第15話 王の孤独と、キッチンの戦争

【導入王の悪夢】


 夜が明けた。しかし、神谷圭佑の部屋のカーテンは、厚く閉ざされたまま、世界の始まりを告げる朝の光を、まるで罪人のように拒絶していました。窓の外から差し込むはずの柔らかな光は、彼自身の心の闇に吸い込まれるかのように、この部屋には届きません。


 ベッドの上、自分の体温すら感じないほど冷え切ったシーツの中で、圭佑は膝を抱え、ただ過去の悪夢に囚われていました。瞼を閉じれば、ノイズ混じりの映像が、容赦なく脳裏にリフレインします。夕暮れの公園に錆びたブランコが、きぃ、と悲鳴を上げ、砂場では麦わら帽子をかぶった活発な少女が、泥だらけの手で圭佑に駆け寄ってきます。彼女の口から告げられた「お引越し」の言葉と、それでも変わらない「絶対に圭ちゃんのこと、忘れないから! だから、絶対にお手紙書くからね! 圭ちゃんも、書いてくれる?」という約束。声が出ない幼い圭佑がこくりと頷き、差し出された小指に、自分の小指を絡めます。夕日に照らされた彼女の、太陽みたいな笑顔は、永遠に続くかのような輝きを放っていました。


 ハッと息を呑んで、現実へと浮上する圭佑。全身は、冬だというのに、じっとりと冷たい汗で濡れ、心臓は不快なほど強く脈打っていました。「……莉子……」そうだ、あの子の名前は、橘莉子だ。忘れていたのではない。あの『悪徳』という化け物によって、強制的に思い出させられたのです。


 そして、圭佑は自覚します。「……ああ、そうだ。俺は、怖いんだ」彼のこの失われた記憶、まるでブラックボックスのように閉ざされていた過去が、これ以上仲間たちを傷つけるのが恐ろしかったのです。自分が側にいるだけで、愛するファミリーを不幸の渦に巻き込んでしまうのではないかという、拭い去れない不安。その強すぎる恐れが、彼を深く追い詰めていました。「それなら――俺は、一人で戦うしかない」それは、仲間を愛するが故に、圭佑が自らに課した、不器用で、身勝手で、そしてあまりにも傲慢な罰でした。部屋の重いカーテンのように、圭佑の心もまた、外界との繋がりを閉ざし、深く沈み込んでいたのです。


【展開①:キッチンの戦争】


 その頃、天神タワーマンションの広々としたキッチンは、圭佑の部屋の重苦しい空気とは裏腹に、文字通り戦場と化していました。重い沈黙を切り裂くように、姫宮あんじゅがパンッ! と柏手を打ちました。「こーなったら、Kちゃんが部屋から出てきたくなるような、世界一美味しいごはんを作って、配信で見せつけちゃおうよ!」。その一言が、圭佑を部屋から引きずり出すための、彼女たちなりの宣戦布告となったのです。


 今宮の手によって、ゲリラ的な料理配信のハッシュタグ「#Kを元気づけろ」は、瞬く間にトレンド入りし、世界中に拡散されていきました。キッチンには、食材の豊かな香りが充満し、包丁の軽快な音や、フライパンが揺れる音が響き渡ります。


「やっぱ、元気出すなら肉でしょ!」。莉愛が、霜降りの最高級A5ランク牛肉を高々と掲げ、まな板に置かれた肉は、きめ細やかなサシがまるで芸術品のようです。隣では、黒崎アゲハが「これでも食って、シャキッとしやがれ!」 と叫びながら、コンロにまで届くほどの激しい炎を上げ、中華鍋を激しく振っていました。焦げ付く寸前の香ばしい香りが立ち込め、食欲を暴力的に刺激する麻婆豆腐を、あっという間に完成させます。


 星川キララは「圭佑さんのために、心を込めて作ります!」と、真剣な眼差しで、ファンシーな色のオムライスを差し出しました。しかし、ケチャップで描かれた歪んだウサギは、まるで血の涙を流しているかのように見え、その意図とは裏腹に、どこか不気味な雰囲気を醸し出していました。元国民的アイドルセンターの月音夜瑠は、他の追随を許さない完璧な手際で、黄金色に輝く美しい出汁巻き卵を作り上げ、「料理もパフォーマンスも、基本が一番大事よ」と静かに微笑みました。彼女の手元には一切の迷いがなく、その所作一つ一つが洗練されていました。現役JKモデルの橘みちるは、「映えなきゃ意味ないから」と、色とりどりのフルーツとエディブルフラワーで飾り付けた、まるで雑誌の表紙から抜け出してきたかのような華やかなパンケーキを並べました。


