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私にもう1つ「実家」ができた話

こんにちは、木暮です。
しばらくnoteを動かしていませんでしたが、最近、自分の人生にとって大きな出来事があったので、文章で残しておこうと思い立ちました。

自分の人生にとって大きな出来事
それは

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私のために開いてくれた壮行会(平日ど真ん中)

8年半住んだシェアハウスを出た、ということです。

シェアハウスに入る時、そして入ってからお世話になったシェアハウス内外の全ての方にこの場を借りてご報告・御礼申し上げたいと思います。

私は今32歳なので、実に人生の1/4をシェアハウスで暮らしたことになります。
本当に、一言で言って最高の日々を送らせていただきました。

シェアハウスに住んだのは、大学卒業間際のタイミングでしたが、学生時代ならまだしも、社会人になってから「シェアハウスに住んでいる」と言うと、周囲の人からはかなり新鮮な反応がありました。

※新鮮・・・怪訝そうな

でも、驚くなかれ。
うちのシェアハウスは、一般的に皆さんの想像する「シェアハウス」とは少し違っている、本当に素敵なお家なのです。

今回、8年半住んだシェアハウスがどんなものだったか、お世話になった方々のために、自分のために、そして、シェアハウスって一体何なの(ドキドキ)と思う方々に向けて、簡単に書いてみたいと思います。

シェアハウスとの出会い、そしてその生活

「シェアハウス興味ある人いませんか?ルームシェアで家賃4万円。ロケーションは西新宿。」

早稲田大学の友人のツイートを一目見て、まず、
「家賃やっす!!!!」と目を見張りました。

正直、住環境にそこまでこだわりがなかった私は、まずその家賃に引かれ、大学時代に憧れつつも達成できなかった「シェアハウス」というワクワクする字面に大いにときめきました。

急いで「興味ある!!」と友人にリプを返し、即刻紹介してもらったシェアハウスの家主は、これまた早稲田大学の先輩夫妻でした。
(先輩夫妻と私は大学の在学期間が被っていないのですが、お二人とも偉大な先輩で、特に夫の方は私の在学中からそのお名前と大学での偉業を耳にしていました・・・!)

挨拶したことはあるものの、「会ったことある」とまでは言えないような、そんな間柄。

でも、友人を通じて繋がったその縁は、ただ「会ったことある」というものどころか、最終的には「家族」とも言っても過言でない関係性にまで発展していくのでした。

実際にシェアハウスへ見学に行って、家そのものの雰囲気や、友達同士で住む楽しい合宿みたいなノリがとても気に入り、その場で「ここに住みたいです!」と高らかに宣言した覚えがあります。

※便宜上、私は夫妻のことを「家主」と呼んでいますが、建物のオーナーではなく、シェアハウスのリーダーみたいな感じです。

ちなみに、シェアハウス、と一口に言っても、世の中には様々な形態のシェアハウスがあります。
・友人のみでやっているシェアハウス。
・同じ志を抱く仲間とやっている、意識高いシェアハウス。
・ビジネスでやっていて、家主が経営することで成り立つシェアハウス。
・家をシェアするけど、住人とは関わりがないシェアハウス・・・等々。

私が住んでいたシェアハウスは、主に住人やその友人の紹介によって住人を集めていて、家主は儲けを出していません(何なら赤字?)。

そして、我が家の雰囲気は「テラスハウス」

・・・ではなく、もはや実家のような感じ。
住人との関係はほぼ家族のような、大変居心地の良いものでした。

そして、シェアハウスというと、掃除当番やルールがあるイメージをされる方もいるかもしれませんが、私が住んでいたシェアハウスには、いわゆるルールというものがありませんでした。

私の住んでいた「東京フルハウス」がどういった雰囲気なのか、この住人募集記事を見ていただくとよくわかると思います。
※去年の記事。今はほぼ満床だったはずなので、住人募集はしていないはず・・・(最近お部屋が空かないくらい人が来てくれるのです。)

ルールがなくても家が回るというのは、どの家庭やシェアハウスでも言えることですが、住人一人一人の思いやりと感謝があってこそ、ということのようでした。

我が家のユニークネス

小さい子どもたち

シェアハウスに住んでいる、と職場の上司や同僚に話すとかなり驚かれるのですが、続けて「家には14人くらい住人がいて、その中に4人家族が1組います。子どもが2人います。」と言うと「どういうこと?!」とさらに驚かれます。

