神的にかなり追い詰められていたのだろう。そんな弱りきった心に私の偽親切心が刺さったのか、薄っぺらい同情心が沁みたのか、はたまた、少なからずの不安が解消して張りつめていた糸が切れたのか・・・「すいません・・・すいません・・・」と、必死でとめようとしても涙はとまらず。それは、私ごとき凡人が容易く堰き止められるようなものはなかった。私には他人を救う力はない。流れる涙を止める力もない。あるのは、わずかな理解力。「“理解”が人の助けになるのか?」それは、わからない。でも、雨をしのぐ傘にはなれなくても、急場をしのぐゴミ袋くらいにはなれそう気がする。涙を流すことによって、少しでも女性の気持ちが楽になる、心が軽くなるのなら、それでヨシ。余計な応援や慰めは無用。私は、ただ空気のようになって、とめどなく流れる女性の涙が自然にやむのを待つばかりだった。この仕事に就く前の若い頃のことだが、私は、自傷行為に及んだことがある。「このまま死ねたら楽かな・・・」と、生きることに嫌気がさしていた。以降、これまで何度かメンタルクリニックや心療内科に通った。受けた診断名は、「鬱病」「不安神経症」「不眠症」など色々。変わったところでは、「偏頭痛」という病名がついたこともあった。効き目を感じることは少なかったが、服用したことのある薬の種類も量も少なくはない。“裏”で出回っているような強いヤツを飲んでいた時期もある(気分高揚の自覚はあった)。今は通院も服薬もしていないが、つい数か月前までは薬を飲んでいた。今後、服用を再開する可能性も低くはない。「精神を病む」ということがどういうことなのかわかっていない私に精神疾患があるのかないのかハッキリしないところはあるけど、少なくとも、精神脆弱で 心のどこかに由々しき問題を抱えていることに間違いはないと思っている。そして、そんな私がいる世の中には「魔が差す」という言葉がある。我が身にも、心当たりがありまくる。飛行機がエアポケットに落ちるように、“ストン!”と、何の前触れもなく瞬間的に気分が落ち込むことがあるのだ。表向き元気そうであっても、その“侮れない瞬間”は常に隠れ潜み、虎視眈々と心が闇に落ちるのを狙っている。「直前までフツーに過ごしていた人がいきなり自死する」といったケースが少なくないのは、この辺の事象が絡んでいるのではないかと考えている。自己分析できるほどの客観性も失っていたから、私自身、ストレートに「死にたい」と思ったことがあるかどうかの記憶は定かではない。しかし、「生きていたくない」と思ったことは数えきれないほどある。実のところ、直近でそう思ったのも、そんなに昔のことではない。「死にたい」と「生きていたくない」、“健常者”は、「言葉が違うだけで意味は同じ」と思うかもしれないけど、この二つはイコールではない。私自身の経験を含む主観的な判断だけど、「生きていたくない」は、生きる願望をわずかでも自分に持っている状態。「死にたい」は、絶望に近い状態。言うまでもなく、危険度は後者の方が高い。その言葉を、どう受け止め、どう理解するか、そして、どう翻意させるか。それは、薬ではなく人にかかっている。人生、晴れたり曇ったり、雨も降れば雪も降る。いつまでたっても悩みや不安が尽きないことを考えると、おおかた曇空。人生は、明けない黄梅空の下をトボトボと歩いているようなもの。その道程の中で、時々晴れて(笑って)、時々雨が降る(泣く)。涙が流れるのは真剣に生きているから。流れる涙は懸命に生きている証。人の目にはみすぼらしくても、時の目には美しい。乾いた大地に果は芽吹かず、乾いた心に誠は芽吹かず。冷たい雨が大地を潤すように、苦しみの涙が心を潤すこともある。そして、涙が明けたあと、その心には“人”が実るのである。自死部屋の遺品整理事例㊽
2025-07-15 07:12:57
盛夏直前の七月初旬、「令和の米騒動」も終わりが見えてきているような感あり。かつては争奪戦のようになっていた政府備蓄米も、スーパーの商品棚に落ち着いているのを見かけることが多くなった。ただ、それも、今年の収穫量に大きく左右されるよう。仮にも、籾米の中身がスッカラカンの凶作となってしまったら米騒動が再燃。五穀豊穣を願うのは農家くらいだったものが、もはや、国民全体が願わないといけないような時代になっているのか。農業・漁業、人間・動物を問わず、気候変動によって、食料調達に関して、これまでになかったような問題が涌いてきている中、この米騒動が本格的な食糧危機の予兆にならないことを祈るばかりだ。ただ、幸いにも、私はこの米騒動とは無縁。「高い!」と嘆いたことも「ない!」と困ったこともない。それは、災害用に備蓄した米が自宅にふんだんにあるから。とは言え、この備蓄米、ちょっとした難がある。面白くもない話なのだが、これから、その経緯を説明していく。私が、大量の米を備蓄したキッカケは、14年前の東日本大震災。あの時は、スーパーから食料品が消え、ホームセンターから日用品が消え、街のガソリンスタンドからガソリンが消えた。私は、“空っぽ”になった街にかなりの衝撃を受けた。しかも「近いうちにまた大きな地震がくる」等といった噂や原発がらみの悪い風評も交錯。そんな社会の雰囲気に吞まれた私は、生まれついての心配性も相まって、日用品や飲料・食料をたくさんストックしないと気が納まらなくなっていた。米も、その一つ。米さえ食えれば、しばらくは何とかなる。そういう訳で、私は大量の無洗米を買い、クローゼットの奥にしまい込んだ。しかし、その後、食生活が変わったり体調を崩したりしてローリングストックが滞るように。更に、重い米をクローゼットから引っ張り出すのが面倒臭くて「味が落ちても腐るわけじゃないから」と放置。結果として、世の中から米が消えても、私の手元にはタップリの米が残っているわけ。そして、そのお陰で高い米を買わされることもなく、米食を抑える必要もなく平和な食生活を送ることができているのだ。唯一の問題は、その米の古さ。「2010年産の米を食う!?」と、大方の人は驚くだろう。「2010年産の米は安全!?」と、大方の人は疑問に思うだろう。しかし、私は食べ物を粗末にすることが大嫌い。しかも、もともと、食品の賞味期限は気にしない性質。5年の保管期間を過ぎた政府備蓄米は家畜が食べるそうだが、私は“家畜以下”でも気にしない。身体に害がないのなら、身体の糧になるのなら臆せず食べる。風評を真に受けるなら、そんな私の米は新鮮な米に比べると質は劣るのだろう。確かに、艶や透明感は少ないような気がしないでもない。「気にすれば」の話だが、食感もややボソボソしているかも。ただ、カビや虫っぽいものはない(それがあったら食べない)。ニオイもまったく気にならない(悪臭に慣れているせいか)。日頃から“腐りモノ”に鍛えられている私は耐性が強いのか、腹の具合が悪くなったりすることもない。結局のところ、“古×15米”でも充分に美味しく食べることができているのである。私が極端なのは承知の上で言う。「世の中の人は、賞味期限とか気にし過ぎなんじゃないか?」と。わずか“五年落ち”の米を当然のように家畜に食わせるなんて どんなもんだろうか。「一日一食もありつけないことがある」「人生で一度も満腹まで食べたことがない」、そんな暮らしをしている人の目に、それは“贅沢”や“わがまま”に映らないだろうか。食の安全保障やフードロス、食料に関する問題が取り沙汰されることが多い時世、「高い!高い!」と文句を言う前に、「ない!ない!」と狼狽える前に、ちょっと頭を冷やした方がいいのではないか。私は、食に対する社会や人々のマインドを少しは変えた方がいいのではないかと思っている。特殊清掃の相談が入った。場所は都心の一等地、とある大手ゼネコンの高層ビル建築現場。そこに設置されていた工事用の機械設備に作業員が絡まる事故が発生。それで、おびただしい量の血液が周囲を汚染。建設会社は、色々な清掃業者に問い合わせたよう。しかし、色よい返事はまったくなし。そこで見つけた当社。「特殊清掃」という言葉に強力なイメージを持ったのか、「“特殊清掃”とかいう手法できれいにできないか?」といった相談だった。聞いたところ、その機械設備は複雑なカタチで汚れているようしかも、一つの階だけに留まらず、事故発生場所から下へ数階垂れ落ちた状態。更に、特殊清掃は基本的に手作業で行うものなのに、手が届かない部分も多いよう。一通りの状況説明を受けた結果、「当社では施工困難」と判断。作業の安全が守れないこと、期待されるほどの成果が見込めないこと、費用がかなり高額になること等をもとに総合的に考察した結果だった。それでも、「見るだけみてもらえないだろうか」と先方は食い下がってきた。どうも、頼める先がなくて困っているよう。人に頼りにされるって悪い気はしないし、価値の低い人間=私にとってはありがたいことでもある。仕事にならなそうな案件であっても快く現地調査に出向くのが当社の基本姿勢だし、会社も「現地調査無料」を宣伝し、調査依頼が入るよう誘導している。だから、それに期待しての問い合わせに無碍な返事はできない。腰が重くないわけではなかったが、私は、とりあえず現場に出向くことにした。約束の日時、現場事務所に出向くと、電話で話した担当者が出迎えてくれた。年齢は若く、“ここではまだ下っ端です”といった石鹸のニオイがフワフワ。少しすると、奥から責任者らしき人物が出てきた。肩書は不明ながら、こちらは、“ここで一番偉いのは俺だ”と言わんばかりの脂ぎったニオイがプンプン。とりあえず、私は、その人物に名刺を差し出して社交辞令の挨拶。しかし、相手は私のことなんか意に介してない様子。一瞥くれただけで、「じゃ、行こうか!」と、周りにいた部下らしき数名に声を掛けた。そこで、ちょっとした問題が発生。皆がヘルメットを被る中、ヘルメットを持っていない私に責任者が、「ヘルメットは?」と訊いてきた。「持ってないです」と応えると、責任者は、「は!? 持ってきてないの!?」と、驚いたような表情に。そしてまた、「安全靴は!?」私の足元をみて、履物も指摘。スニーカータイプの安全靴を履いていた私は、「これ、安全靴ですけど・・・」と返すと、「そんなの“安全靴”とは言わない!」「何の用意もしないで、オタク、一体、何しに来たの?」と、私を叱りつけた。建設業界の常識なのか、この現場に入るには、一定の安全装具を身に着けることがルールになっているのだろう。だから、皆が一様に、名前と血液型が記されたヘルメットとブーツタイプの安全靴を着用。しかし、事前に、そんな案内はなかったし、そもそも業界人ではない私はそんな装備を持っていない。私は、唖然としながら戸惑うしかなかった。責任者も、私が事故現場の汚染調査にきた“一見さん”であることは把握。常日頃からこの建設現場に出入りしている下請・孫請業者ではないことは認識していたはず。にもかかわらず、そのモノ言い。立場上、安全装備を持たない私を咎めないわけにはいかなかったのかもしれないけど、初対面の私に対して、はじめからタメ口&上から目線。理由はどうあれ、口の利き方がおかしい!「コイツ、どういう神経してんだ?」と、憤りを通り越して呆れかえってしまった。原則、現地調査は無料。しかし、実際は時間も経費もかかる。最初の電話聴聞の段階で「施工困難」と判断したところ、「とりあえず現場をみてほしい」と頼まれたから出向いたまで。言わば、私の厚意。だから、「そんな扱いを受ける筋合いはない!」と踵を返して引き揚げることもできた。が、それじゃ、この責任者と私は目クソ鼻クソ。モヤモヤを抱えながらも、私は、約束した現地調査だけは行うことに。ヘルメットは来客用のモノを貸してもらい、靴は仕方なくそのままで、責任者を頭とする数名の一団に付き従って汚染現場に向かったのだった。「ここに比べたら腐乱死体現場の空気の方がよっぽどいいわ」と、心の中でブツクサ言いながら。また別の現場。ここも大手ゼネコンの建築現場。依頼の内容は、「建築中の建物で汚水が漏れてしまったので消毒をしてほしい」といったもの。指定されたのは、とある日の朝。その時間に合わせて現場に訪れた私は、指定されたところに車を駐車。担当者が敷地内の広場に案内してくれ、しばしの待機を指示された。そして、しばらくすると、いかにも“建築現場の労働者”といった成りの男達がゾロゾロと集まって来て整列し始めた。8:00になったタイミングで、どこからかチャイムが鳴った。そして、現場の朝礼が始まった。まず、責任者らしき人物が“お立ち台”に上がり朝の挨拶。それから、2~3分、ありきたりの内容を重々しく訓示。それが終わると、リーダーらしき人物に交代。当日の業務連絡が始まり、その際に、私が消毒作業に入ることも説明された。そうして一通りの話が終わると、おもむろにラジオ体操の音楽が流れはじめた。後ろの隅にいた私は、皆が その懐かしいメロディーに合わせて身体を動かすのをボーッと眺めていた。体操が終わると朝礼は終了。男達は、それぞれの持ち場に向かって散っていった。自分の作業場を知らない私は、そのまま誰かの案内を待っていた。すると、先ほどの朝礼で訓示を垂れた責任者が近づいてきた。私は、てっきり「今日はよろしくお願いします」とでも言われるのかと思って愛想笑いを浮かべながらペコリと頭を下げた。が、責任者は、いきなり、「なんでやんないの!」「やんなきゃダメだろ!」と文句を言ってきた。察するに、どうも、私がラジオ体操をしなかったことを咎めているよう。ただ、部外者のつもりの私は「???」と無反応。そんな私のトボけた顔が反抗的に映ったのか、責任者は更に威圧的に、「一人でやり直すか!?」と語気を荒げた。私は、ラジオ体操をやらなかったことを責められていることだけは理解できたけど、全体的な理屈がチンプンカンプンで戸惑うばかり。責任者は、ポカンと呆けた態度の私に“コイツにこれ以上言っても仕方がない”と思ったのか、「そんな態度とってると出入禁止になるぞ!」と、捨て台詞を吐いて離れていった。残された私は、身に起こったことがすぐに呑み込めず。遠ざかる責任者の空虚な背中を見ながら、自身に起こったことを反芻整理した。私は、その日だけの消毒作業に来た“一見さん”。日常的に出入りしている下請・孫請業者ではない。そのことは朝礼でも伝えられたわけで、責任者もその認識はあったはず。場の空気を読まず一緒にやらなかった私も足りないところがあったかもしれないが、それにしてもアノ言いぐさはあり得ない!出入禁止をチラつかされたことに対しては、「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の回りはクソだらけ!」という、昔観た“寅さん”のセリフがマグマのように脳内噴出。と同時に、「どうやったら見ず知らずの他人にあんな口のきき方ができるんだろうか」と、責任者の神経を不思議に思うような(見下すような)気持ちも湧いてきた。とにもかくにも、請け負った仕事はキチンと施工しなければならない。私は、「アイツ(責任者)の頭ん中も消毒した方がいいな」と、心の中でブツクサ言いながら作業に勤しんだのだった。大手ゼネコンで管理職やリーダーをやっているということは、それなりの大学をでてそれなりに仕事ができるのだろう。100%のバカではないはずで、その頭には、私なんかよりよっぽどハイスペックの脳が詰まっているはず。しかし、その頭では、「“井戸”と“大海”」、「“肩書”と“人格”」、「“保身のイエスマン”と“信の従者”」を分別することもできない。見方を変えれば、「頭の中はスッカラカン」ということなのである。世の中には、“縦の力関係”が重要なことや、それがあってこそ機能することがたくさんある。しかし、そこには道理がなければならず、理不尽があってはならない。二件とも大手ゼネコンの建設現場だったせいか、私にとっては、「建設業界には、“下請に敬語を使ってはいけない”といった規則でもあるのか?」「下請会社の作業員は、強圧的に扱わないと働かないのか?」と、頭を傾げざるをえない出来事だった。併せて、各種ハラスメントを注視しコンプライアンスを重視しなければならない時流にあって、それにそぐわない独善が特定の業界ではまかり通っていることに危機感にも似た違和感を強く覚える出来事でもあった。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」この秋だけでなく、これから先もそんな“稲穂”をたくさんみたいもの。「“実った稲穂”が増えれば、世の中は、少し生きやすくなる」私は、そうなることを想い描きつつ、“少しでも実らないもんかなぁ・・・”と、あちこちでスッカラカンの頭を垂れてみているのである。高層ビルの特殊清掃事例㊼
2025-07-05 07:00:00
