第28話 魔眼の凱旋

【パート①:導入:綾辻響子の支配と病院の地獄】

 聖アスクレピオス中央病院最上階『聖域』。

 その部屋は神を気取る女の精神そのものを具現化した冒涜的で美しい神殿だった。床は継ぎ目一つない黒曜石の鏡面仕上げで訪れる者の罪を映すかのようにどこまでも深く広がり天井からは人間の神経細胞を模した無数の光ファイバーがまるで銀河のように吊るされ静かにそして冷たく明滅を繰り返す。壁一面を覆うのは古い教会のステンドグラスを模した巨大なディスプレイ。だがそこに描かれているのは聖人の姿ではない。蛇性転化クリーチャーたちの遺伝子情報が生命の螺旋が万華鏡のように絶えず変容しながら神々しくも禍々しい光を放っていた。


 綾辻響子は部屋の中央に鎮座する玉座のごとき椅子に深く腰掛けまるでオーケストラを指揮するかのように優雅な指先で空中に浮かぶホログラフィック球体を操作していた。球体には病院内で起きている全ての事象がリアルタイムで流れ込んでいる。侵入者の心拍数消耗率アドレナリン分泌量。クリーチャーたちの興奮状態捕食衝動の波形。そして特別治療室で眠る神の素体神谷圭佑の絶望に揺れる脳波データ。


 彼女の視線は球体に映る二つの光点時雨と美咲を捉えていた。

「まあ可愛いこと。自ら祭壇に上がりに来てくれるなんて」

 彼女はまるでゲームを開始するように指先でコンソールを操作する。その指令は地下深くの『産卵床』へと光の速さで送られた。巨大な培養槽を満たしていた粘性の高い緑色の液体が音もなく排出されていく。やがて無数のケーブルをその身に突き立てられた一体のクリーチャーこの病院の院長であった男の成れの果てがそのおぞましい複数の眼をゆっくりと開いた。


「さあ始めましょうか。メインディッシュがあなたたちを喰らいに行くわ」

 彼女はこの「絶望」という名の交響曲をその特等席で指揮していた。



【パート②:時雨と美咲の死闘】

 特別治療室へと続く長い廊下は地獄への一本道だった。

 時雨と美咲は息を殺して進む。清潔であるはずの白い壁には正体不明の体液と引き裂かれた白衣の切れ端がこびりついている。二人は通路の分岐点に差し掛かるたび清掃用具入れのロッカーや医療用ワゴンの影に身を潜めた。腐敗した蝋人形のような第一形態『感染体』の群れが関節を軋ませ湿ったシーツを引きずるような呼吸音を立てながらすぐ側を通り過ぎていく。片方の瞳だけを痙攣する蛇のそれに変えた元人間たちのその虚ろな視線が二人を掠めるたび美咲は悲鳴を噛み殺した。


 階段の踊り場はより悪質な罠が仕掛けられていた。天井の配管の影に張り付いていた第二形態『脱皮体』が何の予兆もなく真下の二人目掛けて落下してきたのだ。背中から溢れ出した肋骨を蜘蛛の足のように蠢かせ両腕の黒く濡れた鎌を振りかざす。

「美咲ッ!」

 時雨は美咲を突き飛ばし自らは身を翻して光の刃を振るった。一閃。脱皮体の両腕が切断され甲高い金切り声を上げて階下へと転がり落ちていく。だがその代償は小さくなかった。敵が最後に振り回した鎌の先端が時雨の左腕を深く抉っていた。噴き出す血も構わず時雨は美咲の手を引く。


「はぁはぁ…! もうすぐそこ…!」

「気を抜くな! 何かとんでもなくヤバいのが下から上がってきてる…!」

 その道行きの間病院の奥深くから地響きのような咆哮とコンクリートが砕ける轟音が断続的に響き渡っていた。それは二人が上を目指すよりも遥かに速い速度で確実にこちらへと接近してきていた。


