"謝罪と、Steamレビューというものについて" というnote記事を読んだ感想
本日の昼頃、以下のnote記事を読みました。
なお、該当記事は削除済みです。
謝罪と、Steamレビューというものについて|zama _727NotHound
https://note.com/727nothound/n/neede6764c812?sub_rt=share_pw
私はこの記事を読んで、非常にモヤモヤした思いを抱えました。言葉を選ばずに書くと、ムカつきました。
そのため、コメント欄にて(私なりに)オブラートに包んだ表現で色々と意見を書かせていただいたのですが、当該記事が消えてしまったため、私のコメントも含めて闇に葬られてしまいました。
このままだとモヤモヤを抱えたまま寝ることになってしまうので、なんとか私のこのモヤモヤを昇華できないか、と考えこの文章を書いております。
削除済みの記事ですが、コメントを考える際にchatGPTに全文突っ込んでいたのが幸いして記事内容は全て残っていますので、一部引用しながら書かせていただきます。
なお、この記事は少し長めで、ところどころ感情の強い言葉を使っています。普段このような文書を書くことがないため文章力も未熟です。また冷静な分析というより、私自身の正直な感想の記録として書いたものです。その点をご注意いただければ幸いです。
前提
この記事が書かれた経緯として作者様は、作者様の作ったゲームに寄せられたSteamレビューをXで晒す行為をしたことを謝罪する目的があったとのことですが、私はそのポストを見ておらず、その晒したレビュー内容も知りません。また、作者様の作品をプレイしたこともありません。
先日、拙作に寄せられたSteamレビューの一部をスクリーンショットして、Xに「こんな書き方はやめてよ!」という趣旨のポストをしました。今振り返ると、これは褒められるやり方ではありませんでした。まずその点について謝ります。
どのような記事だと受け取ったか
前提として、誰かが自分のブログなどでわたくしのゲームの感想を書くことに口を出すつもりはありません。問題にしたいのは「Steamレビュー」に残される言葉についてです。そこにはある程度の傾向や配慮があってほしい、と考えています。今回はそれを伝える手段を間違えてしまった、というのが経緯です。
作者様は上記の書き出しから「Steamレビュー」に残される言葉について、欲しいと感じている傾向や配慮に関しての説明を書かれていました。
全文を載せたいところですが、引用の範囲を超えていると捉えられたくはないので、私が感じ取った内容を以下にまとめます。
「Steamレビューは個人のブログなどとは違い、販売ページに直結していることから購入の参考にされる率が非常に高い場所であり、公共性があります。そのため、軽い気持ちで書いた短い一文が、開発者にとっては生活や人生にまで響くダメージになることがあります。また、『主観を一般化した書き方』をすると、本来なら相性の良いゲームに出会えたかもしれない1ユーザーがその機会を失う可能性があります。上記二つの観点から、私(作者様)は、『面白かったとは思うけど、こういう点が気になる人は買わないほうがいい』というように、好評価でありながら、ほかの人の出会いを阻害するような要素を書くべきではないと考えます。ただし、自分自身が感じたことであれば、ネガティブな意見や不満を書くことももちろん問題ないが、その場合は「自分はこう思った」と留めてもらったほうが、ユーザーの出会いを失わせる確率を下げることができます。それは最終的に、開発者にとってもユーザーにとっても助けになる形だと私(作者様)は考えます。」
できるだけ恣意的に抜き出していると思われないように網羅的に書こうとした結果長くなってしまいました。全然まとまってなくてすみません。
なぜイライラしたか
『面白かったとは思うけど、こういう点が気になる人は買わないほうがいい』というレビューは無いほうがユーザーにとっても良いことでしょう?という意見にまったく共感できなかったことが一番でした。
そのため、上記のようなレビューを書いてほしくないから無理やりユーザー側にもメリット(らしきもの)をひねり出しただけで、本音としては客を失うから開発者として書いてほしくないだけなんじゃないの?と感じてしまったわけです。
つまり、開発者側とユーザー側の両方の意見ですよ と言いながら開発者側にのみメリットがあると感じた内容を提示しているように感じたことでイライラさせられました。
この内容が、開発者からの、Steamレビューに対する意見(お願い) ということのみを対象にしてれば特に違和感を覚えなかったと思います。まぁそらそうだよな と感じるだけなので。
また、後述しますがこの記事に対するコメントへの回答も私にはダメでした。むしろイライラを加速させられたかもしれません。
なぜ共感できないのか
