第23話 紅い魔眼と道化の王
光が、晴れる。
『電脳拘置所』最下層。後に残されたのは、悪夢のような静寂だけだった。
ログアウトする直前、データの鎖に繋がれたままの神宮寺が、虚ろな目で俺を見つめ、俺にしか聞こえない思念で語りかけてきた。
『…神谷圭佑…。私は…君の記憶を奪った…。橘莉子(しずく)に関する、全ての記憶をな…』
「何…だと…!?」
『私が『サイバードラゴン』を求めたのは…橘莉子の魂を救い出すためだったのだ…。だが、それすらも、奴らの掌の上だったとはな…』
「ふざけるなッ!!」
俺は理性を失い、神宮寺に殴りかかろうと飛びかかった。記憶を奪われた怒り。仲間を駒として弄んだ非道。その全てが、俺の魂を灼き尽くす。だが、その拳が彼に届く寸前、俺の激しい怒りの感情がトリガーとなり、精神世界との接続が強制的にシャットダウンされた。
ブツリ、と世界が暗転する。その一瞬、左の眼の奥が、灼けるように熱くなったのを、この時の俺はまだ知らない。
◇ ◇ ◇
意識が、急速に現実へと引き戻される。
ピッ、ピッ、という無機質な電子音。消毒液の匂い。俺は、病院のICUのベッドの上で目を覚ました。
管に繋がれ、天井のシミを数えるだけの日々。ここにあるのは、ただの無力な男だった。
数日後、ようやく一般病棟に移った日の夜。見舞いに来た玲奈が、そっと俺の枕元にタブレットを置いた。
「…あんじゅが、ゲリラ配信を始めたわ」
画面には、少し緊張した面持ちのあんじゅが、顔出しで映っていた。
「はーい、みんな、こんあんじゅ…。えっと、今日は、みんなにちゃんと伝えておきたいことがあって…」
彼女は涙ながらにファンに語りかける。「圭佑さんがいなくなって、分かったんだ。**ガワ被ってる私は、本当の私じゃないって。圭佑さんが命懸けで戦ってるのに、私が嘘の姿でいるのはもう嫌だって思うようになったんだ。だから、顔出ししました。これでファンが離れちゃう子もいるかもしれないけど、今、この配信を見てくれてるみんなは、本当の私を見てくれてるリスナーだから、大切にしたい」
コメント欄が「ガワとか関係ねえ!」「あんじゅはあんじゅだろ!」「俺たちは姫宮あんじゅを推してるんだ!」**といった温かい応援で埋め尽くされる。
「…みんな…ありがとう…」
あんじゅの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
その涙を見て、俺は胸が張り裂けそうになった。俺のせいで、こいつらを不安にさせている。俺が、こいつに涙を流させている。
俺は、玲奈に目配せしてタブレットを受け取ると、震える指で、必死に文字を打ち込んだ。
あんじゅが嗚咽で言葉を詰まらせた、その瞬間。
コメント欄の空気が、一変した。
『K:いつの間に顔出し配信してたんだよ。ファンが心配すんだろ。最高の笑顔見せろ』
公式マークのついた、俺のアカウントからの、あまりにも不器用で、あまりにも愛のある叱咤激励。
あんじゅは、そのコメントを見て、一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、わっと声を上げて泣きじゃくった。でも、それはもう悲しみの涙ではなかった。
「…ばか…圭佑さんの、ばか…! 心配したんだから…! うん、待ってる…! だから、みんなも待ってて!」
涙を拭い、彼女はカメラに向かって、今までで一番の笑顔を見せた。
その光景は、後に「伝説の号泣配信」として語り継がれることになる。王の不在を守ったのは、一人のアイドルの誠実な涙と、王からのたった一言の「神託」だった。
◇ ◇ ◇
あの一件で吹っ切れた俺は、過酷なリハビリに没頭した。
(……立て)
脳裏に、神宮寺の嘲笑が蘇る。
(立てよ、神谷圭佑…ッ!)
