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反転劇場の悪夢

王が倒れた。

英雄の不在は、瓦礫の王国に残された者たちに、あまりにも重い現実を突きつける。


玉座を守る女王は、孤独な決意をその完璧な仮面の下に秘め、

心の檻に囚われた妹は、自らの無力さに涙する。

翼を折られた仲間たちは、出口のない苛立ちの中で互いを傷つけ、その絆を見失いかける。


盤上を支配するのは、美しき悪魔の嘲笑と、新たに生まれ落ちた絶望。

これは、王の帰りを信じる者たちが、自らの弱さと向き合い、か弱いお姫様から、自らの意志で戦う女王へと至るための、最も長く、最も暗い夜の物語。


さあ、絶望の底で、反撃の狼煙を上げる準備はいいか。

【女王の孤独】


 SCENE 1:女王の孤独と、ストロベリークレープ

 

 都内有数の名門大学。その大講義室の後方、窓から差し込む気怠い午後の光が舞い上がる埃を金色に照らしていた。天神玲奈は完璧な姿勢で座りながらも、その意識はここにはなかった。老教授が抑揚なく語るケインズ経済学の有効需要の原理など、今の彼女にとっては絵空事だ。需要も供給も、圧倒的な戦力の前では意味をなさない。彼女のメインタブレットには、MUSEPRIMEが生成した完璧な講義ノートが一字一句の間違いもなく記録されていく。だが、玲奈本人がペンを走らせるもう一台のタブレットには、『仲間 > 敵』という血を吐くような戦力分析と、『圭佑』『莉愛』『しずく』という三つの名前だけが、迷うペンの動きによって、何度も書かれては消されていた。圭佑は不在。莉愛は心の牢獄に。しずくは…仲間というにはあまりに心許なく、敵というにはあまりに巨大な現実。その絶望的な差を埋めるピースが見つからない焦りが、彼女の思考を支配していた。


 講義を終え、エントランスで待つセダンに乗り込むと、執事が恭しく問う。「お屋敷へお戻りになりますか?」


 後部座席の深い闇に沈みながら、玲奈は一瞬逡巡した。あの静まり返った屋敷に戻っても、今は何もない。


「…いいえ。銀座の『T-Grace』へ。少し、気分を変えたいの」


「承知いたしました」


 執事は何も言わず、滑るように車を発進させた。車窓を流れる都会の景色が、玲奈の心象風景のように色を失って見えた。ガラスに映る自分の顔は、能面のように無表情だった。自分は正しく振る舞えているだろうか。リーダーとして、姉として。その問いに答えてくれる者は誰もいない。


 彼女のためだけに閉められた旗艦店。VIPルームで、玲奈は莉愛のことを幼い頃から知る専属スタッフに、ルームウェアを選ばせていた。


「莉愛様、お元気がないのでございますか…。あの方の笑顔は、まるでひだまりのようでございましたのに」


「ええ。あの子、昔からそう。自分の殻に閉じこもると、テコでも動かなくなるから」


「でしたら、こちらのシルクなどいかがでしょう。肌に触れるものが心地よいと、心も少し、上を向くものでございます。昔、玲奈様がお風邪を召した時、まだ小さかった莉愛様が、ご自分の毛布を一生懸命運んでいらしたのを思い出しますわ。『これがあれば、お姉さまは元になるの』と、譲らなかったのですよ」


 その言葉に、玲那の表情が僅かに和らぐ。遠い記憶の温もりが、冷え切った心に染みた。その時、スタッフが口にした。「そういえば玲奈様。すぐそこの裏手に、人気のクレープ屋台が…」


 その一言に、玲奈は莉愛から送られてきたクレープの写真を見せ、「…このお店のことかしら?」と問うた。


 執事に荷物を預け、一人裏路地へ。莉愛が好きだったクレープを一口頬張る。「…本当に、美味しいじゃない…莉愛」。その姉の顔に戻った一瞬を、物陰から夜瑠が構える一眼レフの望遠レンズが静かに捉えていた。


 SCENE 2:夜明け前の天神家


 天神家の壮大な邸宅に戻った玲奈は、まっすぐに莉愛の部屋へ。薄暗い部屋のベッドの上で膝を抱える妹に、彼女はショッパーを差し出した。


「莉愛、あなたのために選んできたわ。たまには着替えなさい」


「…いらない。放っておいて」


「我儘を言わないの。それとも、私が小さな子供にするように、手伝って着替えさせてあげましょうか?」


 昔と変わらない姉の有無を言わさぬ、しかしその声の奥に微かな心配を滲ませた口調に、莉愛は渋々ショッパーを受け取る。玲奈は、そんな妹の頭をそっと撫ぜると、一枚の白金色のカードキーを託した。