世の中の景気は少しずつ良くなっているような空気が感じられる中、相変わらず、物価高や実質賃金の低下を伝えるニュースが流れ続けている。一部、大幅な給与アップで余裕がでてきた人をよそに、大方の人の家計は苦しいまま。入ってくるお金が増えても、出ていくお金がそれ以上に増えているわけで、そうなるのは当然。中小零細企業や非正規の労働者など、入ってくるお金が増えない人は尚更キツイ。もう、生活のレベルを下げてでも出ていくお金を減らすしかない。ターゲットにしやすいのは、食費・水道光熱費・日用品費・通信費・交際費・趣味娯楽費などの流動費。これは、工夫したら工夫しただけ、我慢したら我慢しただけ抑えることができる。ただし、やり過ぎるとメンタルをやられるおそれもある。場合によっては身体の健康を害することも。“生活のための倹約”が“倹約のための生活”みたいになってしまっては元も子もないので、その辺の塩梅をうまく匙加減しないといけない。質素倹約生活については、私も自慢できる(恥ずかしい?)くらいの達人であることを自負している。この分野に“級”や“段”があったら、結構な有段者になれるはず。本当なら、いちいちここで紹介(自慢にならない自慢を)したいところだけど、“ドン引き”されるのがオチなのでやめておく。とにかく、私は、衣食住で余計な金は使わない(酒は別)。周りからは、“どケチ貧乏”に見えるだろうけど、これはもう完全に定着したライフスタイルになっているので、それで虚無感を覚えたり惨めな気持ちになったりすることはほとんどない。うまくやるコツは、サバイバルゲームや野生キャンプでもやっているかのような“遊び心”を持つことと、時々はプチ贅沢(“それが贅沢?”と笑われそうなことだけど)をすること。あと、大まかにでも家計簿をつけて自己チェックしながら達成感を得ること。もちろん、多少の(多大な?)難はあるけど、誰に迷惑をかけるわけでもなし、バカにされることに慣れている私は、そんな風に淡々と生活している。出向いた現場は公営団地の一室。そこで暮らしていた高齢の女性が孤独死。発見されるまで数日が経過。暑い季節でもなかったものの、遺体は相応に腐敗。遺体痕は2DKの間取りの中のDKにあり、突然に倒れたことが伺えた。何かを訴えようとするかのごとく床に貼りついた人型の残留物からは、意思を持ったかのような異臭が放たれ、それが部屋中に充満していた。特殊清掃の依頼者は、故人の姉と妹。夫や子供のいない故人にとって、この二人が最も近い血縁者だった。三人姉妹は、それぞれ別の公営団地で一人暮らし。“公営団地での高齢独居”、姉妹で示し合わせたわけでもないだろうに、皆、似たような境遇で生活。三人とも病気や介護の不安があり、頭の隅では孤独死に対する不安もチラホラさせていた。イザとなって頼れるのは互いしかいなので、姉妹間で、安否確認の意味も含めてこまめに連絡を取り合うことを心掛けていた。ただ、難しいのはスマホの扱い。SNSをやらない高齢者は、電話をかけるときか電話を受けるときくらいしかスマホを開かない。そのため、着信音が消されていると、着信があったことに気づくのに何日もかかることがある。そんな中、操作ミスなのか何なのか、以前、故人のスマホの着信音が消えていたことがあった。で、「連絡がとれない」と一騒動に。それに懲りた姉妹は、以降は、連絡がとれなくなっても数日は待つように。しかし、今回はその教訓が仇となり、連絡がとれなくなって数日後に故人宅を訪れたとき、故人は既に異様な風体に変わっていたのだった。故人は、元来 用心深い性格で心配性。更に、30~40代の頃、結婚を諦めた頃からそれがエスカレート。両親や姉妹に対し、将来の不安をよく口にするようになっていった。第一の心配事は、やはりお金のこと。それを少しでも解消するには経済力をつけるしかない。基本は、勤勉に働き、貯えること。老後を見据えてキチンと年金を掛けることも怠ってはいけない。そのため、故人は、質素倹約を心掛け、贅沢や無駄遣いとは無縁の生活を送った。第二の心配事は心身の健康。ケガや病気が、人生プランを大きく狂わせることはよくある話。だから、故人は健康管理にも重きを置いた生活をした。適度な運動を心掛け、食事にも気を配った。往々にして口に美味いものは身体にマズイことが多い中、素食は、故人にとって節約にもなるし身体にも悪くないし、まさに一石二鳥だった。現役を退いて収入が激減すると家賃の安い公営住宅へ転居。水道光熱費も「大丈夫?」と心配になるくらいセーブ。スーパーで買い物をするにしても値引品や特売品が主。日用品のほとんどは100均で入手。出掛ける先も公園や図書館など、金のかからないところばかり。外出時に携行する飲み物も、自分で煎れたお茶を空のペットボトルに詰め替えたもの。身なりも質素で、何年も同じ服を着回し。流行を追ったり、オシャレをしたりする習慣もなし。かなりの徹底ぶりだったが、故人は、そんな生活を苦にしていた風でもなかったよう。「とにかく、お金を使わない人だった・・・使いたがらなかった人だよね・・・」姉妹は、溜息まじりの浮かない表情でそう呟いた。“ケチだった”と非難したかったわけではなく、ただ、故人のことを想い出すと、まずその印象が浮かぶようだった。姉妹からの依頼は、「遺品チェックをしたいので部屋に入れるようにしてほしい」というもの。私の感覚ではライト級の汚染異臭でも、一般の人にはヘヴィー級。しかも、遺体のカタチがクッキリと浮き出た汚れ方でグロデスク。そんな光景を目にしたくないのは当然で、ニオイを嗅ぎたくないのも当然。「そんなに時間はかからないと思います」と、玄関前に姉妹を残し、私は一人、作業に着手。作業は順調に進み、程なくして完了したものの、フローリング材が腐食しており人のカタチが残留。そのため、防臭と目隠しのためのフィルムを貼り付けた。また、一次的な処理しかできなかったため、ある程度の異臭も残留。ただ、近隣に迷惑かかからないレベルにまでは低減できたので窓を開けて中和させた。作業を終えると、姉妹は、「もう終わったんですか?」と驚き気味に喜んでくれた。そして、前人未踏の地に赴くかのように恐る恐る入室。それから、玄関を入ってすぐのDK、故人が倒れていた床に向かって合掌。次に、遺品チェックのため奥の部屋へ。ただ、そこは故人のプライバシーがタップリ詰まった“他人”の家。勝手に入り込んで家財に手を出すことに戸惑いを覚えているようだった。が、当の故人かいない現実において遺品は誰かが整理し片付けなければならない。姉妹は、躊躇いがちな気持ちを振り払うように、部屋のあちこちを探り始めた。財布・携帯電話・鍵などの手回り品は警察が一旦部屋から引き揚げ、後日、姉妹に引き渡されていた。キャッシュカードも財布に入っていた。慎ましい生活をしていた故人の部屋にブランド品や高価な宝飾品はあるはずはなし。財産らしい財産は預貯金のみ。そして、それを裏付けるのは預金通帳。姉妹がもっとも探し出したかったのは、その通帳と印鑑だった。通帳探索の目的は預金残高の確認。夫や子がおらず両親も他界している故人の遺産を相続する権者は姉妹の二人のみ。他に首を突っ込んでくるような者はおらず、相続手続きに障害はなし。そして、生前の故人は、姉妹に貯金の大切さを説きながら自分が貯金に励んでいることも口にしていた。また、姉妹は、故人の徹底した倹約生活も見知っていた。そんなところから、まとまった金額が残されていることは容易に想像できた。無論、姉妹はそれを相続するつもりで、気になるのは どれくらいの貯金があるか。だから、具体的な金額を把握するべく預金通帳を確認しようとしていたのだった。家財量も少なく整理整頓が行き届いた故人の部屋で通帳と印鑑を見つけるのは容易いことだった。出てきた通帳は二通。姉妹は、残高確認を目当てに、そそくさとページをめくった。そうして現れた最終ページに記された金額は、姉妹が想像していたものよりもはるかに大きいものだったよう。驚き・戸惑い・喜び、そんな感情が入り混じって化学反応でも起こしたかのように、通帳を見入る姉妹の目はにわかに輝きを帯びた。しかし、それは肉親の死に起因するもの。しかも、親から子へ“順当”に引き渡されるものではなく姉妹間のもの。“横取りする”みたいな感覚がしないでもない。姉妹は、露骨に喜ぶのは不謹慎、故人に申し訳ないと思ったのだろう、また、傍らにいる私に対してバツが悪かったのだろう、笑みがこぼれそうになった顔を意識的に神妙なものにつくり変えた。が、互いの腹の中はバレバレ。笑みを堪える姉妹と その心中を読んでしまった私のいるその場には微妙な空気が流れた。ただ、姉妹は、故人の死を喜んだわけではない。単純に、“棚から牡丹餅”を嬉しく思っただけ。だから、私は、遺産に喜びを覚える姉妹の人間らしさに不快感は抱かなかった。姉妹二人も、それぞれ公営団地での一人暮らし。その生活には病気や介護問題が並走しており、故人同様、孤独死の可能性も低くはない。更に、主な収入はかぎられた年金で、暮らし向きは楽ではないはず。だから、相続した遺産は、そんな生活を大きく支えるものとなったはず。ちょっと気になったのは、故人がそれをどう思うか・・・「“もっと使っておけばよかった”と後悔しながらも、姉妹の役に立てて嬉しく思うかな・・・」私はそんな風に思った。と同時に、姉妹は、故人の生き様を振り返り、故人の想いを大切しながら、もらった遺産を大事に使っていくものとも思った。現代社会において、「宵越しの銭は持たない」といった気質は通用しない。一方で、わざわざ「“生涯において死ぬ間際が一番金持ち”なんて愚か」という意見が出ることも、貯め込んでいる高齢者が社会に多いことを危惧しているわけで、つまるところ、現代社会の生きづらさや不安の多さを表しているものでもある。結局のところ、金勘定だけでみると、故人の質素倹約人生は姉妹のために費やされたみたいになってしまった。そんな人生は、他人は「もったいない」「一人でバカをみた」等と思うかもしれないけど、それも故人なりの生き方。遊びたければ遊べたはず、贅沢したければできたはずの故人は、気楽にゲーム感覚でやっていたのかもしれず。故人にとっては、それも一つの“楽しみ”になっていたのかもしれなかった。“負け犬の遠吠え”のように聞こえるかもしれないけど、身の周りには金で買えない幸せや楽しさがたくさんある。だが、私も含め、幸せや楽しさに対する人々の感度は著しく鈍化・麻痺してしまっている。金をかけた物品やサービス、刺激的な遊びや時間にしか喜びを感じない。あとは、「あって然り」とばかり完全スルー、気づきもしないし気づこうともしない。しかし、この命も、この五体も、この心も、自分の長所や美点も、人の情愛や優しさも、五感に感じる自然の恵みも金で買ったものではない。頂いたものであり、幸・楽・喜の種として気づくものである。転ばぬ先の杖で石橋を叩いて渡った故人。そして、その道程と足跡を垣間見た私。この故人もそうであったように、姿なく触れ合う名もなき先人は、言葉なく 私に何かを教えてくれる。私の質素倹約生活は、これからも続く。小銭に一喜一憂しながら、大切な何かに気づかされながら。孤独死部屋の特殊清掃事例㊻
2025-06-25 06:53:15
出向いた現場は、住宅と商店が入り混じるエリアに建つアパート。徒歩圏内にはなく、最寄りの駅に行くにはバスを乗り継ぐしかないエリア。建物は築古で、三回建の鉄筋構造ながら「マンション」とは呼びにくい雰囲気。家賃が割安なのは、物件情報を調べなくてもわかった。目的の部屋は二階の一室、間取りは広めの1DK。そこで居住者の男性が孤独死。故人は、ベッドマットだけが敷かれた寝床で息絶えていたそう。発見はやや遅れたが、季節の低温低湿のお陰もあって、深刻なまでの腐敗は回避。身体をカタチがわかる程ではないくらいの体液跡が薄っすらとあった。ただ、最大の問題は、そこではなかった。重症のゴミ部屋・汚部屋になっていたのだ。もちろん、「こんな汚部屋には遭ったことない」という程ではなかったけど、とりわけ、水廻りの汚損具合には閉口。まずは、キッチンシンク。シンクには、使用後の鍋・フライパン・調理器具・食器・箸などが突っ込まれたままで、残飯までも放置されヒドく腐敗。しかも、排水口が詰まって、溜まった水が腐敗してドブのように(小さい汚腐呂の状態)。汚物は手作業で取り除くしかなく、そのクサいこと!クサいこと!一緒に作業していた仲間も、私から離れていくような始末だった。トイレもゴミだらけ。かろうじて用を足せる状態ではあったものの、便器は、座ったら病気になりそうなくらいの汚さ。掃除なんて、ここに来て一回もやってなかっただろう。「ここで亡くなってた?」と思うくらい、ゴミの下から顔をのぞかせた床は得体の知れない茶黒色の粘液が覆っていた。風呂も同様。洗い場はゴミだらけ、しかも水場であるため、水分タップリのグジョグジョ状態。天井壁も全面、カビ・水垢だらけ。唯一、浴槽内にはゴミはなく、おそらく、故人は浴槽内に入ってシャワーを浴びていたものと思われた。依頼者は故人の父親、80代後半の高齢。「悠々自適な老後」とは全く無縁、妻と二人、公営住宅で年金に預貯金を崩し足しながら生活。節約に節約を重ねながらの生活で、近年は妻に介護の手が必要になり、ひっ迫の度合いは月を追うごとに増しているようだった。故人は50代後半。メンタルを患って定職には就いておらず、主な収入源は生活保護費。ここに越してきたのは8年近く前で、そのときは既に生活保護受給者となっており役所の仲介で入居。役所は就業支援を続けていたが、それも虚しく、最期まで仕事に就くことはなかった。それだけではなく、借りていた部屋を重症ゴミ部屋にしたまま放って逝ってしまったのだった。故人は、金銭にルーズだったよう。借金トラブルを抱え、何度か裁判沙汰にされたこともあった。おまけに、仕事が長続きせず。職や住居を転々としては、両親に金を無心することも度々あった。息子(故人)がどんな人間であれ親は親、捨てきれない情愛をもって なけなしの生活費からいくらか工面することもあった。その末に降りかかってきた息子の孤独死・ゴミ部屋問題。父親にとっては、人生にトドメを刺されるような出来事となった。当社が請け負ったのは、遺品整理・家財ゴミの処分で、簡易清掃と簡易消毒をサービスで付帯したもの。一連の作業を終えて、空になった部屋をあらためて観察してみると、もう、内装設備は物理的に汚損・腐食・損壊しており、掃除で復旧できるレベルととっくに越えていた。そして、本件を次の段階にすすめるため、別の日に当方・大家・依頼者の三者で時間を合わせて現地に集まった。当方の用は、父親に作業後の部屋を確認してもらい貴重品類と鍵を返却すること。父親の用は、当方の作業成果を確認し貴重品類と鍵の返却を受け、大家と協議すること。大家の用は、部屋を確認したうえで父親と後々とのことについて協議すること。そんな中、父親と大家の協議が最大の課題となった。やってきた大家は老年の女性、外見上は父親と同じ80代。私も、その時が初対面で、どんな態度で現れるか少し緊張していたが、表情は柔和で物腰も低め。それは、父親との協議が平和的に進むことを期待させるものだった。が、部屋を見た大家は唖然。「ここまでのことになってるとは・・・“ゴミが多かった”とは聞いてましたけど・・・」と、表情を引きつらせ、そのうちに苛立ちの形相に変わってきた。一方の父親も、そんな大家を見て顔を強ばらせた。「日常的な汚損」「経年による劣化」等と言い逃れできないことはわかっており、あとは、大家が何を言ってくるのか、だた、それを恐れていた。大家は、沸いてくる怒りを抑えるようにしながら、「お父さんは保証人になっておられるわけですし、部屋を元通りするためにかかる費用は負担してもらいますよ」ある程度のことは覚悟していたとはいえ、実際にそう言われた父親は、返答に困った様子。「保証人にはなった覚えはないんですけど・・・???」と、戸惑いつつ、「ちなみに、どれくらいかかるものなんでしょうか・・・」と、遠慮がちに訊ねた。いくらかかるのか見当もつかない大家は、“業者さんならわかるでしょ?”といった視線を私の方へ向け、その視線を追うようにして父親も私の方を見た。二人の視線をキャッチした私は、過去に経験した同類工事をいくつか思い出し、「おそらく・・・100万じゃ済まないでしょうね・・・」「かなりザックリした金額ですけど、ユニットバスも交換するとなると150~200万円くらいはいくんじゃないでしょうか・・・資材費や人件費も上がってきてますしね」と、軽はずみには言いにくい金額ではあったが、実状に則した金額を率直に伝えた。「そんなお金ない・・・」その金額を聞いた父親は表情を曇らせた。父親にそれだけの資力がないことは想像に難くなかったのだろう、大家も顔を曇らせた。ただ、それでも、大家には大家の事情があるわけで、「それでも、払ってもらわないと困ります・・・」と、少し遠慮がちにしながらも、そう要求した。言われた父親は、その場で卒倒しそうに。「どうしよう・・・どうすればいいんだ・・・」顔の曇天は雨模様に変わり、人目もはばからず その場で泣き崩れてしまった。そもそも、父親夫妻は、経済力が弱いから所得制限の厳しい公営住宅に暮らせているわけ。また、生活保護法で「絶対的扶養義務者」とされる父親に経済力があれば、故人は生活保護受給者になることはできなかったはず。父親は、大家を泣き落とそうとして デタラメを言っている・・・金がないフリをしているようには到底見えず。老夫婦が困窮し、にっちもさっちもいかない状況に陥っている姿は、気の毒を通り越して痛々しいくらい。男性と同年代の大家も、老い先の苦難がどれだけツラいものかが少しはわかるのか、父親の狼狽ぶりをみて悲しげな表情を浮かべた。父親に責任をとってもらいたい大家、責任を果たしたいけどお金がない父親、100万円を超える話がその場で決着するわけはなく、協議を大きく進展させることができないまま継続協議をするということでその場はお開きに。後味のよくない終わり方だったが、当初は“戦闘準備開始”みたいな雰囲気が感じられた大家が、父親に同情して、その気持ちを少し緩ませたように感じられたことが唯一の救いだった。協議をすすめていくうちに、新たに分かったことがいくつかあった。故人と大家の賃貸借契約、当初の連帯保証人は保証会社が担っていた。一回目の更新も、二回目の更新も同様に。しかし、三回目の更新時、契約書には父親の名があった。故人が保証料をケチったのか、これは、故人が勝手に父親の名を書いて三文判を押したもの。連帯保証人とは正式に認められないものだった。また、不動産管理会社が保険に加入しており、それは、本件に関しては上限50万円が父親に支払われる内容のものだった。誰がどう見ても故人に非があるのは明らか。しかし、当の本人はいない。法的責任、経済的責任、社会的責任、道義的責任・・・生じた責任を誰がどう背負うのが正しいのか、冷静に見る必要があった。まず、法的責任。故人は生活保護受給者で、過去に借金トラブルで裁判を起こされたことがあるくらいの人物。遺産らしい遺産がないことは調べるまでもなく、となると、相続は放棄するのが順当。また、父親はアパート賃貸借契約の連帯保証人とは認められず、故人の地位を引き継ぐ義務はない。したがって、法的責任はないと判断することができた。経済的責任も同じようなもの。血のつながった親子とはいえ、故人と父親は別人格。つまり、「故人の負債≠父親の賠償責任」ということである。社会に広く迷惑をかけたわけではなく、他に被害者がいるわけでもないので社会的責任について問われる理由はない。悩ましいのが道義的責任。血縁者には、他人との間には生じにくい愛・情・絆・縁があるのが自然で、その延長で、「故人と同じ権利を得、同じ義務を負うのが当然」と捉えられることが多い。その辺のところの大小・強弱・厚薄に一定のカタチはなく、個々の家族(親族)によって異なって然るべきものなので、遺族側の裁量でどうにでもできる。しかし、これは、あくまで父親側に立った場合の理屈。大家の立場になってみると、まるまる自己負担なんて感情的に収まらない。とは言え、怒りの矛先を向けるべき相手はおらず、“死”というものが有する絶大な防御力を前にしては手も足も出せないのが実状。あとは、「義務はない」と放り投げるのか、「親だから」とできるかぎりの責任を負うのか、ここで考えられる現実的な着地点は“父親次第”で決まるものと思われた。大家は冷静に、父親は誠実に、その後の協議に臨み、私は公正にオブザーバーの役割を果たした。父親は、当社への支払い(上限50万円>実費)を管理会社経由の保険金で賄うこともできたのだが、それはせず。保険金を原状回復費用に充てれば満額50万円が降りるはずで、それに、自分が果たせる精一杯の道義的責任として なけなしの貯金20万円を叩いて上乗せし、計70万円を大家に納めることに。厚顔で強弁すれば、大家には一円も払わずに済むにも関わらずそうすることに決めた父親の誠意は大家に通じ、金銭的問題はそれで決着した。そのうえで、私の出番がやってきた。ユニットバスを交換すれば、安くても50~60万円はかかる。掃除で復旧できれば数万円の清掃代で済む。重汚染のため どれだけきれいにできるか想定が難しかったが、ユニットバスを再生できれば工事費用をかなり抑えることができる。重汚染部に変色シミは残るリスクはあったけど、風呂の材質は洗浄に適しているため(水場だから当り前)、きれいにできる自信もあった。で、特殊清掃を施工、我ながら見事に完遂。大家と父親との人間的な関りもハラハラ・ドキドキ、そしてホッコリと有意義だったし、元の仕事で算段通りの儲けを出すこともできたし、風呂の特掃はアフターサービスで無料とした。結局のところ、大家が負担せざるを得なかった原状回復費はかかった費用の約半分。父親も、精一杯の金を捻出した。私も、それなりの労力をもって風呂をきれいに掃除した。死を悼み、心を傷め、心が痛み、そこには、三者三様の“いたみ”があった。そして、互いに痛み分けをして、本件の仕事は心地よく終わったのだった。「喜びは 誰かと分かち合えば倍になり、悲しみは 誰かと分かち合えば半分になる」諺や格言でもないのだろうけど、これまで、何度かそんな風な言葉を聞いたことがある。ただ、かつて私は、「そんなのは大ウソ、きれいごと」「何の役にも立たない」と思っていた。また、今でも、そう思うことがある。しかし、仮にそう思ったとしても、今は、「でも、人って、そうありたいもんだよな・・・」とも思うようになっている。それを私に教えてくれたのは孤独と重年。「そう考えると、“ぼっち”も“老い”も悪いことだけじゃないな・・・」そいつらに虐められることが多い私は、そうして、自分の中で痛みを分け合っているのである。→※現場画像「ヒューマンケアの事例紹介45」
