なにがなんでも生きるのだ。
明るく生きる秘訣は街行く人と目を合わせないこと。目は脳。変な人と目が合うと脳が一致する。こどもや花や犬や猫などの動物はOK。無垢に純粋になる。明るく生きている人には二種類いる。宝石のような瞳をした人と、木炭のような瞳をした人。宝石は生きているが、木炭は死んでいる。木炭は怖い。ブラックホールのように吸い込まれる。だから逃げる。戦わない。救わない。助けを求められても「俺には無理」と逃げる。木炭は私の管轄ではない。管轄外の仕事は引き受けない。
BGMがかかっていない飲食店を探す。ノイズの中に置かれると本当の音楽が聞こえない。店主おすすめの選曲とかどうでもいい。無音が一番勇気が要る。有線もない。ラジオもない。当然、テレビもない。無音を選べる店主の器はでかい。余計な装飾は要らない。余計なごまかしは要らない。無音を選べないからノイズが増える。ノイズが多い人や場所にいるとズレる。ズレるから離れる。自分が離れる。愛せないものを愛そうとしない。愛せないものからは離れる。愛せる場所に行く。
正々堂々なんてものはない。誰もがルールを押し付け合っている。正々堂々やりなさいとか、卑怯な真似をするなとかは、敗者の戯言。どのような手段を使っても勝つ。なにがなんでも生きる。それが勝負の世界。美しい負けとか、正しい負けとかはない。優しい世界になればいいとか、正直者がバカを見ない世の中になればいいとか、戯言。生き残ることに命を賭ける。真面目な人間が報われないのは、真面目な人間が損をする世の中になっているから。真面目であることをやめて、汚れることを自分に許した人間たちが、真面目しかない人間たちから奪い取る。彼らはリスクを取っている。真面目な人間は、真面目に寄り掛かり、リスクを取らない。既存の価値を超えていかない。
人間は平等ではない。金持ちもいれば貧乏人もいる。デブもいればブスもいる。平等にしがみつくと不幸になる。義務や権利を主張していると、誰かに何かをしてもらうことが当たり前になる。平等とは、全員同じ顔になること。画一的な枠に押し込めて、同じ顔に矯正をすること。いたずらに秩序安寧を押し付けられる世の中で、何が面白くて生きながらえようか。対等とは、同じフィールドで戦うこと。自分の言葉を語ること。自分の歌を歌うこと。自分の踊りを踊ること。自分と言う王国のたった一人の国王になること。自分の領土を守ること。誰の支配も許さない。決して明け渡さない。国王にふさわしいことだけを行うこと。
世界は可能性に満ちている。良くなる可能性。悪くなる可能性。出会う可能性。見つかる可能性。可哀想な人間とは、可能性を投げ出した人間だ。哀れな人間とは、他人の評価に縛られて、自分の言葉を失った人間だ。家畜の幸福にしがみつき、家畜の健康に甘んじる。家畜が家畜を量産して、自由に生きようとする人間を「ひとでなし」と罵倒する。永遠の若さを保つ者は、不潔な思想に反発し、自分の歌を歌うことで抵抗を続ける。自分の踊りを踊ることで抵抗を続ける。幸も不幸も余すことなくたいらげて、自分の歌にする。自分の踊りにする。重い時代を軽やかに生きる。固い牢獄を粉々に砕く。つまらないことをやっている場合じゃないんだよ。なにがなんでも生きるのだ。
おおまかな予定
8月30日(土)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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