なぜ彼女は一人泣いていたのか ①
頭が痛い。 そこらかしこから聞こえてくる蝉の声が酷くうるさい。
遠くの景色が揺らいで見えるのは陽炎か、それとも私の目がおかしいのだろうか。
頭が痛い、張られた頬が熱い。 既に太陽は地平線に沈みかけて、大地を橙色に染めていた。
「……逢魔が時、一説によれば魔物が活発になる危険な時間帯」
ぼうっとした頭のままで夕焼け空を眺めていると、私の口からは自然と台詞が紡がれていた。
お母様に叱られながら一生懸命覚えたセールストーク。 魔物に襲われたら大変だから祈りましょう、皆の無事を祈りましょうという言葉を可能な限りありがたく、かつ難しくした台詞だ。
お蔭で私は覚えるのに苦労したが、お母様はこれを1週間で覚えたの言うのだから凄まじい。
見習わなければいけない、私はダメな子だから。 好く振る舞わなければいけない、私は悪い子だから。
でもお母様、私こんなに上手に喋れるようになりました。 もうめったな事では噛まないですし、こんな長台詞だって一人で話しきれます。
「……だから、褒めてほしいなぁ」
そんな願いを持つのは欲が過ぎるのでしょうか
「……輝鏡さん?」
「へぁ……?」
不意に掛けられた声に間抜けな声が飛び出してしまった。
膝小僧にうずめていた顔を上げると、和装の少女が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
藍染が綺麗な侍袴に鞘を差し、夕日を背にしてなお汚れない存在感を放つ凛とした青い瞳。
頭に巻いた鬼の角のような意匠が生えた鉢金はいつ頃からか身に着けた、魔法少女として強化された彼女の象徴だ。
「……ラピリス、さん? ぁ、いや、その……へ、変な所見せちゃいましたね!」
「泣いていたのですか」
慌てて涙のたまった顔を隠すよりも早く、ラピリスさんの細い指先が私の目じりを拭った。
必然的に近くなる距離から見つめる彼女の瞳は宝石のようにきれいで、同性なのについ頬が赤くなる。
流石東北カッコいい魔法少女ランキング1位、あまりにも自然な仕草で反応することもままならなかった。
「……頬も赤い、熱も帯びていますね。 何故泣いていたのか聞いても良いですか?」
「ひゃ、ひゃえ……い、いいいいえこれはその……!」
涙を拭った指先がスッと降ろされて頬に触れる、まるでおとぎ話の王子様のようだ。
だけど頬が赤いのは半分ぐらいあなたが原因だと思います、なんて言う訳にもいかずしどろもどろな言葉しか出てこない。
それに、もう一つの理由についても話すほどの事ではないのだから。
「本殿での出来事は聞きました、隠さなくても大丈夫です」
「……あはは、は。 そうですか、知っていましたか」
それはそうだ。 お母様とのやり取りは魔法局の人も見ていて、注目も集めていた。
だとしたらおしゃべりな誰かがつい漏らして、魔法少女の耳に入るのもおかしいことではない。 いやはや本当に……
「お恥ずかしいばかりです、私が不出来なせいでラピリスさんに変な話を聞かせてしまいましたね」
「……輝鏡さんは、自らに落ち度があったというのですか?」
「はい、お母様に怒られるような真似をした私が悪いんですから」
そう答えると、何故だかラピリスさんはとても悲しそうな顔を見せた。
どうしてなのか、私がまた何か粗相を働いてしまったのだろうか。 ああ、やっぱり私はダメな子だ
「……あなたの、母親の仕打ちが間違っていると思った事はないですか?」
「ないです、多少手厳しいかもしれませんがお母様も私を思っての事だからといつも言っています」
「それは――――……」
何かを言おうと口を反芻させ、それでも何も言えずにラピリスさんが口ごもる。
どうにも私は彼女の手を煩わせてしまっているようで、酷く申し訳ない。
「えっと……ごめんなさい、泣いていたのは私に堪え性がないだけです。 これも立派な巫女として勤めるための試練、弱音は言いっこなしですね!」
「……そう、ですか」
どうしよう、空元気を奮ってみたが一向にラピリスさんの顔は晴れない。
「私も人伝に聞いた話でその実情は知りません、しかしこうして輝鏡さんの怪我の具合などを見ると、正当な体罰とはとても思えないのです」
「体罰だなんて……そんな大げさなものじゃないです、この程度明日には消えてます。 へっちゃらです!」
ちくちくと胸の内が痛む。 吐き出せない何かが喉の奥でつっかえているような気分だ。
私は問題ない、何も心配はいらない。 だからそんなに悲しい顔をしないでほしいのに。
「分かりました。 ……しかし、辛いことがあるならすぐに教えてくださいね。 明日の進行に支障があってはいけませんから」
「は、はい! ありがとうございます!」
――――――――…………
――――……
――…
「私は……駄目な魔法少女です……」
「急にどうしたよ、アオ」
祭りの準備も終え、自宅にてテーブルに顔を突っ伏していると慈悲深くも優しきお兄さんが話しかけてくれた。
店の裏口から帰って来たばかりのお兄さんの腕には食料品が詰められた紙袋が抱えられている。
ああいう時は何か新メニューを考案しようとしている、味見と称して美味しい思いをできるかもしれないが、今はそういう気分でもない。
「どうした、落ち込んでるようだけど祭りの会場で何かあったか?」
「ええ、色々と……自分の無力さを痛感してしまいました」
境内の裏で見た輝鏡さんの涙が忘れられない。
彼女は誰かに助けを求める事も無く、たった一人で泣いていた。 実の親に振るわれた暴力を隠すように。
「……私には分かりません、輝鏡さんの思う所が」
「輝鏡……ああ、あの子か」
「……? お兄さん、彼女と面識があるのですか?」
「え゛っ、あ、ああちょっと前に新聞か何かでチラッと見たような事があるような気がしてな、うん」
ふと、調理場から聞こえてくるお兄さんの規則的な包丁の音が乱れた気がしたが、気のせいだろうか。
「それよりも、悩みごとがあるなら聞くよ。 アオがそこまで落ち込んでるのも気になるしな、何があった?」
「……ええ、実は……」