第21話 奈落の底の三重奏
【導入:**女王の孤独**】
SCENE 1:**女王の孤独と、ストロベリークレープ**
都内有数の名門大学。その大講義室の後方、窓から差し込む気怠い午後の光が、舞い上がる埃を金色に照らしていた。**天神玲奈**は、完璧な姿勢で座りながらも、その意識はここにはなかった。老教授が抑揚なく語るケインズ経済学の有効需要の原理など、今の彼女にとっては絵空事だ。需要も供給も、圧倒的な戦力の前では意味をなさない。彼女のメインタブレットには、**ミューズプライム**が生成した完璧な講義ノートが、一字一句の間違いもなく記録されていく。だが、玲奈本人がペンを走らせるもう一台のタブレットには、『**仲間 > 敵**』という血を吐くような戦力分析と、『**圭佑**』『**莉愛**』『**しずく**』という三つの名前だけが、迷うペンの動きによって、何度も書かれては消されていた。**圭佑は不在**。**莉愛は心の牢獄に**。**しずくは…**。仲間というにはあまりに心許なく、敵というにはあまりに巨大な現実。その絶望的な差を埋めるピースが見つからない焦りが、彼女の思考を支配していた。
講義を終え、エントランスで待つセダンに乗り込むと、執事が恭しく問う。「お屋敷へお戻りになりますか?」
後部座席の深い闇に沈みながら、玲奈は一瞬逡巡した。あの静まり返った屋敷に戻っても、今は何もない。
「…いいえ。銀座の『**T-Grace**』へ。少し、気分を変えたいの」
「承知いたしました」
執事は何も言わず、滑るように車を発進させた。車窓を流れる都会の景色が、玲奈の心象風景のように色を失って見えた。ガラスに映る自分の顔は、能面のように無表情だった。自分は正しく振る舞えているだろうか。リーダーとして、姉として。その問いに答えてくれる者は誰もいない。
彼女のためだけに閉められた旗艦店。VIPルームで、玲奈は莉愛のことを幼い頃から知る専属スタッフに、ルームウェアを選ばせていた。
「莉愛様、お元気がないのでございますか…。あの方の笑顔は、まるでひだまりのようでございましたのに」
「ええ。あの子、昔からそう。自分の殻に閉じこもると、テコでも動かなくなるから」
「でしたら、こちらのシルクなどいかがでしょう。肌に触れるものが心地よいと、心も少し、上を向くものでございます。昔、玲奈様がお風邪を召した時、まだ小さかった莉愛様が、ご自分の毛布を一生懸命運んでいらしたのを思い出しますわ。『これがあれば、お姉さまは元になるの』と、譲らなかったのですよ」
その言葉に、玲那の表情が僅かに和らぐ。遠い記憶の温もりが、冷え切った心に染みた。その時、スタッフが口にした。「そういえば玲奈様。すぐそこの裏手に、人気のクレープ屋台が…」
その一言に、玲奈は莉愛から送られてきたクレープの写真を見せ、「…このお店のことかしら?」と問うた。
執事に荷物を預け、一人裏路地へ。莉愛が好きだったクレープを一口頬張る。「…本当に、美味しいじゃない…**莉愛**」。その姉の顔に戻った一瞬を、物陰から**夜瑠**が構える一眼レフの望遠レンズが静かに捉えていた。
SCENE 2:**夜明け前の天神家**
天神家の壮大な邸宅に戻った玲奈は、まっすぐに莉愛の部屋へ。薄暗い部屋のベッドの上で膝を抱える妹に、彼女はショッパーを差し出した。
「莉愛、あなたのために選んできたわ。たまには着替えなさい」
「…いらない。放っておいて」
「我儘を言わないの。それとも、私が小さな子供にするように、手伝って着替えさせてあげましょうか?」
昔と変わらない姉の有無を言わさぬ、しかしその声の奥に微かな心配を滲ませた口調に、莉愛は渋々ショッパーを受け取る。玲奈は、そんな妹の頭をそっと撫ぜると、一枚の白金色のカードキーを託した。
「博士が、この屋敷の地下に新しい司令室『**アルカディア**』を完成させたわ。あなたが、私たちのオペレーターになるの」
