【JRバス関東】三里塚御料/インパレスホテル

 JRバス関東多古本線の成田口(航空科学博物館〜三里塚〜JR成田駅)は、おおむね1時間に2~3本運行されており、運行時間帯も長く、航空科学博物館発の始発は5:13、JR成田駅発の最終は22:15となっている(いずれも平日)。
 三里塚地区は停留所間隔が短く、三里塚御料、三里塚郵便局の両停留所は平成になってから新設された(新設区間、運行経路の変更に伴うものは除く)。特に、三里塚〜三里塚御料間は0.4km、三里塚御料〜三里塚小学校前間は0.3kmと、都市部並みの停留所間隔となった。昔から住宅の多い地域で、停留所が増えたことによって、沿線住民の利便性が向上した。このほか、滝ノ沢団地入口、八富成田斎場(やとみなりたさいじょう)も新設停留所である。
 三里塚地区の停留所のポールは白百合型が多い。JRバス関東が発足した直後に各営業所で導入され、八日市場営業所管内でも、多古(現在廃止)や高根、千代田、三里塚などに設置されたが、いずれも交換されて姿を消した。

 最近になって、東関東支店へ再び積極的に導入された。以前のタイプと異なり、白色に青色の帯を採用している。停留所名にはひらがなとローマ字が併記されているが、問い合わせ先の東関東支店もひらがなが振ってある。東関東自動車道を略した「東関道=とうかんどう」のように、「とうかんとうしてん」と読まれないようにするためか。東関東支店とはいささか壮大な支店名であり、営業規模からみても単なる「多古支店」でよかったと思う。
DSC_3812.JPG↑三里塚御料停留所の白百合型ポール
三里塚御料
 本欄では、新設停留所かつ白百合型ポールを代表して、三里塚御料停留所に登場してもらうことにしよう。JR成田駅方向のポールの行先は、京成成田駅とJR成田駅をまとめて「成田駅」となっている。側面行先表示器も「成田駅」だ。なお、車内放送では「次は京成成田」「次は成田」と「駅」を付けていない。
 さて、三里塚御料停留所は、宮内庁下総御料牧場跡地に整備され三里塚記念公園の最寄りである。正門から記念館まで100mほどのマロニエの並木道が続く。
 宮内庁下総御料牧場は、桜と馬の牧場として長い間多くの人々に親しまれてきたが、新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設に伴い、昭和44年8月に閉場し、栃木県高根沢町へ移転した。成田市では畜産振興のパイオニアとして、輝かしい足跡を残した御料牧場のありし日の姿を偲び、御料牧場の名を長く三里塚の地にとどめるため、昭和56年10月24日に御料牧場事務所のあった場所に「成田市三里塚御料牧場記念館」を開館した。館内は「御料牧場の概要」「御料牧場の歴史」「牧畜と農耕」「研究技術の発展」「皇室と御料牧場」「三里塚と文人」「お召機用特別調度品」の7コーナーに分けて、関係資料が配列されている。係員に解説していただいたが、とても分かりやすかった。なお、館内の展示物は、一部を除いて個人で利用に限り撮影可能となっている。
 館内の中央部には、宮内庁から払い下げを受けた馬車(普通車4号、2頭曳)が展示されている。天皇・皇太子の行幸啓(ぎょうこうけい)の際に使用された供奉車。4人乗りで、明治42年3月に製造された。また、御料牧場とは直接関係ないが、馬車の近くには昭和19年12月まで成田山門前~宗吾間を結んでいた、成宗電気軌道(成宗電車)のレールが展示されている。このレールは「1915 OH TENNESSEE」の刻印があり、アメリカの製鉄会社であるテネシーの輸入レールとなっている。成田市に郷土資料館がないのが惜しまれる。成宗電車や成田鉄道の歴史を伝える施設がほしいところだ。
 記念館の手前には、和洋折衷建築の貴賓館がある。案内板によると、明治8年に創設された下総牧羊場の最高責任者として雇われた、アメリカ人のアップ・ジョーンズの官舎として、十倉村両国高堀(現・富里市)に建てられ、明治21年にこの地に移築。その後、大正8年に内部を大改装し、貴賓館として各国の大公使を招待した園遊会の会場や、皇族の宿舎に生まれ変わった。かやぶき屋根は令和元年の相次ぐ台風で被害に遭い、茨城県のかやぶき職人によって修復されたという。館内は立ち入り不可となっている。
 貴賓館の裏には、戦時中に皇族のために造られた防空壕が残されている。昭和16年12月8日に完成したが、パンフレットには「戦時下、皇太子殿下(今上天皇)が下総御料牧場に行啓なされたかどうかの記録は残されていません」と記載されている。終戦で防空壕としての使命を終え、入口に大きなコンクリート板に土を乗せて、長く封鎖されていた。平成20年2月6日に地元、歴史愛好家を中心に防空壕の復元についての要望書が市に寄せられ、観覧に向けた改修工事を行い、平成23年4月1日に一般公開を開始した。安全上の見地から常時施錠されているので、見学する際は事務室に声をかけ、係員が同行する(防空壕内は撮影禁止)。