2025-06-15 06:32:31
前回5月26日の「兄妹」で書いたとおり、私には兄と妹がいる。裏を返せば、「姉と弟はいない」ということ。そんな私は、「姉」というものに憧れを持っていた。母親の愛情に不足を感じていたのか、幼少の頃は「姉ちゃんがいたらよかったのになぁ・・・」と思うことがしばしばあった。小学校低学年の時、姉が二人いる同級生(後に転校)がいた。よくは思い出せないけど、当時、その姉二人は同じ小学校にはいなかったので、既に中学生や高校生だったはず。つまり、“歳の離れた姉”ということ。「可愛がってくれる」「世話を焼いてくれる」「甘やかしてくれる」等々・・・級友から自慢話を聞かされたわけでもないのに、私は、“姉”というもの、とりわけ“歳の離れた姉”というものに対していいイメージしか持っていなかった。唯一、姉に似た存在として、八つ上の従姉弟がいた。お互いの家も近くはなかったし、それだけ歳が離れていると「一緒に遊ぶ」ということもなかった。それでも、会えばフレンドリーに優しく接してくれ(それは大人になっても変わらず)、それが、私の“姉”に対するイメージを更に良いものにしていた。訪れた現場は、東京 城東エリアの老朽マンション。築年数は40年余・・・いや50年は経っているか、外見は公営団地、内装設備は木造アパートに見えるような地味な造り。現場の部屋は小さめの3LDK。人間同様、 “年相応”に内装・設備はボロボロ。そんな中、この部屋をリフォームする話が持ち上がった。そこで依頼されたのは、一時転居準備の一環である生活必需品以外の物品処分。ただ、そんなフツーの仕事で当社が呼ばれるわけはなし。実のところ部屋は半ゴミ部屋で、かつ家族間に温度差があり、依頼者が業者を厳選しての縁だった。そこに暮らしていたのは、老年の母親と中年の息子(以後「男性」)の親子二人。もともとは、父・母・娘・男性の四人家族だったのだが、娘は他所に嫁ぎ、父は既に他界。男性は独身のまま、それから、ずっと二人暮らし。つまり、男性は生まれてからずっと母親と一緒の生活。食事・洗濯・掃除等々、身の回りの世話や家事全般は母親がやってくれるのが当り前。社会人になってからも、男性は生活費を入れるだけ。外身は大人でも中身は子供のまま。そんな自由奔放な生活は何の訓練にもならず、結果的に、男性は、ゴミ出しはもちろん、ゴミをゴミ箱に入れることさえしない人間になっていた。一方、母親の方は、還暦頃を境に老い衰えが目立つように。「人間(生き物)の宿命(自然現象)」と言うには簡単だが、充分な家事ができなくなってきたことは 日々においては小さくても 年々においては大きな問題に。そうして、部屋は次第に汚くなっていき、徐々にゴミ部屋化していったのだった。男性には、歳の離れた姉がいた。その姉は、若い時分に結婚し 家庭を持ち、少し離れた街に暮らしていた。姉にとって、ここは母と弟の家でありながら自分の実家でもあり、もう何年も前から実家が荒れてきていることを把握。母親が弱ってきていることを心配しながら、男性(弟)にキチンと家事をするよう、再三再四、発破をかけてきた。また、時々足を運んでは、母親のために、掃除できるところは掃除し 片付けられるモノは片付けていた。しかし、男性は姉の意見を聞き流し、一向に生活をあらためようとせず。姉がどれだけ片付けても どれだけ掃除しても、男性の暮らしぶりがそれを邪魔立てし、ゴミ部屋化は止まらず。結果的に、姉の手だけではどうしようもないくらいの状態になってしまったのだった。3LDKの間取りのうちLDKや水廻りは親子共用、二部屋を男性が占有し、残りの一部屋を母親が使用。計画されたリフォーム工事は、単なる新装工事ではなく、バリアフリー化をともなうもの。部屋数を減らして廊下やバス・トイレを拡張。新しい間取りでは、男性が自分の部屋として使えるのは一部屋に。広さはこれまでの約半分。今の二部屋分の荷物が新しい一部屋に収まり切るわけはなく、更に、現状は二部屋ともギュウギュウの物置のようになっているわけだから、大半を処分しなければ新生活が始められないことは誰の目にも明らかなことだった。工事にあたって、母親と男性は仮住居に一時転居。母親は娘(姉)宅に、男性はウイークリーマンションに移るため、最低限の生活必需品だけを残し、その他の物は処分することに。「全部捨てていいくらい!」「本当に必要なモノなら買い直せばいい!」と、片づけの段取りは、姉が全面的に仕切って進行。それについて、先が暮らしやすくなることに期待した母親は協力的。一方、男性(弟)の反応はいまいち。そもそも、男性はゴミや物を増やし部屋を汚してきた張本人なわけで、積極的に協力することは見込めず。拒んだり難色を示したりする可能性も充分にある中、そんなことはとっくにお見通しの姉は、姉としての威厳と正論を武器に男性を屈服させるつもりのよう。「コレも要らない! アレも要らない!」「コレも捨てていい! アレも捨てていい!」 と、“男性の部屋=ゴミ箱”のような扱いで、ゴミ類はもちろんのこと、男性の所有物を含めて、部屋にある物の八割~九割くらいを 容赦なく“捨てるモノ”として指定した。作業の日、一足先に娘(姉)宅へ転居した母親は不在。姉は所用があって現場には来ず、男性一人だけが在宅。ただ、作業の内容については姉とシッカリ話ついており、当方はその契約に則って施工するのみだった。そして、当初は、男性も黙ってその様子を眺めていた。が、しかし、作業の後半、作業の手が男性の部屋に伸びはじめたときに潮目が変わってきた。男性の部屋は、床がほとんど見えておらず。日用品をはじめ、書類や洋服が放られたまま。雑誌・書籍・CD・DVD・アニメグッズ等が山積。置かれた家具は埋没、押入も色んな物が重ね詰められて日常の用では使えない状態。食べ物が混ざっていないことが“不幸中の幸い”だったものの、ホコリとカビが不衛生さに輪をかけていた。DVDは大人モノと、昔のTVドラマや映画の類が混在。CDや雑誌・書籍も古い物ばかり。中には、大量の写真集もあった。そのほとんどは、昭和・平成時代の女性タレントの水着姿やヌードを撮ったもの。男性は、かなりの熱量で収集していたよう。二百冊~三百冊くらいはあろうか、通販の箱にしまわれたままの物も多々。「気持ちはわかるけど、さすがに集め過ぎじゃないか・・・」と、羨ましさを通り越して呆れるような気持ちが湧いてきた。それらの表紙や背表紙には憶えのあるタレントの名前や顔がチラホラ。どうしても向いてしまう視線に困ったフリ(自分に言い訳)をしながらも、「いた!いた! そう言えば、こんな人いたなぁ・・・」と懐かしんだり、自分のことは棚に上げて、「もう、みんな いい歳のオバちゃんになってんだよな・・・」と思って苦笑したり、特定の名前が目につくと、「この人に世話になったことあったなぁ・・・」と青春を回顧したり、スケベ心の中にも過ぎた時間の感慨が込み上げ、歳に似合わない甘酸っぱさが甦ってきた。当初、男性の部屋についても、「生活必需品のみを残して、あとはすべて処分」という約束だった。が、その場になると「要らないモノだけ捨ててもらえばいい」と微妙に変化。色々と取捨選択しながら明らかなゴミだけを選別して捨てることを指示し、CD・DVD・書籍など、元々は捨てる約束をしていたはずのモノでも自分が捨てたくないモノは「要るモノ」として処分を拒み始めた。しかし、男性の言うがままになると、片付ける量は契約した量の約半分になる。そうすると、姉と交わした契約は不完全履行ということになり、当方に過失がないとはいえ、後で面倒臭いことが起こることも考えられた。かといって、男性の許可なくその所有物に手を出すこともできない。また、何の権利もない私が男性を説き伏せるなんてことできるはずもなく、「これ以上は無理そうだな・・・」と、思考は諦めの方に傾き始めていた。とにもかくにも、業務上の権限は姉にある。とりあえず、私は部屋を離れて姉に電話、困った状況になっていることを伝えた。すると姉は、「アイツめ、この期に及んで・・・」と、イラ立ちを露わに。「この後、どうればいいでしょうか?」と指示を仰ぐと、男性と電話で話してもラチがあかないことを見越したようで、「こっちの用は後回しにして、今からそっちに行きます!」と、即座に自分の予定を変更。そして、「弟には、キッチリ言うことを聞かせますから!」と、不敵な自信をみせた。しばらくすると、姉がやってきた。せっかくの美人が台なしになるくらいの鬼の形相で。頭には、生えた角と 立ち昇る湯気が見えるような気がするくらい。その登場により、静かに淀んでいた空気は波乱を予感させるものに一変。「外せない用があるから来るわけない」と高を括っていたのだろう、突然 現れた姉に男性は驚愕。“気マズい”をとうに越え、怯えたように顔を強ばらせた。そんな男性に向かって、姉は長年に渡って溜め込んできた不満・憤り・ストレスを人目もはばからず爆発させた。「アンタ! 何度言ったらわかんの!!」と一喝。そして、「そのCD、もう何年も聴いてないでしょ!」「DVDだって観るわけないし、本だって読むわけないよね!」「そもそも、何がどこにあるか自分でもわかってないでしょ!」「自分はやりたい放題やって、後始末は お母さんや私にやらせて、半人前のくせに一人前面すんじゃないわよ!」と連打を浴びせた。ヌード写真集に至っては、「何でこんなにたくさんあんの!」「全部いるの!? 全部見るの!?」「気持ち悪っ!!」と酷評。続けて、「だからアンタは ずっと・・・」と、何かを言いかけた・・・・・・ところで、何を思ったか、姉は悔しげな表情で吐きかけた言葉を呑み込んだ。エロ本もヌード写真集も、姉(女)からすれば同じモノか。しかし、男の都合では、それは似て非なるもの“芸術愛好”と性的欲求“の狭間、その微妙な位置は、“こし餡orつぶ餡” “絹豆腐or木綿豆腐”くらいの違いかもしれないけど、いやらしい目で見るのか 美を求めて見るのか、見方を変えれば違いは大きい。 男性がどちらの嗜好で集めたものはかはわからなかったけど、男の私には、「捨てたくない」という男性の気持ちがどことなくわかった。ただ、下手な口出しは藪蛇になりかねない。私は、野球でも観るかのような軽々しい気分で姉弟の攻防を傍観。姉は、そんな観客を無視して、言葉の剛速球を男性の胸元に投げ込み続けた。しかも、一つ間違えばデッドボール、危険球退場になりかねないくらいの内角ギリギリに。しかし、そんな試合を客席で観られていたのは序盤だけ。女のヌードを好む男性を非難する口撃には、他の男までションボリさせてしまうような破壊力があり、男性のいるところにだけに敷かれていたはずの“針の筵(むしろ)”は、私の足元にまで広がってきた。「どうせ姉は来ないし、テキトーに片付ければいい」当初、男性は、片付け作業を“鬼の居ぬ間に洗濯”くらいにしか考えていたのかもしれなかった。しかし、実際にそれは叶わず。“自分で自分の尻を拭けないヤツは黙ってろ!”といった姉の圧に抗う力は男性になし。結局、「新生活に必要なモノではない!」「リフォームした部屋を再びゴミ部屋にしたら許さん!」と一方的に断じられ、拒んだモノのほとんどは姉の命令で処分されることに。次々に運び出される趣味嗜好品を男性は諦念をもって眺めているほかなく、その寂しげな様子は やや気に毒に思えるものでもあった。ただ、大人になっても、自分を律してくれる人がいるということはありがたいこと。弟には、母親を頼りに生きるのではなく、自立して、自分と同じように あったかい家庭を持って幸せな人生を歩いてほしい・・・姉の厳しい振る舞いは優しさの裏返し・・・母親を想う気持ちだけでなく 弟を想う気持ちからでてきたものでもあったはず・・・あの時「だからアンタは ずっと・・・」と言いかけて止めた言葉の続きは、おそらく「女に縁がないのよ!」しかし、姉は、その優しさで痛烈な一言を途中で吞み込んだ・・・・・・と、うまくまとめようとしつつも、私は、「でも、あのタイプの姉さんだったら・・・俺はいらないかな・・・」とも思ったのだった。→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介44」
2025-06-05 07:00:00
私は、三兄妹の次男。一つ上の兄と、二つ下の妹がおり、もう皆50代。兄は同じ首都圏に在住、妹は関西にいる。子供の頃はよく一緒に遊んでいたが(ケンカもしたが)、成長するにつれ関係は希薄に。何かトラブルがあったわけでもないのだが、電話やメールをはじめ、一年以上も連絡を取り合わないこともフツーにあった。特段、仲がいいわけでも悪いわけでもない兄妹である。近年は、平時なら数か月に一回くらい、用件によって日ごと週ごとに連絡を取り合っており、若い頃に比べると格段に多くなっている。ネタで多いのは、やはり老親や実家のこと。両親とも80代ながら健在で、持病や老い衰えと戦いながら、介護保険の世話にもならず自立して生活している。ただ、さすがに寄る年波には勝てず、身体のことや生活のこと、そして亡くなった後のこと等、思案しなければならないことが山積。一つ片づけば また一つ、課題や問題は次から次へと涌いている。そして、我々兄妹は、“生老病死”には抗えないことがわかっていても悩んでしまう。この高齢化社会にあって、私と同じような悩みを抱えている人は多いのではないだろうか。子供の頃、私の母は、「兄妹は他人の始まり」という諺をよく口にしていた。母が何を意図していたのか、今でもよくわからないけど、当時の私は、「兄妹で仲良くしても仕方がない」「いずれ他人になるのだから、そのつもりで付き合っていた方がいい」みたいに乾冷な捉え方をしていた。ただ、その後、それぞれ自分の道を歩き出し、自立していくと、いつの間にか“他人”になっていたのが実情。そうして、それぞれの人生を過ごして半世紀。夫婦にとって「子は鎹(かすがい)」と言われるのと同じように、子供達にとって親は鎹。“他人”だった我々兄妹が、親のことで再び“兄妹”になろうとしている。ちなみに、私は、この歳になっても兄のことを「兄ちゃん」と呼んでいる(メールでは「〇兄」と表記)。この呼称は、子供の頃からずっと変わっていない。ただ、人に話すときは「私の兄・・・」とか「俺の兄貴・・・」と言っている。さすがに、「私の兄ちゃん・・・」とは言わない。服に“よそ行き”があるように、言葉にも“よそ行き”がある。ある種のTPOだね。訪れた現場は、街中に建つ古いアパート。その二階の一室で、住人だった高齢の男性が孤独死。故人は、無職の生活保護受給者で、社会とのつながりは希薄。で、発見されるまで、しばらくの日数が経過。季節的な高温多湿の影響もあって、遺体は相応に腐敗。周囲を汚染しながら、悪臭やウジ・ハエも発生。安否確認や生活状況の把握など、対象者(故人)と密に接していくのも役所担当者の仕事のうちだが、生活保護受給者をはじめ、相談者や申請者が増える一方の時世においては、そこまで手が回らないのが実状。役所の怠慢でもなんでもなく、日常の生活を無難に送っている対象者は放っておかれやすい。ともない、本件も、大家から連絡が入って、はじめて担当者が訪問したような状況だった。間取りは1R、ごく一般的な造り。玄関を入った左にキチンシンク、右にユニットバス、その奥隣に半間のクローゼット。そして、部屋の突き当りに外光差し込む窓。家財は極めて少量、家電は一式揃っていたが、どれも小型で古いモノばかり。残されていた調理器具や食品・調味料もわずかで、「必要最低限のモノで生活していた」といった感じ。同じ生活保護受給者でも、節操なく酒を飲みタバコを吸い、ギャンブルまでやる人も珍しくない。しかし、故人はその類でなし。“弱い者いじめ”のように思われるかもしれないが、それは、生活保護受給者として然るべき姿。ささやかな楽しみはあったのかもしれなかったが、憲法保障の「健康で文化的な“最低限度の生活”」を地で行くような生活をしていたように思われた。