その時、圭佑から預かり、莉愛が解析を続けていた「**しずくのバイタルモニター**」のアラートが、甲高い音を立てた。以前タワマンの彼女の部屋に設置されていたものが、玲奈によって運び込まれていたのだ。画面には、**未知の魂の共鳴パターン**が表示されていた。
[system_alert: UNKNOWN_SOUL_RESONANCE]
[source_ID: a8a8a442-8354-46a4-87cd-17983c21a100 // **Cyber_Jail**]
[resonance_target: HOSPITAL_ROOM_302_PATIENT:"SHIZUKU"]
「…『**電脳拘置所**』にいる魂が、病院にいる『**しずくちゃん**』の肉体に助けを求めてる…!? どういうこと…」
【展開①:**三重の地獄**】
SCENE 3:**反転劇場**
その頃、**まりあ**と**みちる**は心の地獄に囚われていた。「**円形劇場**」の床と天井、天地逆の世界で、**綾辻**が放ったクリーチャーが襲いかかる。
蜘蛛型の『**フォーカス・ストーカー**』が、その多脚で床を引っ掻きながら、みちるに高速で接近する。みちるは咄嗟に身を躱すが、ストーカーの狙いは彼女ではなかった。その腹部の巨大なレンズシャッターが開き、放たれた「**評価のフラッシュ**」は床を透過、天井にいるまりあを寸分の狂いもなく直撃した。「いやあああっ!」
まりあの悲鳴を聞いたみちるの背後で、今度は天井から半透明の『**アンサンブル・ゴースト**』の集団が、呪詛の不協和音を放つ。その音波がみちるの精神を直接揺さぶり、立っていることすら困難にさせた。**連携の取れた波状攻撃**。これがただの自動プログラムではないことを、二人は肌で感じていた。
SCENE 4:**女王たちの覚悟**
タワマンの司令室。仲間たちの危険なバイタルサインを前に、**キララ**が泣き崩れていた。
「もうやだ…! 私のせいでまりあちゃんが…! こんなの、どうしようもないよ…!」
**アゲハ**が壁を殴りつける。「チッ、うるせえ! 泣いて解決すんのかよ!」
「じゃあどうしろって言うのよ! アゲハちゃんだって、何もできないじゃない!」
重い空気を破ったのは、**詩織**が淹れたハーブティーの香りだった。
「二人とも、落ち着きなさい」
彼女は静かにカップを配ると、全員の顔を見渡した。
「キララ、あなたの涙は無力じゃない。でも、流すのは今じゃないわ。アゲハ、あなたの怒りも、ぶつける相手が違う。…**私たちの敵は、私たち自身の弱さよ**」
その言葉に、二人はハッとする。詩織は続けた。「**王の帰りを、ただ待つだけの、か弱いお姫様でいるつもりはないわ**」
その瞬間、莉愛からの緊急通信が入った。
【展開②:**それぞれの死闘**】
SCENE 5:**決死のダイブ**
『――みんな、聞こえる!? 私が、道をこじ開けた!』
「莉愛さん!」
「よくやったわ、莉愛! すぐにダイブの準備を!」
詩織の指示で、全員がチャンバーへと向かう。だが、アゲハのチャンバーだけが無情なエラー音を発した。「**経験値が足りていない…!**」
「そんな…! なんでアタシだけ…!」
「アゲハ、悔しいのは分かるわ。でも、あなたのせいじゃない。今は、私たちを信じて!」
『待ってるからな! 絶対あいつらを助けろよ!』
アゲハの叫びを背に、三人は決死のダイブを敢行した。
SCENE 6:**太陽の守護者**
司令室に残されたアゲハは、自らのダイブチャンバーに背を預け、無力感に打ちひしがれていた。その時、空のチャンバーから、奇妙なフィードバックノイズが聞こえた。
そして――直接脳内に響く、か細い声。それは、電脳拘置所の魂からではない。もっと弱々しく、そして懐かしい、病院にいる**本物の「しずく」の魂からの、SOS**だった。
『…寒い…痛い…アゲハ、ちゃん…歌って…』
アゲハは思い出す。昔、莉子が言った言葉を。『アゲハちゃんの歌って、太陽みたいだよね』
この声を聞いたのは、偶然じゃない。アタシの力が、必要だからだ。