「博士が、この屋敷の地下に新しい司令室『アルカディア』を完成させたわ。あなたが、私たちのオペレーターになるの」


 その時、圭佑から預かり、莉愛が解析を続けていた「しずくのバイタルモニター」のアラートが、甲高い音を立てた。以前タワマンの彼女の部屋に設置されていたものが、玲奈によって運び込まれていたのだ。画面には、未知の魂の共鳴パターンが表示されていた。


[system_alert: UNKNOWN_SOUL_RESONANCE]


[source_ID: a8a8a442-8354-46a4-87cd-17983c21a100 // Cyber_Jail]


[resonance_target: HOSPITAL_ROOM_302_PATIENT:"SHIZUKU"]


「…『電脳拘置所』にいる魂が、病院にいる『しずくちゃん』の肉体に助けを求めてる…!? どういうこと…」


【展開①:三重の地獄】


 SCENE 3:反転劇場


 その頃、まりあとみちるは心の地獄に囚われていた。「円形劇場」の床と天井、天地逆の世界で、綾辻が放ったクリーチャーが襲いかかる。


 蜘蛛型の『フォーカス・ストーカー』が、その多脚で床を引っ掻きながら、みちるに高速で接近する。みちるは咄嗟に身を躱すが、ストーカーの狙いは彼女ではなかった。その腹部の巨大なレンズシャッターが開き、放たれた「評価のフラッシュ」は床を透過、天井にいるまりあを寸分の狂いもなく直撃した。「いやあああっ!」


 まりあの悲鳴を聞いたみちるの背後で、今度は天井から半透明の『アンサンブル・ゴースト』の集団が、呪詛の不協和音を放つ。その音波がみちるの精神を直接揺さぶり、立っていることすら困難にさせた。連携の取れた波状攻撃。これがただの自動プログラムではないことを、二人は肌で感じていた。


 SCENE 4:女王たちの覚悟


 タワマンの司令室。仲間たちの危険なバイタルサインを前に、キララが泣き崩れていた。


「もうやだ…! 私のせいでまりあちゃんが…! こんなの、どうしようもないよ…!」


 アゲハが壁を殴りつける。「チッ、うるせえ! 泣いて解決すんのかよ!」


「じゃあどうしろって言うのよ! アゲハちゃんだって、何もできないじゃない!」


 重い空気を破ったのは、詩織が淹れたハーブティーの香りだった。


「二人とも、落ち着きなさい」


 彼女は静かにカップを配ると、全員の顔を見渡した。


「キララ、あなたの涙は無力じゃない。でも、流すのは今じゃないわ。アゲハ、あなたの怒りも、ぶつける相手が違う。…私たちの敵は、私たち自身の弱さよ」


 その言葉に、二人はハッとする。詩織は続けた。「王の帰りを、ただ待つだけの、か弱いお姫様でいるつもりはないわ」


 その瞬間、莉愛からの緊急通信が入った。


【展開②:それぞれの死闘】


 SCENE 5:決死のダイブ


『――みんな、聞こえる!? 私が、道をこじ開けた!』


「莉愛さん!」


「よくやったわ、莉愛! すぐにダイブの準備を!」


 詩織の指示で、全員がチャンバーへと向かう。だが、アゲハのチャンバーだけが無情なエラー音を発した。「経験値が足りていない…!」


「そんな…! なんでアタシだけ…!」


「アゲハ、悔しいのは分かるわ。でも、あなたのせいじゃない。今は、私たちを信じて!」


『待ってるからな! 絶対あいつらを助けろよ!』


 アゲハの叫びを背に、三人は決死のダイブを敢行した。


 SCENE 6:太陽の守護者


 司令室に残されたアゲハは、自らのダイブチャンバーに背を預け、無力感に打ちひしがれていた。その時、空のチャンバーから、奇妙なフィードバックノイズが聞こえた。


 そして――直接脳内に響く、か細い声。それは、電脳拘置所の魂からではない。もっと弱々しく、そして懐かしい、病院にいる本物の「しずく」の魂からの、SOSだった。


『…寒い…痛い…アゲハ、ちゃん…歌って…』


 アゲハは思い出す。昔、莉子が言った言葉を。『アゲハちゃんの歌って、太陽みたいだよね』


 この声を聞いたのは、偶然じゃない。アタシの力が、必要だからだ。


 アゲハは、マイクのない司令室で、歌い始めた。それは、たった一人の友人と、その中に宿る「何か」のためだけに捧げられる、生命の歌だった。


 SCENE 6.5:父の絶叫


(シーンカット:深夜、天神グループ系列病院・特別病棟)


