レクス・ゴドウィンという男 またはダイダロスブリッジは何故"ダイダロス"ブリッジなのか
前置き
2025年6月現在〜という下りは前回もやりましたし、非常に長ったらしいので割愛します。
遊☆戯☆王5D'sには、レクス・ゴドウィンというキャラクターが登場します。
彼は物語の最序盤、まだ不動遊星が棄民区域『サテライト』でセキュリティの隊員である牛尾哲を相手に、デュエルの勝敗如何で仲間の窃盗行為を見逃させるという極めてアウトローかつデュエリスト的発想によって譲歩を引き出していた頃から登場し、遊星からバイクとカードを盗んでサテライトを出てきた過去をひた隠しにしながらキングを僭称するジャック・アトラスの背後で、ネオ童実野シティの実質的な支配者として暗躍を続けていました。
後に彼の片腕が義手である事や、かつては遊星の父である不動博士の助手であった事、サテライトで半ば御伽噺のように謳われる伝説のD・ホイーラーその人である事などが次々と明かされ、最終的には著しくパンプアップした筋肉を見せびらかしながら、シグナーとダークシグナーの二つの痣を持つ者として自らが神にならんとするという、強烈なインパクトを誇るキャラクターでした。
物語の大きな転換点にして、遊星達が持つ痣や彼らの人生との直接的な因縁を中心として展開されたダークシグナー編における最終的なラスボスを務めた彼は、しかし決して悪人ではありませんでした。
レクス・ゴドウィンという男は何者だったのか?
そして、何故彼が伝説のDホイーラーとして飛んだ未完の橋はダイダロスブリッジと呼ばれているのか?
本記事ではこのふたつの事柄について、私の独断と偏見を元に語りたいと思います。
一人の男が伝説に至るまで
これは殆ど彼が何者なのかについての結論なのですが、レクス・ゴドウィンという男はその印象とは裏腹に、ただの凡人に過ぎません。
それは彼が無能であるという事ではなく、本来ならば運命に選ばれるような人間ではないという意味です。
この評価は同時に、彼自身の自己評価でもあります。
レクス自身はシグナーに選ばれた訳でもなく、また一度死に瀕したにも関わらずダークシグナーに目覚める事もない、己自身の力では決して運命に交わる事の出来ない只人に過ぎない事を自覚しており、その現実にコンプレックスを抱えてさえいました。
彼がその胸中に抱く自己嫌悪の意識は自らの邸宅にシグナー達を招いた際の龍亞への態度や、遊星・ジャック・クロウ戦における数々の発言からも明らかでしょう。
何故レクスがそのような自己認識を抱くに至ったのかについては後述しますが、それを十全に理解する為には双子の兄であるルドガー・ゴドウィンについて触れる必要があります。
劇中におけるルドガーの描写は決して多くはなく、また彼自身が冥界の王の影響を極端に受けている為に、個人的な意思のみで何かを語る場面は殆ど存在しません。
その為、本来のルドガーが如何なる人間であったのかは僅かな描写から推し量る他にありませんが、少なくとも彼が幼き頃から天才と称される程に優秀であり、同時に赤き竜によって選ばれたシグナーでもあった事は確かです。
現代において最も早く産まれたドラゴン・ヘッドの痣を持つシグナーであったルドガーは、ともすればチーム5D'sのリーダーとして皆を引っ張り続けた遊星のように、現代におけるシグナー達を年長者として牽引する役割を期待された存在だったのかもしれません。
しかしその優秀さが仇となったのか、赤き竜の対となる冥界の王にまで選ばれてしまったルドガーは運命という蜘蛛の糸に絡め取られ、最終的にゼロ・リバースという惨劇を引き起こす事となります。
ルドガーはまるで口癖のように運命という言葉を繰り返し口にしますが、それは彼自身が運命の奴隷でしかない事を自覚しているが故のものでしょう。
運命に選ばれた者は、それに殉ずる事しか出来ない。
生きるも死ぬも全てが強いられたものでしかないという諦念こそが、ダークシグナーの道を選んだ或いは選ばざるを得なかったルドガーの、いわば心の闇であるように思われます。
さて、レクスはそんな兄から彼が自ら切り落としてまで遺した赤き竜の痣を持つ左腕と、ダークシグナーに対抗する為に残るシグナー達を探すという使命を継承し、研究者としての師である不動博士からは旧モーメントの制御キーにしてダークシグナーに唯一対抗する力であるシグナーの竜のカードを渡され、ゼロ・リバースの惨劇を辛くも生き延びる事になります。