アゲハは、マイクのない司令室で、歌い始めた。それは、**たった一人の友人と、その中に宿る「何か」のためだけに捧げられる、生命の歌**だった。
SCENE 6.5:**父の絶叫**
(シーンカット:深夜、天神グループ系列病院・特別病棟)
その部屋は、病室というよりは、無菌状態に保たれた精密なラボだった。生命維持装置の電子音だけが、静寂を支配している。ベッドに横たわる、眠り姫――**本物の「しずく」**。
その傍らで、一人の医師が、タブレットに表示される膨大なバイタルデータを、苦渋に満ちた表情で眺めていた。彼の名は、**神谷正人**。かつて、**神宮寺彰**と共に『**サイバードラゴン・エッグ**』の研究に手を染め、そして、その研究のせいで、自らの子供たちの人生を狂わされた男。彼は、全ての過去を捨て、せめてもの罪滅ぼしとして、この「聖域」を守っていた。
ほとんど動きのなかったデータパネル。その一条のグラフが、突如として、あり得ない波形を描き始めた。**アゲハの歌によって『本物のエッグ』が急激に活性化し、不完全なまま孵化しかけるという、最悪の事態**。このままでは、しずくの肉体が内側から焼き尽くされる。
「…くそっ! やはり、私一人では限界か…!」
神谷が絶望に顔を歪めた、その時。病室の扉が、静かに開いた。
そこに立っていたのは、白衣を纏った、この世で最も憎い、かつての親友の姿だった。
「――**神宮寺…彰…!**」
神谷の全身から、憎悪と、抑えつけていた父親としての怒りが、堰を切ったように迸った。
「どの面下げてここへ来た! お前のせいで、どれだけの人間が不幸になった!? しずく君は魂を抜かれ、あの少女たちは地獄を見ている! そして…!」
神谷は、神宮寺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。その目は、怒りと悲しみで赤く潤んでいた。
「**綾辻響子はお前の作ったシステムを悪用し、ルナティックノヴァのファンを操って私の息子を刺させたんだぞ! 息子は意識不明の重体だ!** それでもお前は見て見ぬフリを続けるのか!」
その魂からの絶叫を、しかし、神宮寺は、ただ静かに、そして甘んじて受け止めていた。
「…その通りだ。全ては、私の罪だ」
彼は、神谷の目を見て、静かに頭を下げた。
「だからこそ、私が終わらせる。そのために、私はずっと水面下で動いていた。…正人、今は口論している時間はない。力を貸してくれ。このままでは、彼女の器がもたない」
「ふざけるな! 圭佑のことも、美咲のことも、しずく君のことも、全てお前のせいだ! 今更、お前の言葉など…!」
「彼女の中にいるのが、**本当のしずく君ではない**と知っていてもか?」
神宮寺のその一言に、神谷の動きが凍りつく。
「…なんだと…?」
「説明は後だ。今は、目の前の命を救うのが先決だろう。医師である、君ならば分かるはずだ」
神谷は、神宮寺の目を見た。そこには、かつての傲慢な天才科学者の面影はなく、ただ深い悔恨と、揺るぎない決意だけが宿っていた。
神谷は、大きく息を吐くと、掴みかかろうとした拳を、ゆっくりと下ろした。
「…分かった。だが、これは彼女のためだ。お前のためじゃない。そして、これが終わったら、全てを話してもらう」
二人の天才が、数年の時を経て、激しい口論の末に、再び一つの目的のために手を組んだ瞬間だった。
神谷がしずくの肉体の状態を管理し、神宮寺がニューロダイバーを装着して、彼女の精神の奥深く、暴走しかける『エッグ』へと直接アクセスする。
「今だ! エネルギーレベルを20%まで落とせ!」
「分かっている! だが、何かが抵抗を…!」
(同時刻:天神家地下司令室『アルカディア』)
「――あなたの行き先は、**地獄の底**よ」
莉愛は、しずくの肉体に侵入する二つの未知のシグネチャを、一個の敵対的な存在と誤認し、**強制送還コマンドを実行**した。
(再び、病院)
「――ッ!?」
