今の車はどうか知らないが、
かつての二輪車を指すなら
ば、私はヤマハの車が一番
優れていると思っている。
人が乗る事を前提とした二
輪作りをしていたのがヤマ
ハだったからだ。
機種は時代とともにばらば
らだが、国内4社の二輪車
を所有して乗ってみて、各
社のモノヅクリの方向性の
違いというのは色濃く出て
いた時代だった事もあり、
とても勉強になった。
これまで一番所有して乗っ
ているのが多いメーカーは
カワサキだが、それは私が
カワサキというメーカーが
好きだからカワサキを選ん
でいる。
私の場合、英国風味のメグ
ロからの流れのカワサキや
ビッグ4ストのカワサキで
はなく、1970年代後半から
1980年代前期にかけて世界
グランプリ350/250で圧倒的
だったカワサキの2ストが
たまらなく好きでしかたな
かった。
マッハに乗っていても、カ
ワサキのマルチ2ストより
もパラツインのカワサキ2
スト市販車を待ち望んで
いた。
実際には、YUZOさんさえ
も興味津々だったタンデム
ツインが出た時には、ロー
タックスとは異なる中味だ
ったのでKR250は買わなか
ったのだが。
KR-1登場の時などは、先日
亡くなった旧友が私に「ヤ
マハのTZRとおんなしだぜ」
と言ったのが歯止めになっ
て逡巡して買いそびれた。
ようやくKR-1を手に入れた
のは1988年から30年の歳月
が流れていた。
乗ってみたらヤマハとは近
似だったが別物だった。カ
ワサキの出来の良さにぶっ
たまげた。
そういえば、セカンドバイ
クで通学用に買ったカワサ
キのAR50も極めて完成度が
高い二輪だった。
私がKR-1を入手しようと決
めた時、古い二輪乗りの友
人が「ヤマハを捨てる気な
んだな」と言った。
別にそんな事は無いって(笑
他の何人かにも同じ事を言
われた。
かみさんにさえ言われた。
私はずっとヤマハのイメー
ジだったのだそうだ。
いや、二輪車のクルマとし
てはヤマハが最高だとは今
でも思ってますよ。今のレ
ースで転ぶヤマハは知らな
いが。
カワサキはメーカーの気概
が好きだったのでカワサキ
を選んで乗っている。
ただ、総合的な二輪作り、
モノヅクリの方向性と姿勢
でいったらヤマハの車が良
いし好きだ。
カワサキも機種によっては
車単体でも滅茶苦茶いいけ
どね。
意外と車はスズキがかなり
良い。
ホンダは私はハンドリング
に何の問題もない2スト小排
気量車以外は、私は乗りこ
なせない。極端に曲がらな
いオートバイ勢ぞろいがホ
ンダだからだ。
ホンダのバイクが良く曲が
るとか言う人は、よほど長
けたレーシングライダーか
もしくはド素人だ。
有名なロードレーシングラ
イダーたちでさえホンダの
二輪は曲がらない、と口を
揃えて言ってる。
そして、実際に市販車のホ
ンダ車は曲がらない。
CMに出ながら、実際には
個別には「こんなん乗って
たら死ぬわ」とまで公開で
きない本音のところでは言っ
ていた超有名プロライダー
もいた。
それほど、ホンダのバイク
は曲がらない。
名車MT125レーサーがあれ
程良好ハンドリングを持っ
ていたのに、ホンダの排気
量が中型以上のバイクは曲
がらない。
私は曲がらないオートバイ
をあえてイメージとか作ら
れた神話に乗っかって乗り
たいとは思わない。いくら
外見が最高にカッコよくと
も。
実際に所有せずとも、いろ
いろホンダの二輪に乗らせ
てもらって、「これまっがら
ね。なにこれ」と思う車だ
らけだった。
ホンダ乗りの人たちはうま
く乗るんだなぁ、とも思っ
た。
私の技術では自由自在に、
ヤマハやカワサキみたいに
手足のように扱うのは困難
だった。
ゆえに今でもホンダのオー
トバイを自分から買い求め
ようとは思わない。一部の
特定機種を除いて。
原付でいえばMBX50などは
史上最高最強の原付50のロ
ードスポーツモデルだった。
これはいつも乗ってみて、
そのたびに感じ入った。最
高のオートバイってこれだ
な、と。
だが、250以上になるとホン
ダは走行技術力開発がガタン
と落ちて、曲がらなく走らな
い二輪ばかりになっていた。
NSRでさえもてんで曲がらな
いエンジンだけ世界一大将
のバイクだった。いや、これ
ホントの話。
それを曲がるとか言うとし
たら、世界トップレーシン
グライダーかもしくは全く
二輪の事が見えない、理解
できないド素人だ。
ヤマハのオートバイは今で
も好きである。
ただ、メーカーの存在とし
ては二輪専門メーカーでは
なかったアマチュアのよう
なカワサキ、気概を見せる
カワサキ、チャレンジ精神
を忘れないカワサキ、漢気
のカワサキ、そうしたカワ
サキが私は好きだ。
ただ、ヤマハについては、
歴史上世の中に2台しか存在
しなかった幻のヤマハ2スト
50cc2気筒ワークスマシンの
うちの1台を16才の時に毎日
のように手に触れて、そして
磨く事もできたのは、この上
ないラッキーだったと思う。
そうした経験は他の人は滅
多にできないだろうから。
ヤマハのワークスレーサー
はとてつもなく美しいマシン
だった。
レーサー保管庫で、そのワー
クスマシンは完全整備状態
でTD-3の横に置かれていた。
TD-3は1972年にヤーノ・サ
ーリネン、1973年にディー
ター・ブラウンによって世
界グランプリ250チャンピオ
ンに輝いたマシンだった。
1971年登場。1974年当時、
「世界最強のロードレーサ
ー」と呼ばれていた。
ヤマハが世界の絶対王者に
君臨し始めた頃の事だ。
「レースマシンはヤマハ」。
この意識が中学生だった私
には強く刻まれたのだった。