その後、ゼロ・リバースによってネオ童実野シティが物理的に分断され、旧モーメント開発地区の存在するサテライトへと取り残された彼は、自らに託された使命を果たそうと苦心しました。
シティへ向かう橋を自ら建造する事を試みたレクスは、当初こそ馬鹿にされたものの、ひたむきで愚直な姿勢によって周囲の協力を得られるまでに至りましたが、ただでさえ未曾有の人災によって混乱し、サテライト住民への棄民政策と差別意識の植え付けというやり方でシティがどうにか体裁を取り繕っている中で、災害の原因である旧モーメントに携わっていた彼がそんなものを建てる事が許容される筈も無く、セキュリティに追い詰められる事となります。
レクスは自らの意志が受け継がれる事を望み、未完成の橋から飛べるはずもない自作の翼と共にDホイールで飛び出した事でサテライトの住民に衝撃を与え、遊星・ジャック・クロウにも少なからず影響を及ぼした伝説となりました。
こうしてレクスの存在は誰よりも自由を望んだ伝説のDホイーラーとしてサテライトに刻まれる事となりましたが、それだけです。
レクス・ゴドウィンという名は残らず、橋は完成せず、その真意は誰に受け継がれる事も無く……ただ太陽に向かって羽撃き、手を伸ばしたものの決して届かず、墜落して海の泡となって消える。
それはさながら己を過信し、太陽に向かって飛んだばかりに翼を捥がれたイーカロスのようでさえありました。
遊星歯車機構の中心にある歯車が太陽歯車であり、後にZ-ONEがアーククレイドルの太陽ギアと自らのLPを連動させていた事を思うと、この場面も中々に示唆的です。
同時に、本来ならば伝説のDホイーラーこそがレクス・ゴドウィンという男の人生の終着点でもあります。
遥か未来の人間であるZ-ONEが自らを英雄・不動遊星へと改造する直前、彼が遊星について調べていたデータの中に、レクス・ゴドウィンの名は一切登場しません。
それだけならばまだしも遊星達がシグナーとして対峙した、ダークシグナー達の操っていた地縛神について記されたデータの中には、彼が用いた少なくともアニメ上では最強の地縛神であるWiraqocha Rascaの姿も残されてはいないのです。
これは未来においてレクスが歴史に真に名を残す価値の無かった存在である事の何よりの証左であり、最終的に遊星達がダークシグナーに勝利を収めている以上、大局的に見れば彼の行いには何一つとして意味が無かった事を示しています。
伝説のDホイーラーの逸話こそがサテライトの住民にDホイールへの憧れを抱かせたものである事は揺るぎない事実であるので、決してその意義が無かった訳ではありません。
レクスが伝説を残さなければ、遊星・ジャック・クロウの何れもがDホイールに乗っていなかった可能性は決してゼロではないからです。
しかしシグナーとダークシグナーの戦いは五千年周期で必ず起こるものとして宿命づけられている事、その戦いの形式が必ずしもライディングデュエルである必要は無い事(龍亞・龍可vsディマク戦やアキvsミスティ戦に遊星vsルドガー戦など、彼等の決闘は度々スタンディングで行われています)などから、少なくともシグナー・ダークシグナーの戦いにとっては何ら意味の無い行為であった事も否定し得ません。
連綿と紡がれてきた運命という大いなる意思にとってみれば、たった一人の築いた小さな伝説など路傍の石に過ぎなかったのです。
伝説の成れ果て
あるべき歴史……人類の破滅という運命を迎える事となる未来において、レクスは抑圧に抗った挑戦者として多くの人々の胸には残ったかもしれませんが、ただ無駄に命を散らせただけの男に過ぎませんでした。
そんな彼に手を差し伸べたのがイリアステルです。
本来ならば海の泡となって消えていく他に無かったレクスは水底で死の孤独と恐怖を味わい、更には左腕を失うという重傷を負いながらも、イリアステルの介入によって生き永らえる事となります。
この際のイリアステルの思惑や意図についての明確な答えは示されていませんが、少なくとも純粋な同情心から手を差し伸べたという訳では無いでしょう。
イリアステルによって与えられた星護主という立場も治安維持局長官という役職も、別にレクスでなければならないものではありません。