と同時に、生活保護を受給するに至った経緯を知る由もない中で、誰の人生にもドラマがあるのと同じで、故人の人生にも紆余曲折や苦悩があったことが想像された。数年前、故人は、このアパートに地元区役所生活援護課からの紹介で入居。その時点で妻子はなく独り身。近しい身寄りとしては、少し離れたところに暮らす兄と妹がいた。二人ともアパート賃貸借契約の連帯保証人にはなっておらず、相続も放棄。行政主導で執り行われた火葬の費用負担と、遺骨の引き取りは承諾したものの、部屋の始末については関知せず。血を分けた兄妹として「無責任」とか「薄情」と非難されても、その責を負うために必要な経済的余裕がないことが想像された。発見のきっかけは、大家による役所への連絡。大家宅はアパートの地続きにあり、買い物などで外出する故人の姿を見かけることが時々あった。その際、視線が合えば「こんにちは」と短い挨拶と会釈を交わすくらいで、その他に言葉を交わすような間柄ではなかった。そんな中、ある時から急に故人の姿が見かけられなくなった。当初は、「たまたまのこと」と気に留めず。しかし、しばらくの日が経つと妙に思うように。そして、意識して観察してみると、夜になっても、故人の部屋には照明が灯らないことに気づいた。また、下室の住人に訊いても、「しばらく前から足音や水が流れる音などの生活音がしなくなった」とのこと。長い旅行ができるような経済力があるとは思えず、実家があるわけでもなく、さすがに大家は不審に思い、役所に連絡を入れたのだった。フローリングの床には遺体汚染が発生。そこには、警察が放っていった白髪交じりの頭髪や皮膚が残されていた。ただ、私にとって、その汚れはライト級。特掃に大した難しさはなく、粛々と作業。床材には遺体のカタチを連想させるような変色が残ったが、悲惨さを感じてしまうような汚れは取り除くことができた。また、何分にも家財は少量のため、遺品整理も軽易なものに。財産らしい財産もなく、貴重品らしい貴重品もない遺品は、冷たく言うなら「ただのゴミ」。すべて処分するほかなく、それほどの神経を使って丁寧にやることは求められず、特掃と同じく作業は淡々とすすめられた。そんな中、押入の布団の下から、ヘソクリを隠すかのようにしまい込まれた一枚のハガキがでてきた。「文字を読む」ということは、「つい見てしまう」といったものに比べると、意識性が強い行為のような気がする。しかし、走り始めた野次馬を止めることはできず・・・他人のプライベートを覗き見するような気マズさを覚えながらも、私は、そこに記された文字に目をやった。裏面に書かれた差出人は故人の妹、念のため確認した表面には、ここの住所と故人名。故人の年齢から考えると妹は60代か。すべて手書き、遠慮のない乱筆で、お世辞にも達筆とは言えず。文章も“ですます調”ではなく、幼稚に思えるくらいの話し言葉。また、歳はとっても兄妹の関係性は子供の頃から変わらぬままのよう。故人のことも「お兄さん」「○○兄」とかではなく「兄ちゃん」と書いてあった。コミュニケーションツールとして手っ取り早いのは、電話やメール。今は、SNSか。故人もSNSまではやらないにしても携帯電話くらいは持っていただろう。しかし、何を意図してか、妹は、手間も時間も金もかかるハガキを利用。ただ、手紙でしか伝えることができないこと、デジタルでは伝わらないことってある。絵文字もイラストもない、単なる紙と文字だけなのに、そこからは、肉親の心温と情愛が滲み出ていた。しかも、「兄ちゃん」という呼び方が自分と重なった私、故人と同じく三人兄妹の次男である私は、見ず知らずの兄妹に対して大きな親近感を抱いた。内容は、時候の挨拶と亡母の墓参の予定を確認するもの。故人達兄妹の母親が亡くなったのは三年前で、三回忌に合わせて墓参りすることは既に約束されていたよう。「正式な法要はできないけど気持ちが大切」「亡父・亡母も喜んでくれるはず」「その後、一緒に食事でもしよう」「話したいこと、聞きたいことがたくさんある」「久しぶりに三人で会えることを楽しみにしている」そういった旨のことが綴られていた。ハガキに記されていた墓参の日は、私が特殊清掃に入った当日。もちろん、その何日も前に故人は亡くなっている。ただ、ハガキは、ポストに放置されていたのでははく布団の下にしまわれていたわけで、生前のうちに届いていたのは明らか。そして、故人は墓参も予定していたに違いなかった。兄妹に会えるのを楽しみにしていただろうに・・・しかし、その日を迎えることなく逝ってしまった・・・そのことを想うと、床の遺体痕に、まだ少しの命が残っているような気がして、「人生って思い通りにならないことだらけですよね・・・お疲れ様でした・・・」と、自らの愚痴をこぼすように心の中でつぶやいた。故人の遺骨は亡父母と同じ墓に納められたか・・・本来は兄妹三人で参るはずだった墓に手を合わせたのは兄妹二人だけ・・・それとも、それぞれの家族も一緒に行ったか・・・その後、二人で食事をしながら、静かに故人を偲んだか・・・それとも、子や孫も含めて、家族大勢で賑やかに故人を偲んだか・・・私は、墓参する側だったはずの故人が、墓参される側になったことに、現世の意地悪さ、皮肉のようなものを感じた。と同時に、その淋しさと切なさに心が寒々としてしまった。ただ、生と死は、人知を超えたところにある。「一人は目に見えない存在になってしまったけど、ある意味、三人兄妹は集うことができたのかもしれないよな・・・」そう想って、私は冷えた心をあたため直したのだった。→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介43」
2025-05-26 07:30:00
取り引きのある不動産会社から相談が入った。その内容は、「社有マンションで自殺が発生」「発見が遅れたため、部屋は相当に汚れているはず」「故人は大学生で、両親を交えて協議することになっている」「事前に現地調査を済ませたうえで、その協議に加わってほしい」といったもの。自殺案件は話がスムーズにまとまらないことも少なくなく、依頼の内容は心情的にやや難儀なもの。ただ、懇意にしている担当者からの頼みでもあり、無碍な対応はできない。まずは依頼通りに動くことにし、“あとは、野となれ山となれ”と思考をチェンジ。“野”でも“山”でも“ハイキング”の経験は豊富なので、「なんとかなる」と半分開き直って、「伺います」と返答した。訪れた街は、「住みたい街ランキング」で常に上位にある東京の某市。目的の現場は、人気駅の近くに建つ賃貸マンション。かなりの好立地で、賃料が高額であることはヨソ者の私でも容易に察しがついた。私は、1Fエントランスで待ち合わせた担当者から鍵を預かり、根回しの済んでいるマンション管理人に軽く挨拶をしてエレベーターへ。目的の階につくと、周囲に人がいないことを確認しながら そそくさと現場の部屋へ向かい、自宅に戻って来た住人かのような淀みない動きで開錠。素早く かつ最狭にドアを引き、スルリと身体を滑り込ませた。ハエがうるさくしたりもせず、室内はシ~ンと静まり返っていた。慣れきった私は不気味さこそ感じなかったものの、「自殺」という死因が、その静けさを一層際立たせているような気がした。1LDKの奥へ歩みを進めると、部屋の床には不自然かつ見慣れた物体があった。それは、腐乱した遺体が残していったもの、腐乱した遺体しか残していけないもの。私にとってその汚染度はヘヴィー級に近いミドル級、異臭レベルも同じ。容易く片付けられるものではないながら、大袈裟に溜め息をつくほどのものでもなかった。両親の自宅は関西の某県で、今回の件を受けて上京。指定された集合場所は、現場マンションから徒歩数分のところにある両親宿泊のホテルラウンジ。ただ、そこは人目の多いスペースで、話す内容も内容だっただけに、「話し合いは別の場所に移動してから方がいいだろうな・・・」と思った。しかし、マンションの管理人室は狭すぎるし、エントランスだと人(住人)の目を引きやすい。外での立ち話で済ませられる事案でもなし。よくよく考えれば、ラウンジを行き交う人達は、いちいち我々のことを気に留めたりはしないはず。声を低くしたうえで、「自殺」とか「遺体」とか、非日常的なキーワードを使わないようにすれば問題ない。結局、そのラウンジがそのまま協議の場となった。両親・担当者・私の三者は、約束の時間を前に集合。当然か、どの顔にも笑みはなし。日常的によく用いられる社交辞令的な愛想笑いさえも。そんな重苦しい空気の中、担当者の、「何と申し上げていいかわかりませんが・・・この度は・・・どうも・・・」という歯切れの悪い言葉から協議は始まった。本来なら、「ご愁傷様です」というのがマナーなのかもしれないけど、今回のような事案において、管理会社は、いわば“被害者”。担当者が口ごもってしまうのは仕方のないことだった。賃貸借契約解除、原状回復、損害賠償等々、協議しなければならない課題はいくつもあった。不動産会社の主張が正当とされることや、要求して当然と思われる事項もいくつかあった。が、両親が、悲しみと戸惑いと不安のドン底にあるのは察するに余りあり、担当者は、何をどう話せばいいのか考えあぐねている様子。また、それに対して、両親は理解を示すのか、はたまた情緒不安定に反論してくるのか読み切れず。私は、主張の根拠や判断の基準になる法令・条例や国のガイドライン、裁判例などは、だいたい頭に入れている。しかも、踏んできた場数は担当者よりはるかに多い。更に、“屁理屈”や“減らず口”においても右に出る者はわずか。イザとなったら、担当者に代わって、「不動産会社vs両親(故人)」それぞれの責任・義務・権利を説明し、協議を落着させる気構えを持っていた。私の役目は、特殊清掃・遺品整理・消臭消毒・内装改修工事など、原状回復の物理面を説明すること。できるだけ詳しく現状を説明し、かつ、それに対処する作業や工事も丁寧に説明する必要があった。ただ、一般の人は、“掃除=原状回復”と考える人が多い。あと、ニオイの問題はほとんど無理解。回りくどい表現ではなかなか理解してもらえないのだが、実状をリアルに伝えようとすると凄惨さばかりが際立ってしまう。場合によっては、両親を更に悲しませることになりかねない。そこのところの言葉選びが悩ましいところだった。遺族がどう思おうと どう感じようと事実は事実。回りくどい表現や、耳障りのいいことばかり言っていては仕事にならない。常識的な礼儀とマナーを守ったうえであれば事務的に流しても問題はない。あと、真心の伴わない白々しい同情が、かえって遺族に不快感を与えることもある。“余計な感情移入”と“深い心遣い”の区別もできない独善者にはなりたくなかった私は、言葉は丁寧に、口調はソフトに、内容はストレートに、それを心掛けて状況を説明。片や両親は、「呆け顔」といったら語弊があるが、まるで知らない言語を聞いているかのような表情。反応は薄く、私が発する言葉の端々に合わせて規則的に頷くのみ。それは、私の言葉を嚙み砕いて消化するのではなく、丸呑みして消化不良を起こしているような状態にみえた。故人は20代前半の男子大学生。出身は、両親のいる関西の某県、出身高校も全国的に有名な難関進学校。そして、通っていたのは誰もが見上げる一流大学の理系学部。しかし、故人はその道に満足せず。医師になる夢を追い、大学に在籍しながら医学部入試に挑戦することに。ただ、故人が目指していたのは、「国内最難関」といわれる医学部。ちょっとやそっとの努力や能力、人並みの脳力や経済力では手は出せないところ。同じ医師になるにしても、もっと難易度の低い大学はいくらでもあったはず。故人の能力を鑑みると、私大を含めたら“選び放題”だっただろうに、故人はその道には流れなかったようだった。大学生と受験生、二足の草鞋を履いた生活を維持するには金も時間もいる。しかも、目指すのは医学部。更に、住居は、「学生の一人暮しには贅沢過ぎるんじゃない?」と思われるくらいの部屋。平凡な額の金銭では済まされないはず。ただ、両親は共に医師で医院を経営。“超”がつくかどうはわからないながら富裕層に間違いなし。多くの大学生が「奨学金」という名の借金を背負い、学業を圧してまでアルバイトに精を出さざるを得ない時代にあって、金の心配が要らず夢に向かって突っ走れる環境にあった故人は「恵まれている」としか言いようがなかった。とは言え、故人にとっては大変なチャレンジだったはず。同時に、充実した日々でもあっただろう。そんな中、故人の中の何かが変わった・・・故人の中で何かが起こった・・・医師への道は、“親の夢”を“自分の夢”と錯覚して選んだものか・・・一つだったはずの親子の夢が、ちょっとした行き違いをキッカケに乖離していったのか・・・そして、結局、一流大学で医師を目指すことの意味を見失ったのか・・・しかし、故人は、既に一流大学の学生。医師になれなくても、明るい未来が見通せる境遇。しかも、裕福な家庭で、言わば、「親ガチャに当たった勝ち組候補」。そんな故人の自死について、俗人(私)の頭には「何故?」という疑念ばかりが巡った。自死の衝撃・・・息子を失った悲しみ・・・どう責任をとるべきか、それは負いきれるものなのか・・・不安・怒り・悲哀・苦悩・後悔・葛藤・絶望・・・それらが制御不能で殴り合っている・・・そんな心模様が、両親の顔に色濃く表れていた。一方の不動産会社の主張や要求は、私の解釈としても「正当」と見なせるもの。両親は、それに対して抗弁する術を持たず。そもそも、そんな気力もなさそう。故人の後始末が両親にとって辛い道程になることは明らかだったが、平和的に進めることができそうな予感がして、少しだけホッとした。「協議」といっても、実のところは、不動産会社と私が“言う側”、両親は“聞く側”という構図。見解が対立したり、どちらかが言葉に窮したりする場面はなく、時間は静かに経過。協議が終わって場がお開きになる際には、「あとのことはお任せします・・・」「よろしくお願いします・・・」と、両親は、泣きそうな顔で担当者と私に深々と頭を下げた。両親に、そこまでの罪悪感を抱かせ卑屈にさせた故人の死・・・「故人は、両親のそんな姿をみたらどう思うだろう・・・」考えても仕方のないこと・・・“考えてはいけないこと”と知りつつ、私の心にはそんな凡俗な不満が過った。「自殺は蛮行」と、世間は簡単に否定する。同意できる部分はありながらも、私は少し違う感覚を持っている。この人生において何度か自殺願望や希死念慮に囚われたことがある身の私は、これまで、自殺者について「同志的な感情を覚える」「一方的に非難できない」といった旨の考えを示してきた。更に今は、「戦線離脱」「敵前逃亡」のように受け止められがちな自死を、過激を承知で言わせてもらうならば「“戦死”としても不自然はない」と思っている(戦争や暴力を美化する意図はない)。どんな憶病者でも、どんなに弱虫でも、何かに苦悩するということは、何かと戦っているということでもあるのだから。目標・目的を持ち、夢を追う。心を燃やし、時間や金を費やし、頭や身体を駆使する。素晴らしい生き方だと思う。ただ、人間は“考える葦”。偉大な思考力を持つものでありながらも、“葦”のように弱いものでもある。虚無感という曲者は、疑念や不安、絶望感など、ネガティブな感情を次々と造り出しては、弱みにつけ込むかのように煽り立ててくる。そして、それに立ち向かおうとすればするほど返り討ちに遭うリスクが高まる。懸命に生きようとすればするほど、死へ向かう反動が大きくなる。世(人)の中には「考えても仕方がないこと」や「考えない方がいいこと」がある。答が出ないことや正解が一つでないことなんてザラにある。“生きる意味”なんて、その最たるもの。「やっと見つけた!」と思った“正解”は、いとも簡単に姿を変え、自分を裏切る。“生涯の道標”と過信したら、とんだしっぺ返しを食らう。結局のところ、“答”はない。逆に、あるとしたら無数にある。“無答”にうろたえるか、“無数”にたじろぐか、どちらも似たり寄ったり。だとしたら、その都度、自分の頭に馴染む答、自分の心にシックリくる答を“正解”にして都合よく生きればいいと思う。半世紀近くが過ぎ・・・野球選手になることを夢見ていた無邪気な少年は とっても有邪気な中年に。その手には、バットではなくスクレーパーを持ち、ボールではなくブラシを握り、皮革グローブではなくラテックスグローブをはめている。目の前に広がるのは、活気溢れるグラウンドではなく 精気失うグロウンド・・・香ってくるのは、芳しい芝の匂いではなく 悍ましい死場の臭い・・・聴こえてくるのは、観客の声援ではなく 心の悲鳴・・・笑えるようで笑えないような、笑えないようで笑えるような、まったく、人生っておかしなもの。「俺って、一体、何やってんだろうなぁ・・・」汚物と格闘している中で、ふと そう憂うことがある。ただ・・・ただ、まだ、こうして生きている。意味のある人生を無意味に生きている。無意味な人生に意味をもらって生きている。振り返れば、夢の跡が遠くに見える。そして、かすかに輝きも見える。震えるほどの虚しさがやってきたときは、滑稽な我が道を“フッ”と鼻で笑って自分を慰めるのである。→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介42」
2025-05-17 06:05:00