 その部屋は、病室というよりは、無菌状態に保たれた精密なラボだった。生命維持装置の電子音だけが、静寂を支配している。ベッドに横たわる、眠り姫――本物の「しずく」


 その傍らで、一人の医師が、タブレットに表示される膨大なバイタルデータを、苦渋に満ちた表情で眺めていた。彼の名は、神谷正人。かつて、神宮寺彰と共に『サイバードラゴン・エッグ』の研究に手を染め、そして、その研究のせいで、自らの子供たちの人生を狂わされた男。彼は、全ての過去を捨て、せめてもの罪滅ぼしとして、この「聖域」を守っていた。


 ほとんど動きのなかったデータパネル。その一条のグラフが、突如として、あり得ない波形を描き始めた。アゲハの歌によって『本物のエッグ』が急激に活性化し、不完全なまま孵化しかけるという、最悪の事態。このままでは、しずくの肉体が内側から焼き尽くされる。


「…くそっ! やはり、私一人では限界か…!」


 神谷が絶望に顔を歪めた、その時。病室の扉が、静かに開いた。


 そこに立っていたのは、白衣を纏った、この世で最も憎い、かつての親友の姿だった。


「――神宮寺…彰…!」


 神谷の全身から、憎悪と、抑えつけていた父親としての怒りが、堰を切ったように迸った。


「どの面下げてここへ来た! お前のせいで、どれだけの人間が不幸になった!? しずく君は魂を抜かれ、あの少女たちは地獄を見ている! そして…!」


 神谷は、神宮寺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。その目は、怒りと悲しみで赤く潤んでいた。


「綾辻響子はお前の作ったシステムを悪用し、ルナティックノヴァのファンを操って私の息子を刺させたんだぞ! 息子は意識不明の重体だ! それでもお前は見て見ぬフリを続けるのか!」


 その魂からの絶叫を、しかし、神宮寺は、ただ静かに、そして甘んじて受け止めていた。


「…その通りだ。全ては、私の罪だ」


 彼は、神谷の目を見て、静かに頭を下げた。


「だからこそ、私が終わらせる。そのために、私はずっと水面下で動いていた。…正人、今は口論している時間はない。力を貸してくれ。このままでは、彼女の器がもたない」


「ふざけるな! 圭佑のことも、美咲のことも、しずく君のことも、全てお前のせいだ! 今更、お前の言葉など…!」


「彼女の中にいるのが、本当のしずく君ではないと知っていてもか?」


 神宮寺のその一言に、神谷の動きが凍りつく。


「…なんだと…?」


「説明は後だ。今は、目の前の命を救うのが先決だろう。医師である、君ならば分かるはずだ」


 神谷は、神宮寺の目を見た。そこには、かつての傲慢な天才科学者の面影はなく、ただ深い悔恨と、揺るぎない決意だけが宿っていた。


 神谷は、大きく息を吐くと、掴みかかろうとした拳を、ゆっくりと下ろした。


「…分かった。だが、これは彼女のためだ。お前のためじゃない。そして、これが終わったら、全てを話してもらう」


 二人の天才が、数年の時を経て、激しい口論の末に、再び一つの目的のために手を組んだ瞬間だった。


 神谷がしずくの肉体の状態を管理し、神宮寺がニューロダイバーを装着して、彼女の精神の奥深く、暴走しかける『エッグ』へと直接アクセスする。


「今だ! エネルギーレベルを20%まで落とせ!」


「分かっている! だが、何かが抵抗を…!」


(同時刻:天神家地下司令室『アルカディア』)


「――あなたの行き先は、地獄の底よ」


 莉愛は、しずくの肉体に侵入する二つの未知のシグネチャを、一個の敵対的な存在と誤認し、強制送還コマンドを実行した。


(再び病院)