もしかすれば僅かばかりの憐憫や同情もあったかもしれませんが、恐らくは如何なる犠牲を払ってでも破滅の未来を回避するというイリアステルの目的にとって都合が良く、また運命に巻き込まれていないながらに最もその爆心地に近い存在であったが為に、レクスに白羽の矢が立ったというだけなのです。
何にせよイリアステル……皮肉にも時の神の名を冠するカードを操り、自らを神と名乗りさえする男が従える組織の後ろ盾を得たレクスは、遂に自分自身が盤上に上がる為の策謀を巡らせ始めますが、その胸中には絶えずある種の諦念と憤怒がありました。
シグナーの竜のカードを物理的に野に放つなどの一見して奇怪に思える行動は、運命がそうなると定めているのだから何をせずともあるべき場所へ辿り着くだろうという諦めを感じさせる最たるものです。
また、サテライトへの差別・隔離政策を続けている理由が旧モーメント周辺にダークシグナーを隔離する為であるなど、人道的にはともかく直接的な被害は数値上だけでも減らそうとはしているなど、彼なりに何かを変えようという努力の跡も見え隠れしています。
兎も角、全ての手筈を整えたレクスはダークシグナーとの決戦へと赴く遊星と、シグナーが勝利すればサテライトとシティを再び一つに繋げるという約束を交わし、彼等シグナー達を見送った上で自らもまたその後を追います。
そうして旧モーメント地区でダークシグナーと成り果てたルドガーと対峙したレクスは、当時としてはガッチガチなカードの剣を自ら放棄すると、敗北による死を以て遂にその本心を兄に明かします(この際、放棄したカードの中に《神の宣告》と《天罰》があるのは極めて示唆的です)。
レクスの目的は言わずもがな、運命を越える事でした。
赤き竜と冥界の王──神なるものの意思によって定められた終わりの無い争いを繰り返さざるを得ない事を……何よりもその大きな流れの前に師であった不動博士も、誰よりも敬愛した兄ルドガーも呑み込まれてしまった事を嘆いたレクスは、本来ならば歴史の部外者に過ぎない事を承知の上で善悪二つの痣をその身に宿し、自らが運命を仕掛けて世界を動かすもの……つまりは神となる事を望んでいたのです。
ではレクスは何故、本来の歴史上には存在さえしなかった地縛神を操るダークシグナーに選ばれたのでしょうか?
更に何故、彼だけが一時的とはいえシグナーとダークシグナーの二つの痣を持ち得たのでしょうか?
後にまだ記憶を完全には取り戻していない時期のアンチノミーの口から明かされる事ですが、赤き竜と冥界の王は実質的には同一の存在です。
人の心の力……思念エネルギーとでも言うべきものに反応する性質を持つ遊星粒子によって善なる想念の集合体として具現するのが赤き竜、逆に邪なる想念によって具現するのが冥界の王であり、つまりは全く同じものの別側面に過ぎません。
そしてそれぞれが見出す戦士であるシグナー・ダークシグナー達は個々の精神性が善であるか悪であるかに関係無く、如何にその想いが純粋かつ強いものであるかを選考基準としているように思われます。
まずはシグナーから見ていきましょう。
不動遊星はそもそもの生まれからモーメントと遊星粒子というこの世界の根幹と密接な関係にあるだけでなく、人と人との繋がりである絆を誰よりも信じています。
ジャック・アトラスは上昇志向の塊であり、時にそのプライドと言動は他者を傷つけますが、本質的にはより良い自分でありたいという自己実現願望に基づいたものです。
十六夜アキは生まれ持った力とそれに伴う迫害故に深い怒りと悲しみを抱えていますが、その本心は誰かに救われたい・人と寄り添いたいというものであり、他者を害する事を本心から良しとしている訳ではありません。
龍可もまたアキと同じく生まれ持った力に苦しめられてきた子供であり両親とも離れた生活を続けていました(後のWRGP前哨編において双子とアキの距離感が近いのは、年齢だけでなくこの経歴の類似性も影響してるのではないかと思います)が、双子の兄である龍亞によって支えられている事もあり、自らの力を疎む事なく受け入れ、芯のある優しさと強さを持ち合わせています。
シグナーの痣を後天的に継承するクロウは特別な何かを持たない人間である事を自覚しながらも、自分が守りたい・信じたいと思うものの為に全てを懸ける一途さを強さとしています。
そして最後に目覚めるシグナーである龍亞は一貫して龍可を守るという意志を貫いており、例え如何なる絶望を突きつけられても諦めないその姿は、あのアポリアにも希望の存在を信じさせるものでした。
