八つには常に心の師と為れども、心を師とせざれ。
『大乗理趣六波羅蜜多経』巻7
経典名からも、これが出典であろう。或いは、別の大乗経典にも似たような文脈がある。
心の師と作ることを願い、心を師とせざれ。
『大般涅槃経』巻28
このように、幾つかの大乗経典にあるのだから、日蓮聖人のオリジナルではないことは明らかである。よって、今後はこの辺の線引きを確実なものにしておいてもらいたいが、実際のところ、似たような話というのは沢山ある。何故か、道元禅師の教えとしていわれてしまう以下の一文は、実際には別の人の言葉の引用である。
一日示云、古人云、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。よき人に近けば、不覚によき人となるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻5-3
かなり有名な文脈である。いわゆる自ら自身それほどに力を費やさなくても、優れた修行者の近くで一緒に修行していれば、いつの間にかその為人(ひととなり)が“身について”、良い人になるのだという「随身のススメ」である。この出典は『潙山警策』というもので、中国の禅僧である潙山霊祐の言葉なのである。しかも、道元禅師御自身「古人云く」と、他人からの引用だと示しているのに、それを忘れてしまうと、「道元禅師の言葉」として一人歩きしてしまう。
同じような言葉に、「心頭滅却」というのがある。武田信玄に迎えられて塩山の恵林寺に入寺し、織田信長の甲州攻めにより武田氏が滅亡した際に、織田信忠から焼討ちにあって、一山の僧とともに焼死を遂げた快川紹喜が辞世として「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」といったと伝えられている。ただ、或る文献では快川と問答をした別の和尚の言葉とも伝えられ、謎が残るが一人歩きした。そして、元々この語を快川の語だと指摘する者もいるが、それは正確とはいえない。臨済宗の圜悟克勤禅師が編まれた『碧巌録』第43則の本則に対する拈提でいわれている言葉であった(その場合、末尾は「火自ずから涼し」である)。
このように、世間で言われている発語者と、実際の出典とが違っていることは多い。ただ、最後の快川和尚の言葉については、『碧巌録』の言葉だと示されているわけではないので仕方ないかもしれない。しかも、伝承にも不明な点が残る。しかし、冒頭の日蓮聖人と、道元禅師の一件については、それぞれの祖師が出典が別にあることを示しているのだから、その祖師に典拠を求めることは不当である。拙僧つらつら鑑みるに、宗教に於ける言葉にオリジナリティは不要だともいえる。それは最初にいわれたことが大事なのではなく、その言葉を発した境地を共有することの方が大事だからである。また、後人が先人の優れた語をなぞるのは、オリジナルを求めるよりも重要である。オリジナルをなぞり尽くした後で、初めて自分の言葉が出るか否か?というところだろう。
記事のタイトルにした一節だが、「心の師」になるには、その方法と実践を伝えてきた先人の言葉に従うことが肝心だといえるが、如何か?
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