次々と誕生するタレント議員たち
日本で初めてタレント議員が生まれたのは、昭和21年(1946年)4月のこと。時の演歌歌手・石田一松(享年53)が戦後初となる衆議院議員選挙に立候補し、見事当選。晴れて芸能出身者として国会議員の第一号となった。
同選挙には後に首相を務める鳩山一郎(享年76)、60年に日比谷公会堂での演説中に右翼少年・山口二矢によって暗殺されることとなる浅沼稲次郎(享年61)も出馬し、石田氏同様に当選を果たしている。
石田氏は選挙中、自身の持ち歌をもじって「地盤(組織力)と鞄(資金力)は有りませんけど、看板(知名度)だけなら日本中、のんきだね~」と歌ってアピールしていたという。
その歌詞通り、現在も政界では途切れることなく、タレント議員たちが誕生し続けている。山本太郎議員(49)、三原じゅん子議員(59)、今井絵理子議員(40)、生稲晃子議員(56)…。彼ら彼女らも当選直後はタレント議員と呼ばれた面々だ。最近では歌手の中条きよし議員(78)が日本維新の会から立候補し、22年の参院選で議席を獲得したのは記憶に新しい。
遡ること約10年前、当時俳優のA氏(50)もタレント議員としての門前に立った一人だった。冒頭の情景描写は、そんなA氏を政界に誘う第一歩とも呼べる場面だ。
いかにしてタレント議員は誕生するのか。A氏の一例ではベールに隠された交渉劇が垣間見える。本人が続ける。