神宮寺の意識が、魂ごと引きずり出されるデータの奔流に捕らえられた。
「神宮寺! どうした!」
「馬鹿な…このパワーは…! ぐあっ…!」
彼の意識は、ニューロダイバーを通じて、肉体から強制的に引き剥がされる。その体はベッドの横で痙攣し、やがて糸が切れたように崩れ落ちた。
**神宮寺彰の魂は、電脳拘置所の最下層、「魂の墓場(データ・グレイブヤード)」へと封印された**。
そして、彼を補助していた**神谷正人もまた、データの奔流の余波を受け、その場に倒れ、意識を失ってしまった**。
莉愛は、仲間を守り切った。その代償として、**物語の真実を知る二人の科学者のうち、一人を永遠の牢獄へ、もう一人を昏睡状態へと陥れてしまった**ことに、まだ気づかずに。
SCENE 7 & 8:**堕天使との死闘**
「**反転劇場**」では、『**堕天使キララ**』と『**堕天使莉愛**』が降臨していた。
「あなたには、私の隣に立つ資格なんてない」
堕天使キララが、ガラスの翼から拒絶の光線を放つ。まりあはそれを必死に避けながらも、仲間たちの途切れ途切れの歌声に支えられ、恐怖を乗り越え両手を広げた。「私の『**好き**』は、誰にも汚させない!」
純粋な「**敬愛**」の光が堕天使を浄化していく。だが、消滅寸前、堕天使は「敬愛」を「憎悪」へと強制的に書き換えようとする呪いの光を放つ。
「それでも…! それでも、私は…キララさんが大好きです!」
まりあの叫びが呪いをオーバーライトし、堕天使は完全に砕け散った。
SCENE 9:**絶対不信の誕生と、英雄の覚醒**
回廊では、詩織たちが第五の悪徳『**不信**』のコアを破壊する寸前まで追い詰めていた。
「今よ!」三人の歌声が高まり、コアに最後の一撃を加えようとした、まさにその瞬間――劇場で破壊された堕天使二体のデータ残滓が、光の速さでコアへと吸収された。
究極の悪徳『**絶対不信**』の誕生だった。
それは、黒い鎖の体に、『**堕天使キララ**』の歪な片翼と『**堕天使莉愛**』のドレスの残骸が融合したおぞましい姿へと変貌していた。
「さあ、お前たちの絆の終焉を見せてやろう」
『絶対不信』は、三人の脳内に、仲間から裏切られるという**回避不能な「現実としての悪夢」**を直接叩き込み、三人の心を完全に砕いた。「「「いやああああああっ!!!」」」
三人の歌声が、断末魔の悲鳴へと変わる。
その悲鳴は、ようやく統合された劇場で、互いの手を握りしめていたまりあとみちるの耳にも、確かに届いた。
「…今のは、詩織さんたちの声…!?」
壁の亀裂から、黒いノイズを通じて、回廊で起きている惨状が、二人の脳裏にも流れ込んできた。心が「死んで」いく仲間たちの姿が。
「…今度は、私たちが、みんなを守る番だよ…!」
まりあの声は、もう震えていなかった。
「…当たり前でしょ。あんなダサい化け物に、これ以上、好き勝手させてたまるもんですか…!」
みちるの瞳に、再び【**真実の目**】の黄金の光が宿る。
二人の心が、仲間への「**愛**」と「**義**」のために一つになった瞬間、彼女たちの体がまばゆい光に包まれた。
まりあの衣装は**純白のドレスアーマー**へ。みちるの衣装は**漆黒のバトルドレス**へと変貌を遂げる。
SCENE 9.5:**二輪花、咲き誇る**
回廊では、『絶対不信』が、心が死んだ三人を見下ろし、勝利に浸っていた。その背後から、二つの光が迫る。
「私たちの仲間を、返せえええええっ!!」
覚醒した**まりあ**と**みちる**。その姿は、もはや囚われていた頃の面影はなかった。
『絶対不信』は、背後から迫る二つの小さな光に気づき、嘲笑うかのように振り返る。
「愚かな…。お前たちの絆もまた、我が糧となるだけだ!」
悪徳が、その黒い鎖の腕を振りかぶり、二人を絶望の底へと叩き落とそうとした、その瞬間。
「まりあちゃん!」
「分かってる!」
