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死んだ父親から手紙が来た話

こんにちは、木暮です。

プロフィールにも書いていますが、私は大学を卒業した後に2年間社会人として働いた後、退職して大学院に進学しました。
私は将来、国会議員として政治の世界で仕事をしたいと思っているのですが、研究の道へ踏み出すきっかけは前職で見出しました。

前職は衆議院議員の秘書でした。その関係で偶然出席した勉強会で、「安全保障分野においては高度な知識・専門性が必要」であり、政治家やこれから政治家になる人物も訓練を経てそれを備えるべきであると、末席から感じたのでした。学部時代、学問に励まなかった私には造詣の深い分野もなかったのですが、これを機に安全保障について学び、研究したいと考えるようになったのです。研究内容については、またいつか書けたらと思います。

入学してから約2年間、論文のテーマ設定に悩んではうろうろし、授業においてはついていくだけでも四苦八苦し、課題が出されたらその度に徹夜をし、慣れない世界に戸惑ってばかりでした。それでも、自分が大学院に入りたいと思った気持ちを忘れずに過ごすことで、なんとか乗り越えてきました。そして2021年に入り、1月7日に無事、修士論文原稿を入稿することができました。まだ入稿の段階であり、正式に受理されたわけではないのでぬか喜びはできませんが、ここまで来られたことに胸を撫で下ろしました。

私は、論文の本文に加え、「おわりに」という章を設け、論文に関わってくださった全ての方々に感謝の気持ちを記しました。
そして最後に、「2021年1月 最愛の父に思いを馳せつつ」という一文を載せ、締めくくりました。

父は10年ほど前に亡くなっているので論文にはなんら関係がないのですが、父のことを、亡くなってから今日まで一日たりとも思い出さなかった日はないということと、自分が最も尊敬する人物である父に認めてもらいたいという気持ちから、どうしてもそのように書きたかったのです。

父との思い出は忘れ難いものばかりですが、中でも特に記憶に深く刻み込まれているのは、中学生の時に父からもらった手紙でした。

当時私は競泳選手として全国大会行きの切符を得ていたのですが、元々メンタルがあまり強い方でない私はプレッシャーに押しつぶされ、日に日に弱り、難しい年頃もあって家族に当たり散らす毎日を過ごしていました。競泳選手にも関わらず水が嫌になり、朝に顔を洗うのも、朝食に出てくる牛乳にも恐怖を感じることがありました。

そのような時に、父が職場からFAXで手紙を送ってくれたのです。父は単身赴任をしていました。細かい内容はあまり覚えていなかったのですが、いつもストイックな父が私に対し優しく語りかけ、応援してくれている内容だったと記憶しています。本当に本当に嬉しくて、その後はその手紙を読んでは練習に励み、最後には無事に全国大会の場で泳ぎきることができました。

その数年後に父は亡くなってしまいます。当時使用していた自分の携帯電話に父からのメールが数件残っているものの、それ以外に、父との思い出が形として残っているのは写真くらいで、メッセージ性の強いものといえば例の手紙だったのですが、いつからかその手紙を家で見なくなっていました。思い当たるところは探し尽くしたのですが、見つからなかったのです。どこかに残っていないかと、父の昔のPCも少し覗いてみたり、SNSアカウントは持っていなかったかと探したりしましたが、何もありませんでした。

メンタルは今でもあまり強くなく(何なら弱く)、常に路頭に迷っては苦しみ、特に何かあったわけではないのに虚無感に襲われ、「自分は独りだ」と思い込むことが頻繁にあります。昨年10月には「自分をこの世に繫ぎ止めているものって一体なんだろうか」と真剣に悩んだこともありました。このような時、現世のものにすがるというよりは、「父に相談したらなんと言うだろうか」と考えては何とかやり過ごしてきました。

こうして常に、頭の中に父の存在があったため、論文の「おわりに」に父のことを添えました。製本した論文をいつか、実家の仏壇に供えようと思いながら。


論文を製本所へ入稿した日の前夜は徹夜をしていたため、疲労困憊になってその日は帰宅しました。帰ると、年賀状の返信がたくさん来ていたので、一つ一つ確認します。

その中に、少し厚みのある白い封筒が一通。

なんだろうこれは。

裏返して送り主を見ると、私の実家の住所の横に「木暮」とあります。

胸に何かが過ぎり、一心不乱にその封筒を開けると、そこには、
あの父からの手紙が入っていました。

見覚えのある励ましの言葉の数々。


「あまり幸せでもなく、つらく思える日々が君に続いていることをお母さんから聞いています」

「はっきり言って全てが終わるまで解決しない問題だと思います。しかし、それをただ待っているのはつらいので、すこしでもそれを乗り越えやすく出来ればと思ってこの手紙を書いてみました」

「君はつらい状態にあるかもしれませんが、少なくとも君のことを、悪く思っている人は誰もいません。お父さんも、お母さんもいつも君のことを考えて応援しています」

「周りに味方のいる君が負けるはずがない!!」


そして最後に付箋が貼ってあり、手書きでこのようなメッセージが記されていました。
「山を好きになったのはうれしいけれど、まわりを悲しませては絶対にいけないよ。とにかくあと少しだ 頑張って!! 『健康第一』お父さんより」

手紙を泣きながら読み終わり、その付箋を見た私は思わず吹き出してしまいました。その筆跡が明らかに母のものだったからです。

その場で母に泣きながら電話し、「やめてよね」と言ったところ、母は
「手紙、あって良かったね」と笑っていました。

たまたま母が見つけた例の手紙を、私に黙って送ってくれたというだけなのですが、父への思いを書いた論文を入稿した日にそれが私の元へ届いたことが、私にとっては奇跡に感じ、胸がじんわりと温かくなりました。そして、それをひっそり私に送ろうと企んだ母のことを考えると、愛おしくて堪らなくなりました。

父が手紙に記してくれた困難への乗り越え方は、大人になった私にも必要なもので、何度も何度も読み返しました。子どもから大人になり、悩みや不安の種類は変わりましたが、いくつになろうとも困難なことは尽きません。
それでも、父や母の存在が私を励まし、そして生かしてくれているのだと感じています。
そして、幼い頃から両親に褒めてもらえることが何よりの生き甲斐であったことを思い出します。

悩んだり不安になったりすることがあったとしても、父と母の顔を思い浮かべて乗り越えたいと心から思います。


修士号とるぞ!!!


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死んだ父親から手紙が来た話|木暮美季
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