渋滞を案じた無休GWが終わり、肌に夏の前味が感じられるようになってきた今日この頃。雨のない土日祝日には、会社近く、江戸川の河川敷グラウンドでは少年野球や草野球の練習や試合が行われている。で、私は、現場に行き来する車の窓から しばしば その光景を見かける。そして、「趣味がある(できる)っていいなぁ・・・」「スポーツで汗をかくって気持ちよさそうだなぁ・・・」と、少し羨ましく思う。元来、私はスポーツへの興味は薄く、縁もない。かろうじて、中二・中三のときに陸上部に所属していたものの、もちろん、好きでやっていたわけではなく、学校の方針で“帰宅部”は認められなかったため、仕方なくやっていただけ。他のメンバーも似たようなもので、教師を含めて真剣にやっている者はおらず、個々人も学校も地域で最弱レベルだった。(ちなみに、中一のときは美術部だったが、中二になるタイミングで廃部になってしまった。)高校は“帰宅部”、大学はサークルには入らずアルバイト&遊興三昧。その嗜好は今でも変わらず、オリンピックやワールドカップ等、ビッグイベントもほとんど興味がない。しいて言えば、プロ野球には興味がある。生まれて初めて抱いた将来の夢も「プロ野球選手」。後にも先にも、職業に夢らしい夢を持ったのはその一度だけ。ま、それも10歳に満たない頃のこと。現実の冷淡さも知らない男児で、今思えば無邪気な戯言。小学校の高学年になる頃には、自然と消えていた。ただ、ウキウキするようなワクワクするような、いい気分だったのは間違いない。ささやかながら、あの時の自分は輝いていた。熱狂的なファンではないけど、好きなのは広島カープ。2016年~2018年、リーグ三連覇したときは気分がかなり揚がり、反面、昨夏の大失速には気分が一気に沈んだ。応援したくなる要素は色々ある。設立の経緯、市民球団という組織体、かつては、「セリーグのお荷物」と言われていた程の弱小球団、樽で募金を集めて球団を維持した歴史もある貧乏球団、今でも金満ではなく、何億も稼ぐようなスター選手は雇えず、活躍する選手はFAで軒並み他球団にさらわれ、逆にFAでやって来る選手はおらず、また、本拠地は地方の田舎街、他球団ほどの隆盛感はない。オンボロだった「広島市民球場」(1957年~2008年)もいい味を出していた。今の球場建設にあたってもドームにはせず(できず?)、市民からも募金が集められたそう。そんなチームでも、他球団と互角に戦っているわけで、そんなところに親近感というか愛着というか、共感・好感が持てるのである。これまで、東京ドーム・横浜スタジアム・QVCマリンフィールド(現・ZOZOマリンスタジアム)に行ったことはある(所沢と神宮には行ったことがない)。あぁ~・・・でも、いつか、マツダスタジアムに行ってカープの試合を観てみたい。のんびりと、美味いモノを食べたり、ビール飲んだりしながらね。海外の秘境に行くわけでなし、他人から見れば容易に叶いそうな夢かもしれないけど、私を取り巻く現実を考えると実現性は極めて低い。悲しいかな、儚く遠い夢である。出向いた現場は、1Rの賃貸マンション。そこで不慮の死が発生。亡くなったのは部屋の居住者、30代前半の男性。死因は自殺。暑い季節だったこともあるうえ発見にも時間がかかり、遺体は相応に腐敗。床を深刻に汚しながら、高濃度の悪臭とウジ・ハエが量産されていた。依頼者は、マンションの管理会社。賃貸借契約の連帯保証人は故人の父親。ただ、特殊清掃や遺品整理を進めるにあたっては、故人や家族のプライベートな部分について、他人(業者)に見られたくないものを見られ、知られなくないことを知られることになる。また、深い事情を業者に話さなければ事がうまく運ばない局面に遭遇することもある。そうなると、プライド・世間体・羞恥心・・・そんなものがキズついたり、刺激されたりすることになる。既に負いきれないほどの悲哀に襲われているのに、更に、心の傷口に自分で塩を塗るようなことにもなりかねない。であれば、現場とは一定の距離を空けておくのが無難。そんな事情があってか、父親は、得体の知れない特掃屋である私とは直接的には関わらず。見積書や契約書のやりとりや、報告・連絡・相談も、すべて管理会社を介して行われた。汚染も異臭も重症。しかも、真夏の猛暑で部屋はサウナ状態。そんな特殊清掃は、慣れたものであってもキツイものはキツイ!効率よく合理的にやれる自信はあるけど、ツライものはツライ!ただ、私には、「故人と二人になる」という特異な秘策がある。同情や悲哀をよそにして、まだ生きているかのような感覚で故人の人生を想うと、無駄な力が抜けて、逆に必要なところに力が入る。そうしてメンタルが支えられることによって、どんなに悲惨で凄惨な現場であっても過酷さは随分と和らぐのである。アルバイト応募のために何枚も用意したのだろうか、書き損じたまま放られていた履歴書には、これまで歩いてきた故人の道程があった。故人は、北陸某県の出身。高校を卒業し地元の芸術系専門学校を経て上京。志望動機の欄には、「将来は音楽関係の仕事に就きたいので、そのために一生懸命働きたい」といったことが書かれていた。それを裏付けるかのように、部屋には、楽器や音楽系の機材、楽譜やCD等、熱心に音楽活動をしていたことを伺わせる物品がたくさんあった。とはいえ、やはり、それで食べていけていたような形跡はなし。主な収入源は飲食店でのアルバイトで、乱暴に破られた給与明細書の金額からは、故人が親のスネをかじり続けていたことが伺えた。部屋には、地元の求人情報、就職ガイドのパンフレット、就職支援のリーフレット等々、就職に関するものもたくさんあった。ただ、それらは、本人が収集したものではなく、大半は両親が送ってきたもののよう。一連の情報は紙で集めるよりネットで探した方が合理的なはずだったが、故人は、自らの意志でそれをすることはなかったのだろう。書類の間に挟まれたメモ、端々に貼られた付箋・・・両親のメッセージからそれがわかった。言葉を変えながらも、書いてある内容は ほぼ一辺倒。「音楽の道は諦めて、正規の仕事に就きなさい」「親の方が先に逝くわけだから、いつまでも面倒みてやることはできない」「支援に尽力するから、故郷に戻って一からやり直したらどうか」なだめたりすかしたり、諭したり叱ったり、父親と母親が、それぞれに、それぞれの言葉(文字)で そういった旨のことを綴っていた。そして、故人が逝っても尚、そこからは、不安、焦り、ジレンマ・・・悩める親心が、涙のように滲み出ていた。人生は思い通りになることより思い通りにならないことの方が多い。自分自身でさえ思い通りに生きることができない、ましてや、別の人間(息子)を思い通りに生きさせることなんてできるわけがない。理屈では、それがわかっていても、欲望ともとれる感情がそれを許さない・・・両親の中にも大きな葛藤があっただろう・・・ひょっとしたら、故人が決行してしまった最悪のシナリオも、生前から頭に浮かんでは消え、消えては浮かんでいたかもしれず・・・そして、「そんなことあってたまるか!」「そんなこと絶対にさせない!」と、必死に、懸命に息子の生きる道を整えてやろうとしていたのかもしれなかった。故人が上京したのは、おそらく二十歳頃。行年は30代前半なので、音楽活動をしながらのアルバイト生活は十年余か。故人は、夢を叶えたかっただろう。両親は、不本意ではありながらも息子の夢は応援したのだろう。しかし、「現実」という名の強敵は、誰の人生にもいる。吉とでるか凶とでるか、やってみないとわからない。挑戦しなければ成功も失敗もない。二つを天秤にかけ、心の重心がどちらにかかるか、自分で量るしかない。ただ、時間は、ときに優しく ときに厳しく、ときに温かく ときに冷たく、人の都合を無視して流れていく。「〇才までやってダメなら諦める」“夢の終着点”を自分で定め、また、親子で約束していたのかも。両親もそれを条件に、息子(故人)の意志を尊重し、できるかぎりのサポートをしていたのかもしれなかったしかし、“夢追人”が夢を諦めることは容易いことではない。その時がきても諦めきれず、「もう少し・・・」「もうちょっとだけ・・・」と、ズルズル先延ばしにしてきたのかもしれなかった。そうして故人は歳を重ね、唯一の味方だった“若さ”も いつの間にかなくなり、もう“若気の至り”では済まされない年齢になっていた。世間からみたら故人はただのフリーター。夢を追っていることは、表向きは評価されても本音のところでは評価されにくい。「半人前」「無謀者」と、世間は冷ややかに傍観する。そして、「いい歳をしても親の仕送りがないと生活できないダメ人間」と、自分が自分を見下すようになる。故人は、そんな現状に限界を感じる中で、「生き方を変えよう」ともがき始めていたのかも。しかし、音楽の道を諦めることができても、次の目的を持つのは簡単なことではない。音楽以外にやりたい仕事、興味のある仕事があったかどうかは定かではないけど、往々にして、「やりたいこと」と「できること」は異なるもの。どこかで、妥協や迎合、場合によっては慣れない忍耐を強いられることになる。それを受け入れることができるかどうか、割り切れるかどうか、開き直れるかどうか・・・新たな活路を見出せるかどうかはそこにかかっている。生きるために不本意な仕事をしている人間は世界中にごまんといる(私も代表格の一人?)。教育された感性や価値観のせいなのか、集団心理の一種なのか、本質的に、それが万民にとって正しい生き方なのかどうかはわからない中で、その様に生きる人間があまりに多すぎるため ほとんどの人は疑問に思うことも違和感を覚えることもない。しかし、中には、「正常」とされるそんな生き方に疑問を抱き違和感を覚える人・・・勇気と希望を持って、挑戦的に人生を冒険できる人もいる。故人は、冷たい現実に耐え得る熱量を持つことができなかったのか・・・返ってくるのは“お祈りメール”ばかりで心が折れてしまったのか・・・どんな生き方が正常で どんな生き方が異常なのか、どんな生き様が自然で どんな生き様が不自然なのか・・・ホトホト疲れ、何もかもに嫌気がさすようになり、そんな日々が故人を深い闇に沈めていき、最終的に、「絶望」という名の刺客がトドメを刺したのかもしれなかった。また別の案件。付き合いのある不動産会社から、「自社物件で自殺が発生」「遺族と協議するので、そこに参画してもらえないか」といった旨の相談が入った。悲しみの種類、責任の度合、世間の目・・・自死というのは、多くの意味で“特別”な亡くなり方。現場の処理は慣れたものながら、遺族との交渉・協議は、単なる孤独死とは一線を画すもの。画一的な“慣れ”は通用しない。心情はもちろん、協議に波風が立つことが多く、私は、ちょっと憂鬱な気分に。ただ、悩ましい案件に挑むときは、開き直ることも必要。私は、余計なことを考えるのは後回しにして、担当者に「Yes」と返答。その後、故人の死に表面的な疑問を持ってしまう自分と、“生きる意味”というものをあらためて自問する自分が現れることを、この時の私は知る由もなかった。つづく→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介41」
2025-05-12 06:38:12
GWも終盤、季節は夏に向かってまっしぐら。で、これからは、何もかも腐りやすくなってくる。食品業界の人をはじめ、戦々恐々としてくるのは私だけではないだろう。ただ、この仕事は、凄惨性が高いほど生産性も上がる。とは言え、そんな現場が生じることを望んでいるわけではない。酷ければ酷いほど、特掃隊長自身がツラい思いをすることになるわけだから。それはさておき、今年のGWは「最大11連休」と言われながらも赤日は二分割されて、実際は大型連休にしにくかったよう。また、物価高も相まって、アンケート上では「家で過ごす」「外食するくらい」といった人が多かったそう。ま、それでも、休暇がとれるだけいい。連休なんて、余程のことがないかぎり無理。ただ、こんな暮らしを長年やっていても、楽しいことがないわけではない。ささやかながら、“笑顔の想い出”はある。もう、十数年も前のこと。とある自殺現場に置き去りにされていた小型犬を引き取ったことがあった。飼主亡きあと引き取り手がなく、物件を管理していた不動産会社は役所に投げるつもりでいた。となると、ゆくゆくは殺処分。さすがに不憫に思った私は、もらい手を探すつもりで家に連れ帰った。が、一緒に暮らすうちに情愛が芽生え、結局、家族になった。このBlogでも「チビ犬」として何度か登場させたその犬、昨年11月11日が十回目の命日だった。今でも一緒にいた頃を想い出すことは多く、懐かしさと可愛さに、一人微笑んでいる。当方が担う業務の多くは特別汚損処理なのだが、その中身は多種多様。人の死にまつわる案件が多い中、動物の死も少なくない。ケースとして多いのは野良猫。床下や植木の茂み中、車のエンジンルームなど、人目につかないところで死に絶え、腐敗してしまうのだ。公道での轢死体など、現場が公地であれば行政(委託業者)が処理してくれるが私有地ではそういうわけにはいかない。死骸自体は行政が回収してくれるものの、ゴミ袋に梱包して表に出すところまでは自分でやらなければならない。しかし、腐敗が進んでいた場合は特に、それができる人は限られている。で、当社の出番となるのである(もちろん有料で)(無料と勘違いする人が時々いる)。問題になるケースで多いのは“ネコの多頭飼い”。目に滲みるレベルの糞尿臭で近所からクレームがきていた家、糞が大量で、特掃が土木工事のようになった家、飼育放棄で餓死し、共喰いの末、最後の一匹だけを捕獲したマンション、飼主が自殺し、数十匹の猫が餓死腐乱していた家etc・・・これまで、色々な動物案件と遭遇してきた中で、犬の多頭飼いに遭遇したことも何度かあった。出向いた現場は、閑静な住宅地に建つ一戸建。まだ築数年か、きれいな建物。土地はそれほど広くなく、建物もそれほど大きくはなかったものの、注文住宅のようで、なかなかオシャレな造り。また、街から近いエリアでもあり、生活するにも飲食を楽しむにも至便の場所。土地も建物も、結構な金額のはすだった。が、主を失った家の庭は荒れ放題。庭や外周には雑草が生い茂り、ポストからは郵便物があふれ、空き家になっていることは誰の目にも明らかな状態となっていた。依頼者は、故人の両親で遠方に居住。家族関係は良好だったが、お互い、頻繁に連絡をとり合うほどの用はなし。何か用事があるときに電話やメールをするくらいで、何週間・何か月も連絡をとり合わないこともザラ。しかも、故人は勤め人ではなく個人事業主。普通の会社員なら無断欠勤をすれば不審に思われるのだが、そんなこともなし。結果、亡くなってからも遺体はしばらく放置されたままに。30代前半の若々しい肉体も自然の摂理には逆らえず、季節の暑さと湿気に追い討ちをかけられながら、その姿を著しく変えていった。発見のキッカケは音信不通。ちょっとした用があって母親が故人に電話をしたのだが出ず。その時は、さして気にもしていなかったが、いつもなら当日のうち、遅くとも翌日には折り返しかかってくる電話がかかってこない。再びかけても同じで、メールの返信もなし。仕事の関係先は把握しておらず、他から情報を得ることもできず。警察に相談しようかとも思ったが、息子(故人)は人里離れた限界集落に暮らしているわけでもないわけで、安否確認のためだけに警察に動いてもらうのは躊躇われた。結局、「何かのときのために」と預かっていた家の鍵を携えて、はるばる故人宅を訪問。たまった郵便物と静かすぎる佇まいに恐怖感に近い違和感を覚えながら玄関を開錠。開けたドアの奥から漂ってくる異臭に鼓動を大きくしながら室内を進んでいったのだった。現地調査は、それから二週間余り後となった。警察による死因と身元の確認に時間がかかったためだ。家の鍵は事前に送ってもらっていた。「遺体があったのは二階の洋室」「汚れもニオイもかなりヒドい」「隣の部屋に動物の死骸らしきものがたくさんある」その情報を持って、私は現地へ。何の自慢にもならないけど、百戦錬磨の私はどんなに凄惨であっても大して緊張することはない(結局、自慢してる)。しかし、“動物死骸、しかも“たくさん”というところが大きな引っかかりがあった。それまでにも、動物死骸系の特殊清掃は何度もやってきていたが、経験数が少ないせいか人間の場合より耐性が低い。人間の場合、当方が出向くのは遺体が搬出された後になるのだが、動物の場合は死骸本体と遭遇することになるため、そのネガティブインパクトにメンタルがやられるせいもあるだろう。私は、大きくなってくる心臓の鼓動を小刻みな呼吸で整えつつ、ゆっくりと二階へ上がっていった。「うわ・・・これは・・・ヒドイな・・・」遺体痕もそれなりに凄惨だったが、そんなの可愛いもの。強烈に目を引いたのは格子の柵が設けられた隣の部屋。聞いてきた通り、そこには、何匹もの動物死骸が・・・発見されるまでに要した期間に死因・身元判明にかかった二週間余を足すと、死骸は三週間ととっくに越えた期間 放置されたことになる。しかも、高温多湿の時季に日当り良好の密閉空間で。これでは重度に腐乱するのは当り前、もう、こっちが腐りたくなるくらい凄惨な状況だった。眼がブッ壊れそうになっても、キチンとモノを見ないと仕事にならない。そうは言っても、マジマジ見るのは恐い。私の本能は目を背けたがったけど、特掃隊長の本能がそれを拒否。そうこう葛藤しているうちに、「犬?・・・犬だ・・・な・・・」と、それらが犬であることが判明。更に、サイズは小型~中型で大型犬はいなことも確認。ひしめき合うように横たわる腐乱死骸と それらが溶解して生じた腐敗汚物が床を覆い尽くしている様は、もう、筆舌尽くしがたいくらい悲惨なもの。腐敗汚物と同化してしまった小型犬は個体としてのカウントが困難で、実際はそれより少なくても「ワンダースはいるんじゃないか!?」と錯覚させるくらいのインパクトがあった。「この仕事、断ろうかなぁ・・・んなことできるわけないかぁ(トホホ・・・)」もともと、仕事に意地もプライドもない。ビジネスライクをベースとしたちょっとした使命感と、頼られる(うまく使われる?)と漢気を出してしまう単細胞と、褒められる(おだてられる?)と ついカッコつけてしまう自己顕示欲があるのみ。あまりに現場が衝撃的すぎるため、私はテキトーな理由をつけて、会社にも遺族にも“作業不能”を申告しようかと一瞬思った。が、頼られていることを思い出し、辞退の考えは取り消し「やる!」という方向だけにだけ頭を働かせることにあらためた。「はてさて、どうやって片付けるかな・・・」技術は並で済むが、根性は並では無理(根性なしだけど)。かかる負荷を考えると、やる前から気分は重々、意気は消沈。少しでも効率的にやるため、少しでも合理的に終えるため、ない頭で色々と思案。とにかく、自分が大変な思いをしないように、自分がキズつかないように、自分が恐ろしい目に遭わないようにしたかった。もう、故人の死を悼む気持ちや遺族の期待に対する責任感は失せていた。臆病者の心には、生前はどれも可愛かったであろう犬達を不憫に思う気持ちがかすかに残っているだけだった。まずは、死骸を取り除かなければならない。何と表現すればいいのだろう・・・不気味な硬さと軟らかさをもったヌルヌルの物体が粘度の高い泥に半分埋まっているような状態で、「持ち上げる」という単純な動作だけでなく「掘り出す」「剥がし取る」といった複雑な動作も要する作業。しかも、この手で。ラテックスグローブの上に丈夫なビニール手袋をつけるとはいえ、心情と感触は素手も同然。代わりにやってくれる機械、もしくは、もっと効率的・合理的な術でもあればありがたいのだが、流行りのAIでも、そんな機械を作ることも術を編み出すこともできないだろう(将来、AIに仕事を奪われることもないだろうけど、もう奪われてもいいかも)。私は、「手足がちぎれる?」「頭が落ちる?」「腹が割れる?」「皮が剥がれる?」、そんな不安に怯えながら、見たくもないモノを見ながら、触りたくもないモノを触りながら、作業を進めた。故人は独身で妻子がなかったため、家屋をはじめとする遺産は両親が相続。そのうえで、家は売却処分されることに。事故物件であるうえ、二階には人と犬の汚損痕も残っているということで、常識的なマイナス査定を越えて買い叩かれる可能性は充分にあった。しかし、故人の死を悼むばかりの遺族は、それで儲けるつもりはなし。「スッキリ清算したい」という気持ちが強いのだろう、「二束三文でもいいから、さっさと手放したい」とのこと。しかし、私としては、身を粉にして掃除した成果(貢献)として「建て替えは免れない」といった買手都合の理由に押されて、法外な安値で買い叩かれないようにしてほしかった。で、求めに応じて不動産会社を一社 紹介したうえで、「少なくとも二社、できたら三社くらいは相談した方がいい」とアドバイスして この仕事を終えた。どんな職種であれ「仕事」というものは たいがい大変。肉体・精神、そして頭脳、色々なところが疲れる。察してもらえるだろうか、私の仕事も相応に大変で相当に疲れる。それでも、帰宅して、さっさと風呂に入って、さっさと晩飯食べて、さっさと寝る、ということにはならない。眠い目をショボショボさせながらでも、規定量(1.5ℓ)の酒(ハイボール)は飲む。その後は、いつの間にか気絶することもあれば、ウトウトしながら就寝の支度をして床につくこともある。「僕も疲れたんだ・・・なんだかとっても眠いんだ・・・」希有な仕事をしたその日の夜も、そんな感じで更けていったのだった。→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介40」