みちるの指示で、まりあは左腕を掲げる。すると、そこに**ハート型の巨大な光の盾『アミティエ・ガーディアン』**が出現した。彼女は敵を攻撃しない。その盾を、心が死んだ詩織、夜瑠、キララの三人の前に展開し、悪徳の攻撃から、そしてこれ以上の精神汚染から、仲間たちを完全に保護した。
仲間を守る盾となったまりあ。その背後で、みちるは一点に全神経を集中させる。
彼女の【**真実の目**】が『絶対不信』の歪な体の中心にある、ただ一つの「**核(コア)**」を完全に見抜くと、みちるの右手の指先から伸びた光の糸『**フォーカス・ストリングス**』の一本が、生き物のように伸び、敵のコアへと突き刺さった。次に、みちるは左手の指先から伸びたもう一本の糸を、『絶対不信』の遥か後方にある、**回廊の硬い壁面**へと突き刺し、固定した。
「――**チェックメイト**よ」
みちるが指を弾くと、ロックオンされた敵のコアと、後方の壁が、光の糸に沿って、一直線に、超高速で引き寄せられた。
『絶対不信』は、自らの意志とは無関係に、猛烈な勢いで後方へと引っ張られ、回避する間もなく、その背中を壁面へと叩きつけられたのだ。「な…に…!?」
衝撃で一瞬動きが止まった悪徳。その心臓部、光の糸が突き刺さった「核(コア)」が、無防備に晒される。
「今!」
「うん!」
みちるとまりあの声が、完璧に重なる。まりあは、仲間を守っていた盾を、今度は攻撃用の光弾へと変形させ、みちるが作り出した完璧なタイミングで、それを放った。
光弾は、寸分の狂いもなく、無防備に晒された『絶対不信』の「核(コア)」だけを、正確に撃ち抜いた。
最強の悪徳は、自らの慢心と、少女たちの完璧な連携によって、その心臓を貫かれた。核を破壊された『絶対不信』は、信じられないといった表情で自らの胸を見下ろすと、その体は内側から光に飲まれ、断末魔の叫びを上げる間もなく、塵となって消滅した。
**守られていた少女たちが、今、仲間を守る英雄となった瞬間**だった。
【結び:**夜明けの誓いと、盤上の断罪**】
SCENE 10:**絶望の底で、灯る光**
タワマンの司令室。まりあとみちるが、心が死んだ三人を連れて帰還した。
ダイブチャンバーが開き、魂が抜けた人形のように三人が起き上がる。その虚ろな目に、何の光も宿っていない。
「詩織さん…! 夜瑠ちゃん…!」
まりあが駆け寄るが、反応はない。みちるが悔しさに唇を噛む。
司令室は、これまでで最も深く、冷たい沈黙に包まれた。
その空気を破ったのは、**アゲハ**だった。彼女は、ずっと歌い続けて乾いた喉で、しかし、力強く言った。
「…**下を向くな**」
全員の視線が、彼女に集まる。アゲハは、虚ろな目をした詩織たちの前に立つと、泣きそうな顔を必死で堪えながら、こう続けた。
「こいつらの心が、今、空っぽだってんなら…」
彼女は、自分の胸をドン、と強く叩いた。
「**アタシたちが、もう一度、満たしてやればいいだけだろうが!!**」
その魂の叫びに呼応するかのように、**莉愛**からの緊急通信が入る。モニターに映し出された彼女の瞳には、次なる戦いへの決意が燃えていた。
『――みんな、聞こえる? 今、拘置所で起こったこと、全て解析したわ。敵は、私たちの絆の力を利用して進化する。…だとしたら、答えは一つしかない』
莉愛は、一度言葉を区切ると、司令室にいる四人に向かって、そして自分自身に言い聞かせるように、宣言した。
『――**敵の進化の速度を上回る速さで、私たちの絆が、もっと強くなればいい**』
**絶望の底で、新たな光が灯った瞬間**だった。王も騎士もいない玉座。しかし、そこに残された少女たちは、**自らの意志で顔を上げ、次なる戦いを誓う**。
SCENE 11:**盤上の断罪**
**クロノス・インダストリー社長室**。**綾辻響子**は、三重の地獄が奏でる苦悩のシンフォニーに恍惚としていた。
「古臭い理想主義者たちめ…」
二人の監視役が去った後、彼女は嘲笑うように呟き、祝杯のワインを口に含んだ。
その時だった。
窓の外を、まるで黒い鳥のような影が、音もなく横切った。