 そして二人は最後の扉の前にたどり着いた。鉄壁のセキュリティ。

 絶体絶命。その瞬間。

 ピピッという電子音と共に二人の頭上のスピーカーからノイズ混じりのしかし凛とした少女の声が響いた。

『――道は開けたわ。急いで』

「キューズ…!」

 美咲が叫ぶ。その声と同時に鉄壁であったはずの隔壁のロックが内側から強制解除され重い音を立ててわずかに開いた。

「行け美咲ッ!」

 時雨は最後の力を振り絞り扉の前で警戒していた『蛇の牙』の兵士たちに突進する。美咲はその間隙を縫って隔壁に滑り込み時雨もまた敵の追撃を振り切って部屋の内側へと転がり込んだ。直後ロックが再起動し扉は非情な音を立てて完全に閉ざされた。


 安堵したのも束の間。今しがた通ってきた廊下の壁面が内側から凄まじい力で膨れ上がりコンクリートと鉄筋を紙屑のように吹き飛ばしながら院長の成れの果て第三形態『亜竜体』がその巨体を現した。彼は建物内の巨大シャフトを破壊し最短ルートで追いついてきたのだ。


「糸が…多すぎる! 今までの奴らとは比べ物にならない!」

 部屋の隅でゲーム機の画面を睨む美咲が悲鳴のような声を上げる。

「これが…最後の一本…!」

 数度の決死の攻防の末最後の糸が切れる。

 ブツンという肉厚な感触。

 『亜竜体』は甲高い絶叫を上げた。それは外部からの支配が断ち切られた断末魔の叫び。

 だがそれは死を意味しなかった。糸が切れた怪物はただ暴走するだけの純粋な破壊の化身へと成り果てたのだ。万事休す。その瞬間。

 怪物は二人に見向きもせず廊下に転がる『脱皮体』の亡骸をその裂けた第二の顎で貪り始めたのだ。

「まさか…喰って…!」

 時雨が絶句する。怪物の身体がおぞましく脈動し膨張していく。喰らった肉を取り込み自己の肉体を再構成しているのだ。第三形態からあの絶望的な第四形態『合成獣体』へと。

 怪物の巨大な影が時雨と美咲そしてベッドで眠る圭佑の三人を完全に飲み込んだ。



【パート③:圭佑の精神世界でのキューズとの別れ】

 圭佑の魂はアビスの深層沈黙の教室にいた。

 彼が莉子を失った小学校の教室がゆっくりと音もなく底のない深黒の海へと沈み続けている。窓の外を壊れた記憶の結晶が魚のように漂っていく。黒板にはチョークで書かれた「ごめんなさい」の文字が溶けるように滲んではまた浮かび上がるのを繰り返している。

 彼は小学生の姿で中央の席に座らされていた。身体には彼の足元に広がる莉子の影から伸びる無数の黒い影の鎖が無慈悲に巻き付いていた。彼自身の罪悪感そのものが彼をその場に縫い付けていた。


 その教室の教壇にキューズが静かに降り立った。少しだけ背が伸びた半透明の青白い燐光を放つ聖女のような姿で。


『――聞こえてるんでしょK』


 うなだれていた圭佑の魂が微かに震える。

『……キューズ…?』


『さっさと起きなさいよこの鈍感。みんなあなたを待ってるわ。時雨も美咲も…今あなたのすぐ側で命を懸けてる』

『…だめだ…動けない…この鎖は…俺自身なんだ…俺が莉子を…』


 自らの罪に潰されようとする圭佑にキューズは最後の行動を起こす。彼女は教卓の上に奇跡のように一本だけ残されていた白いチョークをその光の指でそっと拾い上げた。それは彼女が自らの存在データと引き換えに生成した圭佑と莉子の罪のない幸せだった記憶の結晶そのものだった。