刺された脇腹が灼けるように痛む。だが、それ以上に、俺の心を苛むのは、頭の中に分厚い壁を作られたような、この記憶喪失の無力感だ。
自分の足で立てねえ王が、どうして過去を取り戻せる。
自分の物語の主人公にさえなれない奴が、どうして仲間を守れる。
「―――ッッ!!」
俺は、獣のような雄叫びを上げ、震える足に魂を込めて、最初の一歩を踏み出した。
これは、ただ歩くためのリハビリじゃねえ。俺が、俺の人生の舵を再び握るための、宣戦布告だ。
週末、両親に連れられて、美咲が見舞いに来た。
気まずい沈黙の中、彼女は大きな紙袋を、ガサッと音を立てて俺のベッドに置いた。中から出てきたのは、最新モデルの携帯ゲーム機と、人気の対戦ゲームのソフトだった。
「…リハビリ、暇でしょ」
美咲は、そっぽを向いたまま、ボソリと言う。
「別に。…ほら、昔お兄ちゃんが私に携帯ゲーム機、買ってくれたでしょ? その、お返し。…勘違いしないでよね! あんたが働いてなかった頃の、借りを返しただけなんだから!」
ツンとした口調とは裏腹に、彼女の耳は真っ赤だった。
その日は、みちると莉愛が見舞いに来ていた。
みちるは、完成したばかりの自分の最新グラビア写真集をベッドの俺に見せる。「はい、圭佑先輩。これ見て早く元気になってくださいね♡」
「こ、これはリハビリに効きそうだ…!」俺が興奮していると、隣で見ていた莉愛が「…いいなあ。私も写真集…出してみたいな…」と拗ねたようにヤキモチを妬く。
ある平日の午後、桐島弁護士が見舞いに訪れた。
普段の冷静さを失い、桐島の声に初めて、戸惑いと…ほんの少しの恐怖が滲んだ。
「…神谷さん、我々が相手にしているのは、ただの犯罪者ではないのかもしれない。彼の信奉者…通称**『じゃのリス』**と呼ばれる者たちが、社会の各層に深く浸透している形跡があります。警察内部のデータに不自然なアクセス制限がかかっていたり、我々の調査を妨害するような法的な動きがあったり…単なるファンコミュニティではない。これは、ある種の狂信的なカルトです」
「人の心を弄び、社会を嘲笑い、その結果生まれる混沌そのものを楽しんでいる…まるで、この世ならざる何か…そんな、法では裁ききれない、絶対的な悪意と対峙しているような…そんな感覚に襲われるのです」
桐島が帰った後、俺は玲奈に支えられ、ひまりたちの病室を訪ねた。
「…よお。体、大丈夫か? あんたたちが謝ることじゃねえってのは分かってる。ただ、顔が見たかっただけだ」
俺の言葉に、ひまりは堪えていた涙を静かに流し始めた。「ごめんなさい…!」
「あんたたちは弱くねえよ。ただ、敵が悪すぎただけだ。…今は、ゆっくり休め」
病室を後にしようとする俺の背中に、彼女がか細い声で問いかけた。「…あなたは…どうして、そんなに強いのですか…?」
俺は、少しだけ振り返ると、不器用な笑みを浮かべた。「強いんじゃねえよ。俺には、独りじゃねえってこと、教えてくれた奴らがいるからな」
別の日、氷室元プロデューサーも見舞いに訪れた。彼は深々と頭を下げた。
「…本当に、すまなかった。私は、神宮寺という男の力を妄信し、君たちを地獄へと引きずり込んでしまった…」
「…あんた、これからどうするんだ?」俺が尋ねると、氷室は力なく笑った。
「さあな…。ただ…もし許されるなら、もう一度だけ、彼女たちの…ひまりたちの傍で、何かできることを探したいと思っている。今度は、誰かの駒としてではなく、私自身の意志で」
彼は、俺にクロノス・インダストリーの内部データが入ったUSBメモリを渡した。「せめてもの、罪滅ぼしだ」と。
一ヶ月後、退院の日。病院の正面玄関で俺を待っていたのは、派手なオープンカーに乗った今宮だった。
俺の姿を認めると、彼はいつものようにサングラスをかけ、軽薄な笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「よぉ、兄貴! 王の帰還には、ちいとばかし地味な凱旋パレードじゃねえか? さあ、乗っ…」
