偶然の欠如
あまりニュースには驚く方ではないが、一昨日起きて最初にこの報道を聞いた時には「マジか」となった。
ご存じのように来年春のWBCの日本向けの放送がNetflixの独占になるとのことだ。地上波では見られなくなる。WBCはTBSで林アナや新タアナの実況と槇原の解説、テレビ朝日では清水アナの実況と古田の解説のイメージが強かった。そんな過去の思い出なども吹き飛ばす正に黒船襲来である。
地上波のテレビは2023年のWBCの優勝以来、大谷翔平だけで息を繋いできた。報道番組の時間の1割、スポーツニュースの5割はオオタニサンとその周辺を報じていたのがこの2年半のテレビだった。昨年くらいからは彼の報道になるとチャンネルを変えている。ドジャースが負けてパドレスが勝つとビールが旨くなった。今まで顔が映るだけでチャンネルを変えていたのは霜降り明星の粗品だけだったが、それにこんなスーパースターが加わるとは思いもしなかった。それくらい彼にテレビ画面は独占されたのだ。しかし大谷フィーバーの根源であるWBCを地上波は放送できない。
醜悪だがテレビ局が大会中どのように振る舞うのかに興味がある。報道から半日くらい経ってそういう心境に至った。
ちょっとハイソな人はこのように言う。「たかが900円じゃないか?」
正論である。確かにランチ一食分である。しかし無料サービスと手続きが必要な有料サービスの間にはグランドキャニオン並みの大きな崖がある。フィーバーはいつもミーハー層の動きによって引き起こされる。来春のWBCは能動的でなければ見ることができない。これはボタン一つで快適な生活をしている現代人にはとても高いハードルである。
ここまでやや突き放して書いてきたが、やっぱり憂慮すべき時代だとも考える。それは子どもたちにとっての影響である。前回の大会で何となく野球を見始めて大谷や山本やヌートバーのファンになり、今はどこかのチームに所属して週末ごとにバットを振りボールを追いかけている子どもたちは少なくないだろう。しかし今回はこういう偶然の出会いを大きく減らしてしまう。また私は2023年の日本戦は3回外のテレビで見る機会があった。1回は家族で出た先の居酒屋、1回は近所の食堂、1回はスーパー銭湯の休憩所だった。居酒屋では隣の客と何度もハイタッチをした。スーパー銭湯ではヌードバーが打つシーンに遭遇して数十人でのペッパーミルが行われた。大規模スポーツイベントはこれがあるから良いのだ。そんな思い出と紐づけられない世界大会は手持ち花火くらいのインパクトしか残さないであろう。
塾生に聞いてみたことがある。中高生で久保建英を知っているのは大体3割、三苫薫と井上尚弥で2割くらいである(ちなみに那須川天心は5割に達する)。村上宗隆は6割近い知名度なのも合わせると「ネットの時代」とどれだけ言われても地上波の影響が強いことがよく分かる。大体サッカー日本代表の中心選手がCMで「僕の名前は三苫薫~」と言う時代である。「僕の名前は本田圭佑~」「僕の名前は鈴木一朗~」絶対にそんなフレーズは使わなかったであろう。令和とはそういう時代である。
スマホを持った現代人は”偶然”に耐えられなくなっている。
・雑多な出自の人が集まる公立中学
・親の約束無しで偶然公園で自然発生する子どもたちの遊び
・海外旅行(パスポート取得率の低下)
・結婚
・育児
こういった偶然の塊から皆が逃げ出している。
そもそもコスパやタイパの言葉が蔓延するのもできるだけ偶然を消滅させたい心理の顕れである。
また子どもの生活は偶然の積み重ねであるのが長年の常であった。しかし今はそれを許さない。「生きづらい」と感じる子どもたちが増えるのはこの風潮が大きいと私は考えている。
”偶然”を無くしていくことが、中長期的には人類の生活を焼け野原にするのは明らかだろう。多くの人が自分が生きている間さえ生き延びられれば良いのでまだのほほんとしているが、スマホとAIなどの影響もあり想定よりだいぶ早く焼け野原がやってきそうである。WBCのNetflix独占放送のニュースはその象徴の1ページとして私の中に刻まれた。



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