続けてダークシグナー。
鬼柳京介はサテライトという牢獄の閉塞感に心を病み、デッキというデュエリストの魂を奪われた事への絶望によって死を選びながらも、根幹ではチームサティスファクションの最後のデュエルが果たされる事を心の底から望んでいました。
カーリー渚は幼き日から誰かを応援する事を喜びとしており、例え自らがダークシグナーとしてジャックの前に立ちはだからざるを得なくなり、敗北すれば再びその命を落とすと分かっていても尚、彼がみんなのキングへと至る事を信じていました。
ミスティは純粋な復讐心によってその身を焦がしていましたが、それはあくまで弟を喪った悲しみと特定個人への怨恨である自覚があった為、アキが犯人でないと分かれば戦いを止めようとする理性がありました。
ボマーもまた同じく己の復讐心に焼かれていますが、彼の根底にあるものは自身が庇護する子供達への愛と、それらを喪った事への深い悲しみでした。
ディマクは……少なくとも劇中ではその過去について何も触れられていないのでどう評価したものか分かりませんが、どうやら地縛神を信仰する一族であるらしいので、純粋な信仰心を持ち合わせていたのだと思います(また、これは確たる証拠のあるものではないのですが、ディマクは龍可と同じくカードの精霊を知覚できる人間であった可能性があります)。
そしてルドガーは前述の通りです。
こうして列挙してみると、一見すればシグナーの方が善性あるいは正の側面を持ち、ダークシグナーは悪性あるいは負の側面を抱えている事が多いように思われます。
しかし遊星は父が原因で仲間を含む多くの人々から家族を奪ってしまったというトラウマを抱え、ジャックは成り上がる為に友を裏切った挙句に敗北した結果として空虚になった自覚があり、クロウはそもそも普通に犯罪者であるなど、シグナー側にも負の側面は存在します。
カーリーがジャックに見せたダークキングの幻覚もあながち間違いではなく、結局のところシグナーとダークシグナーを分けるものは、その力の器となるものが生者であるか死者であるかでしかないのです。
伝説の行き着く先
自ら望んで死者となったレクスの内にあったのは、運命への強い怒りです。
長年に渡って蓄積されてきた彼の怒りと、運命を越えたいという純粋な意志こそが、本来存在し得ない地縛神であるWiraqocha Rascaを呼び出した……否、生み出したのだと考えられます。
そうしてダークシグナーへと覚醒したレクスは、まだ生者であった頃のルドガーの腕を痣と共に移植するバグ技事で二つの痣を掌中に収めるに至りますが、この際シグナーの痣は移植した腕に宿っていたドラゴン・ヘッドのみならず、全てがレクスの元へと移動しました。
これは彼があの場において誰よりも強い信念を抱いていた事を示しています。
運命を越える為に、全てを破壊し再び創造する。
破滅を避ける為に破滅を齎す事が如何に矛盾した行いであるかは、レクスも自覚していたのでしょう。
だからこそ彼は自らが神となったと豪語し、ただ一人の意志によって世界の在り方さえ歪めてしまう理不尽な存在であると自己を定義する事で、己を鼓舞していたのです。
これは遊星・ジャック・クロウ戦における彼の口調が安定しておらず、神を気取った語り口の際には一人称が我の尊大な口調に変わる一方で、その直後には一人称が私の敬語口調に戻る事などからも明らかです。
シグナー達の力の根源である赤き竜の痣を全て手にし、更にダークシグナーの力まで手に入れ、遂に自らの宿願を果たす目前にまで至ったレクスは、遊星達を冥界の王へ捧げる生贄と見做し、その為の儀式であると称して彼等との最後のデュエルに臨みました。
それは本当の意味で運命に選ばれた戦士である遊星達を倒す事で、真に自らが運命を乗り越えた存在であると信じたかったが故ではないでしょうか。
その後のレクスと遊星・ジャック・クロウの三人のデュエルの趨勢については、長々と語るまでもないでしょう。
クロウが引き継いだ伝説のDホイーラー──若き日のレクス自身が抱いていた不可能を可能にしようという意志と、ジャックが全てを捨ててキングという孤独を経たからこそ悟った他者との関わりの重み、そして遊星が死を目前とした状況の中にあって尚も絶望する事無く信じ続けた絆の在り方を前に、自らもまた兄ルドガーとの繋がりの中に存在する事を自覚したレクスの信念は揺らぎ、孤高に運命を御さんとする男ではなくなってしまった為に想いの強さが失われた結果、赤き竜の痣は再び遊星に宿る事となります。