DSC_3776.JPG↑三里塚記念公園入口。プラタナスの並木道が続く
DSC_3782.JPG↑三里塚御料牧場記念館
CSC_3917.JPG↑馬車
CSC_3916.JPG↑成宗電車のレール
DSC_3913.JPG↑貴賓館
インパレスホテル
 続いて、多古本線では成田空港系統(第7貨物ビル~貨物管理ビル前~航空科学博物館~三里塚~JR成田駅)の一部しか乗り入れないため、バスでは最も行きにくいインパレスホテルをご紹介したい。
 「インパレス成田ホテル&レジデンス」最寄りのインパレスホテル停留所は、三里塚〜三里塚御料間にある。JR成田駅行で三里塚を発車し、県道62号・成田松尾線(三里塚街道)を北進すると、次の信号を右折する。三里塚御料停留所まで0.2㎞、徒歩約3分で、運行時間以外は三里塚御料停留所を利用しているのであろう。バスはエントランス前に乗り入れ、敷地内を周回して元の道に戻る。
 インパレスホテルの前には、成田市コミュニティバス「遠山ルート」の光ケ丘共同利用施設停留所が設けられている。停留所名の由来となる成田市三里塚光ケ丘共同利用施設(集会所)は、インパレスホテルの隣にある。コミュニティバスはインパレスホテルの敷地内に乗り入れない。
 平成30年12月にオープンした「インパレス成田ホテル&レジデンス」は、98室のホテル部分とは別に単身者向け賃貸マンションとして145室が貸し出されており、企業の独身寮などとしても利用されているという。空室があり、コクヨホールディングスによる「入居者募集」の看板がある。ホテルはビジネスホテルのようで、場所的にも宿泊者は、旅行者よりも成田空港の工事関係者などが主体のようだ。したがって、送迎バスは運行されていない。
 インパレスホテル5:25発の貨物管理ビル前行、貨物管理ビル前23:10発のインパレスホテル行が運行されているのが興味深い。いずれも片道1本だが、廃止されないところをみると、空港勤務者の利用があるのだろう。
DSC_3825.JPG↑ インパレス成田ホテル&レジデンス
DSC_3816.JPG↑インパレスホテル停留所
DSC_3818.JPG↑インパレスホテル経由は少ない
DSC_3819.JPG↑成田市コミュニティバス「遠山コース」の停留所名は光ケ丘共同利用施設。ポールの背景に建つ三里塚光ケ丘共同利用施設は、インパレスホテルの隣にある
成田200 か 917
 平成12年式の日野KKーRJ1JJCK(日野車体)。称号は「L327ー00201」で、東関東支店所属。
 日野レインボーワンステップバス。八日市場支店配置当初の登録番号は「千葉200 か 351」だった。平成27年6月の東関東支店発足後に現在の成田ナンバーへ変更された。東関東支店に配置されている車両についても、「3型」「4型」の割合が高い。他支店では少なくなった中型車を多く走らせているのが特徴だ。現在は経由しなくなったが、かつての上りが経由していたJR成田駅→薬師堂前→成田山前間が狭く、中型車の方が走りやすかったが、昔から「5型」も在籍しているので道路事情は関係ない。中型車の方が小回りが利いて、下りで三里塚からJR成田駅方面へ右折で出やすいことはある。
 中型車は昭和63年に、当時の八日市場営業所多古支所へ三菱PーMK517Jが一挙に5両配置されたが、使い勝手が悪かったのか、このうち3両が伊那支店(現在の中央道支店)に転属してしまった。その後、1両が土浦支店から八日市場支店に転入するなど、全社的に動きが慌ただしかった。車両導入に試行錯誤していたといっても過言ではない。
 平成12年に日野KKーRJ1JJCKが、「L327ー00201」(写真)と「L327ー00206」の2両が導入された。ワンステップバスながらも2段サッシ窓に中折戸という、かつての国鉄バスを彷彿させるスタイルだった。中扉がやや狭く見えるのは、前乗り前降り方式で、中扉締切を前提にしているからかもしれない(国鉄仕様の中扉は、メーカー標準よりも広かった)。翌13年式の「L327ー01201」は中引戸、14年式の「L327ー01205」は逆T字窓のブロンズサッシに変更された。登場から22年が経ち、東関東支店の自社導入車としては最古参となる。側面行先表示の回りを見れば分かるように、残念ながら車体、車内のいたるところに錆が出ている(日野スケルトンボディゆえの構造があるのか)。一度は車体更生をしているのだが、やはり限界がきているようだ。
DSC_1638.JPG↑「国鉄バス仕様」で中引戸の「L327ー00201」(JR成田駅)

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