そう、我が「東京フルハウス」には家族が1組おり、小さい子どもが2名住んでいます(7歳と2歳の男の子)。

上の子は7歳ということで、私がシェアハウスに住み始めた頃は、彼はまだこの世に存在しておらず、私は彼の生まれる前からシェアハウスに住んでいたことになります。

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2018年
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2025年

彼は今小学2年生ですが、まさか彼が小学校に上がるまで一緒に暮らしているとは思いませんでした。それどころか、弟も生まれて。笑

私自身は出産はおろか結婚もしていませんが、2人の幼い子どもたちとの生活は本当に楽しく、いわば、「子育ての美味しいところ取り」をしているような感じでした。

抱っこしてあやし、離乳食をあげ、寝かしつけ、ミルクをあげ、沐浴して・・・といった生活がとても新鮮で、忘れられません。

自分に子どもがいないのに、小さい子たちが好きな番組やダンスになぜか詳しくなりました。

子どもたちが歩くようになってからはリビングでよく遊びました。住人みんなで行った合宿(大旅行!)でも、住人みんなで子どもたちとはしゃぎ回りました。

赤ちゃんや小さい子はみんなかわいいですが、いつも「うちの子たちが一番かわいいな」と思っていました。自分の子ではないのですが笑。

上の子はもう7歳なので、しばらく私のことを覚えていてくれるかもしれませんが、下の2歳はそのうち私を忘れるでしょう・・・
時折会いに行って、記憶を更新してもらわないといけません・・・!


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0歳児を寝かしつけていたら5歳児が乱入してきて、ついに私の膝を奪った図。
0歳児をベッドに移動させたいのに、5歳児が可愛くてどかせず、戸惑う私。

行き交う住人と友人

我が家のシェアハウスのユニークネスのもう一つの側面として、とにかく様々な人が住み、様々な人が遊びに来る、というものがあります。

大学時代、友人や知人がやっていたシェアハウスは、「卒業したらシェアハウスは解散」「住人が抜けるので解散」といった形で、住人のターニングポイントで適宜シェアハウスを解散する、というものでした。
一方、ビジネスシェアハウスは、オーナーがいるのでシェアハウスは解散しませんが、新旧住人の関わりはないという認識です。

ですが我が家は違うのです。

家主夫妻を中心にシェアハウスは続いており、住人は卒業しても、いつでもシェアハウスに遊びに帰ってくることができ、末長く、そしてゆるく、でも力強く繋がっています。

旧住人の中には、また住人として戻ってきたケースもありますし、今、海外赴任でシェアハウスを出ているものの「帰国してもし部屋が空いていればまた入りたい」と言ってくれている人もいて、このシェアハウスのことがみんな好きなのだなあと思います。

そして、住人はとにかく様々な人をお客さんとしてシェアハウスに呼びます。

社会人になると、人付き合いが特定の範囲に絞られ、自ら意識して外へ出て行かなくては、限られた業界、限られた交友関係の中に留まりがちです。

しかしシェアハウスには、様々な世代、業界、コミュニティに属する方々がたくさん遊びに来るので、リビングに集まると、自分の活動範囲では聞けない話を聞き、お目にかかれないものに出会うことができます。

今まで住んだ人、遊びに来た人を数えるとものすごいことになると思いますが、それだけの方々との出会いを通じて、今のシェアハウスがあり、そして今の自分がある、ということを時折しみじみと思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになります。

もはや家族。もはや実家。

仕事や恋愛

私が2017年1月からシェアハウスに住み始め、約8年半の時が経とうとしています。

当初、6年かけてようやく大学を卒業しようというところで、社会人として自分がやっていけるのか、非常に不安な気持ちでいました。

案の定、新社会人としてうまくいかないこと、不甲斐ない自分に落ち込むことも多く、必ずしも順風満帆とはいきませんでした。

それでも、シェアハウスに帰ればたくさんのお兄さんお姉さんたちがいて、社会人としての悩みを聞いてくれました。
時には、当時同じ部屋に暮らしていた女子大生の自由で開放的な生き方に元気をもらっていましたし笑、疲れて玄関から自室に直行して寝る自分のことを、家主夫妻含め、住人は静かに見守ってくれました。

政治家の秘書としての勤務を一旦終え、大学院に入学する時も、シェアハウスの皆さんに応援してもらい、その傍ら「是非政治に活かせるようなインターンをやってみたい!」という私の相談を受け、住人が猛烈にプッシュしてくれたことも思い出します。

