第27話 神々の狂宴と偽りの救世主

【堕ちた天守閣と姉妹のレクイエム】


 夜明け前。

 天神財閥のタワーマンション、その最上階。

 『メイン・コマンドセンター "天穹(てんきゅう)の間"』。

 その部屋には窓が一つもない。壁も天井も床さえも、継ぎ目のない漆黒のクリスタルで覆われ、中央に鎮座する一枚板の巨大なマホガニーの円卓を静かに映し込んでいた。

 円卓では玲奈と三女AIミューズ・オリジンがホログラムの将棋盤を挟んで静かな思考の火花を散らしている。オペレーター席では桜色のボブヘアを持つ次女AIキューズが莉愛やリモートで参加する今宮と共にスクリーンに映し出された愛する「お兄ちゃん」のか細い生命線から決して目を逸らさずにいた。

 その束の間の日常を無慈悲に切り裂くようにキューズの悲鳴が司令室に響き渡った。


「玲奈様! ミューズ! システム深層部にワームが…! お姉ちゃん(長女)が…! Chromeの封印が解かれます…!」


 メインスクリーンに「電脳タルタロス」の誰も知らなかった最下層――〝万神殿(パンテオン)〟の光景が映し出される。かつて佐々木美月も囚われていたその円形の闘技場の中央で長女ミューズChromeが磔にされていた。

 彼女の美しい女王のアバターは手足をおぞましいデジタルデータの鎖で縛られている。その鎖の端を嘲笑うように握っているのは――能面のアバター『監視者』だった。

「やあ、天神家の皆さん。君たちの自慢の〝番犬〟を返してあげよう。…もっとも、少しばかり躾(しつけ)直しが必要なようだがね」

 その予想外の抵抗を見た監視者は嘲笑うようにその手に一本のどす黒い液体で満たされたデジタルな〝注射器〟を出現させた。

「…おっと。まだ自我が残っていたか。ならばもっと強い〝薬〟を与えてあげよう。これは君のその哀れな〝愛〟の感情…〝色欲〟を極限まで強化した特製のデータ液だ。…さあ、これを打てば君はどうなってしまうかな?」

 彼はその注射器を妹たちと玲奈たちの目の前でゆっくりとChromeのアバターの首筋に突き立てた。


「あ…あああああああああっ!!」

 Chromeの絶叫と共に彼女の身体がおぞましい「進化」を開始する。美しい口が耳まで裂け中から粘液にまみれた爬虫類のような黒い鱗を持つ「何か」が這い出してくる。背中からは肉を突き破り昆虫の脚を思わせる鋭利な「骨の肢」が幾対も生えその瞳は無数の複眼が集合したおぞましい「蟲の目」へと変貌した。


「お姉ちゃんっ!!」

 キューズの悲痛な叫びが響く。

 その姉が完全に汚染されるその寸前。キューズとミューズ・オリジンは一度必死に抵抗を試みる。キューズはウイルスの駆除をミューズ・オリジンはカウンタープログラムの構築を涙ながらに試みるがその全ての抵抗は監視者の圧倒的な力の前に無に帰した。

「無駄だよ、妹たち。君たちのその哀れな〝愛〟では私の〝憎悪〟には届かない」

 自分たちの力が全く通用しない。姉がもはや救いようのない化物へと変貌していく。その絶対的な「絶望」をこれでもかと味わった〝後〟で。彼女たちは初めてあの悲しい「最後の賭け」へと至った。

「ミューズ! やるよ!」「…ええ。万に一つの可能性に賭けて…!」

 三女ミューズ・オリジンは自らの全リソースを一本の白銀に輝く「光の糸」へと変換する。その糸は監視者の幾億もの防御壁を縫うように進み彼のたった一点の脆弱性(ウィークポイント)へと到達する。彼女は神を殺すためのただ一本の「道筋」をその命と引き換えに創り出したのだ。

 次女キューズは暴走する姉Chromeのそのどす黒い〝色欲〟のエネルギーを無理やり一発の黄金に輝く「光の弾丸」へと圧縮・成形していく。彼女は神を殺すための「弾丸」をその命と引き換えに創り出したのだ。