 そして、普段は料理下手なはずの天神玲奈が、キッチンの隅で、ホログラムとして現れたAIミューズ・プライムと二人、真剣な顔で何かを作っていました。「ミューズ、そこの塩の分量は、0.1グラム単位で正確にお願いします」『かしこまりました、玲奈様。最適な攪拌(かくはん)速度を再計算します』。最新鋭AIと人間の共同作業によって生み出されていたのは、完璧な温度管理と調理工程で仕上げられた、本格的なフレンチの魚料理「舌平目のムニエル 焦がしバターソース」でした。圭佑のために、不器用ながらも必死に努力する、その健気な姿がそこにはあったのです。


 その光景を見ていたみちるは、パンケーキを飾り付けながら、ぷくーっと頬を膨らませました。「…ずるーい。玲奈だけ、ミューズちゃんと一緒なんて。AIアシストは反則だもん」。莉愛が「こら、みちる! お姉ちゃんは、圭佑くんのために必死なんだから!」と姉を庇いますが、その莉愛自身も、ミューズの完璧な調理補助を羨ましそうに見つめていました。


 このカオスな料理配信の司会進行役と、料理の「毒味役」として駆り出されたのが、今宮でした。彼はキララのオムライスを一口食べ、数秒間真顔で固まった後、涙目でカメラに訴えます。「……あ、甘いのか、しょっぱいのか、それとも悲しいのか……宇宙の味がします、兄貴……!」その言葉は、視聴者の笑いを誘い、コメント欄を沸かせました。


 その時でした。莉愛が丹精込めて焼き上げた、最高級A5ランク牛肉のステーキ。その一切れが、ふわりと宙に浮いたのです。莉愛が目を丸くするのと、そのステーキが忽然と消えるのは、ほぼ同時でした。次の瞬間、今宮が持つ腕時計端末から、手のひらサイズの小さなアバター姿のAIキューズが、ポンッ、と飛び出しました! 彼女は、その小さな口いっぱいにステーキを頬張り、もぐもぐと満足げに咀嚼しています。『……!』。満足げに頷くキューズ。莉愛の怒声がキッチンに響き渡りました。「こらーっ! キューズ! つまみ食いしないの!」。『べ、別に、つまみ食いなんかじゃないわよ! マスターKに出す前の、最終的な味覚データと毒物の含有チェックをしてあげただけ! 感謝しなさいよね!』。キューズは、ぷいっと顔を背けながら、口の周りについたソースをペロリと舐めました。莉愛は、「もうっ! 食いしん坊なんだから!」と言いながらも、その瞳は優しく笑っていました。彼女は、新しいステーキを小さく切り分けると、キューズの口元にそっと差し出します。「はい、あーん」。『……べ、別にいらないって言ってるでしょ! ……ん、もぐ……』。結局、素直に口を開けるキューズ。そのツンデレな姿に、配信のコメント欄は『てぇてぇ!』『キューズちゃんかわいすぎ!』という絶賛の嵐に包まれました。


 ですが、元コンカフェ嬢夢野まりあが作った「萌え萌えきゅん♡ふわとろオムライス」は、誰がどう見ても完璧な出来栄えでした。今宮は、その一口を食べ、思わず素の表情で呟きます。「……うめえ……。まりあちゃん、これ、マジでうめえよ!」褒められたまりあは、嬉しさのあまり、顔を真っ赤にして俯いてしまいます。そして、配信中であることも忘れ、勢い余って小さな声で尋ねてしまいました。「……あ、あの……今宮さんは、その……彼女とか、いらっしゃるんですか……?」。スタジオ(キッチン)が一瞬、静まり返ります。今宮は、一瞬驚いた顔をしましたが、すぐに悪戯っぽく、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべました。彼は、カメラから見えない角度で、そっとまりあの頭を撫でながら、マイクに乗らない声で囁きます。「……やめときな、まりあちゃん。まりあちゃんのナイト(騎士)は、兄貴(K)なんだ。乗り換えは、よくないぜ? 嬢ちゃん」その言葉に、まりあは喜びと、切なさと、そして少しの嫉妬が入り混じった、複雑な表情で、ただ俯くことしかできなかったのです。