「――ッ!?」


 神宮寺の意識が、魂ごと引きずり出されるデータの奔流に捕らえられた。


「神宮寺! どうした!」


「馬鹿な…このパワーは…! ぐあっ…!」


 彼の意識は、ニューロダイバーを通じて、肉体から強制的に引き剥がされる。その体はベッドの横で痙攣し、やがて糸が切れたように崩れ落ちた。


 神宮寺彰の魂は、電脳拘置所の最下層、「魂の墓場データ・グレイブヤード」へと封印された。


 そして、彼を補助していた神谷正人もまた、データの奔流の余波を受け、その場に倒れ、意識を失ってしまった。


 莉愛は、仲間を守り切った。その代償として、物語の真実を知る二人の科学者のうち、一人を永遠の牢獄へ、もう一人を昏睡状態へと陥れてしまったことに、まだ気づかずに。


 SCENE 7 & 8:堕天使との死闘*


「反転劇場」では、『堕天使キララ』と『堕天使莉愛』が降臨していた。


「あなたには、私の隣に立つ資格なんてない」


 堕天使キララが、ガラスの翼から拒絶の光線を放つ。まりあはそれを必死に避けながらも、仲間たちの途切れ途切れの歌声に支えられ、恐怖を乗り越え両手を広げた。「私の『好き』は、誰にも汚させない!」


 純粋な「敬愛」の光が堕天使を浄化していく。だが、消滅寸前、堕天使は「敬愛」を「憎悪」へと強制的に書き換えようとする呪いの光を放つ。


「それでも…! それでも、私は…キララさんが大好きです!」


 まりあの叫びが呪いをオーバーライトし、堕天使は完全に砕け散った。


 SCENE 9:絶対不信の誕生と、英雄の覚醒


 回廊では、詩織たちが第五の悪徳『不信』のコアを破壊する寸前まで追い詰めていた。


「今よ!」三人の歌声が高まり、コアに最後の一撃を加えようとした、まさにその瞬間――劇場で破壊された堕天使二体のデータ残滓が、光の速さでコアへと吸収された。


 究極の悪徳『絶対不信』の誕生だった。


 それは、黒い鎖の体に、『堕天使キララ』の歪な片翼と『堕天使莉愛』のドレスの残骸が融合したおぞましい姿へと変貌していた。


「さあ、お前たちの絆の終焉を見せてやろう」


『絶対不信』は、三人の脳内に、仲間から裏切られるという回避不能な「現実としての悪夢」を直接叩き込み、三人の心を完全に砕いた。「「「いやああああああっ!!!」」」


 三人の歌声が、断末魔の悲鳴へと変わる。


 その悲鳴は、ようやく統合された劇場で、互いの手を握りしめていたまりあとみちるの耳にも、確かに届いた。


「…今のは、詩織さんたちの声…!?」


 壁の亀裂から、黒いノイズを通じて、回廊で起きている惨状が、二人の脳裏にも流れ込んできた。心が「死んで」いく仲間たちの姿が。


「…今度は、私たちが、みんなを守る番だよ…!」


 まりあの声は、もう震えていなかった。


「…当たり前でしょ。あんなダサい化け物に、これ以上、好き勝手させてたまるもんですか…!」


 みちるの瞳に、再び【真実の目】の黄金の光が宿る。


 二人の心が、仲間への「愛」と「義」のために一つになった瞬間、彼女たちの体がまばゆい光に包まれた。


 まりあの衣装は純白のドレスアーマーへ。みちるの衣装は漆黒のバトルドレスへと変貌を遂げる。


 SCENE 9.5:二輪花、咲き誇る


 回廊では、『絶対不信』が、心が死んだ三人を見下ろし、勝利に浸っていた。その背後から、二つの光が迫る。


「私たちの仲間を、返せえええええっ!!」


 覚醒したまりあとみちる。その姿は、もはや囚われていた頃の面影はなかった。


『絶対不信』は、背後から迫る二つの小さな光に気づき、嘲笑うかのように振り返る。


「愚かな…。お前たちの絆もまた、我が糧となるだけだ!」


 悪徳が、その黒い鎖の腕を振りかぶり、二人を絶望の底へと叩き落とそうとした、その瞬間。


「まりあちゃん!」


「分かってる!」


 みちるの指示で、まりあは左腕を掲げる。すると、そこにハート型の巨大な光の盾『アミティエ・ガーディアン』が出現した。彼女は敵を攻撃しない。その盾を、心が死んだ詩織、夜瑠、キララの三人の前に展開し、悪徳の攻撃から、そしてこれ以上の精神汚染から、仲間たちを完全に保護した。