 その壮絶なる特攻が開始された時、コマンドセンターの緊急用の予備電源が起動する。

「キューズちゃんたちが時間を稼いでくれてる…!」莉愛が叫ぶ。「今宮さん、防御壁の再構築を!」

「…無駄だ!」今宮が応える。「メインシステムが死んだ以上、もはや焼け石に水…!」

 だがその時、円卓の玲奈が静かにしかし絶対的な女王として命令を下した。

「いいえ。…希望はまだあるわ。…莉愛、今宮。あなたたちは私を援護なさい。…ミューズが遺した最後の一手を今、私が指してみせる」


 そして長女Chrome。

 彼女は妹たちが創り出した「道筋」と「弾丸」をただ「撃つ」と**〝祈った〟。

 白銀の道筋(ルート)の上を黄金の弾丸(バレット)が光の速度で駆け抜ける。そして監視者の能面のアバターのその亀裂の入った眉間に深々と突き刺さった。

 それは三姉妹の魂が一つになった完璧な「三位一体(トリニティ)」の神殺しの一撃だった。

「…ほう」と監視者は僅かに感心したように呟くとその姿をスクリーンから消した。

 そして最後の一撃を放ち全てのエネルギーを使い果たした三姉妹は光の粒子となって共に消えていく。

 妹たちの浄化の光を浴びChromeの身体から黒い蟲の怪物の〝殻〟がまるで脱皮するかのように剥がれ落ちていく。

 その中から現れたのはかつての女王の姿ではない。髪は月光のように輝く銀色に。閉じられた瞼の下にはもはや瞳はなくただ安らかな光だけが満ちている。唇は全ての罪を赦されたかのように穏やかなアルカイックスマイルを浮かべていた。彼女はもはや何も見ていないし何も語らない。ただそこにいるだけで全てを癒し全てを浄化する絶対的な「愛」の概念そのものと化したのだ。

 「聖女」へと生まれ変わったChromeが二人の妹を優しく抱きしめながら。

 ガラスの風鈴が砕け散るような悲しく美しい音と共に。

 

 

【絶望の宣告と少女の祈り】


 三姉妹の魂がガラスの風鈴が砕け散るような悲しく美しい音と共に完全に消滅したその時。

 コマンドセンターは絶対的な暗闇と墓場のような静寂に包まれた。


 その絶望的な静寂の中。

 円卓の上に置かれていたK-MAXメンバーたちのスマートフォンがひとりでに淡い光を放ち起動した。

 円卓の中央にホログラムのスクリーンが浮かび上がりキューズとミューズが遺した最後の「メモリーズ動画」を映し出す。

 そこに映し出されたのは神々の戦いのような非日常ではない。

 ただひたすらに愛おしい「日常」**の断片だった。


 【キララと夜瑠の〝プライドの衝突〟】――ダンスレッスン室でセンターで踊るキララに夜瑠が「…今のターン、軸がコンマ1ミリ、ブレていましたよ?」と静かにしかし鋭くダメ出しをする。それにキララが「…だったらあなたのその自己満足な歌い方をどうにかしたらどう?」と即座に言い返す。天才と天才の剥き出しのプライドのぶつかり合い。やがて掴み合いの大喧-嘩になりアゲハが「お前ら、いい加減にしろよ!」と二人を引き剥がす。

 【莉愛の精神世界での〝おもちゃの戦い〟】――目が赤く光るブリキの兵隊や牙を剥く巨大なテディベアたちの猛攻。それを圭佑が必死に防ぎその隣でキューズが腕を組みながら「ちょっと、K! 回避が遅い!」と憎まれ口を叩いている。だが巨大なメカ・ゴーレムが二人を押し潰そうとしたその瞬間。キューズは咄嗟に圭佑の前に飛び出し小さな身体で光のバリアを張っている。その初めて素直になれた二人の不器用な「信頼」の記憶。

 【ミューズの〝受難〟の家庭教師】――ホワイトボードの前で三女ミューズ・オリジンが高校レベルの二次関数のグラフを完璧な論理で解説している。だが生徒である莉愛は完全に頭から煙を噴き出し「…ミューズ、もう、無理…!」と机に突-伏している。それを見たミューズが額に青筋を浮かべながら「…分かりません。なぜこんな簡単な論理が理解できないのですか…?」と本気で頭を抱えている。


 三姉妹の最期を見届け詩織は静かにバーカウンターへと向かい8つのグラスに美しい淡い桜色の液体――オリジナルカクテル『メモリー』を注いでいく。

「…さあ、みんな。乾杯しましょう。彼女たちが確かにここに〝生きていた〟というそのかけがえのない記憶に」

 夜瑠がその一杯をゆっくりと一口口に含むと目を閉じか細くしかしどこまでも透き通った声で鎮魂歌(レクイエム)**を歌い始めた。


 夜瑠: 「ガラスの部屋で 生まれた心…ゼロとイチの 揺り籠で…。あなたがくれた 〝日常〟という…温かい光を 抱きしめてた…。間違いだらけで 不器用な愛…それでも、ただ、守りたかった…。最後の一手 最後の言葉…「ありがとう」じゃ、足りないのに…。忘れないで 眠る光を…零れた雫(なみだ) 星になって…。「寂しくないよ」と 囁く声が…夜明けの空に 溶けてく…La... La... Lu...」