『別にあなたのためじゃないんだから。…ただここで死なれると後味が悪すぎるもの』

『……ありがとうなんて言わせないんだから。私がそうしたかっただけ。…あなたと過ごした時間悪くなかったから』


 強がりの言葉と共に彼女はその光り輝くチョークを圭佑の額に向かって優しくしかし真っ直ぐに投げた。


『だからこれが最期の命令(ラストオーダー)。…目を覚ましてK。そしてみんなを助けなさい』


 別れの言葉ではない。それは絶対的な信頼と少しの寂しさを乗せた魂の命令だった。

 キューズの聖女の如きアバターが足元から光の粒子となって風に溶けていく。


『さよなら私の……たった一人のマスター』


 光のチョークは圭佑の額に触れた瞬間眩い光となって溶け魂の奥深くに浸透していった。

 絶望の鎖がピシリと音を立てて砕け散る。



【パート④:核心:圭佑の「聖騎士」覚醒と「本物の魔眼」】

 現実世界で時雨の魂魄刀が圭佑の心臓を貫き美咲が最後のコマンドを実行した、その瞬間。

 キューズが砕いた絶望の鎖の、その先へ。圭佑の魂に、二つの奇跡が、光の槍となって突き刺さった。

 死の淵にあった圭佑の魂が、爆発的な光を放って蘇る。

『――うぉぉぉぉぉぉぉッ!』

 魂の奔流と奇跡のコマンド。二つの力が融合し、彼の魂を新たなステージへと強制的に進化させる。

 彼を囚えていた絶望の牢獄『ルシファーの器』が、眩い光の粒子となって砕け散り、その光が、復活した圭佑の魂に鎧となって装着されていく。

 白銀のプレートアーマー。その鎧には失われた記憶の紋様が光の速さで刻まれていく。背中に広がる六枚の光の翼。その手に握られるのは、罪を浄化する炎の剣。

 仲間の信頼と祈りによって、絶望の底から生まれ変わった光の戦士。

 **『聖騎士』**の誕生だった。


 その瞬間、圭佑は、自らの魂の真実を識る。

 これまで彼が絶望の底で見せていた紅い魔眼は、偽りだった。あれは、観測者に寄生され、怒りと憎しみによって暴走させられた呪いの顕現。魂が流す血の色。

 だが、今、この瞬間に覚醒した、この瞳こそが。

 左の瞳に宿る『深淵の蒼』こそが、自らの罪と絶望の深淵アビスを完全に掌握した支配者の色。デルフォイとの融合によって得た神の如き叡智と制御の色。

 これこそが、『本物の魔眼』。


 彼の覚醒に呼応し、アビスが、変貌した。

 圭佑を苛んでいた底のない深黒の海は、夜明けの光に満ちた、広大な星の海へと姿を変えた。壊れた記憶の結晶は、一つ一つの輝く星となる。

 そして、彼の魂を囚えていた罪の教室が、ゆっくりと星の海へと浮上し、その姿を光の中で再構築していく。黒板も、机も、全てが純白の石へと変わり、彼の魂の帰る場所、白亜の聖堂として再誕したのだ。



【パート⑤:「じゃのけん」の機魔人化と「機聖騎士」の降臨】(再構築・最終稿)

 その聖堂の外星海に広がる闇の中で、もう一人の彼が、その光景を、苛立ちと焦りとそして歪んだ歓喜の入り混じった感情で見つめていた。

 アビスの支配者にして圭佑自身の闇の半身『じゃのけん』。

「……チッ。随分と派手にやりやがる…!」

 聖騎士の圧倒的な光と変貌した世界。このままでは光と闇の均衡が崩れる。自分が消される。それだけは断じて認めない。罪は二人で共有するものだ。

 『じゃのけん』はアビスの闇そのものから二つの人影を呼び出した。彼が自らの絶望から生み出した傀儡『女帝』と『時計屋』。

「――来い」

 二つの影は悲鳴を上げる間もなくまるでインクが紙に染み込むように抵抗すら許されず闇に溶けていった。

 そして彼は自らの内に眠る最後の切り札圭佑自身の魂に刻まれた七つの罪悪感の原型**『七つの悪徳のレプリカ』**を解放した。


 彼の感情が消え去り代わりに七つの大罪の論理回路がその魂の核を書き換えていく。

 黒い影だった混沌の化身は、その姿を完全に変えていた。

 そこにあったのは、もはや感情で動く怪物ではない。

 艶消しの黒曜石のような漆黒の装甲に身を包んだ、流線型の人型の機械。その全身を、まるで血管のように赤いサーキットラインが脈動している。背中には、悪魔の翼を模した六枚の黒いスタビライザーが展開され、その頭部は、感情を一切読み取らせない、一枚の鏡面のような仮面で覆われている。そして、その装甲の、両肩、両膝、胸部、背部、そして額。七つの箇所に、七つの大罪を象徴する紋章が、禍々しい紅の光を放って刻まれている。