もっと言えば出立前に遊星と必要ない筈の約束を交わし、彼等が勝てばシティとサテライトを再び一つにする事を確約していた時点で、レクスの心は最初から完璧な孤高の境地には無かったのかもしれません。
そもそもレクスが神になる事を望んだのは、シグナーという英雄になるはずだった兄ルドガーでさえ運命に抗えないのであれば、それ以下の凡人である自分は如何なる手段を用いてでも更に上位のもの……神にでもなる他にないという、臨死経験を起点として肥大化した自己否定の念から来る諦めを理由としたものでした。
自分も他人も信じきれないが故に孤独のまま神にならざるを得ないと思い至ったレクスと、仲間と自分を繋ぐ絆という在り方を信じるが故に英雄へと至る遊星では、どちらの想いがより強いものであるかは比べるべくもありません。
故に、赤き竜という運命は遊星を……彼が信じる絆という意志を選んだのです。
遊星が呼び出した赤き竜の化身である《セイヴァー・スター・ドラゴン》の一撃によって、シグナーとダークシグナーの戦いには終止符が打たれる事となります。
ですがこれはあくまで今代の戦いに決着が着いたというだけであり、また五千年の時が流れれば再び戦いは巻き起こり、数多の人々がその運命に巻き込まれる事になりかねません。
遊星によって教えられた絆の力に希望を抱いたレクスは、先に待ち受けていた兄ルドガーと共に光の中へ消え、今度こそ本当の意味で戦いの連鎖という運命を終わらせました。
長い苦難の果て、レクスは遂に運命を変えたのです。
レクス・ゴドウィンという男は何者だったのか?
彼は最後の最後まで運命に抗い続けた末に、新たな未来を示した凡人だったのです。
ダイダロスブリッジは何故"ダイダロス"ブリッジなのか?
レクスは確かに運命を変えました。
ですが実際にはこの時点では運命を変えはしたものの、越えられた訳ではありません。
それは五千年周期の戦いを止めてみたところで、数百年後には破滅の未来というまた別の滅びが待ち受けている為、やはり大局的には無意味だからです。
ここで一度、遊戯王5D'sにおける運命と神について整理しておきましょう。
双方共に劇中で度々言及されるワードですが、その意味合いは概ね一貫しているように思われます。
そして同時に、この二つは殆どイコールでもあります。
シグナーとダークシグナーという神話の戦いが終わった後、物語は未来の破滅を変えるべく過去を破滅させる事を目論んだイリアステル達との戦いへと移っていきます。
ダークシグナー編時点では所謂"悪の秘密結社・闇のフィクサー"然とした存在であったイリアステルは、実際には破滅という運命に立ち向かう事を選んだ四人の未来人でしたが、彼らもまたどんな手段を使ってでも運命を変えようと抗った者達でした。
過去から引き継がれてきた因縁が未来に絡み、人々が否応無しにそれに巻き込まれていくという構図はダークシグナー編と全く同じものであり、ゼロ・リバースへの言及なども含めてこれらのリフレインが意図的なものとして描かれている事から、可逆的に当て嵌める事も出来ます。
運命とは即ち、絶望なのです。
カードゲームを中心に回る世界でカードを使っても変えられないものはどうしようもありません。
破滅の未来という大いなる運命に抗う為に自らを伝説のDホイーラー・不動遊星へと変貌させ、それでも何も変えられなかった現実に絶望したイリアステルの首魁Z-ONEは、思うがままに時空を改変する者となって歴史をやり直す事を望みました。
しかしZ-ONE自身も気付いてはいませんでしたが、その発想に至った時点で彼もまた比喩ではなく神へと変貌していたのです。
未来において……正確には遊戯王5D'sという世界において、神とは既に解析された現象でしかありません。
赤き竜も冥界の王も前述の通り、人の善悪の意思を受けた遊星粒子によって発生するものに過ぎないからです。
にも関わらず、神は運命を強いる存在でもあります。
それは最終的に遊星がZ-ONEに語るように人の心こそが瞬間(モーメント)を回しているものであり、それが神を現出させている以上は……人間が自らの意思で変化を選ばない事には、ただ流されるばかりであるからです(フォーチュンカップ決勝の遊星vsアキ戦、チーム太陽戦におけるズシン召喚時の観客、チームニューワールドの回想内で描かれた狂ったようにシンクロ召喚を行う民衆等、5D's世界の一般人がその場その場の有り様に流される存在である事は折に触れて描写されています)。