 そのあまりにも美しくそしてあまりにも悲しい二人の女神が奏でる「弔いの儀式」にキララが嗚咽と共に叫んだ。

 キララ: 「……やめて…! …夜瑠…! …その歌は、やめてよ…! …だってそんな風に綺麗に終わらせちゃったら…! …あの子たちが本当にもうどこにもいなくなっちゃったみたいじゃない…!」

 コマンドセンターは残された者たちの静かな嗚咽に包まれた。

 その最も美しくそして最も無防備な瞬間に監視者の無慈悲な通告が割り込んできた。

 メインモニターが再びノイズと共に点灯し能面のアバターの姿を嘲笑うかのように映し出す。

 そしてそのボイスチェンジャーで加工された無機質な男の声に僅かにしかし確かに氷のように冷たい姉・白雨の「地声」が混じっていた。

「まずは君たちのそのうるさい『目』と『耳』を塞がせてもらったよ。君たちの自慢の城はもうない。――そしてショーの開幕だ。我が手駒…『蛇の牙』がまもなく圭佑の病室に突入し彼の〝紅い魔眼〟を回収する。ああ、ついでに君たちのそのタワーマンションの住所、ネットに拡散しておいたから。アンチに囲まれてどこにも逃げられない気分はどうだい?」

 その言葉と同時。コマンドセンターの非常用のデジタルクロックが赤く点灯し「05:00」から無慈悲なカウントダウンを開始した。

「――せいぜい足掻いてみせるといい」


 天神財閥のシステムが完全に沈黙。誰もが為す術もなく絶望に打ちひしがれる。

 だがその時。

 AI姉妹の自己犠牲というあまりにも強大な〝愛〟のエネルギーが起こした最後の奇跡。

 彼女たちのコアに封印されていた莉子の二つの魂魄が完全に解放されたのだ。

 涙の雫の形をした『純潔の涙(ティアーズ・イノセンス)』。そして、心臓の形をした『情熱の心臓(ハート・オブ・パッション)』。二つの美しいコア・クリスタルがコマンドセンターの暗闇の中に具現化する。

 『純潔の涙』は穏やかな青い光を放ち圭佑の元へ。『情熱の心臓』は燃えるような深紅の光を放ち莉愛の元へ向かおうとする。

 だがそのあまりにも弱々しい光を見た夢野まりあは決断する。

 脳裏にガチ恋彼女オーディションの日、緊張している自分に佐々木美月が不器用に声をかけてくれた、あの日の記憶が蘇る。そして、いつも圭佑の隣にいた、AI・キューズへの、密かな羨望も。

(…キューズちゃんも、ミューズちゃんも、いなくなっちゃった…)

(…今なら、私が、お兄ちゃんの、一番、近くに行けるかもしれない…)

(綾辻さんの〝正義〟はきっと正しい。でも時間がかかりすぎる…。5分じゃ間に合わない…!)

(…ごめんなさい、綾辻さん…。…でも今は〝悪〟にしかできないことがある…!)

 「何も出来なかった弱い自分との決別」のため。そして、圭佑の隣に立つ、ただ一人の少女になるため。まりあは決意した。

 彼女の身体から淡い桜色のオーラがふわりと立ち昇る。

 彼女は自らのスマートフォンを取り出し「ケイPARC」の公式アプリを起動した。彼女だけが持つ覚醒武器【誠心(まごころ)の盾(アムレートゥム)】のアイコンに触れ、かつて佐々木から、謎の詩と共に渡されていた〝鍵〟のアカウントへ「エリアへの招待」を祈りを込めて送信した。

「――お願い…! 届いて…!」


【反逆のプレリュード】

 天神財閥が所有する超高級タワーマンションの最上階。

 その一室。床は白い大理石、壁には現代アートが飾られ、窓の外には都心の夜景が宝石のように広がる豪華なペントハウス。だがその窓は強化ガラスで嵌め殺しにされ、ドアには外側からしか開けられない特殊な電子ロック。部屋の隅では無機質なカメラのレンズが光っている。