恋の相談にもたくさん乗ってくれ、8年半、破れる恋の方が多かったようにも思いますが笑、それこそたくさんのお兄さんやお姉さん、時には若い子たちからもアドバイスを受けて、人生を闘ってきました。
相手に送るLINEを添削してもらったり、「手紙を出しては」「いやなんなら唄でも詠んでは」みたいなやりとりをしたりしましたね。
恋愛の文脈においては本当に辛い時期を過ごすこともありましたが、そういう時は、住人の皆さんと過ごす毎日に心癒されていました。

大学院を修了して、その後政治家の秘書に戻り、さらにその後、霞ヶ関に職を移しましたが、いつでも私の選択を応援してくれました。

こんなに住人の皆さんによくしてもらって、愛してもらって、逆に、私は皆さんに何かを提供できたのでしょうか??

あらゆる思い出を振り返っては、私は皆さんからもらってばかりだったのではないか、と思います。

このシェアハウスの価値

当初、「4万円」という安い家賃に引かれてこのシェアハウスにやって来た、というのは嘘ではありません。
当時金銭的に余裕もなく、安く住めてシェアハウスで楽しい生活が送れるなら最高だな、という軽い気持ちでいたことは否めません。

※ちなみに、私が入ったばかりのシェアハウスと、私が今回卒業したシェアハウスとでは建物・ロケーションが異なっており、家賃も変化しています。(東京フルハウスは2020年3月に西新宿から中野へ引っ越しました。)

しかし、長くこのシェアハウスに住んでいて、このシェアハウスの本当の価値は家賃の安さではなく、シェアハウスという空間で住人たちと暮らす毎日を「豊か」と思えることにある、と気付きました。

他人と暮らすことは、人によってはストレスを感じると思います。
これはシェアハウスでの生活に限らず、「自分以外の人間と暮らす」全てのケースに言えることだと思います。

他人の行動を受け入れられず、例えば他の住人が掃除やゴミ捨て等の家事に参加してくれなかったり、ドアや便座を毎回閉めてくれなかったりして、イライラしてしまうこともしばしばあると思います。

それでも、我がシェアハウスでは「自分のスタンダードは他人にとってのスタンダードではない」ということを受け入れ、みんなが心地よく生活できるよう、考えが異なる人と一緒に考え、話し合います。
そして、いつの間にかきれいになっているトイレや、空っぽになっているゴミ箱、整列されている玄関の靴に気づき、誰からも頼まれずにみんなのために、と思って行動してくれている人に対し精一杯の感謝を伝えます。

ルールを決めずに家が回っているのは、そういった思いやりや感謝の気持ちの賜物であり、決して誰にでもできる簡単なものではなく、家主夫妻を始め、その環境を全員で作り上げようとする、住人みんなの努力のお陰でした。

時折悩みながらも、思いやりで紡がれている毎日は尊く、今後も東京フルハウスに根付き続ける文化なのだと思います。

出て行きたくないのに、出て行く。

私がシェアハウスに入ったのは24歳だったかと思いますが、その時他の住人はみんなお兄さんやお姉さんで、私はシェアハウスの中では若手部類でした。

そして卒業の今、家主夫妻を除き、いつの間にか最古参メンバーになっていました。

東京フルハウスで起きた様々な出来事や子どもたちの成長を生き地引のような存在としてフォローしてきました。
現住人が持っていないような過去の写真も溢れるほど持っています。
もし東京フルハウスで年表を作ろうとするならば、ある程度私も生き証人として協力せねばと勝手に自覚をしているほどです(?)。

既述のとおり、私は自分の思う最高の空間で8年半を過ごしてきました。

家に帰れば誰かいる。
子どもたちは可愛い。
サウナに行きたいと呼び掛ければ誰か来る。
カレー要りますか?とかいきなりオファーされる。
眠い時は自分の部屋に引きこもる。
誰かの相談に乗って自分も気付きを得る。
旧住人が遊びに来る。

・・・

自分の将来(仕事とかライフステージとか・・・)を考えると不安は尽きませんが、ネガティブな気持ちを抱きながらも、今この瞬間をものすごく幸せに生きられる。そんな場所でした。居心地が良いなんていうレベルのものではありませんでした。