 仲間を守る盾となったまりあ。その背後で、みちるは一点に全神経を集中させる。


 彼女の【真実の目】が『絶対不信』の歪な体の中心にある、ただ一つの「コア」を完全に見抜くと、みちるの右手の指先から伸びた光の糸『フォーカス・ストリングス』の一本が、生き物のように伸び、敵のコアへと突き刺さった。次に、みちるは左手の指先から伸びたもう一本の糸を、『絶対不信』の遥か後方にある、回廊の硬い壁面へと突き刺し、固定した。


「――チェックメイトよ」


 みちるが指を弾くと、ロックオンされた敵のコアと、後方の壁が、光の糸に沿って、一直線に、超高速で引き寄せられた。


『絶対不信』は、自らの意志とは無関係に、猛烈な勢いで後方へと引っ張られ、回避する間もなく、その背中を壁面へと叩きつけられたのだ。「な…に…!?」


 衝撃で一瞬動きが止まった悪徳。その心臓部、光の糸が突き刺さった「コア」が、無防備に晒される。


「今!」


「うん!」


 みちるとまりあの声が、完璧に重なる。まりあは、仲間を守っていた盾を、今度は攻撃用の光弾へと変形させ、みちるが作り出した完璧なタイミングで、それを放った。


 光弾は、寸分の狂いもなく、無防備に晒された『絶対不信』の「コア」だけを、正確に撃ち抜いた。


 最強の悪徳は、自らの慢心と、少女たちの完璧な連携によって、その心臓を貫かれた。核を破壊された『絶対不信』は、信じられないといった表情で自らの胸を見下ろすと、その体は内側から光に飲まれ、断末魔の叫びを上げる間もなく、塵となって消滅した。


