ベストアンサー
極端な話ですが、ドケチで必要なお金も出さないような人は守銭奴と呼ばれ忌み嫌われます。 しかし、交際費をケチっていなくても、お金持ちで恵まれた環境の人は、妬まれてしまったりします。 良識的に生活して誰にも嫌われないように気をつけていても、「お金」にはそのような罪?があるものと私は思っています。 だから、何不自由なく生活できる収入や蓄えがあるなら、機会があるたびに(コンビニなどで募金箱を見た時に手元に1円~10円があれば)募金するようにしています。 言い方が良くないですが募金することは「厄落とし」だと思っています。 自分の過失が少ないのに何か大きな損害を受けた時にも「厄落とし」だと思って気持ちを切り替えています。 例えば、子どもの友達が遊びに来て、数万円の花瓶を割ってしまった、とかいう場合ですね。 「安ものだから大丈夫よ。弁償なんていいよ。怪我がなくて良かった」と言って私はお金は受け取りませんね。 自分の心の中では「うわーん、お気に入りだったのに~」と思っても、同じものがまた買えるなら自腹で買います。 こんな時には「お金で済む災難で良かった。大きな災難を避けるために小さな災難が起きているんだ」と思って気持ちを切り替えます。 実際、普段からそんな気がしています。普段、マメに募金しているから大難を小難に変えて貰っているのかなと。 しかし、質問者様のあげた授業料などの例の場合は、ちょっと違うのかなとも思います。 自分の愚かさゆえにお金を無駄遣いしてしまった、というのは、多少はやはり、反省が必要だと思いますよ。 過失がないのにその日の食べるものにも困っているような生活を余儀なくされているような方もいるわけですから、 お金を無駄遣いすることは罪悪だ、と考えることは間違ってはいないと私は思います。 ただし、宝くじなど、欲しいものを衝動買いしてしまった、というのは、無駄遣いじゃないと思いますよ。 自分が稼いだお金や貰ったお小遣いは自分の責任の範囲内で好きなように使えば良いのですから、勉強になったと思えば良いと思います。 自分の愚かさゆえにお金を無駄にしてしまった場合には、反省をして、罪滅ぼしに募金でもして気持ちを切り替えてはどうでしょうか。 世の中には、お金で生活や命が助かる人がたくさんいるのですから、無駄遣いする余裕のある方には、積極的に募金をしてもらいたいものです。
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質問者からのお礼コメント
こんなにも予想外に回答してくださって、ビックリしました! 今回の反省を活かし、次回に繋げていきます。 他の皆さまもありがとうございました!!
お礼日時:2013/3/5 10:08
その他の回答(9件)
知恵袋ユーザーさん
2013/3/3 15:47
私は資格講習で無駄にしました。 試験には落ちるし、 貴重な休みに講習通っていたのに・・・・ と思って本当にガックリしましたが また気が変わったというか他のことに 興味がいったので気にならなくなりました。
私もあります。全く実用的でない学校に払ったお金と、宝石代です。 私の場合なぜそうなったかをとことん考えることにしています。 学校の場合は、①営業に「今だったら最後の1人に入れられます」といわれて焦って契約した。②授業内容を確認していなかった。③将来への不安から逃れたい一心で、資格取得さえすれば・・・と思ってしまった。④その資格を取るのに必要な経費の相場を知らなかった。⑤学校がなぜ駅前の(家賃の高い)ビルに入っているのか、受付が2人も要らないはずなのに雇っているのか、そのお金がどこからでているのか、よく考えていなかった。つまり、社会勉強が足りなかった。お金の流れを見ていなかった。 宝石の場合も、①欲しくないのに店員にすすめられて断れなかった。②将来も使えるからいいかなと思ってしまったが、「いま」使うものではなかった。③将来値上がりしてこの値段では買えないと言われたが、じゃあ10年前はどうだったのかとか、調べることはしなかった。④何よりも、デザインが気に入ってないのに自分の持ち物にしてしまった。 それにしてもお金は帰ってこないので、勉強代と思うしかありません。そして、その額を「屁でもない」と思えるくらい、収入アップと貯金に励む!! そうすれば、痛いのも若かったからか、と思えるようになりますよ。
自分で稼いだ金なら何に使おうと自由。 先ず、この考え方が大事です。 つまり、どんな使い方だろうと後悔する必要なんて無いんです。 貴方の中に二人の自分がいるから葛藤が生まれるのです。 片方の自分が無駄遣いしたいもう片方の自分を、簡単に許してしまうから、無駄遣いしたい自分が羽根を伸ばしてしまうのです。 その為に、二人の自分が後悔してしまうのです。 これを解消するには、理性的な自分が冷静に物事を判断して、我が儘な自分を制御しなければなりません。 我が儘な自分を簡単に許してばかりでは、理性的な自分も後悔するばかりです。 双方が後悔していては、気持ちの切り替えなんてできません。 やはり理性的な自分は反省して、自分の責任で我が儘な自分をしっかり制御することを心しなければなりません。 我が儘な自分は理性的な自分の判断に、失敗を避けるために絶対服従することを誓うだけです。 貴方の中に二人の自分がいる事を理解して、二人の自分の役割を自覚、その役割を果たすだけです。 それができれば、後悔も気持ちの切り替えも不要になり、 また失敗が有っても、諦めもつくし、反省も早くできます。 その繰り返しによって、失敗は減って行きます。 それが自己責任というものなのです。 少し難しいかもしれませんが、 人間は誰しも無駄遣いしたくなる心を持ってます。 また、その心を制御しなければならない事を理解する理性も持ち合わせています。 これが二人の自分なのです。 この二人の自分が存在することを理解するところから、 理性による心の制御が始まります。