君がいなくなったら
ふと自分一人いなくなっても世界は全く変わらないんだろうなと思った。これは気が滅入っているわけでもなんでもなく素朴にそう思った。そう思った時に島田紳助さんが芸能界引退した後、いろんな人たちが「結局、島田紳助いなくなっても芸能界はまわっているな」って言ってたの思い出した。上岡龍太郎さんの時もそう、いまはダウンタウン松本さんがテレビにいなくてもテレビはまわってるな、と。おれは自分の父親が亡くなった時のことを思い出した、あの時は立ち直るのに大変だった、ふと一人になると思い出して泣くこともあった、誰もいない夜道でワンワン泣いて帰ることもあった。立ち上がるのに時間がかかった。それを思い出した時にあぁ、そうだよな、と思った。紳助さんや上岡龍太郎さんがテレビに出なくなった後、松本さんが休業したあと、テレビを作る人たちは何度も何度も会議を重ね、彼らが所属する吉本も、てんやわんや。ファンでもなんでもない人には、テレビは普通にまわってるやん、と思うだろう。俺の父親が亡くなってもあなたたちは俺の父親を知らないから、世界は普通に回ってると思うだろう。そのまわりは、とても深い喪失感の中にいる。いつも誰かは誰かを失った時、立ち直りながら、世界を回してる。それがテレビタレントが引退した時、恋人と別れた時、家族の死、そう考えたら"誰々がいなくなっても、私がいなくなっても、世界は全く変わらない"って言葉ってこんなにも寂しい言葉なんだなと思った。


コメント
10一見変わってないように見えるけど、実は変わってるんだと思います。
それは小さな虫が居なくなった時も、草が一本無くなった時も同じな気がします。
みんなこの世界の一部を担っていて、その一部がなくなれば、何かが変わるのだと思います。
私も夫を亡くした時、世の中のニュースは日々流れて、自然の草木も季節の通りに咲くのに、自分と子ども達だけがポツンと喪失スポットに入り込んで抜け出せずにいたことを思い出しました。いつでもあのスポットに戻れる沼みたいです。そんな気持ちをnoteで表してくれた村本さんに共感と感謝を!そして、我々の取りこぼしそうでそれではいけないんじゃないか、という出来事をすくい上げてスタンダップコメディに昇華して刺激してくれる、村本さんが大好きです。
子供心に上岡龍太郎さん大好きだったので番組見れなくなって寂しかったです。テレビから消えたら、今はYouTubeチャンネルがあるからそちらで自分の好きな番組だけ見たりしてます。テレビあんまり見なくなりました。
うちの父は破天荒な人間で交通事故で48歳で亡くなりました。I am a comedianの映画観て、そのときのことがよみがえって涙出ました。自分もよくケンカして結構ひどいことを言ったので言わなきゃ良かったなとかすごく後悔しました。ああしてやれば良かったこうしてやれば良かったといまだに後悔が募ります。
大きな死は何度繰り返しても慣れませんねえ。
自分は死、自体は悲しい事だとは思ってないのですが
単純に会えないと思うと寂しくて悲しいです
死とは無になる事だと思っていますが
亡くなった尊い人たちは向こうで元気にやっているのだろうかと想いを馳せる事もあります。
もしかしたらどこかで生きてるんじゃないかと思う事も。
この矛盾した感覚は宗教が乱立し無神論者や無宗教が混在共存している日本ならではだと思っています。
人は忘れられた時に本当の死が訪れるとも申します。
村本さんは基本人間が好きなんだなと感じています。
死は無だと思っていますが
先立った人たちのご冥福をお祈りします。
自分が死なないと死んだらどうなるかわかりませんねえ。
無になったらそれ自体わからないんですけれども。
自分が死んでも世界が続いて行く。
じゃあ今考えているこの思考はどこへ?
意識が途切れるって寝る時みたいなのかしら。
不思議だなあといつも思います。