にゃるら解体新書〜彼は喜屋武京介ではない〜
はじめに
にゃるらが好きだ。
けど、にゃるらになりたいだけのクネクネしたサブカル崩れは嫌いだ。
小さいコミュニティの中で中途半端なサブカル知識を偉そうに論じながら少ない女オタクを取り合っている、質感の浅いオタクもどきだ。
彼らのにゃるらへの批判は最早パターン化している。
・メンヘラ文化をマネタイズしている
・Vとセックスした疑惑
・シェアハウスキメセクOD疑惑(本人は否定)
・インディーズゲームが売れてメンヘラ女からモテている
・色白イケメン
簡単に言ってしまえば嫉妬だ。
何も成し遂げていないサブカル崩れの憂さ晴らし。
彼らはにゃるらの何を知っているというのだろうか。批判をする前にまずもっと敵を知った方がいい。この記事の目的の一つだ。本当に「にゃるらを倒したい」のであれば…
ただ、僕だって今のにゃるらに思うことはある。はっきり言ってしまえば筋トレの写真はダサいし有名人に会ったがどうと言ってる姿は売れかけの芸人みたいで痛々しい。
だからと言って、にゃるらの本質的な部分は変わっていない。学生時代にちょっとアニメやエロゲを齧ったオタクが束になっても勝てない。何故、にゃるらは語るに値する特異なオタクでサブカル崩れの一般人とは一線を画すのか、その事を本文で少しでも証明できればと考えている。それは単に売れているクリエイターというだけでなく彼が沖縄出身であるという事や性格や家庭環境、つまり喜屋武京介であることに起因する。
だが、最近にゃるらが『「喜屋武」を使った僕への人格攻撃を行うアニメアイコンの大学生集団』に悩んでいる事を告白してしまった。
もうこうなってしまったからには彼のパーソナルな部分を語るのはあまり褒められた話ではないだろう。
哲学者のヴィトゲンシュタインだって「語りえぬことには沈黙しかない」と言っている。しかし、ヴィトゲンシュタインはこうも話している。「語りえぬことには示していくしかない」と。
なので少しでもにゃるらに対して「示し」がつけられたらと思う。良かったら見てね。
第一章 にゃるらとは
にゃるらのプロフィール
改めてにゃるらがどういう人物なのか振り返っていこう。「にゃるら」で検索して驚いたが彼はWikipediaがある。凄い。
沖縄県那覇市出身。 東京の大学入学後に中退し、ライター活動を始める。
2017年からバーチャルYouTuberの記事の執筆や企画を行う[1]。
2021年1月に、Discord上にオタク関連の話題を話し、政治の話などを禁止するサーバー「Twitter2」を開設した[2]。このサーバーは1万人を超える大手サーバーに成長した[3]。
著書「秋葉原 裏の歩き方」によると生まれは那覇市最大の風俗街辻の近くだと言い、未成年の頃しつこく客引きされたり、同級生が風俗嬢として働き始めたりしたと言う。
2022年に、自身が企画監修・シナリオを担当したインディーゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』をリリース[4]。ゲーム売上は150万本(2024年6月現在)、作詞を担当した主題歌『INTERNET OVERDOSE』『INTERNET YAMERO』の合計再生数は7000万回を超えている[5]。
2023年には、生まれつき嗅覚がないという稀な障害に対して、手術による治療が行われた。
華々しい経歴だが、これではにゃるらを語るには貧弱過ぎる。せめてWikipediaらしく「にゃるら」というハンドルネームの由来はラブクラフトのニャルラトホテプから取っているくらいは書くべきだろう。
「にゃるら」というハンドルネームの由来は、コナンのようにその場にあった本(ラブクラフト全集)のニャルラトホテプから取っただけです。その場にあったのが夢野久作だったら、今頃僕はドグラマグ郎などと自称したことでしょう
にゃるら?nyarla?nyalra?