 守られていた少女たちが、今、仲間を守る英雄となった瞬間だった。


【結び:夜明けの誓いと、盤上の断罪】


 SCENE 10:絶望の底で灯る光


 タワマンの司令室。まりあとみちるが、心が死んだ三人を連れて帰還した。


 ダイブチャンバーが開き、魂が抜けた人形のように三人が起き上がる。その虚ろな目に、何の光も宿っていない。


「詩織さん…! 夜瑠ちゃん…!」


 まりあが駆け寄るが、反応はない。みちるが悔しさに唇を噛む。


 司令室は、これまでで最も深く、冷たい沈黙に包まれた。


 その空気を破ったのは、アゲハだった。彼女はずっと歌い続けて乾いた喉で、しかし、力強く言った。


「…下を向くな」


 全員の視線が、彼女に集まる。アゲハは、虚ろな目をした詩織たちの前に立つと、泣きそうな顔を必死で堪えながら、こう続けた。


「こいつらの心が、今、空っぽだってんなら…」


 彼女は、自分の胸をドン、と強く叩いた。


「アタシたちが、もう一度、満たしてやればいいだけだろうが!!」


 その魂の叫びに呼応するかのように、莉愛からの緊急通信が入る。モニターに映し出された彼女の瞳には、次なる戦いへの決意が燃えていた。


『――みんな、聞こえる? 今、拘置所で起こったこと、全て解析したわ。敵は、私たちの絆の力を利用して進化する。…だとしたら、答えは一つしかない』


 莉愛は、一度言葉を区切ると、司令室にいる四人に向かって、そして自分自身に言い聞かせるように、宣言した。


『――敵の進化の速度を上回る速さで、私たちの絆が、もっと強くなればいい』


 絶望の底で、新たな光が灯った瞬間だった。王も騎士もいない玉座。しかし、そこに残された少女たちは、自らの意志で顔を上げ、次なる戦いを誓う。


 SCENE 11:盤上の断罪


 クロノス・インダストリー社長室。綾辻響子は三重の地獄が奏でる苦悩のシンフォニーに恍惚としていた。


「古臭い理想主義者たちめ…」


 二人の監視役が去った後、彼女は嘲笑うように呟き、祝杯のワインを口に含んだ。


 その時だった。


 窓の外を、まるで黒い鳥のような影が、音もなく横切った。


 直後、社長室の空調が止まり、完全な静寂が訪れる。そして、室内のスプリンクラーが、ポツリ、ポツリと液体を滴らせ始めた。それは、ただの水ではなかった。


 ビリ、ビリ、と静電気を帯び、僅かに発光する、データノイズの液体――『電磁雨サイバー・レイン


 社内の完璧なセキュリティシステムが、警報の一つも鳴らさずに、内側から完全に掌握されていた。


 社長室の扉が、ゆっくりと開いた。


 そこに立っていたのは、先ほど部屋を出ていったはずの二人だった。


 一人は、クラシックなストライプのスーツに、シルクハットを目深に被った老紳士。


 もう一人は、最新のパリコレに登場したばかりのような、前衛的な漆黒のオートクチュールドレスに身を包んだ、年齢不詳の美しい女。


 彼らは、その場にそぐわない優雅な出で立ちで、室内で降り注ぐノイズの雨を弾く、特殊な素材でできた黒い傘を差していた。


「何を…! これはどういうこと!?」


 綾辻が叫ぶが、二人の表情は変わらない。女が、その赤い唇に妖艶な笑みを浮かべて言った。


「あら、素敵なショーだったわよ、響子。さっきの『ニュース』、特等席で見させてもらったわ」


「馬鹿な…! このビルのセキュリティは…!」


「勘違いするな、綾辻」


 今度は、老紳士が静かに、しかし絶対的な重みを持って告げる。その手袋をはめた指には、鈍く輝く指輪がはめられていた。その表面に刻まれているのは、白い鉢巻をしたムーア人の横顔を模した紋章。組織の起源を示す、テット・ド・モール。


「そのセキュリティも、お前が弄んでいる悪徳のシステムも、元はと言えば我々の技術をお前たちに『提供』してやっているものだ。そして、お前はそのルールを破った」


 光学迷彩を解除した数匹のナノドローンが、綾辻の背後にその姿を現す。自分が神だと信じていた世界の、その壁紙の裏に、真の神がずっと潜んでいたのだ。


「…なにを…言って…」


 綾辻の思考が凍りつく。


「ああ、お前は最高の駒だった。『偽物のエッグ』を、本物らしく育てるための、最高の駒としてはな」


 女の言葉が、綾辻のプライドに最後の一撃を加えた。


「『暴食』と『強欲』残り二つの悪徳の器は、もうお前ではない。我らが直接、管理する」


 老紳士が、指輪をはめた手で何もない空間に手をかざす。すると、指輪の紋章が淡い光を放ち、ムーア人の輪郭が、自らの尾を喰らう一匹の蛇『ウロボロス』の姿へと変形した。その蛇の口から吐き出されたかのように、綾辻が保管していた二つの悪徳のデータコアが、彼女の金庫から強制的に引きずり出され、老紳士の手の中に収まった。強奪だった。


「待ちなさい…! 私の竜が…! 私の計画が…!」


 女は、傘を差したまま、電磁雨に打たれ始めた綾辻に優雅に歩み寄り、その手にしたスマートなデバイスを彼女の首筋に押し当てた。


「お前には、その自らの愉悦のために作り出した地獄こそが相応しい。我らが用意した、新しい役目をくれてやろう、『囚人Q』」


 デバイスが起動し、綾辻響子の意識は、抵抗する間もなく、強制的にデータ化され、ネットワークの奔流へと叩き込まれる。


 彼女が最後に見たものは、黒い傘を差し、自分を嘲笑う女と、シルクハットの影から冷徹に見下ろす老紳士の瞳だった。


 行き先は、彼女自身がK-MAXを陥れるために利用した、あの『電脳拘置所』

 かつての支配者は、今や、自らが作り出した悪夢を永遠に彷徨う、名もなき囚人の一人となった。


 二人は、目的を終えると、再び傘を差し、室内の静かな雨の中を、音もなく去っていった。


 盤上から、最強の駒が、最も静かで、最も屈辱的な形で退場させられた。そして、空白となった玉座を狙い、真のプレイヤーたちが、ついにその姿を現し始める。


(第二部・完)

第21話『女王の孤独と、軍師の産声』、お読みいただき誠にありがとうございます。作者です。


 今回は圭佑不在という、K-MAXにとって最も過酷な試練の始まりを描かせていただきました。絶対的な太陽を失った時、残された月や星々がどう輝こうとするのか。玲奈の女王としての覚悟、そして絶望の底でついに立ち上がった莉愛の軍師としての産声を感じていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。守られていた少女たちが、今、自らの意志で「守る側」へと立とうとしています。


 そして、物語の盤上には、綾辻響子すらも駒として扱う、新たな『プレイヤー』の影が見え隠れし始めました。彼女たちの戦いは、もはや神宮寺という一人の男を相手取るものではなくなっていきます。


 みちるとまりあを救うため、そして王の帰還を信じ、少女たちの決死の救出作戦が始まります。次なる戦いの舞台は、悪夢の『電脳拘置所』。果たして、王のいない騎士団は、この絶望的な状況を覆すことができるのか。


 次回、第22話『電脳監獄への道』。

 どうぞ、お楽しみに!

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