2025-05-05 06:26:15
今月から再開したBlog「特殊清掃 戦う男たち」これまでも、業務に追われて2~3カ月くらいの空白期間が生じたことはあったけど、この度はフェードアウトした後に完全休止となり、その期間は実に21カ月。それでも、まるで何事もなかったかのようにシレっと復活。「今回の投稿は過去記事の再投稿(トラックバック)ではなく新規投稿だよ」ということは、前々回「不知の病」での書き出しを「2025年春」として、それとなく匂わせたのみ。しかし、たったその一言だけでは、読み手は困惑するかもしれないと思い直し、今回、あらためて再開(人によっては再会)の挨拶くらいはしておこうと考えた次第。久しぶりの登場で、「初代特掃隊長は引退して(死んで)、コイツは二代目特掃隊長?」と思った人がいるかもしれない。また、「ヒューマンケア社のBlogは複数人が書いている?」と訊いてきた人もいた。過去には、「ゴーストライターがいるのでは?」と疑われたこともある。しかし、今も昔も「特掃隊長」は一人。2006年の初回から今回に至るまで、一人の人間、私一人で書いている(誤字脱字はご愛嬌)。700投稿を越えている中で、他人の字は一文字も入っていない(ことわざ・慣用句や他人の名言等を、それとして用いることはあったけど)。そもそも、ゴーストライター(プロライター)なら、こんなコッテリした文章ではなく、もっとスマートな文章を書くだろう。加齢にともない、モノの考え方や価値観に多少の変化が生じているかもしれないけど、基本的なスタンスは今まで通り。ただ、再開するにあたって、新鮮味が欲しかったので多少のリニューアルを加えてみた。言うなれば、パチンコ屋の新装開店みたいな感じ(パチンコやらないけど)。まず、リアリティーを増すため自社の施工事例とリンクさせることにし、Blog末尾にリンクボタン「ヒューマンケアの事例紹介」を設けた(興味のある人はどうぞ)。あと、非公開にしていたコメント欄を公開することに。更に、それらに返信することにしようかどうか、只今 思案中。これまで、コメントに返信しない理由・事情をBlog記事で伝えたことや、捨て置くと投稿者に害が及びそうなコメントに対してはBlog記事をもって返事をしたことがあったが、コメント欄で直接的に“キャッチボール”したことは一度もない。だからこそ、新たな試みで、「コメントに返信するようにしたら面白いかも」と考えているのだ。その目的は・・・「それぞれの人生を戦う同志として仲間になるため」と言えば美しくおさまるか。が、仕事と人間は人並み以下のクセに、自己顕示欲と承認欲求は人並み以上の私。その腹を割ってみれば・・・「せっかく書くからには、一人でも多くの人に読んでもらいたい」「Blogに訪れてくれた人はそのまま安定した読者になってほしい」といった下心が見え隠れする。つまるところ、打算を働かせているわけ。しかし、そこで疑問(不安)が浮上。「返信する人と返信しない人、差別的な扱いはマズイ?」「答えたくないことを訊かれたら?」「批判や誹謗中傷にはどう反応すべき?」「返信することにリスクはある?」LINE・X・Instagram等々、SNSの類を一切やらない私は、そういう経験・知識・技術がなく、マナーも知らない。下手をしたら顰蹙を買ってしまって、逆に、読者獲得どころが読者離れを引き起こすおそれもあるのだ。更に、そこで一考。すると、教えを乞うのが手っ取り早いことに気がついた。ついては、私のコメント返信の要否についての意見はもとより、コメント欄の上手な運用方法・・・返信する場合のうまいやり方やアドバイス、成功例や失敗談を、これを読んでくれている貴方に書き込んでもらいたい。それで、よく勉強させてもらい、熟考し、どうするか決めようと思うので。(これで一ッつもコメント入らなかったら、“ウ〇コ男”の格が上がるか)出向いた現場は、東京に比べれば人の少ない首都圏某市の住宅地に建つ1Kアパート。築古で相応の劣化はあったものの、軽量鉄骨造りでボロさは感じられず。最寄りの駅から近くはなかったが、歩けない距離ではなし。駅の方へ行けば店も多く、少し賑やかな街が開けていたが、アパート周辺は閑静そのもの。大きな不便もなく、落ち着いて生活できる環境だった。そのアパートの一階の一室で住人が孤独死。発見は遅れ、遺体は腐敗。それなりの汚染・悪臭が発生し、多くのウジ・ハエも湧いていた。床には、故人の最期の姿勢がわかるくらいの痕が残っており、私の基準では“ミドル級”。ただ、事前に伝えられた死後経過日数から想像していたレベルに比べれば軽いものだった。汚染はミドル級であっても、遺体系汚物の多くはカーペットや布団がキャッチ。その下の床材も、防水性の高いクッションフロア(CF)で、浸透腐食もほぼなし。作業としては「特殊清掃」というより「汚物処理」といった方がシックリくる感じ。遺体のカタチがわかるくらいの汚染ではあったものの、肉体的にも精神的にもハードなものにはならず。その他の部分についても、男の一人暮らしの割には整然としていた。家財は少なくはなかったが、それなりに整理整頓され、掃除を適宜していたのだろう、汚くなりがちな水廻りもきれいに保たれていた。亡くなったのは初老の男性。家族関係がこじれた過去なんて、大なり小なり誰にでもあるもので、男性に身寄りらしい身寄りはなし。依頼してきたのは、何度か一緒に仕事をしたことがあるアパートの管理会社。連帯保証人は保証会社が担っており、故人も大家も“孤独死保険”には入っておらず。したがって、原状回復にかかる一連の費用は、大半、大家が負担せざるを得ない状況。しかし、大家は、切らなければならない身銭を少しでも減らしたいよう。孤独死は、不動産運用のリスクとして充分に考えられる事象で、頭ではそれがわかっていても、実際に自分の身に降りかかってみると、到底納得できないのだろう。管理会社に「親族探索の手掛かりになるモノがあったら取り分けておくように」と要請。担当者は、そんな大家と事故部屋の板挟みになって困っているようだった。職務であるから、警察は故人の縁者探索に手を尽くしたはずだったが、結局、見つけられなかったよう。そもそも、プロ(警察)が見つけられないものをアマ(管理会社)が見つけられるはずはない。仮に見つけることができても、連帯保証人でない以上、相続放棄されたらそれまで。故人は借金こそあれ、財産らしい財産はなかったはずで、ましてや、何十年も絶縁していれば相続を放棄するに決まっている(決めつけてはいけないが)。結局のところ、「躍起になって血縁者を探しても無駄!」ということ。その理屈を知ってか知らずか、担当者は、「手がかりになるようなモノがあったら分別してほしい」という。私は、“そんなことしても無駄なんだけどなぁ・・”と思いながらも、大家が機嫌を損ねることを心配している担当者の気持ちを汲んで、できるかぎり協力することに。ともない、故人のプライバシーを覗き込むことが一業務になった。ただ、例によって、いつまでたっても調教が終わらない野次馬が発走。後ろを追ってきたかと思ったら、すぐに追いつき 野蛮丸出しの軽足で抜き去っていった。遺品を丁寧にチェックしていくと、色々なことが表にでてきた。詳しい年齢は70代前半。仕事は非正規の肉体労働、晩年は病気を患って入院。ただ、経済的に困窮していたらしく、入院治療費が払えなかったよう。当然、病院だって商売。代金を取りっぱぐれるわけにはいかない。通常、入院に際しては、治療費清算について保証人を立てさせる病院が多いと思うが、そこのところを故人がどう処理したのかは不明。当人に督促状がきていることを考えると、保証人を求められなかった可能性もあるか・・・とにかく、払わなければならないお金を払わなかったのは事実で、督促状には分割払い誓約書・支払い計画書が同封されていた。私には、故人が生活保護受給の対象となり得る境遇のように思えたが、それを申請または受給しているような形跡はなく、何とも切ないものを感じた。遺品の中に、一つの箱があった。菓子の空箱で、中には子供の字で書かれた何通もの手紙と、何枚かの幼い絵がしまわれていた。かつて、故人は、妻と娘 三人家族の夫・父親であった時代があったよう。まだ一緒にいる頃に描かれたものだろう、三人が仲良く笑っている姿を色鉛筆で彩った絵もあった。そして、順序よく重ねられた手紙からは、故人は娘が小学生の頃に妻と離婚し、娘は妻が引き取っていったことが伺えた。手紙の多くは、「お年玉ありがとう」「誕生日プレゼントありがとう」の言葉に、ちょっとした近況報告を加えたシンプルなもの。忘れないように故人が記したのだろう、手紙や絵の隅には受け取った年月日と、そのときの娘の年齢・学年が記されていた。それらは、古いモノから新しいモノへ、時系列に重ねられていた。一番上のあったのが最も新しいもので、そして、それが最後の手紙。それは娘が中学二年のときのもの。そこには、まだ幼さが残る字で「お父さん たまには二人で会いませんか?」と書いてあった。“二人で”というところは父への親しみが、“会いませんか?”という敬語には成長が見て取れた。また、“たまには”と書いてあったところをみると、別離してから何度かは顔を合わせたことがあったのかもしれなかった。とにかく、娘の方から“会おう”と誘ってくれていたのだ。結局、そのとき二人は会うことができなのかどうかはわからない。でも、これを受け取った故人は喜んだに違いなかった。過ぎた年月を計算すると、娘は四十路を越えている。夫や子がいて、良妻賢母(時々は悪妻愚母=それが人間)として、日々の生活に追われながらも、ささやかな幸せと楽しさを味わいながら人生を謳歌しているかもしれなかった。ただ、私は、そんな空想に平安を覚えながらも、二つのことが引っかかっていた。一つ目は小さな引っかかりで、手紙が途切れた時期がやけに早いこと。故人は、娘へのお年玉と誕生日プレゼントを中三以降も毎年欠かさなかっただろう。にも関わらず、娘からの手紙は中学二年のときが最後。ただ、成長して気軽に会えるようになったため、娘は手紙を出す必要がなくなったのかもしれなかった。また、元妻が再婚して、お年玉等を送りにくくなったり、娘が母と義父に忖度して故人との距離を空けたりした可能性、はたまた、困窮のすえ娘との縁を保つことができなくなった等、色々な考えがグルグルと廻った。二つ目の引っかかりは大きく、それは、「警察が探しても親族が見つからなかった」ということ。もちろん、元妻は相続人ではなく親族・血縁者にも含まれない。しかし、直径卑属である娘は、離れていても法定相続人である。故人の戸籍をたどれば、探し出すのはそんなに難しくないはず。それでも、警察は見つけることができなかった・・・私の想像は、「戸籍や住民票を捨てて逃避生活をしてる?」から始まり、「もしかして、もう亡くなってる?」というところにも至った。最終的に、肉親の手掛かりになるようなもので見つかったのは娘からの手紙だけ。差出人の住所は記載されておらず、わかるのは名前と年齢だけ。あって当然と思われた写真は一枚もなかった。頼まれて約束した業務とはいえ、それを管理会社に引き渡すのは抵抗があった。故人が宝物にしていたに違いなかったから、大切な生きる糧だったのだろうから。プラス、引き渡したところで、大家や管理会社にとって何の役にも立たないはずだったから。「さてさて、どうしようかな・・・」本来なら、柩に入れて故人と共に弔いたいところ。もしくは、父親(故人)の愛情の証として娘に届けたいところ。しかし、葬送は行政に委ねられており、遺体は保管中なのか荼毘に付された後なのか、特掃屋の私には知る術なし。また、娘の所在も、存命しているかどうかさえもわからない。管理会社に引き渡すか、持ち帰って供養処分するか、選択肢はそのどちらか。どちらにしろ、管理会社が、手紙を手掛かりに娘を探し出せるとは思えず。しかし、業務上の約束は約束。悩んだ末、管理会社に引き渡すことにした。特殊清掃・遺品整理・消臭消毒、一連の作業の最終日、私と担当者は現地で合流。部屋を内見しながら作業の成果を確認してもらい、預かっていた鍵と分別品を担当者に引き渡した。「どうも、別れた奥さんとの間に娘さんがいたみたいですよ」そう伝えると、“手がかりGet!”と思ったのか、担当者は、にわかに表情を明るくした。どうも、肉親探しについて皮算用したよう・・・それがすぐに頓挫することは火を見るよりも明らかなのに・・・手紙が冷淡に捨てられることに淋しさを覚えた私は、「不要になったら回収に伺いますから遠慮なく連絡ください」と、一言つけ加えてその場を後にした。ただ、その後、その手紙が手元の戻ってくることはなかった。困窮・疾病・孤独・・・他人(私)の目には、故人の人生の終盤は過酷に映った。歳を重ねるにつれ人生が上向いていったとは考えにくく、むしろ、実際はその逆だったように思われた。表面上の事象だけをみて故人を憐れむのは慎まなければならないけど、そんな人生には失敗もあり後悔もあっただろう。この私もそう、重なる部分が多い。だからこそ、娘からのささやかな言葉を大切にし、それを生涯の宝物にしていた故人の想いがわかるような気がした。下衆の勘繰りに際限はない。想像なんていくらでもできる。フツーなら、「娘は、どこかで幸せに暮らしている」と考えるだろう。ただ、食べ頃を逃した古漬のように、ドップリ“死”に浸かって生きてきた私の頭には、「もう亡くなってる?」「しかも、若くして・・・大人になる前に・・・」、と、そんな想像ばかりが巡り、それを打ち消そうとすればするほど、その想いは自分の中で現実味を帯びてきて、溜息がこぼれるくらいの心寂しさが全身を覆ってきた。故人だけでなく、私自身も淋しい人間。「娘も亡くなったとしたら、とっくに天国で再会してるか・・・」外から覆ってくる淋しさと、内から滲み出る淋しさを紛らわすため、私は、自分勝手につじつまを合わせたのだった。→※現場画像「ヒューマンケアの事例紹介39」
2025-04-25 06:00:00