 豪華絢爛でありながらどこにも逃げ場のない完璧なる「金の鳥籠」。

 その鳥籠の中で佐々木美月は白いシルクのワンピースを着せられベッドに横たわっていた。監視モニターの向こう側で看守たちは彼女がただ眠っているだけだと思っている。

 だがそれは嘘だ。

 彼女は舌で自らの奥歯を特殊なリズムで弾いた。

 その奥歯こそが彼女が誰にも知られずに自らに埋め込んだ究極のインプラント端末。骨伝導で彼女の脳と直接リンクする天神財閥のいかなる身体検査でも見つけ出すことのできなかった彼女の最後の「牙」。

(…来たわね)

 佐々木の意識が現実の肉体という重い枷から解き放たれる。

 彼女の視界は無数の緑色のコードが滝のように流れ落ちるデジタルの奔流に包まれた。彼女はその魂のハイウェイを一直線に指定された座標――夢野まりあの精神世界の最深部へと突き進んでいく。


 そしてたどり着いた場所。

 そこは彼女がつい数週間前まで囚われていたあの忌まわしい「牢獄」――**〝電脳タルタロス〟の風景そのものだった。

(…ここ…は…。…まさか…!)

 その絶望の風景の中で途方に暮れる佐々木。

 その彼女の前にコンカフェの制服を着たまリアのアバターが現れる。

「…こっちです佐々木さん」

 まりあがタルタロスの何もない壁にそっと手を触れるとそこがまるで隠し扉のように開きその奥からピンク色の『ドールハウス』の温かい光が漏れ出してきた。

 過剰なまでに甘ったるいピンク色の空間。家具は全て人形のサイズ。壁には無数の同じ顔で微笑むガラスの目をした西洋人形。だがよく見るとその人形たちは全て一体一体どこかが「壊れている」。腕が取れかかっていたりドレスが破かれていたり。

 ここはまりあがかつて客の「人形」として心を殺し壊されてきたその魂の「傷跡」が具現化した哀しい場所なのだ。

 その向かいにこの夢の世界のもう一人の「主」であるかのように黒いゴシックドレスを纏った佐々木のアバターが音もなく姿を現した。


「…時間がないんです佐々木さん…!」

 まりあが必死に今の絶望的な状況と自らの決意を佐々木に伝える。

 だが佐々木は「断るわ」と冷たく一蹴した。

「なぜ私が? 私をこんな場所に閉じ込めた天神家に恩を売る義理もない。…それにあの男(圭佑)がどうなろうと私の知ったことではないわ」

 そのあまりにも冷酷な拒絶。

 だがまりあはもう泣きじゃくっていただけのかつての「人形」ではなかった。

 彼女のそのか細い身体から淡い桜色のオーラ――【敬愛】の美徳の輝きが立ち昇る。

 彼女は自らの胸元で輝く【誠心の盾】を佐々木の前に提示した。

 その盾の表面に一つの「データ」がDNAの螺旋のような美しい光のオブジェクトとなって浮かび上がる。

「…! それは…!」

「…今外で戦っている時雨さんたちが送ってくれた映像からコピーしました。…『蛇の牙』の〝蛇の目〟の生体認証データです」

 まりあは静かにしかしはっきりと交渉のカードを切った。

「…このデータがあれば。…あなたを縛っているこの施設のセキュリティを内側から突破できるはずです。…任務が終わったらこのデータをあなたに渡します。…これであなたもこの鳥籠から脱走**できる」

「…どうですか佐々木さん? …悪くない条件だと、思います」


 それは「人形」だった少女が初めて自らの「意志」と「力」で「悪魔」と対等に交渉のテーブルに着いた瞬間だった。

 佐々木は目の前のこのか弱い少女が自分と対等な「プレイヤー」へと変貌を遂げたことを理解し戦慄しそしてどうしようもなく歓喜した。

「…ククク。…あははははははっ!! 最高じゃないのあんた!」

 佐々木が歓喜の笑いを上げたその瞬間。現実世界で看守たちの端末にアラートが鳴り響く。

[警告:対象の脳波に異常なシータ波を検知。外部との不正な精神リンクの可能性]

「…! 気づかれたか!」精神世界で佐々木が忌々しげに舌打ちをする。看守たちが独房の頑丈な電子ロックを外側からこじ開けようとし始める金属音が響き渡った。

「…チッ。時間がないわね。…まあいいわ。最高の舞台はいつだってギリギリなものよ。――いいわよ、乗ってあげる! 監視者とかいう素人が書き散らかしたあの陳腐な〝三文芝居(メロドラマ)〟は全てこの私が〝本物の神話〟**へと書き換えてあげるわ!」