直後、社長室の空調が止まり、完全な静寂が訪れる。そして、室内のスプリンクラーが、ポツリ、ポツリと液体を滴らせ始めた。それは、ただの水ではなかった。
**ビリ、ビリ、**と静電気を帯び、僅かに発光する、**データノイズの液体――『電磁雨(サイバー・レイン)』**。
社内の完璧なセキュリティシステムが、警報の一つも鳴らさずに、内側から完全に掌握されていた。
社長室の扉が、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、先ほど部屋を出ていったはずの二人だった。
一人は、クラシックなストライプのスーツに、シルクハットを目深に被った老紳士。
もう一人は、最新のパリコレに登場したばかりのような、前衛的な漆黒のオートクチュールドレスに身を包んだ、年齢不詳の美しい女。
彼らは、その場にそぐわない優雅な出で立ちで、室内で降り注ぐノイズの雨を弾く、特殊な素材でできた黒い傘を差していた。
「何を…! これはどういうこと!?」
綾辻が叫ぶが、二人の表情は変わらない。女が、その赤い唇に妖艶な笑みを浮かべて言った。
「あら、素敵なショーだったわよ、響子。さっきの『ニュース』、特等席で見させてもらったわ」
「馬鹿な…! このビルのセキュリティは…!」
「勘違いするな、綾辻」
今度は、老紳士が静かに、しかし絶対的な重みを持って告げる。その手袋をはめた指には、鈍く輝く指輪がはめられていた。その表面に刻まれているのは、**白い鉢巻をしたムーア人の横顔を模した紋章。組織の起源を示す、テット・ド・モール**。
「そのセキュリティも、お前が弄んでいる悪徳のシステムも、元はと言えば、**我々の技術をお前たちに『提供』してやっているものだ**。そして、お前はそのルールを破った」
光学迷彩を解除した数匹のナノドローンが、綾辻の背後にその姿を現す。自分が神だと信じていた世界の、その壁紙の裏に、**真の神がずっと潜んでいた**のだ。
「…なにを…言って…」
綾辻の思考が凍りつく。
「ああ、お前は最高の駒だった。『偽物のエッグ』を、本物らしく育てるための、最高の駒としてはな」
女の言葉が、綾辻のプライドに最後の一撃を加えた。
「『**暴食**』と『**強欲**』。残り二つの悪徳の器は、もうお前ではない。我らが直接、管理する」
老紳士が、指輪をはめた手で何もない空間に手をかざす。すると、**指輪の紋章が淡い光を放ち、ムーア人の輪郭が、自らの尾を喰らう一匹の蛇『ウロボロス』の姿へと変形した**。その蛇の口から吐き出されたかのように、綾辻が保管していた**二つの悪徳のデータコア**が、彼女の金庫から強制的に引きずり出され、老紳士の手の中に収まった。**強奪**だった。
「待ちなさい…! 私の竜が…! 私の計画が…!」
女は、傘を差したまま、電磁雨に打たれ始めた綾辻に優雅に歩み寄り、その手にしたスマートなデバイスを彼女の首筋に押し当てた。
「お前には、その自らの愉悦のために作り出した地獄こそが相応しい。我らが用意した、新しい役目をくれてやろう、『**囚人Q**』」
デバイスが起動し、綾辻響子の意識は、抵抗する間もなく、強制的にデータ化され、ネットワークの奔流へと叩き込まれる。
彼女が最後に見たものは、黒い傘を差し、自分を嘲笑う女と、シルクハットの影から冷徹に見下ろす老紳士の瞳だった。
行き先は、彼女自身がK-MAXを陥れるために利用した、あの『**電脳拘置所**』。
かつての支配者は、今や、自らが作り出した悪夢を永遠に彷徨う、名もなき囚人の一人となった。
二人は、目的を終えると、再び傘を差し、室内の静かな雨の中を、音もなく去っていった。
盤上から、最強の駒が、最も静かで、最も屈辱的な形で退場させられた。そして、空白となった玉座を狙い、**真のプレイヤーたち**が、ついにその姿を現し始める。
(**第二部・完**)
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