この春、小中高大、新入生として新たな学校生活をスタートさせた若者も多いだろう。桜花の賑わいが過ぎ、ぼちぼち友達も増えてきている頃か。今は、SNSで文字をやりとりするだけ、素顔や素性を知らない相手とでも友達になれる時代。コミュニケーションツールは顔を合わせての会話や固定電話・手紙くらいしかなかった我々の時代に比べると、友達をつくるのは難しくなさそう。私も、この時代に青春があったら、生涯の友達に出会えたかもしれないか。そんな孤独男にも、小学校・中学校・高校・大学、それぞれにクラスメイトがいた。そして、人付き合いが下手ながらも「友人」と呼べる者が何人かいた。が、卒業と同時に、または卒業から程なくして その縁は切れた。誰ともトラブルがあったわけでもないのだが、「お見事!」と言ってもいいくらいの絶縁ぶりで”プッツリ!“と。また、携帯電話のない時代だったから、切れた後の復縁も難しかった。で、小中高大、私は、これまで同窓会というものに参加したことが一度もない。若い頃は、何度か案内状が届いたこともあったが、今はもう、そんなものは届かない。時々は、「みんな、いい歳になって、苦楽しながらどこかで生きてるんだろうな・・・」と思い出すこともあるし、「死んじゃったヤツもいるかもな・・・」と職業病的な思いが浮かぶこともある。それでも、「旧友に会いたい」といった思いはないし、「参加しとけばよかった」といった後悔もない。「“同窓会”っていうのは、うまくいっているヤツしか行かないもの」かつて、進学校に通っていた兄が私にそう言ったことがある。兄は、愛校精神が強く、開催される高校の同窓会にはほとんど参加しているよう。その実体験として、社会的・経済的・職業的・身体的にネガティブな状態、または自慢できない状態にある者は参加しないパターンが多いと感じているそう。それを聞いた私は、「核心を突いた名言かも」と至極納得した。私は、大学は三流だし、引きこもりをした挙句に就いたのは、ブログで散々“自慢”している死体業。正しく自慢できることも、褒めてもらえそうなことも、感心してもらえそうなことも何もない。“負け組”にいるから欠席・・・「その虚栄心が同窓会をスルーしてきた一因」と指摘されても否定しきれない。仮に、自分が“勝ち組”にいたら、自慢話を楽しみにイソイソと出かけて行ったかもしれず、「勝っても負けても、どちらにしても俺はつまらない人間なんだな・・・」と、今更ながらに苦笑いしている。訪れた現場は、街中に建つ古いアパート。間取りは1DK。その台所で、住人の高齢男性が孤独死。発見は遅れて遺体は腐敗し、玄関に近いこともあって異臭が外へ漏洩。それがキッカケで異変は明るみになった。遺体汚染は、玄関を入ってすぐのところの台所床に残留。警察が遺体を運び出す際に周囲のゴミが混ざったのか、履物が汚れないよう意図的に遺体汚染をゴミで覆ったのか、私が出向いたとき、遺体痕はゴミに混ざっているような状態。ゴミの下から現れた汚染は、ライト級からミドル級。床材のクッションフロア(CF)だったので、特殊清掃の難易度も低めを想像。奥に進んだ部屋も半ゴミ部屋の状態。故人が、このアパートに入居したキッカケは生活保護受給。以前は、広い持ち家にでも暮らしていたのだろうか、この手狭な古アパートへ引っ越すに際してもモノが捨て切れなかったのだろう、六畳一間に大量の家財が押し込まれていた。依頼してきたのは、アパートの管理会社。故人は生活保護受給者で、賃貸借契約に保証人はおらず。近しい血縁者もなく、やっと見つかった親族もすべてを放棄。特殊清掃・消臭消毒・家財処分、その後の内装改修工事まで、すべて大家が負担せざるをえない状況。で、「なるべく安く」という管理会社の要望のもと、当社は特殊清掃・家財処分・消臭消毒を請け負い、受け取る遺族がいないとほぼ無駄になる遺品整理をサービスで行った。→※参照「生活保護受給者の孤独死とヒューマンケア」前述の想定通り、遺体汚染は軽くいなすことができた。ゴミについても、ヘビー級のゴミ部屋ではなし。家財大量とはいえ所詮は1DK、しかも一階。作業を進める上で大きな障害はなく、また、想定外の事態が起きることもなく、日常的な労力と知恵を供せば充分な状況で、行った作業だけ見ると、特に記憶に刻まれるような現場ではなかった。ただ一点、心に残ったことがあった・・・このアパート、道路に面した壁に全室の集合ポストが設置されていた。小さな南京錠をつけている部屋もあったが、基本的に鍵はなく、誰でも開けられるステンレス製ポスト。故人室のポストも鍵はついておらず、誰でも自由に開けられる状態。長い間放置されていたせいで、中には、郵便物だけでなく多くのチラシ類がギッシリ詰め込まれていた。それらも片付けの対象物なので、私は、無造作に掻き出して一旦地面に落とした。そして、重要書類や管理会社や大家に引き渡した方がよさそうなモノがあるかもしれなかったので、それ一通一通・一枚一枚をチェック。ただ、見たところ、ほとんどは不要なチラシ・DMの類。あとは、公共料金の請求書や明細書、死人の役には立たない行政関係の書類等、家財同様、ゴミになるしかないものばかりだった。その中に一枚、ちょっと気になるモノが混ざっていた。それは往復ハガキで、旧友(級友)から送られてきた同窓会の案内状。発送地は北海道、発送者は同窓会の幹事、中学時代の同級生のよう。ポストに留まっていたところをみると、案内状が届いたのは死去後。つまり、故人は、それを知らないまま逝ったことになる。どちらにしろ、北海道への旅には結構な費用がかかる。生活保護を受給するようになるまでには相応の苦楽があったはずで、受給開始後も慎ましい生活を余儀なくされていたはず(制度の性質を考えると当然のことではあるが)。そんな実状を考えると、近年、故人は欠席を続けており、将来にわたっても出席の期待を持っていなかったように思えた。ただ、「そろそろ案内が届く頃だな・・・」と、例え出席が叶わないにしても、故郷の風景や旧友の情を胸に抱き、ひとときでも孤独を忘れることができたかもしれない。また、このアパートにハガキが届いているということは、転居してきた際、幹事に新住所を知らせたということでもあり、それは同窓と繋がっていたかった意思の表れでもある。故人は、生活保護受給者になった自分を卑下するようなことがあったかもしれないが、私のような、つまらない虚栄心が捨てられない人間ではなかったように思えた。内容は、ごく一般的なもの。同窓会の開催日時と会場、そして、それへの出欠返信を求めるもの。ただ、そのハガキには、例年にはないはずの付記があった。それは、「同窓会は今回で最後にする」というもの。「皆が八十をとっくに越え、病を得る人や亡くなる人が増えてきて、出席者は減る一方」「自分(幹事)も世話をするのが大変になってきた」「“この辺りが潮時”という考えに至った」長年、苦楽を分かち合ってきた友との会を終わりにする・・・そこには、現実の事情と悩める心情がしたためられており、抗えない淋しさが滲み出ていた。そんなハガキを手にしていると、得も知れる切なさと淋しさを覚え、同時に色々な想いが駆け巡った。“このままスルーしようか・・・”“代筆を明かしたうえで”欠席”に印をつけて出そうか・・・“故人の死去を知らせた方がいいだろうか・・・““死の報は、最終会の盛り上がりに水を差すことにならないだろうか・・・”“管理会社に判断を委ねようか・・・”自分の中で質疑応答が錯綜し、自分の考えが自分の考えでないような迷いの渦にハマっていった。故人の遺志も察しようとした。“故人はどうしてほしいだろうか・・・”“このままスルーしてほしいだろうか・・・”“欠席を伝えてほしいだろうか・・・”“亡くなったことを知らせてほしいだろうか・・・”答を一つに絞れるわけはない。最終的に、私は、「自分が故人の立場だったら、どうしてほしいだろうか・・・」と自身に問うてみた。旧友との縁もなく同窓会というものに出たことがない私は考えあぐねたが、結局、「友に不義理なことはしたくないので、死んだことは伝えてほしいかな・・・」という考えに至った。そして、ハガキを左手に持ち、ボールペンを右手に握った。すると、自分の行いが知恵のある善行のように感じられて、善人になったような気分が私を包んできた。ただ、それは妙な満足感で、気持ち的な居心地の悪さがあり、長くは続かず。そのうちに、「親切を押し売っての自画自賛?」、「“故人のため”という名の自己満足?」と、心中で警鐘が鳴りはじめ、同時に、自分がやろうとしていることが余計なお節介のような気がしてならなくなってきた。仮に、故人が生きていたとしても、もう来年の同窓会は開かれない。また、疎遠や死別によって誰との縁も自然に薄らぎ消えていく。「この電話番号は只今使われておりません」のアナウンスによって、いずれ故人の死は悟り知られるかもしれない。私が、ない頭をギュウギュウ絞ってしゃしゃり出なくても、自然の成りゆきに任せておけば自然に片付く。どこに故人の尊厳を置くか、何をもって故人に対する礼儀とするか、いくつもの正解がある中で、私の考えはそういうところに落ち着いた。同窓会は、予定通り開かれるだろう・・・「最終会」ということで例年より多くの友が集まり、例年より盛り上がるかもしれない・・・想い出話にも一層の花が咲くかもしれない・・・ひょっとしたら、連絡のない故人のことが話題に上るかもしれない・・・私は、そんなことに想いを馳せながら、故人の柩に納めるかのような心持ちでハガキをそっとゴミ袋に入れたのだった。→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介38」
2025-04-15 06:00:00
2025年春、花の季節。桜が明るい話題を振りまいてくれている一方で、スギ・ヒノキは辛い花粉を振りまいている。ニュースは「例年に比べて飛散量が多い」と伝えているが、毎年、同じことを言われているような気がする。となると、年々、増加の一途をたどっているということか。眼の痒み、クシャミ・鼻水・鼻づまり等、患っている皆さんは なかなかツラそう。自然に治癒する可能性はゼロに等しいそうで、医療をもってしても治すのは難しいらしい。ある種、「不治の病」とも言えるのだろうか。幸い、今現在、私自身に花粉症の自覚はないただ、時々、目蓋(まぶた)の淵がピリピリすることはある(花粉とは関係ないかもしれないけど)。何をどう気をつけるべきなのかわからないけど、罹患発症するリスクは誰もが持っているそうなので油断はできない。できることなら、このまま花粉症とは無縁でいたいものである。訪れた現場は、住宅密集地に建つ一軒のアパート。「築浅」というほど新しくもなければ、「築古」と言うほど古くもなし。外観的には築十五年といったところか、細かなゴミが溜まったりしがちな共用部はきれいな状態を保持。こういうところからも、管理会社の仕事ぶりはわかるもの。日々の管理業務がキチンと行われていることが伺えた。目的の部屋は一階の端、オシャレな出窓がついた部屋。「そこがゴミ部屋になっている」とのこと。仕事の依頼者は、旧知であるアパートの管理会社。ある日の朝、私は管理会社の担当者と現地で待ち合わせ。「居住者とは話がついている」とのことで、そのまま部屋に入り、できるだけのゴミを片付ける算段になっていた。ゴミ問題が発覚して以降、管理会社と居住者の関係はキナ臭いものに。で、担当者は、やや緊張の面持ち。入居者と約束した時刻ピッタリに部屋のインターフォンをPushしかし、中から反応はなし。しばらくして、もう一度インターフォンをPushしかし、またしても反応はなし。担当者は慌てて居住者の携帯へ電話。ただ、ここも応答なし。「またやられたか?・・・」それまでにも、何度か面談交渉の約束を反故にされたことがある担当者の顔色は焦りから怒りへと変化。拳を固めたかと思うと、居住者を殴るかのようにゴン!ゴン!と強くドアを叩き始めた。すると、にわかに中から物音が。程なくしてドアが開き、居住者の男性がヌ~っと顔を覗かせてきた。失礼な言い方になるが、男性は、ボロを纏ったホームレスのような風貌。肌も日焼けとは違う脂っぽい褐色。インターフォンは故障し、携帯は着信音量を下げていたため気づかなかったよう。意図して無視していたわけではないようだったが、業者(私)の面前で出鼻を挫かれたかたちとなった担当者は、「業者さんを連れてきました!」「約束ですから、やらせてもらいますよ!」と、ややケンカ腰。その圧に押された男性は、気が進まなそうにしながらもドアを大きく開け、我々が中を覗きやすくするため壁際に身を避けた。間取りは1K、奥まで途切れなく重症のゴミ部屋になっていることは足を踏み入れるまでもなく分かった。発覚のキッカケは、アパートの他住人からの通報。もともと、カーテンはずっと閉めっぱなしで、それだけでも怪しかったのだが、そのカーテンも次第に汚れ破れてきて薄気味悪ささえ漂わせるようになっていた。そんな中でのある時、出窓から部屋の中が垣間見える状態になったことがあった。驚いた住人は、すぐさま管理会社へ連絡。確認要請を受けた管理会社も動かないわけにはいかず、男性に連絡をとり、部屋の状況を質問。のらりくらりと回答をはぐらかす男性からは不審なニオイがプンプンし、直接確認を要請。一方の男性は、仕事での不在を理由にして内見を頑なに拒否。その態度は、ゴミを溜めていることを自ら白状しているのと同じことで、管理会社は立ち入り調査を強硬に要求し続け、男性も躱(かわ)し続け、攻防が続いた。が、非は男性にあり、アノ手コノ手で攻勢をかけてくる管理会社を男性が防ぎきれるわけもなく、スペアキーを使って強制入室する旨の通告には白旗を上げざるを得なかった。大家は激怒、管理会社もそれに呼応し、男性に対し ただちにゴミを片付けることを要求。もちろん、部屋の清掃や内装設備の修繕も、更には、その後の強制退去をもチラつかせた。男性がやるべきことは、地域で決められたゴミ袋を買い、決められた分別で袋に入れ、決められた日時に、決められた場所に出す・・・少し面倒ではあっても、そんなに難しいことではない。しかし、男性は、それをやらない。「やる気はある」「やる」と口では言うが、実際にはやらない。管理会社が幾度となく勧告しても、まったくやらない。「やれ!」「やります・・・」「なんでやらない!?」「やりますから・・・」、堂々巡りで埒が明かず。シビレを切らしてきた大家からのプレッシャーもあり、結局、管理会社は、強制的にゴミを片付けることを決断。入室と処分について男性の同意をとったうえで書面を取り交わし、「金がない」という男性に分割弁済を約束させた上でかかる費用を立て替えることにした。とは言え、男性の資力や暮らしぶりを鑑みると、立て替え払いはハイリスク。で、組まれた予算は結構な廉価となった。借りモノとはいえ、賃貸借契約が生きている以上、男性にはこの部屋を占有使用する権利がある。また、ゴミとはいえ、室内にあるモノは、男性に所有権がある。大家(貸主)であっても管理会社であっても、勝手に立ち入ることも勝手に片付けることも許されない。ただ、大家は、ゴミ部屋を理由に賃貸借契約の解除(退去)を求めることは可能。過去の裁判例においても、「社会常識の範囲を遥かに越える著しく多量のゴミを放置する行為は賃貸借契約を解除する事由に構成するものと言わざるを得ない」(東京地裁1998年6月26日判例)と、貸室をゴミ屋敷にしてしまった場合、賃貸人は契約の解除が可能であるとしている。ただ、訴訟に発展した場合、度重なる注意の実施や裁判手続きなど長い時間・大きな労力・相応の費用が掛かるため、時間的にも精神的にもかなりの根気が必要になる。結局のところ、揉めようが難航しようが当事者同士で話をつけるのが現実的なのである。当室は、玄関上り口からゴミだらけ。裸足や靴下足では入りたくない状態、土足で入っても汚れるのは部屋ではなく靴の方。「汚いから」というだけでなく、何が落ちているかわからないので危険でもある。かといって、靴下足の男性の手前、土足で入るのは無礼なので、私はワザとらしく上履きに履き替え、「自分は外で待ってます(入りたくない)」という担当者を外に残し、「では、お邪魔します」と、異常な汚宅ではなく普通の御宅に上がらせてもらうときのような恭(うやうや)しい物腰で足を踏み入れた。一歩一歩をゴミに埋もらせながら奥へ進むと、ゴミ箱のごとき部屋が出現。床は全面ゴミが覆い、場所によって山となり谷となり堆積。多くは食品系のゴミ。弁当の容器、空缶、ペットボトル、割箸、レジ袋、小分け調味料、残飯etⅽ・・・特有の悪臭が充満するとともに、小ハエの集団が縦横無尽に乱舞。壁についた糞は、ゴミの中に無数のゴキブリが隠れていることを示唆。キッチンシンクも風呂もトイレも、真っ黒に汚れたうえゴミだらけで使用不能の状態。その惨状において、管理会社に提示された予算内ですべてを片付けるのは不可能。作業は限定的なものにせざるを得なかったが、目に見える成果をだすには男気やボランティア精神を発揮するほかない状況だった。「終わったら画像を撮って報告して下さい」私と男性の引き合わせを済ませた担当者は、そう言って現場を離脱。そして、残された私は片付けを開始。まずは、大まかに分別しながらゴミを袋に梱包。袋がある程度の数になって場所をふさぐようになったら、外へ運び出し。そしてまた梱包しては搬出し、それを繰り返した。男性と二人きりの部屋、沈黙の空気にはなかなかの気マズさがあった。特に、羞恥心や罪悪感に苛まれてだろう、男性は自分の部屋なのにスゴく居心地が悪そう。そんな空気にストレスを感じた私は、ムードを和やかにすることを模索。男性はコミ力が乏しく、人と話すのが苦手なようだったが、「捨てていい」「捨てたくない」の指示くらいはしてもらわないと仕事が進まない。私は、コミュニケーションの足掛かりにするため、どこからどう見ても無価値のゴミは独断で始末しつつ、そうでないものは、どれだけ汚く傷んでいるものであっても一つ一つ男性に伺いを立てて取捨を選択。そうしていると、にわかに人間関係ができていき、ちょっとした世間話ができるくらいの雰囲気ができていった。大人のDVDを「いります・・・」としたときは恥ずかしそうにしたが、「私でも捨てませんよ マジで」とフォローすると笑みを浮かべた。終始、男性から積極的に話しかけてくることはなかったものの、私が投げた質問以上の応えが返ってくるようになっていった。年齢は60代前半、婚姻歴はなし。仕事は運送業、中型トラックのドライバー。長距離ではないものの昼夜の交代制で休みも不規則、ブラック企業にうまく(コキ)使われているような感じ。食事は ほとんど買ってきた弁当、風呂は会社のシャワールームを時々、トイレは行き当たりばったりで会社・コンビニ・公園などを利用。出生地は現場の隣県、あちこち転々として後、このアパートに来たのは十年近く前。変な浪費癖もなく、勤勉かつ慎ましく生きてきたようだったが、資力が乏しいのは明らか。管理会社が立て替える本件の作業費も、月々の家賃に上乗せして分割弁済するようだった。口にこそ出さなかったが、男性は、前に暮らしていたところでもゴミを溜めたことがあるように思えた。そして、「もうゴミは溜めない!」と決意して、ここへ越してきたのかもしれなかった。しかし、その決意が続いたのは始めの頃だけで、次第に怠るようになり、そのうちやらなくなり、このような顛末となったよう。自分の意志が貫徹できない、自分がコントロールできない・・・私は、男性のゴミ溜め癖に、単なる意志の弱さからくるものではない何かを感じ、得体の知れない同情心と不安感を覚えたのだった。それから数か月後、別の案件で管理会社の担当者とやりとりする機会があったので、その後の男性の様子を訊いてみた。部屋を復旧させるには莫大な費用がかかるうえ、男性に賠償金を担う力がないのは明らかで、裁判して勝ったとしても実質は大家が損をするだけ。大家と管理会社は協議し、これまで、家賃の滞納が一度もなかったことを考慮して、「汚損状態のまま居住をみとめ家賃をもらい続ける方が無難」と判断したそう。もちろん、「これ以上ゴミを溜めないこと」「少しずつでもいいから掃除をすすめること」等を確約させたうえで。しかし! 「また、少しずつゴミが増えている」とのこと。もちろん、私は仕事として(金銭目当てで)関わったのだが、私なりに、少しでも男性の役に立とうと頑張ったのも事実。そして、男性が、ある意味で生まれ変わることを期待したのも事実。それだけに、その報は無念だった。と同時に、人(自分)に対する人(自分)の無力さに虚しさを感じた。意外な人が意外なことをする、正常にみえる人が異常なことをする・・・片付けたくても片付けられない、ダメとわかっていてもゴミを溜めてしまう・・・私は、これまで、数多くのゴミ部屋の主と接してきた。明らかに心身を病んでいることが見受けられる人もいたが、ほとんどの人は、一社会人として社会生活を問題なく送っている。大企業の管理職や大学の教授など、社会的に地位のある人もいたりして、無職や引きこもりの人は珍しいくらい。ゴミを溜めてしまう人の根本には自己管理能力の低さがあるのかもしれないが、ただ だらしないだけの人間なのだろうか・・・表面上、ゴミを溜めてしまうことの原因は、生活スタイルや生活習慣にあるように見えるが、“やる気”の有無だけでは片付けられない、病気や障害など身体的または精神的な事情がある場合も少なくないはず。目に見える病気や障害なら医療や行政に助けを求めることができるのだが、軽微な精神障害や知的障害は他人だけでなく自分も気づかないことがある。そして、問題が起きたら自業自得と自分を責め、社会からも自己責任とされてしまう。安易に、欠点や弱点を病気や障害のせいにしてはならないが、実のところ、その違いは紙一重、表裏一体か。人を非難するのも人ながら、人を慮(おもんばか)ることができるのも また人。社会の陰にゴミ部屋・ゴミ屋敷が多いように、人の陰にも“不知の病”は多いのかもしれない。→※現場画像「ヒューマンケアの事例紹介37」