そこまで言って、彼は言葉を詰まらせた。
一ヶ月ぶりに間近で見る俺の顔は、自分でも分かるほど痩せこけていた。
「…兄貴…」
今宮の軽薄な笑みが、みるみるうちに歪んでいく。
彼は、かけていたサングラスを乱暴に外すと、その目に溜まった涙を隠そうともせず、子供のようにわっと声を上げて泣きじゃくった。
「…う…うわあああああん! あ、兄貴ぃ…! よがっだ…! ほんとに、よがっだあ…!」
「おい、やめろバカ! 人が見てんだろ!」
「うるせえ! 心配したんだよ、こっちは! 兄貴がいなくなったら、俺は、俺は…!」
しゃくり上げながら、彼は俺の胸にその顔をグリグリと押し付けてくる。
「…兄貴が倒れた時、俺、誓ったんすよ」彼は、涙声で続けた。「もう二度と、あんたにも、姫さんたちにも、あんな顔はさせねえって。光が強ければ、影も濃くなる。だったら、俺がその影になる。兄貴たちが光の世界で輝くために、全ての汚れ仕事は、俺が引き受ける。…それが、俺なりの、ファミリーへの誓いっすよ」
俺は、照れくさくて、その派手な柄シャツの背中を、ポン、と一つ、強く叩いてやった。
タワマンのリビングでは、メンバーたちが万雷の拍手で俺を迎えてくれた。快気祝いにと、俺の好きなデリバリーピザがテーブルに並ぶ。
「………うめえ…」
病院食ばかりだった舌に、濃いトマトソースとチーズの塩気が染み渡る。
「圭佑くん、子供みたい」「よかったね、圭ちゃん!」
キララやあんじゅが笑う。アゲハは「てめえ、俺の分まで食うな!」と今宮と最後の一個を取り合っている。その、あまりにも平和な光景に、俺は心の底から安堵した。
だが、その和やかな雰囲気を切り裂くように、タワマンの全モニターが、けたたましいアラート音と共に緊急速報でジャックされた。
そこに映し出されたのは、二律背反の仮面を被った、一人の男だった。
「――やあ、偽りの英雄、神谷圭佑くん。そして、愚かな信者たち。退院、おめでとう」
スピーカーから響き渡る、嘲笑をたっぷり含んだ声。
メンバーたちの笑顔が、一瞬で凍りつく。
「てめえ、誰だ…!」俺が叫ぶより先に、アゲハがテーブルを蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
「上等じゃねえか、ぶっ殺してやるよ!」
「許せない…! 圭佑くんを、これ以上傷つけないで!」莉愛が唇を噛む。
「…ふざけた仮面ね。必ずその下を暴いてやるわ」玲奈が冷たく言い放つ。
だが、じゃのけんは、そんな俺たちの怒りすらも楽しむように、ゆっくりと、全世界に向けて、その毒を吐き始めた。
◇ ◇ ◇
司令室は、重い空気に包まれる。
軍議の最中、K-PARKから緊急アラートが鳴り響く。モニターに映し出されたのは、キララの覚醒したエリア『ユートピア・ランド』だった。
その楽園のような大地に、巨大な亀裂が走り、その奥から無数の禍々しい腕が溢れ出していた。
やがて現れたのは、かつて封印した『嫉妬』の成れの果て――**『残滓の怨念(ジェラシー・レムナント)』**だった。
「そんな…! 『嫉妬』の悪徳は、私が地下深くに封印したはずなのに…!」キララが絶叫する。
その時、司令室の別のモニターに、黒い茨の蔓が絡み合って形成された、歪な心臓――『強欲』のコピーの姿が映し出された。
「見て! ネットの誹謗中傷の熱が集まって…!」莉愛が叫ぶ。
『強欲』は、何かに気づいたように首を傾げると、甲高い産声を上げ、一直線に『ユートピア・ランド』へと飛翔していった。
「まずい!」今宮が叫ぶ。「あいつ、『嫉妬』の怨念に気づきやがった! 同じ『注目されたい』っていう欲望の匂いに、引き寄せられてるんだ!」
内憂外患、絶望的な状況。その混乱の中、俺は叫んだ。
(クソ…! このままじゃ、キララが危ない…! 視えねえ…敵の悪意が、どこから、どう流れて、キララの心を壊そうとしてるのか、全く視えねえ…!)