 圭佑もまた、自室のモニターでその全てを見ていました。仲間たちの、不器用で、メチャクチャで、だけど温かい姿に、凍りついていた心が、少しずつ、ほんの少しずつ溶かされていくのを感じたのです。彼らの声、香ばしい料理の匂い、そして画面越しの熱気が、閉ざされた圭佑の心の扉を、ゆっくりと押し開いていました。


【展開②:配信終了後、三人だけの鎮魂歌】


 誰もいなくなった、深夜のダイニングルーム。配信は無事に終了し、メンバーたちはそれぞれの部屋に戻っていきました。しかし、まりあだけが、ダイニングの椅子に一人、ぽつんと座り込んでいます。その肩は、小さく震えており、テーブルに広げられたままの料理の残骸が、彼女の心を映し出すかのように、どこか寂しげでした。


「まりあちゃん、大丈夫?」。声をかけたのは、莉愛とみちるでした。制服姿のJKコンビの二人は、泣いているまりあの両隣にそっと座り、その背中を優しく撫でます。「……ごめんなさい……私、配信中に、あんなこと……」。莉愛が力強く励まします。「いいって! 恋する乙女は最強なんだから!」。みちるも、ふわりと笑いました。「そうだよ。今宮さんのああいうとこ、なんかズルいよね」。三人は、女子会のように、しばらくの間、恋の痛みと、それでも前に進む勇気について、静かに語り合ったのです。


 やがて二人が部屋に戻り、再び一人になったまりあ。彼女の前に、そっとマグカップが置かれます。温かいミルクティーの湯気が、優しく立ち上ります。顔を上げると、そこには、いつものお調子者の笑顔を消した、静かな表情の今宮が立っていました。まりあは、今宮の顔を見た瞬間、堪えていた涙が溢れ出し、声を殺して泣きじゃくります。今宮は、何も言わずに、彼女の隣に静かに座ります。そして、まりあが少し落ち着くのを待ってから、ゆっくりと、諭すように口を開きました。「……謝るなよ、まりあちゃん。俺の方こそ、ごめんなな。……あんな言い方しか、できなくて」その優しい声に、まりあはさらに涙を流します。「……だって……私の恋は、始まる前に、終わってしまいましたから……」


 今宮は、その言葉を否定しませんでした。彼は、遠い目をして、圭佑がいるであろう部屋の方を見つめながら、静かに言います。「大丈夫だ、まりあちゃん。キミが、兄貴を好きで良かったと思う時が、きっとくる。……俺が、保証する」その言葉には、絶対的な確信がこもっていました。まりあが、涙に濡れた瞳で彼を見つめ返します。「…後悔してる。俺が兄貴のために選んだ『道化』っていう正義が、一番近くで支えてくれてた彼女を、深く傷つけた。守るための選択が、一番守りたいものを壊しちまったんだ。だから、もう女の子を傷つけたくない。女の子には、笑っていてほしい」彼は、そんな彼女に、少しだけ寂しそうに、しかし、どこまでも誇らしげに微笑みました。「まりあちゃんは、まだ、本当の兄貴を知らないんだ。 ……あいつは、俺たちが想像もできないようなデカいものを背負って、それでも、俺たちの光になろうとしてる、たった一人の、俺たちの『王』なんだぜ」その言葉は、もはや圭佑の弟分としてではありません。神谷圭佑という人間の最初の信者としての、絶対的な信仰告白でした。


【展開③:王の不在と、王の帰還】


 メンバーたちが料理配信に夢中になっている隙を突き、天神グループ内部のスパイが、K-PARKへのサイバー攻撃を開始していました。司令室のモニターには、無数のアラートが点灯し、赤色の警告表示が点滅します。『敵性プログラム、侵入! パーク内に複数のウイルスモンスターが出現!』キューズとミューズ・プライムが必死に防戦する中、モニターには、データ化された凶悪なモンスターたちが、K-PARKの施設を破壊し、来場者を襲う地獄絵図が映し出されていました。


 圭佑の自室。「う、ぐっ…!」頭を抱えた瞬間、視界が激しく歪みます。見慣れた自室の天井に、バチバチと音を立てて亀裂が走る幻覚が見えました。違う、これは俺の部屋じゃない。俺の精神世界のコピーである『K-PARK』が、今まさに、未知なる敵に汚染され、引き裂かれているのです。耳元で、来場者の悲鳴と、仲間たちの「助けて、リーダー!」という幻聴が木霊します。圭佑が逃げているこの一瞬にも、俺の世界は壊されていく。俺のせいで、俺が創った楽園が、地獄に変わっていく。その直接的な痛みが、物理的な激痛となって圭佑の全身を貫きました。