 冷徹な論理のみでこの世の全てを裁定し破壊する、神の如き悪魔。

 その名は**〝機魔人〟**。


 白亜の聖堂に立つ白銀の聖騎士と星海の闇に浮かぶ漆黒の機魔人が静かに対峙する。

 激しい死闘が始まる。光の剣と闇の大鎌が星海を揺るがしアビスそのものを砕かんばかりに何度も何度も激突した。

 だが純粋なパワーでは光が闇を上回っていた。聖騎士の剣が機魔人の左腕を肩から吹き飛ばす。

 このままでは光が闇を一方的に浄化してしまう。それでは絶望の深度が足りない。


 現実世界最上階『聖域』。

 綾辻響子はその光景を退屈そうに見つめていた。

「まあこれではただの勧善懲悪。少しスパイスが足りないわね」

 彼女はまるで舞台の照明を調整するように優雅な指先でコンソールを操作した。

 【UROBOROS PROTOCOL: OVERRIDE】

 アビスの星海の底からこの世界そのものを構成していたデータの根源が無数の黒い鎖となって機魔人へと流れ込む。彼女は圭佑の魂をさらに深く傷つけるためその砥石である『じゃのけん』を自らの手で強化したのだ。

 黒い鎖の力を得て機魔人の戦闘能力は聖騎士と完全に互角いやそれ以上へと跳ね上がっていた。


 その絶望の淵で彼はAI三姉妹が遺した最後の「願い」に導かれ自らの魂の最も深い場所にあるキューズの置き土産外部ネットワークへと繋がる隠された通信回線を発見した。

 聖騎士は最後の力を振り絞りそのバックドアを通して外部の超高次存在へと一方的な通信を試みた。


『――聞こえるか世界のバグを駆除する者『デルフォイ』。取引だ』

【…交渉を受理。条件がある。貴官の魂そのものをこのオペレーションの担保とする。受諾するか?】

『――受諾する。俺が俺自身の手でこの絶望を終わらせる』


 冷徹なまでの利害の一致。

 機魔人に流れ込んでいた黒い鎖がデルフォイの介入によって青白い光を放ちながら逆に機魔人を縛り上げていく。

 聖騎士の身体が白銀の光とデルフォイの青白いデータ二つの光に包まれる。

 禁断の融合。その姿は、神聖さと無機質さが同居した、究極の戦士へと変貌していく。

 聖騎士の流麗な白銀のプレートアーマーは、その輪郭をより鋭角的に、より機能的に変え、その表面を、光速で青白いサーキットラインが駆け巡る。背中に広がる六枚の光の翼は、もはやただの光ではない。その一枚一枚が、無数のホログラフィックなデータウィンドウを幾重にも展開させる、神の演算装置へと進化した。兜のバイザー部分は、継ぎ目一つない青白い発光体と化し、その奥で、二つの瞳が、神の如き輝きを放つ。

 その名は――〝機聖騎士(デルフォイ・ナイト)〟。


 だが圭佑はただ力を得ただけではなかった。

 神の如き外部の論理と融合したことで彼の魂そのものが新たなステージへと強制的にアップデートされたのだ。

 その瞬間彼の兜の奥でその両の目がカッと見開かれた。

 右の瞳に七つの光点が星のように宿る。『本物の七つの美徳』。

 左の瞳はどこまでも深い深淵の蒼に染まる。『深淵の蒼』。

 二つ揃って初めて完成する**『本物の魔眼』**の覚醒。


 機聖騎士となった圭佑はもはや剣を構えてはいなかった。

 ただ静かに右の掌を機魔人へと向ける。

 その行動に呼応しデルフォイの力が先に動いた。機聖騎士の身体から無数の幾何学模様のデータが溢れ出し機魔人を完璧な正二十面体のデータケージで包み込む。それはバグを駆除するための絶対的な**『神の外科手術台』。