しかし、今回、「人生、挑戦のために一旦手放す、という行動が必要な時もあるかもしれない」と思ったのです。

20代中盤からの悲願

いきなり自分自身のことになりますが。

大学在学中から政治の世界を志し、大学院に入学したいと考え出した20代中盤、私は「日本をより良い国にするためには、内政的な問題解決のための努力は当然のことながら、国際的な視野や経験は不可欠じゃないか?!」と思い、いつか米国或いは英国への留学をしなくては、と義務のように考えていました。

自分が生まれ育った国のためになりたいのであれば。或いは、周りの人たちを幸せにしたいのならば。
もちろん、政治以外のフィールドで働き、貢献することもできます。
実際、私は様々な業界での勤務やアプローチによって「この国や暮らしを良くしたい」と奮闘するたくさんの友人・知人を知っています。

ただ、どのフィールドにおいても、最後は政治が何とかせねばならない段階があると思っています。

引き続き、私にとって「政治」は職業としての選択肢の一つです。

20代中盤の頃の私は「お金もないし英語も全くできない。そうであれば、国内で一度しっかり勉強しようか」と思い立ち、大学院に進学したのでした。

そこからなんとびっくり、約5年以上の時が経とうとしているではありませんか。

大学院生としての生活、政治家の秘書としての生活、霞ヶ関の省員としての生活、この数年で得た経験は私にとって紛れもなく特別で貴重なものでした。
しかし、留学をまだ達成していません。

将来的に政治の道へ進まなかったとしても、これまでずっと「留学してみたい!」という気持ちを抱き続けて来ました。
このまま行かなければ、一生後悔し続けること必至です。

今年で33歳。

留学は何歳になってもできます。
ただ、
この後自分が何を成し遂げたいのかを考えれば、そろそろ行かなくては。

この時、私は「シェアハウスを出ようか」という考えに至りました。

シェアハウスに住み続けても勉強はできる。留学の準備はできる。

しかし・・・
この30年で染み付いた自分の習慣はそう簡単には変えられません。

「この人生の勝負時、生活の根本から自分を変えていく努力をしないといけないのでは?」

そして、私は卒業を選んだのでした。

自分のことを後で振り返った時に、

「色々犠牲にしたけど、自分の全てを捧げて限界まで、猛烈に準備できた!」

と思えるように、です。

今後の目標

今年の5月中旬から、霞ヶ関において所属する部署が変わり、仕事が比較的忙しくなりました。
自ら望んでその部署に来たのですが、前の部署と比較すると、帰る時間も遅くなり、必然的に勉強時間が減っています。

しかし、引っ越したことで家と勤務先の時間が大幅に短縮されましたし、忙しい中で自分のことをなるべく律するよう心掛けています。
(なぜか人生、暇な時の方が集中できなくないですか?)

留学時期の目処はまだ立っていないのですが、まずは出願に必要な英語力の向上を最優先に頑張っています。

今年の秋先にはある程度の方針が見えると本当に良いな、と思っています。

最後に。

自分自身の話を途中に盛り込んでしまいましたが、人生は選択の連続だと思います。

でも、今回のシェアハウス卒業は「取捨選択」の「捨」ではありません。

そう思わせてくれたのは、家主夫妻の「僕たちは、どこにいても、ずっと美季の味方です。そしてずっと、家族です。」という言葉のお陰です。

現住人からも「いつでも帰っておいで」と言ってもらえました。

ずっと、
シェアハウスのことは「実家のようなもの」
住人のことは「家族のようなもの」
と思い続けて来ましたが、みんなから実際にそう言われると、「ああ、いつでも帰っていいんだ」と心の底から思えたのです。

今回、自分自身の決断でシェアハウスを出ることにしましたが、私はいつでもシェアハウスの一員でいられる。

そう思うと、将来のことを考えて不安になったとしても、ちゃんと立っていられそう。
シェアハウスの思い出や住人たちは私にとって困難な人生を生き抜いていくための、鎧みたいな存在でもあります。

ものすごく長くなってしまいましたが、今一度、東京フルハウスで出会った全ての方々に感謝の気持ちをお伝えします。

本当にありがとうございました!

家主夫妻を中心に、東京フルハウスが末長く、素敵で幸せな空間として発展し続けますように。

そして、関わった全ての方々に何か提供できる、そんな人間になれるよう、頑張ります!

ありがとうございました!
近いうちに、帰ります。

(了)





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私にもう1つ「実家」ができた話|木暮美季
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