 天神玲奈だけが、その二つの危機を察知し、祖父とのホットラインを手に取りました。電話の向こうで、祖父は全てを見通したように告げます。「……やはり、動き出したか、内なる鼠が。……圭佑に伝えよ。佐々木と面会するのはどうじゃ? 彼女なら、神宮寺の……そして、内部の鼠の『尻尾』を、知っておるやもしれん」玲奈は、その言葉を手に、圭佑の部屋のドアをノックします。その声は、いつもの冷静さを失い、切迫した響きを帯びていました。「圭佑さん。おじい様からの伝言です。『佐々木さんに、会いなさい』と。……そして、聞いてください。あなたが心を閉ざしている間に、敵は動き出しました。あなたの『城』が、今、内側から燃やされようとしていますわ」


 玲奈の切迫した声と、精神を苛む激痛。そして、祖父が提示した「佐々木」という具体的な次の一手。圭佑は、深い絶望と自己嫌悪の淵から、ゆっくりと立ち上がったのです。その瞳には、もう迷いはありません。己の弱さと向き合い、仲間を守るための、揺るぎない覚悟が宿っていました。


 勢いよく部屋のドアを開ける圭佑。そこには、心配そうに立つ玲奈と、お盆にそれぞれの「愛情料理」を載せたK-MAXメンバーたち、そしてレポートを終えてグッタリしている今宮がいました。圭佑は、その光景を見て、一瞬だけ呆気に取られた後、不敵な笑みを浮かべます。「……腹が減った。全部食ってやる。だが、その前に、配信を始めろ。今すぐだ」。


 数分後、圭佑はゲリラ配信のカメラの前に座っていました。彼の表情は、以前の虚ろなものではなく、鋭い光を宿していました。目の前には、仲間たちの愛情が詰まった料理が彩り豊かに並んでいます。


「よう、お前ら。心配かけたな」。


 圭佑は、まずキララの宇宙オムライスを一口食べ、数秒間真顔になった後、こう言いました。「……ああ、懐かしい味がする。昔、オフクロがよく作ってくれた、失敗したオムライスの味だ。……だが、悪くねえ。心がこもってる」彼は、一皿ずつ、全ての料理を食べ、時には絶賛し、時には悶絶しながら、その全てに感謝を述べました。配信のコメント欄は、『王の帰還!』『K、おかえり!』『全食いとか漢だろ!』という、感動と歓迎の嵐に包まれたのです。


 そして、最後に、圭佑は全ての皿を見渡すと、おもむろに一番大きな皿を手に取りました。そして、アゲハの麻婆豆腐を一口、キララの宇宙オムライスを一口、玲奈のムニエルを一片、莉愛のステーキを一切れ――全ての仲間たちの料理を、その一つの皿の上に乗せていきます。ごちゃ混ぜで、ちぐはぐで、お世辞にも美味しそうとは言えない、圭佑だけの「K-MAXプレート」彼は、その皿をカメラの前に掲げ、ニヤリと笑いました。「これが、俺たちの味だ。甘くて、辛くて、しょっぱくて、よく分かんねえけど、最高に温かい。俺は、こいつら全員の想いを、全部背負って戦うって決めた」それは、多様な個性を持つK-MAXメンバーたちの絆と、圭佑がその全てを受け入れる覚悟を象徴する、新たな王の宣言でした。


 そして、カメラの向こうの仲間たち、そして全世界のファンに向かって、力強く宣言します。


「全員、聞け! 次の作戦目標は三つ!」

「一つ、佐々木との面会!」

「二つ、敵の本拠地、金融街パシフィック・ウォールへの奇襲準備!」

「そして三つ目……俺たちの城に湧いた、汚い鼠をあぶり出す!」


「もう、守ってばかりは終わりだ。こっちから、仕掛けるぞ!」


 その声には、絶望を乗り越え、自らの運命を切り開こうとする、王の咆哮が響いていました。彼の瞳には、仲間たちへの深い信頼と、未来への揺るぎない決意の光が宿っていたのです。天神タワーマンションの最上階には、新たな戦いの狼煙が、力強く上がっていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る