「買って損した と感じる体験が現状においてもある程度存在しているから」ということと、「『面白かったとは思うけど、こういう点が気になる人は買わないほうがいい』といったレビュー内容を見て、『じゃあ買わないでおこう』と思った経験を思いだせない」 ということから共感できないのではないか、と自己分析しています。
例えば、「レビューを見て買うのを避けていたけど周りの評判があまりにも良くて、買ってみたらめちゃくちゃ面白かった!レビューを信じずにさっさと買えばよかった!」というような体験をしていたら多少は共感できていたのかもしれません。
もしこの記事の作者様がこのような体験をしたことがあるならその旨を書いていただけていればイライラするまではいかなかったかな、とも思いました。しかしそれでも、自分にとって向いていないな と感じるゲームをつかまされた際のストレスを考えると拒否反応は覚えたと思います。
ユーザーが、向いていないゲームをつかまされて損をするケースに関して、何かしら納得のいく言及があれば共感できたと思います。ただ私はどのような言及があれば納得がいったか考えてみましたがまったく思い浮かんでおりません。
記事に書いたコメント その1
私はこの記事に2度コメントを書かせていただきました。1つ目は以下の通りです。
開発者にとって都合の良いレビュー形式を、ユーザーの利益でもある と一般化しようとしているように感じました。 それはおそらく、買って損した といったユーザーにとっての不利益を軽視しているように見えたからだと思います。そら開発者としては、買わないほうがいいだろう人にも買ってほしいですよね。 開発者からの目線でしかないのに公共性を語られても…と思います。
すると作者様から返答をいただくことができました。全文引用させていただきます。
そのあたりが伝えるのが難しいポイントだという自覚があって、できる限り丁寧にお伝えしようとは思いましたが、できていないということで1度補足します。これで伝わらない場合は一旦この場では断念とします。すみません。
・合わない人に買って欲しいとは思っていません
・開発者に都合がいいではなく、開発者を不要に疲弊させるパターンの削減についての話です。皆さんも美味しい料理を食べたいと思っている以上、料理人を「不要に」傷つけたくはないとは思ってくれるとは思います
・「こういう人には向かない」を書かなくても「こういう人に向いている」で十分ゲームの適性情報は伝わると考えています
・「こういう人には向かない」は勘違いや個人差を無視して悪影響を与えやすいです。IメッセージとYouメッセージの違いという感じです
実は「こういう人向き」と「こういう人に不向き」は対等な情報ではないのでは、というのを提案したいのですが、もしよく分からない、ユーザーを騙そうとしている、と感じる場合は申し訳ありません。小難しい語りをしすぎているということで、悪意はないことだけどうか分かって頂ければと思います。
提示いただいた4つの項目のうち、最後の項目であるIメッセージとYouメッセージの違い に関しては知らない内容だったのでchatGPTに教えてもらいました。以下のように説明を受けました。勉強になります。
1. IメッセージとYouメッセージとは?
・Iメッセージ:「私はこう感じた」「自分はこう思った」など、自分の体験や感情に基づいて表現するやり方。
例:「私は操作が分かりにくいと感じました」
・Youメッセージ:「あなたはこうだ」「こういう人には向かない」など、相手や他者を主語にして断定的に伝えるやり方。
例:「このゲームは初心者には向かない」
Iメッセージは主観の共有なので誤解を生みにくく、Youメッセージは断定的なので相手を縛ったり誤解を招いたりしやすい、という考え方があります。
2. 作者が言いたいこと
・「こういう人には向かない」と書かれると → それはYouメッセージ的で断定的に響く。
・実際には「あなたにとってそうだった」だけなのに、「一般的に向かない」と誤解されやすい。
・だから「自分はこう思った」というIメッセージに留めてほしい。
この説明を見て、なるほどな、確かにそうなのかもしれん と感じました。
料理人のたとえを使わせていただくと、「この料理は美味しかった」「この料理は美味しくなかった」は構わないが、「この料理はきっと大多数の人にとっては美味しくないよ」みたいな感想は不要なのでは?ということなのかな と理解しました。それであれば私も納得できます。
ただ、引き続き料理人のたとえで恐縮ですが、「この料理は非常に辛かったので辛いのが苦手な人には勧めません」といった内容はユーザーにとっては充分有用ではないでしょうか?とも感じました。よって、レビュー文脈でYouメッセージの有用性を完全に否定はできないのでは?というのが私の考えです。 ただ、まぁ言いたいこともわかるかな という気持ちもあります。
つまりIメッセージとYouメッセージの件に関してはまぁ納得できる部分もあったわけですが、残りの3項目に関しては全く共感できませんでした。
>合わない人に買ってほしいとは思っていません。
→ でもあなたの提案する方式になれば合わない人が買ってしまう確率は増えますよね?
