BEFORE→ 【都道府県No.26 】静岡県久能山東照宮(ぷりも様作)
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新潟県岩船港からフェリーで一時間半ほどの島、粟島。
粟島の夏は観光シーズンだ。しかし今日は平日なのでフェリーはそれほど混んでいなかった。
僕は船酔いが怖くてずっとシートで大人しくしていた。しかしもう少しで船が着くと思うと、年甲斐もなく興奮してしまい、デッキに出て十数年ぶりに出会う粟島に『この旅はよろしくお願いします』の挨拶をする。
緩急の厳しい山がちの地形。まず目に入るのは山の緑だ。僅かな平地に張り付くように、港と建物と道路が見える。
あれから十数年経ったのだから、全く同じ景色のはずはない。だがどこが違うのかわからないくらい変わってなかった。
新潟の島でまず思い浮かべるのは佐渡ヶ島だが、佐渡ヶ島の北東に位置する小さな小島、粟島は島民370人程の漁業と観光の島。そこは一度訪ねたら忘れられない魅力に満ちている。
初めてこの島を訪れたのは、ゼミ生の邪な思惑からだった。僕のコミュニケーション論の生徒は、夏休みでも研究や集中講義があり、何かと忙しかった。しかし、そんな中でも夏を満喫して楽しい体験をしたいのは、若いなら当然だ。
それで僕にフィールドワークと銘打って粟島の研究を勧めてきたのだった。
フェリーが港に着く。
出迎えてくれたのは今夜泊まる民宿の本保康夫さんだ。
「藤原先生、連絡をもらってからずっとお待ちしてましたよ」
屈託ない笑顔が眩しい。
「よろしくお願いします。あ、僕もう先生ではなくなったんですよ。退職しまして。時間ができたのでこうして昔訪ねた土地を訪ねて回ってるんです」
「そりゃあいいね。なんにもない島だけどのんびりしてって下さい」
なんにもない島、と康夫さんは笑う。
確かにコンビニすらない島だ。どんなに田舎でも本土なら少し車を走らせればちょっとした街に着いて現代の便利を享受できる。しかし粟島は島だ。島民の「なんにもない」は説得力が違う。
僕はその「なんにもない」をすぐに味わいたくなった。荷物を康夫さんに預けて、自転車で島を回ることにした。
レンタルした電動自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。
島の海岸線に沿うように、ぐるりと島一周できる舗装された道が続く。車一台がやっと通れる細い道。これがこの島の生活道路だ。
見えるのは山の緑、海の青。その間の波が打ち寄せる岩肌。見上げれば高い空。自然そのものの景色が続く。
所々にある展望台、キャンプ場、港と反対側の集落なんかで休憩しながら走る。
勾配がキツイのはわかって電動にしたが、それでもキツい。だけどシャツの中に入ってくる潮風が汗をも気持ちよく感じさせた。
島一周するのに三時間もペダルを漕いだらもうヘトヘトだ。やはりもう若くないと思い知る。
宿に着くとすぐに風呂に入らせてもらい、その後夕食になった。
康夫さんは民宿を経営しているが、漁師でもある。康夫さんか獲ってきた魚が奥さんの手によって、刺身になったり煮魚になったりする。
サザエの壺焼きに鮑まである。粟島じゃが芋とタコの煮物『いもたこ』も絶品だ。とにかく新鮮なんだから美味くない訳がない。これで一泊1万しないのだから。
豪華なご馳走をアテに、粟島じゃが芋で作られた粟島芋焼酎を呑む。最高だ。
「あの時のゼミ生達は元気にしてますか」
康夫さんが呑みに付き合ってくれた。
「はい、時々連絡を取り合ってますよ。ここに来た時に仲良くなって付き合い始めた二人が結婚して、ホラ、今は子供までいるんですよ」
僕は康夫さんにスマホの写真を見せる。
「あの時の可愛い女の子だね?男共は研究に来たんだか、女の子達の水着姿見に来たんだかわからなかったけど」
「若いっていいですよね」
康夫さんと思い出話に花を咲かせて夜は更けた。
「藤原先生、起きてるかい?わっぱ煮するけど外に来れる?」
康夫さんの声で起きる。軽く顔を洗って、民宿の外の雨除けだけ設置された浜に行く。粟島の民宿の朝食は、外で名物のわっぱ煮を出す。
杉でできた『わっぱ』という器に、味噌と焼きたての磯魚とネギを入れて、お湯を注ぎ、その中に焼いた石(玄武岩だそうだ)を入れる。するとボコボコと勢いよく沸騰する。漁師飯、わっぱ煮の完成だ。
一口啜る。美味い。優しい魚の味がする。とても味噌を入れただけとは思えない。
「魚はなんですか?」
「今日はメバルとカワハギ。特別に鯛も少し入れたよ」
「美味しいです。ありがとうございます。ぜひもう一度食べたいってずっと思ってたんです。改めて本当に来てよかった」
ご飯も進む。
浜の向こうの朝日が眩しい。
昨日からいただいているのは、この粟島で採れた大地と海の恵みだ。
粟島では縄文土器が発見されている。
5000年から4500年前ころの縄文中期から後期には人が住んでいたことがわかっている。
粟島の名が文献に登場するのは大同3年(808)に作られた「大同類聚方」。粟島はこの中で「粟生」と記され、ある説によると蝦夷の一部族の名前なのだとか。
早起きして朝日を浴びて朝食を食べる。
自ら食べる物を自ら獲ったり栽培したりするのが仕事。
もしかしたら粟島の島民には、そんな縄文時代からの人間として当たり前の生き様が、強く受け継がれているのかもしれない。
文明が進んで便利な世の中になったのはここ100年くらいの話で、その前は今から見たら不便な世の中が普通だったのだ。
「なにもないっていいなあ」
しみじみ呟く。
「じゃあ、藤原先生のお昼にと思って粟島ラーメン予約してあるけどキャンセルするかい?」
康夫さんはフフン、という笑みを浮かべて言う。それはぜひ食べたいと思っていた、予約しないと食べられない海鮮たっぷりアゴだし醤油ラーメンだ。
「え、いただきます!」
「そう言うと思ったよ」
前回も思ったが、康夫さんの笑みはどこか懐かしさがある。その理由がわかった気がした。
今日のフェリーで帰る予定だ。
前回来た時は、島の子供達が大漁旗を振って「また来てねー!」と見えなくなるまで見送ってくれた。
ウルッときたが、ゼミ生達の手前恥ずかしくて我慢した。
もし今回もそんな見送りを受けてしまったら。
歳と共にどんどん涙腺が脆くなる僕は、きっともう耐えられないかもしれないな。
そう思いつつ、大漁旗が旗めくのを楽しみにしている僕がいた。
チーム名「縁が繋ぐ旅 目指せ47都道府県feat.水涸木犀」
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