2025-04-05 09:07:58
朝夕の通勤電車に乗ると思うことがある。みんな、疲れているように見える。ひょっとして、疲れを通り越して病んでいるのかも。特に、休み明けの月曜日にはブルーになる人が多いのではないだろうか。電車への飛び込みも、月曜が一番多いらしいし。そう考えると、正月休暇の後の仕事も、かなりキツそうだね。年末年始休暇がない私は、その点では救われてるかも。自殺・引きこもり・過労死etcこの社会には心を病んでいる人が多そうだ。そう言う私も、その中の一人であることを自覚している。自殺や引きこもりが当たり前になっている社会に寒々しさを感じるているのは私だけではないだろう。時折、過労死のネタがニュースに取り上げられる。労災認定がおりたとか、裁判で勝ったとか。労災が適用されようが裁判で勝とうが、本人が死んでしまっていては後の祭だ。社会的な意義が残るのかもかもしれないけど。「人生って一回きりなんだなぁ」としみじみ思うことがある。二度ない人生なら悔いのないように生きていきたい。しかし、現実には悔いだらけ。悔いのない人生を私は既に諦めているけど、それでもわずかな抵抗を持っている。今現在、私の両親は健在。ただ、私とはかなり疎遠。以前は、2~3年も音信不通だったことが何度かある。かつては、「もう、生きているうちに会うことがなくてもいいや」とさえ思っていた。今でも、年に一度、顔を合わせるか合わせないかの付き合いでしかない。そんな冷え切った関係だ。これは、つい何年か前の自分の誕生日のこと。仕事を通じて独自の死生感が養われている私は、あることに気づいた。「過去に何があったとしても、どんな関係だろうと、どんな感情を持っていようと、親が産んで育ててくれたから、今の自分が生きていられるんだよな」自分が歳を重ねるにあたってそう思った私は、自分の誕生日に親に電話をかけた。そして、一方的に話した。「産んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」「お互い生きているうちに、これだけは言っておきたくて・・・」私は、そう言って短い電話を切った。考えようによってはくさいセリフなのに、不思議と照れ臭さはなく、真剣に伝えることができた。ただの自己満足に過ぎないかもしれないけど、心の荷が軽くなったような気がした。そして、気持ちが暖かくなった。ズルズル引きずっていたたくさんの悔いのうちの、重い一つが消えた瞬間だった。今でも親密な親子関係とは言えないけど、「あの時、生の感謝を伝えられてよかった」と、ずっと思っている。特掃魂を育んでいくと、金には恵まれなくてもそんな恩恵に与れることがあるんだよね。話はガラリと変わる。私は、腐乱死体現場の清掃片付けを「特殊清掃」と称している。それを略して「特掃」と言っている次第。全くのオリジナル造語だ。造語は他にもある。「腐敗液」「腐敗脂」「腐敗粘度」「汚宝」「デスワーク」「未確認歩行物体」etcその最たるものは、やはり「汚腐団」「汚妖服」「汚腐呂」だろうか。それらを造語と知らないで、辞書で調べた人も何人かいたらしい。それでも意味が判明せず、過去ブログに遡る。失礼ながら、その様はちょっとオカシイ。ブログの色合いも暗い。さすがに腐乱臭まではしないまでも、陰気臭さは否めない。寒々しくもある。黒地に青文字だからねぇ。これは、管理人が選定したものだけど、特掃に妙にマッチしていると思っている。ただ、こんな画面でこんなネタばかり読んでちゃ、ますます気分はブルーになる?また、私のブログは恐ろしく地味。野暮野暮。画面上に動くモノはおろか絵文字もない。その逆に、誤字脱字はある。デジタルなのに、すごくアナログっぽい。これも趣があっていい?二重人格?一人二役?と勘違いされやすいみたいなので、あらためて案内しておく。私と管理人は全くの別人であり、全くの分業で本ブログを運営している。管理人とは、私が死体業を初めて一年後くらいから一緒に仕事をしているので、もう十何年の付き合いになる。これも一種の腐れ縁だろうか。そんな本ブログも初めての年越しを迎える。過ぎる年の終わりも、新しい年の始まりも、ブルーなスタンスを変えようがない。だだ、それを通じて人の暖を分けてもらいたいと思っている。そして、いつかは人に暖を分け与えられるくらいの人間になりたいとも思っている。今年は暖冬と言われているけど、みんなもっと心に暖をとった方がいいね。トラックバック2006-12-28 14:48:16投稿分より特殊清掃についてのお問合せはヒューマンケア株式会社0120-74-4949
2025-03-13 06:26:23
あー、憂鬱だ。私にとって、年末年始は一年を通じて最も憂鬱な時期かもしれない。クリスマス・正月、この時期の世間は華やかなお祭ムードが続く。何がめでたいのかハッキリ分からないまま、お祝いムードが続く。都内をよく走る私は、お洒落にライトアップされたホテルや町並みを毎日のように目にしているのだが、それがやたらと眩しく見える。こっちは、汚れて臭い身体で汚れて臭い荷物と一緒にドライブしているわけで・・・「俺には縁のない世界だな」と、何とも言えない溜息ばかりをついている。今更、寂しいわけでもないし、惨めなわけでもない。でも、何となく気分はブルー。今はこんなでも、子供の頃は冬休みが大好きだった。自分にとって、特に何があるわけでもないのに、世の中がHappy一色の雰囲気になるのが好きだった。では、いつ頃から年末年始を憂鬱に思うようになったのだろうか。多分、それは死体業を始めてからだ。年柄年中、人の不幸に関わっているこの仕事には、お祝いムードは合わない。年柄年中、「御愁傷様です」と頭を下げ、辛気臭い面持ちで仕事をこなす私は、お祭りムードを持ちようがない。仕事とプライベートをクッキリと区別すればいいのかもしれないけど、現実は、なかなかそうもいかない。プライベートが仕事に侵されたり、またその逆だったりと。まぁ、私の場合はプライベートが仕事に侵されていることがほとんどだ。その典型が休日数にある。一般企業だと、年間休日数は110日~120日くらいだろうか。違う?私の場合は、それを大きく下回る。これは、20代後半の頃の話だけど、一年間の休日が28日だった年もある。ある年の暮れ、「今年はよく働いたなぁ」と思いながら、スケジュール帳を遡ってみたことがあった。すると、当年に取った休暇数が28日だったのである。「たった28日?ひと月に2日余か・・・」その数を知って、我ながら驚いたものだった。若くて心身が軽かったからできたのだろう。しかし、今年も、春ぐらいからそれに近いペースで仕事をしている。さすがに、この歳になると結構疲れる。夏の盛りに、現場アパートの階段の昇降を繰り返したときは、水をかぶったような汗がでてブッ倒れそうになった。階段下の日蔭にうずくまった私は、地面に落ちる汗に色々なことを思ったものだった。「これも俺の宿命だ!修業!修業!」そう言う今も、バカの一つ覚えのように「疲れた」「疲れがとれない」と愚痴ってばかりの日々だ。そんな死体業には、年末年始も休みはない。人が死ぬのに、クリスマスや正月は関係ない・・・はずたからね。余談だが・・・「病院の延命措置と世間の大型連休は相関している」といったブラックな噂はよく聞く。「病院職員が休暇を取るために、患者の死期が作為的に操作されている」というものだ。ただ、噂は噂でしかなく、その実態は定かではないが。私も死体業のはしくれ。死人相手の仕事をやってて、年間計画が立てられるわけはない。計画が立てられないところに、死体業の面白さがあるとも言えるかも。何はともあれ、年末年始に長期休暇を取るなんて、夢のまた夢だ。この点では、各種サービス業や交通機関などで働く人達も同じような境遇だろう。ただ、私は代休もとれないうえに、やってる仕事がコレだから、なかなか明るい気持ちになれない。片や、年末年始の世間は自分の心情とは真逆をいっている。そのギャップが大き過ぎて、自分ではその溝を埋めることができないから憂鬱になるのだ。そんな年の瀬。ほとんどの人がHappyに過ごしていることだろう。そんな中でも、私のブログだけは相変わらずドヨヨ~ンとしている。新しい年に希望を持って、たまには楽しいネタを書いてみたいもんだ。トラックバック2006-12-26 22:29:57投稿分より特殊清掃についてのお問合せはヒューマンケア株式会社0120-74-4949
2025-03-10 06:19:13
毎日、新しい朝を迎えられることが当たり前になっている私。ただ、その日の仕事や天気・眠気などによって起床することが辛く思える日がほとんど。気分が低滞していると「夜が明けなければいいのに・・・」とさえ思ってしまう。しかし、世の中には朝を迎えたくてもそれが許されない人達がいる。予期せずして朝が与えられない人達がいる。また、いずれこの私もそういう日が来る。死は必然だ。「まさか」のことじゃない。その日の朝も、気分が浮かない目覚めだった。睡眠不足のはずなのに、やたらと早く目が覚めてしまった。就寝中、唸されたような記憶と季節外れの寝汗が、この日に起こる出来事を予感させた。「ひょっとして、昨夜の電話は悪い夢だった?」一瞬、気持ちが緩んだ私だったが、残された自筆のメモが一気に気持ちを引き締めてくれた。書かれた内容が結構グロかったため、思わず溜息がこぼれた。「やっぱ、現実か」「気合を入れて行ってくるか!」私は、自分に喝を入れた。現場は、公営の団地だった。私は、かなり緊張していた。汚腐呂掃除の経験は随分と積んできてはいるものの、「死後二ヶ月」というのは記憶になかったからだ。ドキドキする心臓を落ち着かせて、玄関前で深呼吸。それから、隠してあった鍵を使って開錠。誰もいるはずもない部屋に、例によって「失礼しま~す」と言いながら上がりこんだ。その動きはロボットみたいにぎこちなく、腐乱臭も気にならないくらいにワナワナしていた。浴室の場所はすぐに分かった。アレコレと考え始めると、ドアを開けるのに躊躇するばかりなので、何も考えないようにして一気に入口の扉を開けた。「うぉっ!これか!」浴室内には独特の腐乱臭が充満しており、浴槽には真っ黒な汚水が溜まっていた。そして、表面には黄色い厚みを持ったおびただしい数の脂玉が浮遊。私がこれまでに何度も遭遇してきた汚腐呂のそれより明らかに色が濃く、透明度はほとんどゼロ。「これが二ヶ月モノか・・・」浴槽の縁や浴室の床のあちこちには、焦げ茶色の干からびた皮膚とが腐敗液が付着。浴槽内部以外の汚れは、遺体(遺骨?)搬出の際にできた汚れのようだった。ちなみに、同じ腐乱でも、臭汚腐呂の臭いと汚腐団などの陸地の臭いは似て非なるものなのである。当然、両方ともかなりイッてる臭いなので、「こっちがマシ」とか言えるレベルではない。私は、器具を使ってゆっくり汚水を掻き回してみた。明らかに、元固形物(人間)だったであろうドロッとした黄土色の沈殿物が底の方から舞い上がってきた。何と言ったら分かるだろうか・・・ま、分かり易く説明する必要はないか。「これは何?ここはどこ?俺は誰?」私の中で、嫌悪感と特掃魂が戦っていた。「大丈夫?」(俺)「あんまり大丈夫じゃない」(隊長)「やれそう?」(俺)「分かんない」(隊長)「二ヶ月経つとこうなるのか・・・」(俺)「・・・だな」(隊長)「断る?」(俺)「それをやっちゃ男が廃るだろ」(隊長)「じゃ、どうすんだよ」(俺)「考えるしかない・・・あとは根性」(隊長)「でたー!困ったときの根性頼み」(俺)「やっぱ、最後はそれしかないだろ」(隊長)私は、依頼者に電話した。依頼者は弱々しかった。身内をこういう亡くし方しただけでもショックだろうに、急かされる事後処理に心身ともに疲れていると思われた。私に対してもすごく申し訳なさそうに話す依頼者に、私は特掃魂に火をつけざるを得なかった。人の役に立ってお金までもらえるんだから、特掃冥利に尽きるってもんだ。「二ヶ月と聞いて驚きましたけど、たいしたことなかったですよ」「似たような現場を何件もこなしていますので大丈夫です」「安心して待っていて下さい」依頼者の心的重荷を軽くするのも大事な仕事。↑こう言うと少しはカッコいいけど、実は、そうすることによって私は自分を追い込んでいくのだ。そうして自分の逃げ道を塞ぎながら、特掃の切り札である最後の根性を引き出すのである。その後の作業は複数日に渡って行った。過酷・凄惨を極めたことは言うまでもない。その詳細を記すのは、しばらく後にしよう。クリスマスイブには似合わな過ぎるネタなんでね。そう、今日はクリスマスイブ。街は、きらびやかに飾り立てられている。それにしても、キリスト教徒でもないのに、世間(皆)が「メリークリスマス!」ってお祭り騒ぎしているのが、私には少々滑稽に映る。浮かれ気分も悪くないけど、こんな日くらいは、イエス・キリストを覚えてみてもいいかもね。私は、今夜はマーボー豆腐でも食べながら安焼酎でも飲むかな。MerryChristmas!PS:「マーボー豆腐?」ってピンときた貴方は特掃通!トラックバック2006-12-24 10:04:01投稿分よりお風呂掃除でお困りの方はヒューマンケア株式会社0120-74-4949
2025-03-05 06:21:24
真夜中、一本の電話が入った。就寝中だった私は、寝ボケたまま電話を取った。夜遅い電話の場合は、「夜分にスイマセン」と言ってくれる人が多い。その一言があるのとないのでは、目覚めの気分が全然違う。しかし、この電話の主からは、その一言はなかった。ただ、声のトーンや口調から、社交辞令が言えるほどの余裕もないことが伺えた。「風呂場で身内が死にまして・・・」「浴槽の中でですか?」「ええ・・・」「水は溜まったままですか?」「ええ・・・多分・・・」「水は抜かないで、そのままにしておいて下さい」「はい・・・」私は、浴室腐乱につきものの細かい注意点をアドバイスした。「特掃」と一口に言っても、現場の状況や依頼者の事情等によって柔軟に対応できる臨機応変さが大切。それができるのとできないのでは、仕事の中身や成果が大きく違ってくる。しかし、この類は単なるマニュアルや机上論ではカバーしきれないもの。やはり、経験と平素の姿勢がモノを言う。そこに特掃隊長の価値がある(自画自賛)。「死後、どれくらい経ってましたか?」「ニカゲツ・・・警察からはそう言われました・・・」「え?何日って?」「二ヶ月・・・」「ニ?ニ・カ・ゲ・ツ?・・・まさか・・・二週間の間違いじゃないですか?」「いえ、二ヶ月で間違いありません」「え゛!」私は、絶句した。浴槽に浸かって二週間程度経過した現場はそう珍しくない。とは言え、それでも充分過ぎるほどベリーハード!それが、この時は「二ヶ月」ときた。浴室特掃と死後二ヶ月現場の経験・記憶を総動員して、この現場を想像してみた。モヤモヤモヤモヤ・・・私の頭には、モノ凄くヤバい状況が浮かんできた。「イカン!これは、ヤバ過ぎる・・・」プルプルプル私は、想像してしまったモノを保存せず、さっさとゴミ箱に入れた。「なんでそんなになるまで発見できなかったんですか!?」興奮した私は逆ギレしそうになり、思わずそんな無神経な言葉を吐きそうになった。かろうじて、その言葉を呑み込んだ私は悩んだ。「二週間だってよぉ、どうするよ」(俺)「かなりヤバそうだよな」(隊長)「正直、気が進まないよ」(俺)「でも、とりあえず行ってみるしかないだろ!」(隊長)「え?行くの?」(俺)「他に頼める人がいないらしいんだから、俺が行くしかないだろ!」(隊長)「無理無理無理無理、無理だよぉ」(俺)「じゃ、どうすんだよ」(隊長)「適当なこと言って断っちゃえよ」(俺)「せっかく頼りにされてんのに、そんなことできる訳ないだろ」(隊長)「じゃ、やりたいの?この現場」(俺)「やりたかないけど、それが俺の仕事だろ?もともと、腐乱現場の片付けが大好きでやってると思ってんのか?」(隊長)「違うの?」(俺)「そんな訳ないだろ!」(隊長)「冗談、冗談」(俺)「とにかく、やるしかない」(隊長)「恐いなぁ・・・」(俺)「やれるかやれないかは、とりあえず行ってみてから決めても遅くないさ」(隊長)「そうだな」(私)「こんな俺でも人様が頼りにしてくれる価値があるんだから、逆に感謝しないとな」(隊長)「強引な解釈・・・お前、ホントはそんなポジティブキャラじゃないはずだろ?」(私)「ウルセー!バカにならなきゃやれないだろ?お前こそ、脳を止めとけよ」(隊長)「そりゃそうだ」(私)「よっしゃ!とりあえず、行くだけは行ってみよう!」(私・隊長)電話の主に現場を直接見たかどうかを尋ねてみたら、警察から「見ない方がいい」と言わたので見ていないとのことだった。「それだけ凄まじいってことか・・・」現場(浴槽の中)の様子を少しでも知りたかったのだが、それも叶わずに不安ばかりが募ってきた。しかし、依頼者も困りきった様子で、話しているうちに気の毒に思えてきたのも事実。私は腹をくくり、翌日、現場に行く約束をして電話を終えた。布団に戻った私は、汚腐呂のことで悶々としてなかなか眠ることができなかった。「人間スープが腐ったのが、腐った人間がスープになったのか・・・二ヶ月とは・・・まさかなぁ・・・」トラックバック2006-12-22 15:13:40投稿分より浴室清掃でお困りの方はヒューマンケア株式会社0120-74-4949
2025-03-04 08:31:22
clean110
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