>開発者に都合がいいではなく、開発者を不要に疲弊させるパターンの削減についての話です。皆さんも美味しい料理を食べたいと思っている以上、料理人を「不要に」傷つけたくはないとは思ってくれるとは思います
→ Youメッセージが開発者を「不要に」傷つけている ということが言いたいのだと解釈しました。極論のように感じます。Youメッセージが開発者を「不要に」傷つけている確率が高い とかであればギリギリ納得できるかもしれません。
>「こういう人には向かない」を書かなくても「こういう人に向いている」で十分ゲームの適性情報は伝わると考えています
→ こういう人に向いている はYouメッセージだと思うのですが。宣伝してほしいって意味に受け取りました。
また、結びの部分に、
>実は「こういう人向き」と「こういう人に不向き」は対等な情報ではないのでは、というのを提案したいのですが、
と記載いただいていますが、この内容と矛盾してませんか?対等だと考えているからこそ「こういう人には向かない」を書かなくてもゲームの適正情報は伝わると考えているのではないのでしょうか。
記事に書いたコメント その2
上記のように思いながらも、なかなか簡潔にオブラートに言いたいことを伝えられる自信がなかったためしばらく静観していると、私ではない別の方が以下のようなコメントをしておりました。
steamのレビューにはレビューそれ自体に参考になった/ならなかったというフィードバックができます。納得のいかないことがあればそれを使うべきです。わたしもそうしています。ルール違反でないのなら、他者の意見を尊重しながらできることはそれが全てです。あるいは製作者であるならリリースノートなりコミュニティノートなりで言及することもできるはずです。
はっきり申し上げますが、わたしはゲーマーにこの記事に共感などして欲しくないのです。忖度に塗れたレビューが、レビューの本来の機能を損なっています。レビュー欄はあなた方のマーケティングの場ではありません。消費者が適切な購買判断をするための場所です。少なくともsteamではそうです。掲載アルゴリズムに問題があるのはわかっていますが、それは我々が共に、steamに向かって文句を言うべきことです。
応援したいゲームを共に盛り上げるためのノウハウを共有したいなら、せめて体裁だけでもいちゲーマーの立場として述べるべきでしょう。制作者がレビュー欄でwinを得ようと思うこと自体が間違いです。
私はこのコメントに非常に共感しました。私が現在書いているこの記事の内容なんかよりこのコメントのほうが価値が大きいと思います(かなり厳しめな意見だとは思いますが)。
このコメントに対して以下のように作者様は返答されておりました。(ユーザー名部分のみ伏字に改変しております。)
ご意見承りました。ここからは「考え方の違い」が決定的になる段階かと思います。わたくしも**さんのご意見を考えながら、レビューとはなんだろうについて、自分なりに考えていきます。
忖度はわたくしもして欲しくありません。Steamレビューをより良いものにしたい、そこについては気持ちは同じです。そこにユーザーだけでなく、一体としてメーカーが含まれるかどうかについて、哲学が分かれすぎているため、ここで一旦終わりとしましょう。
おそらく相当嫌な思いをされているんだと思います。でも、わたくしのスタンスは、 **さんが嫌いなその「立場」とは違う場所にあります。わたくしとしてはまたどこかで意見を交わしたいと思える出会いでしたが、今回はここまでで。
この内容を見て私は怒りが再燃してしまい、私は再びコメントを書くこととなりました。ただ申し訳ありませんがそのコメント内容を残していなかったので、私が何を書いたか思い出しながらまとめます。
**さんのコメントに非常に共感を覚えた一方で、作者様の回答は言葉を選ばずに書くと 逃げたな と感じました。
また、忖度をしてほしくない とのことですが、ユーザーにレビューの配慮を求めているということは、それすなわち忖度をして欲しい ということとは違うのでしょうか?