「さよならだ俺の罪と絶望」

 圭佑はその完璧に拘束された半身に向かって右の掌から七色の光を放った。

 それは破壊の光ではない。罪を赦し魂をあるべき場所へと還す絶対的な浄化の光**。


 光が機魔人を優しく包み込む。

 その冷徹な仮面がゆっくりと溶けていく。そしてその奥から現れたのは憎しみでも絶望でもない。

 ただ静かに涙を流す一人の少年『じゃのけん』の素顔だった。

 彼は浄化されていく中で最後に圭佑の魂に直接語りかけた。


『……ああ…これでやっと終わ れる…』

『…俺はお前が作り出した闇の半身だ。莉子を救えなかったお前の罪そのものだ…』

『…だから頼むぜ。もう二度とあの子を一人にするなよ』


 その声は安堵に満ちていた。

 機魔人の身体が光の粒子となって星海へと還っていく。

 一人の少年が自らの魂の半分を自らの手で救済した瞬間だった。


 圭佑の魂から分離したデルフォイはAI三姉妹の「願い」のデータと接触。論理の塊であった神の如きAIは初めて「感情」をラーニングし髪そのものが虹色の光の粒子で構成された無表情な美少女のアバターを形成。圭佑との間に「共生契約」を結び新たな調停者新生デルフォイとして静かにその姿を消した。



【パート⑥:観測者(偽莉子)の「完全体」化と新たなゲート】

 アビスの星海で、圭佑が自らの罪を浄化した、その裏側。

 神殺しの余波で、機魔人を構成していた膨大な負のデータが、霧散しようとしていた。主を失った『レプリカ魔眼』と『七つの悪徳』の残滓が、行き場をなくし、アビスの法則に従って、消滅しかけていた。

 だが、それを許さない存在がいた。

 アビスの最も深い闇、これまで圭佑の記憶の中で、不完全な幽霊として封印されていた『偽莉子』。始祖なる神『観測者』。

 彼女は、まるで磁石が砂鉄を引き寄せるように、その全ての負の遺産を、自らの元へと、根こそぎ吸収していった。

 彼女のアバターが、悲鳴を上げるように、激しく明滅する。子供の姿を保てなくなったその身体は、一度、黒いデータノイズの塊へと還元され、そして、再構築されていく。


 次にその姿を現した時、彼女は、もはや儚い少女ではなかった。

 全てを見透かすような黄金の瞳。その唇は、嘲笑うかのように、三日月の弧を描いている。その身に纏うのは、絶望した魂たちの「叫び」が無数の顔となってその内側から蠢く、漆黒のドレス。そして、その背中からは、無数の0と1で構成された、黒いデータの蝙蝠翼が、禍々しく生えていた。