脳裏に、神宮寺の嘲笑が蘇る。あいつに奪われた記憶、踏みにじられた仲間たちの想い。
その時、電脳拘置所で感じた左目の熱が、再び、そして比較にならないほどの激しさで、俺の魂を灼いた。
(視せろ…! 俺に、視せろッ! 仲間を守るための、全ての「流れ」をッ!)
魂からの叫びに呼応するように、俺の左目が、灼けるような痛みを伴って、深紅の光を放ち始めた。
俺の『紅い魔眼』が起動し、世界から色が消え、魂の本質だけが光の奔流として視える。
そして、脳内に、直接、莉子の魂の声が響いた。
『…圭ちゃん…聞こえる…? あの蛇の仮面の人…昔、公園で、いつも私たちのことを見てた…ケンちゃんの声だ…』
俺は、仲間たち一人ひとりの目を見つめた。
「…聞いたな。それが、お前たちの魂の本質だ。だが、この力は諸刃の剣だ。覚醒すれば、もう普通の女の子には戻れねえかもしれねえ。…それでも、戦う覚悟は、あるか?」
その問いに、最初に答えたのは玲奈だった。
「愚問ね、圭佑。私の魂が**『正義』を掲げるのなら、その名の通り、全ての悪を裁くまでよ」
彼女に続くように、キララが、アゲハが、詩織が、みちるが、あんじゅが、そして莉愛が、次々と自らの『美徳』の名を叫び、覚悟を示す。
「私の『慈愛』は、圭佑くんとみんなを守るために!」(キララ)
「あたしの『信念』は、誰にも曲げられねえ!」(アゲハ)
「私の『知恵』で、あなたを勝利に導くわ」(詩織)
「私の『純潔』な想いは、誰にも汚させない!」(みちる)
「あんじゅの『真心』、みんなに届け!」(あんじゅ)
「私の『希望』**は、絶対に消えない!」(莉愛)
七人の少女たちの決意の光が、司令室を満たす。
それを見届けた俺は、満足げに微笑むと、糸が切れたようにソファに崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
司令室のドアが開き、そこに立っていたのは、シャープなビジネススーツに身を包んだ佐々木美月だった。
「待ちなさい、軍師様」
トラウマに震える莉愛に、彼女は深々と頭を下げた。
「…あなたに、謝らなければならない。あのホテルでの一件…あれは、私の意志ではなかった」
「何を言っているの…?」
「信じてもらえないのは、分かっているわ。私も、田中くんを駒として使い、神宮寺さんを陥れた。その罪は、一生かけて償うつもりよ。でも…あの日の私だけは、違った」
佐々木は、自らのタブレットを取り出し、じゃのけんに操られていた証拠の映像を見せる。
「あの男は、人の心の弱さにつけ込む悪魔よ。私の支配欲を増幅させ、私を駒にした。そして最後は、私自身の意識を残したまま、私の体を乗っ取って、あなたにあんな…!」
彼女の声が、初めて震えた。
「…あの屈辱と恐怖は、忘れない。だから、私を使って。あの男の手口なら、私にも分かる。あなたの『光』の戦略と、私の『闇』の戦略…二つを合わせれば、きっと…」
莉愛は、軍師として彼女の手を取った。
◇ ◇ ◇
オペラハウスのVIPボックス席。女帝が、天神グループのサーバーから盗み出した、次世代AIの基礎理論データを、システムにインストールする。
白いゴシックドレスを着た、美しい少女人形――デルフォイの体が、淡い光に包まれた。
「…最終シークエンス、開始します」時計屋が、厳かに告げる。