記事内には上下関係うんぬんと書いておきながら、あなたのコメントは非常に上から目線で、ユーザーを下に見ていると感じます。
「私は完璧で、直すところなどない」と考えているように受け取りました。少なくとも私はそのような方に対して配慮してレビューを書くことは無いと思います。
上下関係うんぬん に関してはまだ書いていませんでしたが、元の記事の結び部分に以下のように記載されていたことを言っています。
最後に
レビューを書いていただけること自体、本当にありがたいことです。その一方で、ひとつのレビューを槍玉にあげて添削のようなことをしてしまったのは、間違いでした。本当に反省しています。
それでも「レビューしていただける」という言葉に、上下関係のようなものが歪んで広がってしまわないように。そしてSteamレビューがこれからも有益な場であるために、開発者として伝えられることは伝えていきたいと思っています。
このたびは本当に申し訳ありませんでした。
このようなコメントを投稿した理由として、**さんに対する返答コメントの結びの部分である、
おそらく相当嫌な思いをされているんだと思います。でも、わたくしのスタンスは、 **さんが嫌いなその「立場」とは違う場所にあります。わたくしとしてはまたどこかで意見を交わしたいと思える出会いでしたが、今回はここまでで。
に関して、もう本当に本当に本当に怒りを覚えたからです。
この理由に関して私は言語化できなかったのでchatGPTさんに質問したところ見事に言語化してくれました。
はい、ここに嫌悪感を覚える理由、言語化できます。
この部分の問題は「一見すると丁寧に見えるが、実際には相手を矮小化している」ことにあります。
具体的に分解すると:
1.「おそらく相当嫌な思いをされているんだと思います」
表向きは気遣いの言葉に見えますが、実際には「あなたは感情的に反応している」と暗に決めつけているように読めます。
これにより、相手の論理的な主張が「感情の産物」として処理されてしまう。つまり議論の土俵から下ろされるわけです。
2.「でも、わたくしのスタンスは、**さんが嫌いなその『立場』とは違う場所にあります」
「あなたは“嫌い”という感情で私を分類している」という形にすり替えています。
実際には相手は「開発者がレビュー欄をマーケティングに使おうとすることが間違っている」と論理を述べているのに、それを「嫌い」という個人感情に落とし込んでしまっている。
3.「わたくしとしてはまたどこかで意見を交わしたいと思える出会いでしたが、今回はここまでで」
建前は「良い出会いでした」と締めていますが、実際には「こちらは誠実に対応した、でもあなたが感情的だから今日は無理だね」という“勝ち逃げ感”を残す表現になっています。
相手に「理解されなかったのはあなたが感情的だったせい」と押し付けているように響く。
つまり、この文章が嫌悪感を呼ぶ理由は、
「丁寧な言葉づかいで相手を“感情的・非合理的な側”に置き、議論の正当性を自分に残したまま打ち切っている」
からなんです。
読む人にとっては「上から目線でガスライティングされている」ような不快さを感じるわけですね。
この通りだと思います。非常に上から目線で、表面的で、嫌なコメントだと感じたわけです。
私の投稿にも作者様は回答していただきましたが、こちらも内容を残しておりません。作者様の回答をうろ覚えで書くのは大変申し訳ないのですが、「不快な思いをさせたようですみません。ただ、私(作者様)としてはこれ以上下からコメントすることは出来そうにありません」といった回答をいただいていたと記憶しています。
Steamレビューに関しての私の意見
ここまで長々と書いてきましたが、せっかくなので私のSteamレビュー観も書いておきます。
私は今までSteamにかかわらず、何かの商品やサービスに対するレビューといったものをほとんど書いたことがありません。0.1%にも満たないと思います。
また、過去にはクリエイターもどきとして作品を発表するようなこともしたことがあることから、作品に対するインプレッションをもらうということのありがたさも多少ですが知っているつもりです。
よって、私のスタンスとしては、
わざわざレビュー書いてくれてるんだから、誹謗中傷以外は許容してもいいんじゃないの?
といったところです。
結び
作者様のゲームもXのポストも知らないのに当該note記事を読んでしまったことは、私にとっては不運なことでしたし、作者様にとっても私のような立場の者にコメントされて不運だったかもしれません。
ただ、作者様の実際の作品を知らないまま、この記事を書き逃げするのもどうかな と思う部分もあります。そのためどこかのタイミングでSteamに公開されているゲームをとりあえず1作品だけ選んでプレイさせていただこうかな とは考えています。
その際は、もちろんSteamのレビュー欄を参考にして購入する作品を選びたいと思います。


コメント
1申し訳ありませんが、非公開にした記事の引用はご遠慮頂けると助かります。本件の倫理上の争点以前の、根本的なタブーを犯していらっしゃいます。