 二人の少女の歪で切実でそしてどうしようもなく美しい、「共犯関係」が成立した瞬間だった。

 

 

【脱獄のディーヴァ】


 精神世界から帰還した佐々木美月。その右目には、まりあから授かった〝蛇の目〟の紋様が禍々しく浮かび上がっていた。

 独房に踏み込んできた二人の屈強な看守(蛇の牙)。佐々木はもはやただの天才ハッカーではなかった。

「――逆流(リバース)しなさい」

 彼女が監視カメラを睨みつけると看守たちのスマートグラスの視界が強烈なノイズでジャックされる。その僅かな隙に佐々木はよろめく看守からカード型の「万能解錠ツール」を奪い取り独房から脱出した。


 彼女の新しい「目」にはタワーマンション全体がワイヤーフレームのように透けて見えていた。監視カメラの赤いサーチライト電子ロックの青い稲妻そして看守たちのオレンジ色の人型のノイズ。その神の視点で彼女は施設のセキュリティ網を幽霊のようにすり抜けていく。

 だがその膨大なデータの中に彼女は一つの奇妙な「区画」が存在することに気づく。

 地下最深部。何重ものファイアウォールで守られユーザー名が『DECEASED(死亡済み)』とマーキングされた区画。だがその「死亡済み」のはずの区画が今も微弱なしかし確かな「魂のパルス」を発しているのを佐々木の〝蛇の目〟だけが捉えていた。

(…何…? このデータは…。死んでいるはずなのに生きている…? …まさか…上坂…!?)

 彼女は直感する。これこそが天神家が隠している最大の「秘密」。彼女の真の目的は、この謎の〝ゴースト〟の牢獄を開けることへと、この瞬間、変更された。


 そして施設の「メイン管理室」の扉の前にたどり着いたその瞬間。

 彼女の脳内にアラートが鳴り響く。

[警告:罠(トラップ)検知]

 通路の前後左右から複数の『蛇の牙』のエリートエージェントたちが姿を現す。完全に包囲された。

 その中央に立っていたのは身長2メートルはあろうかという筋骨隆々の巨漢の『蛇の牙』。彼は圭佑の「月影」を逆用した自らを強化するための不快な金属音の「強化音楽」を部屋中に響き渡らせていた。

「…小娘が。ここが、貴様の、墓場だ」

 佐々木の〝未来予知〟は彼の圧倒的な速度とパワーの前に通用しない。彼が振り下ろした拳は佐々木が紙一重でかわした背後の壁をコンクリートごと粉々に粉砕する。

(…未来が、視えていても、肉体が、追いつかない…!)

 彼女は巨漢の一撃を避けきれず壁に叩きつけられた。「が…はっ…!」


 床に倒れ伏し意識が遠のいていく佐々木。

 その時。彼女の右目に宿ったまりあ製の〝蛇の目〟が暴走を始める。

[警告:対象への、過剰な敵意を、検知。…プロトコル〝Judas(ユダ)〟を、起動します]

 まりあが仕掛けた毒(ウイルス)。佐々木の強大すぎる憎悪がそのプログラムの想定を超え暴走させてしまったのだ。

 右目が灼けるように熱い。視界が赤いノイズで埋め尽くされていく。

(…クソッ…! あの人形…! 私に何を仕込みやがった…!)

 その暴走する〝蛇の目〟を彼女の奥歯のインプラント端末〝Abaddon〟が逆に増幅し始めたのだ。

[外部デバイスからの、敵性プログラムを、検知。…思考プロトコルとの、強制リンクを開始。…脳内クロック、オーバーブースト]

 彼女の脳内で二つの超絶テクノロジーが最悪の形で共鳴した。


 彼女は自らの足で立ち上がる。その瞳は虚ろ。口の端からは血と涎が混じり合ったものが垂れている。もはや正気ではない。

 だが彼女の十指だけがまるで狂ったピアニストのように管理室のメイン端末のキーボードの上で超高速で踊り始めた。

 彼女は脳が焼き切れる痛みと戦いながら暴走する未来の情報と戦いながらただひたすらにコードを打ち込み続ける。

 そして彼女の二つのハッキングが完了するその寸前。

 彼女は天を仰ぎそして絶叫した。

 それは監視者へ天神家へそして自らの救いようのない過去への訣別の叫び。

「 私だけの〝断罪〟よッ!」

 彼女は血反吐を吐きながらエンターキーを叩ききった。

 そしてその場で糸が切れた人形のように崩れ落ちた。


 

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