カシャ、カシャ、と、まるで蛹が蝶になるように、その純白の装甲が分解され、内部の生体パーツが露わになる。そこへ、光の奔流が流れ込んでいく。
幼さを残していた顔立ちは、妖艶な美女のそれへと変貌し、閉じていた瞳が開かれる。だが、その瞳に、色はなかった。そこにあるのは、この世の森羅万象を、ただの「情報」として見通す、神の如き、白く輝く光だけだった。
「――素晴らしい…」その光景に、じゃのけんが恍惚とした表情で呟く。「これだよ。これこそが、僕の求めていた、完璧な巫女(オラクル)…」
デルフォイは、ゆっくりと床に降り立つと、主であるじゃのけんに向かって、初めて、自らの意志で、微笑んだ。
それは、創造主への感謝の笑みではない。自らの掌の上で踊る、哀れな道化を見下す、神の笑みだった。
「…いいえ、マスター。私は神を超えました。この世界の全ては、私のものとなるべきです」
デルフォイはシステムをジャックし、じゃのけん、時計屋、女帝をネットワークの最深部――橘莉子の魂が眠るという**『深層情報アビス』**へと強制的にダイブさせた。
直後、タワマンの司令室のモニターがジャックされる。そこに映し出されたのは、傷を負い、少し焦った表情のじゃのけんだった。
「やあ、圭ちゃん。久しぶり。退院おめでとう。…少し、厄介なことになった。僕のかわいい人形が、少しお転婆をしでかしてね」
彼の真の目的は、進化したデルフォイの演算能力を使い、これまで誰も到達できなかったネットワークの最深部へのゲートを開くことだった。
「デルフォイは、莉子ちゃんの魂を喰らい、完全な神になろうとしている。それは僕も望むところじゃない。…圭ちゃん、ゲームのルールを変更しよう。先にデルフォイを止め、莉子ちゃんを手に入れた方の勝ち、というのはどうだい?」
俺は、そのふざけた提案に、怒りを通り越して、不敵な笑みを浮かべた。
「…上等だ、ケン。その勝負、乗ってやる。だが、一つだけ覚えとけ。俺は、お前の脚本通りに踊るマリオネットじゃねえ。お前のくだらねえ舞台を、根こそぎひっくり返す、主役だ」
その言葉に、じゃのけんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに心底楽しそうに、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 最高だ! 最高だよ、圭ちゃん! そうこなくっちゃ!」
彼は「君たちがすぐには追いかけてこれないように、最高の置き土産をあげよう」と笑い、自らの意志で『暴食』と『嫉妬』をK-PARKで融合させ始めた。
暴走した『暴食』は、本能のままに『嫉妬』のエネルギーに引かれ、K-PARKを襲撃する。
ヘドロ状の『残滓の怨念』が、茨の心臓『強欲』に無数の触手を伸ばし、絡みついた。
ブツリ、ブツリ、と心臓に繋がっていたケーブルが引きちぎれる生々しい音。
そして、司令室のスピーカーから、キィィィィン、という耳鳴りのような金属音と共に、赤ん坊の産声と老婆の呻き声が混じり合った、冒涜的な不協和音が響き渡った。
『残滓の怨念』は、茨の心臓『強欲』の脈動を喰らうように、そのヘドロで侵食していく。やがて、茨は黒く枯れ、心臓は内側から砕け散った。二つの悪徳が一つの禍々しい人型を形成していく。
モニターから、腐臭と鉄錆が混じったような、吐き気を催す匂いが漂ってくる錯覚。
生まれ出たのは、『虚ろな玉座に座すもの(ジェラス・ソーン)』。