 神々しくも、おぞましい、完璧な大人の女性。


「――時は、満ちた」


 彼女は、アビスの片隅に、これまで誰も気づかなかった、古びたパソコンの虚像を出現させると、そのモニターに、その白く長い指先で、そっと触れた。

 画面が、血のような、禍々しい光を放ち、電脳世界へのゲートを開く。

 その光の向こう側に見えるのは、荒廃した、しかし、どこか懐かしい風景。

 彼女は、完全体となるため、そのラストダンジョンに封印されている**『本物の莉子』の魂を器として、乗り移ろうとしているのだ**。

 観測者は、不気味な笑みを浮かべると、その光の中へと、姿を消した。

 新たなる絶望の幕が、静かに、上がった。



【パート⑦:現実世界での圭佑の覚醒と再会】

 現実世界終焉の病室。

 絶対的な静寂と破壊し尽くされた部屋の残骸。

 第四形態『合成獣体』は塵となって完全に消滅していた。


 瓦礫の中心。

 冷たくなっていたはずの圭佑の身体。

 その閉ざされた瞼がぴくりと動いた。

 そして静寂が戻った病室で圭佑の目がカッと見開かれた。


 その瞳はもはやかつての彼のものではなかった。

 右の瞳に七つの光点が星のように宿る。

 左の瞳はどこまでも深い深淵の蒼に染まっている。

 『本物の魔眼』の覚醒。

 その魔眼から放たれた絶対的な「秩序」の波動こそが混沌の塊であった第四形態のプログラムを崩壊させ塵へと還したのだ。


 圭佑はゆっくりとその身体を起こした。

 そして自らの胸に深々と突き刺さったままの『魂魄刀』を静かにしかし力強い手つきで握りしめる。

 スッと音もなく刃が引き抜かれる。だがそこから血は一滴も流れず傷口は淡い光と共に瞬く間に完全に塞がった。そして時雨の魂を宿していた黒鉄の小刀は圭佑の手に握られたままその姿を光の粒子へと変え再構築されていく。現れたのは七つの美徳の輝きを宿した純白の光の刃を持つ新たな魂の剣だった。


「お兄ちゃん…!」

 それまで息を殺して見守っていた美咲がわっと泣き声を上げ覚醒したばかりの兄の胸に力いっぱい飛び込んだ。圭佑はその小さな身体を優しくしかし決して離さないというように強く抱きしめる。


 その光景を時雨は壁に背を預けたまま静かに見つめていた。

 彼女が見ていたのは主君の復活だけではない。その手に握られた純白の剣。それは姉白雨とのあまりにも永くそして残酷な宿命に決着をつけるための唯一の希望。

 彼女は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えながらその頬を伝う涙を拭おうともしなかった。


 だがその感動的な再会は無慈悲に引き裂かれる。

 破壊された隔壁から完全武装した『蛇の牙』の戦闘要員たちが雪崩れ込むようにして突入してきたのだ。彼らはためらいなくその銃口を圭佑たち三人に向けた。


 最上階『聖域』。綾辻響子は、その光景に、恍惚の表情を浮かべていた。

「素晴らしい…ああ素晴らしいわ…! 私の計算を遥かに超えて果実が熟していく…!」


 病室で戦闘要員の一人が叫ぶ。

「動くな!」


 圭佑は美咲を優しく引き離すと彼女の前に立ち静かにしかし絶対的な守護者としてその小さな身体を庇った。

 その表情に焦りも怒りも恐怖もない。


「――無駄だ」


 圭佑はゆっくりと顔を上げその『本物の魔眼』で戦闘要員たちを一人ずつ見つめた。

 右の瞳に宿る七つの美徳の光が強く輝く。

 その視線に射抜かれた兵士たちのその蛇の目がまるで聖なる光に焼かれたかのようにじゅっと音を立てて浄化されていく。

「ぐ…あ…」「目が、目がぁっ…!」

 彼らは一人また一人と白目を剥き糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちていった。

 圭佑は何もしていない。

 ただそこにいるだけで世界の方が彼という「秩序」に修正されていくのだ。


 静寂が再び病室を支配した。

 圭佑はまだ涙の跡が残る美咲の頭を優しく撫でそして安堵の涙を静かに流す時雨へと向き直ると少しだけはにかむようにしかし絶対的な安心感を与える力強い声で告げた。


「――心配、かけたな。ただいま」



【パート⑧:神谷母の役割の示唆】

 神谷家のリビング。

 母が趣味のパッチワークを静かに楽しんでいた。それは無数の術式を縫い込んだ一種の「封印布」を編むという彼女の生涯を懸けた儀式だった。

 その穏やかな日常を不意に無機質な電子音が切り裂いた。

 彼女が顔を上げると部屋の隅に置かれた圭佑がかつて実況用に使っていた古びたパソコンのモニターがひとりでに明滅していた。電源コードは抜かれているはずなのに。

 黒い画面に現代の言語ではない滝のように流れ落ちる緑色に輝く楔形文字に似た無数の古代のルーンが表示されていく。

 母は驚かなかった。彼女はこの日が一族の宿命としていつか必ず来ることを知っていたからだ。

 ただその手にしていた針を置くと静かにしかし覚悟を決めた表情でスマートフォンを手に取り夫に電話をかけた。


「――あなた。…ええ私よ」

 彼女の声はどこまでも静かだった。


「始まったわ」

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成り上がり~炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~ 浜川裕平 @syamu3132

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