神とは運命を強いる現象であり、運命を強いる現象とは即ち運命そのものの事であり、その運命はしかし人の意思の集積であり、人の意思の集積とは即ち神であり……Z-ONEは最後の人類となり、つまりは人類の総意となったが為に神へと変貌し、神として過去の人類に干渉したが故に破滅の未来という運命になりました。
そして破滅の未来という運命は、Z-ONEに彼が最後の人類であるという孤独を齎しています。
彼はトートロジー的な無限の輪の中に閉じ込められてしまっていたのです。
Z-ONEは歴史改変の過程で運命の傍に居た凡人であるレクスに(恐らく直接的では無いものの)目をつけ、彼にイリアステルという後ろ盾を与える事で物語の舞台上へと引き上げました。
つまりレクスもまた、赤き竜でも冥界の王でもないZ-ONEという神によって選ばれた男であり、そこに破滅の未来という運命が介在している以上、その場限りの変化を加える事は出来ても、歴史そのものの変化にまで至る事は出来なかったのです。
それでも最終的に、絶望の未来は覆される事となります。
オーバー・トップ・クリアマインドの境地に達した遊星が可能性をZ-ONEに示した事で、彼を運命という絶望から解き放ったからです。
クリアマインドとは善悪を超越した揺るぎなき境地であり、人が神に依らずに到達する領域であり、人の心が欲望に囚われない正しき進化でもあります。
遊星がクリアマインド発動時に痣を発現させる事から一見してシグナーの力のようにも思えますが、アンチノミーや希望を信じていた頃のZ-ONEが到達できている事からも、あくまで人の境地であるのは明らかでしょう。
集いし願いとは神を構成する意思の集積でもありますが、遊星はそれを人と人の繋がりの力として紡いだ為に、未知の境地へと到達できたのです。
つまり彼の説く絆とは単純な繋がりの事である以上に、人が人のまま変化・進化・成長していくという意思を集約させたものでもあるのです。
そして遊星が最終的な結論としてその境地へと至った事実こそが、ダイダロスブリッジがダイダロスである理由につながっています。
前述の通り、レクスという男の物語にはイーカロスの逸話が踏襲されています。
人の手で造られた偽りの翼で飛び、しかし分不相応にも太陽に向かい過ぎたが為に墜落して生命を喪う事となる、ひたすらに哀れな男の物語です。
だとしてもレクスが伝説のDホイーラーとして語り継がれたのは、一重に彼が自らの力で運命の先にある自由へ向かって飛ぼうとしたからに他なりません。
レクス・ゴドウィンは自ら造り上げた鉄の翼という希望を以て、絶望の運命を越える為に羽撃きました。
彼がZ-ONEという運命に選ばれる前、凡人として遺した伝説は大局的には無価値なものでしたが、自由を求めて人造の翼で飛んだ彼の意志は確実に継承されていきます。
その結実こそが、レクスと同じく絶望に抗った男であるアポリアが最後に遺した、遊星号の翼なのです。
レクスとアポリアには物語上における密接な関係はありません。
伝説として死ぬ筈だったレクスを引き揚げたのはイリアステル三皇帝ですが、彼等とどのような関わりがあったのかは全く言及されていない以上、双方の間に共感や同情・理解があったかどうかは定かではないのです。
それでも神・運命・絶望に抗う者が背負うものは神などではなく、人の造りし希望の翼であるという伝説は、確かにアポリアを介して遊星へと受け継がれました。
これによって初めて、レクスは真の意味で運命を乗り越える事が出来たのだと言えるでしょう。
ダイダロスブリッジが何故、ダイダロスなのか?
それはレクスがただ墜落したイーカロスとして終わらず、最後まで抗い続けた末に、人の翼という閉塞した運命から脱却する為の希望を継承させる事の出来た、ダイダロスでもあったからなのです。
余談
本来ならばレクス・ゴドウィンの話をする上で龍亞及びクロウとの共通性並びにアポリアとの類似性について触れなければならないのですが、ぶっちゃけてしまうと私の側の体力が不足しているので、またいつかの機会に回したいと思います。


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