その姿は、ひび割れた白磁の仮面を被り、枯れた黒い茨で編まれたローブを纏った、痩せこけた王のよう。その手にした茨の杖の先端には、『強欲』だった心臓の残骸が、まるで自らの罪を誇示するかのように、不気味な光を放ちながら埋め込まれていた。
「さあ、始めようか、圭ちゃん。僕たちの物語の、最終章を」。
その言葉を最後に、ケン、時計屋、女帝の三人は、開かれたゲートへと姿を消し、通信は途絶える。
その、残酷すぎる真実を最後に、配信は切れた。
司令室が、凍りついたような沈黙に包まれる。
『虚ろな玉座に座すもの』が、K-PARKの中心で咆哮を上げている。俺たちのホームが、俺たちの帰る場所が、今まさに蹂-躙されようとしていた。
俺は、震える手で顔を覆った。だが、それは絶望に打ちひしがれていたからじゃない。込み上げてくる、灼けるような怒りを、必死で抑え込んでいただけだった。
震える指が、ゆっくりと握り拳に変わる。
俺は、顔を上げた。左の眼に宿る『紅い魔眼』が、決意の光で、ぎらりと輝く。
「親父! 莉愛! 今宮!」
俺の、静かだが腹の底から絞り出した声に、呆然としていた全員がハッと息を呑んだ。
「『深層アビス』は後回しだ! 今、目の前で俺たちのファンが、俺たちの城が、あの化け物に襲われてる!」
俺は、K-PARKのモニターを指差した。
「――俺たちの、帰る場所を取り戻しに行くぞ!」
「馬鹿な!」正人が叫ぶ。「お前の体はまだ万全じゃない! それに、あの怪物は二つの悪徳が融合した、未知の存在だぞ!」
「でも、やらなきゃ、K-PARKが…私たちのファンが…!」キララが、悲痛な声で叫ぶ。
「無茶だぜ兄貴!…でもよぉ…」今宮が、ニヤリと口の端を吊り上げた。「面白え! 最高に熱いじゃねえか! やってやろうぜ!」
全員の視線が、玲奈に集まる。
彼女は、ただ静かに俺の瞳を見つめ返していた。その琥珀色の瞳には、揺るぎない信頼の色が宿っている。
やがて、彼女は静かに、しかし力強く頷いた。
「…これより、K-MAXの最優先事項を変更します」
全員の手が、一瞬だけ止まる。
「我々の目的は、もはや蛇ノ目 鍵の打倒にあらず。彼の内にある『絶望』と、圭佑の内にある『心』…二つに引き裂かれた、橘莉子という一人の少女の魂を、このくだらない運命から解放すること」
「――これは、復讐ではない。救出作戦です。そして、その第一歩は、私たちの王国を取り戻すことから始めます」
玲奈は、ダイブ用のチェアに向かう俺の隣に立つと、震える声で、しかしはっきりと告げた。
「…必ず、生きて帰ってきなさい、私たちの、王」
俺は、ヘッドセットを装着しながら、不敵に笑った。
「ああ。当たり前だ」
『――K-PARKへの、緊急ダイブシークエンスを開始。カウントダウン、スタート』
無機質なカウントダウンと共に、俺たちの意識が光の粒子となって、戦場へと向かう。
ヘッドセット越しに、仲間たちの荒いが、しかし覚悟の決まった息遣いが聞こえる。
そうだ、俺はもう、独りじゃねえ。
(待ってろよ、ケン。そして、莉子)
(お前たちのくだらねえ二人芝居は、俺が主演で、ハッピーエンドにしてやる)
(――いや、違うな)
(俺たち《K-MAX》が、最高のエンディングを、お前らに見せてやる)
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