(インタビュー)反対意見、書き続けたのは 元最高裁判事、東京大学名誉教授・宇賀克也さん
最高裁判事を6年余り務めた宇賀克也・東京大名誉教授(70)が7月、判事を退官した。個性が見えづらいと言われる裁判官にあって、裁判官個人の意見を判決や決定で示す「個別意見」で自身の考えを積極的に打ち出し、異彩を放った。在任中は何を考え、数々の司法判断に向き合ってきたのか。話を聞いた。
――裁判官として、個別意見、特に反対意見を多く表明しました。学者としては「保守的」との評価もあったようですが、何か心変わりでも?
「それは全くないですね。私は行政法学者で、最高裁が直面する憲法問題について発言する機会が、そもそもほとんどありませんでした。実際に法律をつくることも大切ですから、政府に協力する形で審議会にも出ていましたし、学界では確かに『中立的』と言われることもありました。ただ、自分自身の考え方は全く変わっていません」
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――どんな姿勢で裁判官の仕事と向き合ってきましたか。
「裁判を起こす人は、一件一件本当に大切な思いを持って裁判所に来ています。十分に考えてベストと思える結論を出そうと努めてきました」
――裁判官と研究者の違いは感じましたか。
「裁判官の判断というのは、まさに公権力の行使です。人の人生に直接的に影響を与えます。特に、再審事件は人の生命や自由を奪いかねない怖さがあります。研究者であれば、論文を書いたとしても、直接的に人の命や自由を奪うことはありませんから。そうした意味でも『慎重の上にも慎重に』という意識を持っていました」
――最高裁の裁判官15人には、裁判官出身のほか、弁護士や検察官、行政官出身の人もいます。その中で、宇賀さんはほかの裁判官と比べて個別意見が飛び抜けて多かったです。
「裁判所法11条では『裁判書には、各裁判官の意見を表示しなければならない』と書かれています。法廷意見(多数意見)に自分の意見が含まれていれば、それ以上に何かを書く必要はありません。ただ、結論は一緒でも理由が違えば、意見はきちんと述べるのが義務です。『たくさん意見を書いてやろう』という意識は全くありませんでしたが、結果として数が多くなったということでしょう」
――ただ、反対意見が多かったのは、ほかの裁判官を説得できなかった結果とも言えます。
「最高裁に来る事件は年間1万件を超え、一つの事件にかけられる時間は限られています。そうすると、ある時点で多数決にならざるを得ない。説得できなかったと言われれば、私の力不足と言わざるを得ません」
――多数を形成できなければ影響力を持つ判例にはなりません。それでも反対意見を書き続けたのはなぜでしょう。
「意見を読むと、結論に至るまでに裁判官の間で交わされた議論の様子が垣間見えます。それは司法への信頼につながります。また、ある時期の反対意見が、その後に多数意見になった例は決して少なくありません。さまざまな議論の材料になりうる点でも、反対意見を丁寧に書いておく意味はあります」
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――裁判官15人全員による「大法廷」の審議となった夫婦別姓訴訟では、他の裁判官と共同で、現行制度を違憲とする反対意見を出しました。
「この問題は、国会で解決するのが一番です。ただ、なかなか国会が動かず、当事者は最後の頼みの綱として裁判所に来たわけです。私は、そうした声を受け止めて判断すべきだと思いました」
「一番大きいのは、アイデンティティーの問題です。今の制度では、自分が慣れ親しんできた名前を夫婦のいずれかが変えなくてはいけない。あくまで当事者の選択の話なので、それを認める社会であってほしいとの思いで反対意見を書きました」
――1966年に起きた静岡一家4人殺害事件では、昨年に無罪が確定した袴田巌さんの再審請求について「すぐに再審を開始すべきだ」と反対意見を出しました。
「DNA型鑑定の信用性が争われたので、医学や自然科学の論文などにも目を通し、国立国会図書館に通って多くの本を読みました。結果的に袴田さんは無罪になりましたが、最も時間をかけた事件です。反対意見をつけたのは、いたずらに時間をかけて救済を遅れさせてはならない、との思いからでした」
――昨年7月には、障害がある人たちに不妊手術を強いた旧優生保護法を違憲として国に賠償を命じる判決もありました。
「当事者が人生を奪われた悲惨さを感じました。不妊手術は自らの意思に関わらずされたこと。しかも、それが戦後に起きた出来事なのが、衝撃でした」
「裁判長として担当した生活保護費の引き下げをめぐる裁判もそうですが、法廷での弁論で、当事者の切実な声を聞いて心を動かされることはたびたびありました。国会(立法)も内閣(行政)も頼れない人たちが、最後の救済を求めて裁判所に来ます。そういう人たちの意見を真摯(しんし)に聞いて救済することが大事だと考えてきました」
――旧優生保護法を違憲としたように、裁判所は、国会が作った法律が憲法に違反していないかを判断する「違憲立法審査権」を持ちます。その中でも最高裁は最終的な権限を持つため「憲法の番人」と呼ばれます。
「この重要な権利をどのように行使するべきかはいろいろな考え方があります。裁判所は、よほどのことがない限り、国会がやることを尊重するべきだという考え方もありますが、私自身は、裁判所が違憲な法律については積極的に判断をして、その重要な役割を果たすべきだと思っています」
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――最高裁の裁判官は膨大な件数の事案を扱うこともあって、記録を精査する調査官が実質的に判断しているのではないかとの批判もありますね。
「調査官は優秀です。調査官がつくる報告書には、説得力があります。ただ、それをうのみにしてはいけません。判断するにあたっては、専門家の意見書や、過去に出された判決の意義を解説した『判例評釈』など、さまざまな資料に目を通すように意識しました。調査官の報告を絶対視することはなかったし、資料の読み込みには多くの時間を費やしました」
――2021年には、最高裁の裁判官を市民がやめさせるか決める国民審査も受けました。
「最高裁判事は、直接国民の投票で選ばれているわけではありませんから、国民審査の制度があることが、民主的正当性の基盤になります。裁判官に対する強力なリコール(解職請求)の制度で、意味があります。就任後最初の衆院選の際に審査を受けるのですが、就任後すぐに審査が行われる場合もあり、国民としては何を判断材料にしたらよいのか分からないこともあります」
――改善の余地はあるでしょうか。
「判事の任命から2年経過した後の衆院選または参院選の際に審査する方法が考えられます。ただ、実現には憲法改正が必要です。運用でできる改善もあります。例えば、審査公報の充実です。裁判官出身の最高裁判事であれば、地裁や高裁で関わった主な判決を載せる。学者出身なら、過去に書いた判例評釈を紹介するとか。いずれにしても、今のやり方は国民への情報提供として問題があります」
――宇賀さんが考える司法の役割とは。
「多数派や力のある人は、国会に影響を与えることができます。例えば、自分たちに有利な形で法律を作ってもらうこともできます。でも、社会的弱者や少数派の人々に力はありません。そういう人たちの権利を守るのが司法、特に最高裁の重要な役割です」(聞き手・米田優人)
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うがかつや 1955年生まれ。専門は行政法。94年に東京大大学院教授に就任し、内閣府公文書管理委員会委員長などを歴任。2019年3月~今年7月、最高裁判事を務めた。
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