「にゃるらなんだからニャルラトホテプから取ってるのは当たり前だろ。知ってるよ」と息巻く読者も居ると思うが、それで終わってしまうとまだまだにゃるらビギナーだ。にゃるらのIDをよく見てみよう。
@nyalraだ。
ニャルラトホテプの正しいスペルは「Nyarlathotep」。
略してもnyarlaだ。rとlの位置が違う紛い物。
つまりどういうことなのか僕も良く分かっていないが、にゃるら大学の入試問題があれば頻出問題になると思うので覚えておくように。
にゃるらの人生まとめ
そんなことはさておき、Wikipediaよりも彼の著書「僕はにゃるらになってしまった ~病みのインターネット~」にて分かりやすい自己紹介がある。引用しよう。
・沖縄にて誕生。母子家庭かつ一人っ子であり、母親と二人きりの中、ゆったりと育つ。
・鼻の骨に異常があり、生まれつき嗅覚がないことが発覚する。子供の頃から何度も入院しているうちに、学校の授業についていけなくなり、次第にたまにしか登校しない生活となる。
・気まぐれに学校へ顔を出すものの、基本的には家でゲームや漫画、アニメを楽しむ暮らしに。小学2、3年の頃にはインターネットも加わり、気づけばオタクへとまっしぐら。
・まったく勉強しないまま中学生へ。中学生活も特に学業に励むこともなく、沖縄でも底辺クラスの工業高校へ、えんぴつを転がせば受かる入試試験を経て合格。
・高校生の頃、母親が美容師の男と再婚する。義父となる再婚相手の男はオタクへの理解がなく、自宅での居場所がなくなる。
・大学入学を機に、居づらい実家から逃げ出すように上京。しかし、決まった時間に起床する習慣がないため、半年も経たずに大学を中退することに。
・大学中退後、親との関係も悪化。お互いに連絡が取れない状況を作り、実質、絶縁状態へ。
・都内に一人、友達も居ないまま無職へ。寂しさのあまりTwitterアカウントを開設。
・18年間、自宅で鬱々と培養してきた自意識とオタク知識を武器に、Twitterやブログなどで文章を書き始める。誰かに自分の存在を知ってほしかったから……。
・借金を繰り返し、貧乏暮らしながらルームシェアやシェアハウスなりで、どうにか生き延びる。いつの間にか、人生の楽しみに合法の薬物が追加される。貧民の娯楽!
・運良く文章がウケて、フォロワーが増えたり、お仕事がもらえたり、本が出たり。現在は作家みたいな立ち位置になったよ、やったね!『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームの企画・シナリオもやっています。買ってね。
すごくざっくり言うと、こんな感じです。 好きな本は、ドストエフスキーの『地下室の手記』。
中々良い人生を送っている。
当たり前だが僕の好きなVTuber「████」とセックスしたことや「█████」の声優、███と付き合っていたことは当然書かれていない。
また2021年の著作なので若干情報が古いのもある。最近のトピックスで注目すべきなのは2026年に総監修・企画・脚本・原作のオリジナルアニメが公開されることだろうか。彼は人格攻撃を行うアニメアイコンの大学生集団からよく「王」と揶揄されることも多いが、アニメが売れたら本当に「王」になってしまう。
にゃるらの学歴
ちなみに僕は学歴厨という持病があるので彼の出身大学について真剣にリサーチを重ねた。が、見つけることは出来なかった。知っている方が居たら教えていただきたい。とある情報筋から「玉川大学なのでは?」という真偽不明の噂があるが…単にデマの可能性が高い。
オタクサークルが一応機能していたところを見るに本物のFラン大学ではない気がする。本物のFラン大学ではサークルが機能不全に陥っているので。本人も大学受験時の小論文の成績は良かったと語っている。
また、大学の入学式に行かなかったこと(パチンコに行ったとか?実家で寝てたとか?詳細は不明)を社不エピのキラーコンテンツ的に語っているが正直このくらいは常識の範囲内だろう。(だよな?)
この後、普通にオリエンテーションに参加し、普通に仲良くなり男女混合のグループに入り、普通に友達とゲーセンで格ゲーを遊んでいたらしい。やればできる子。この時は「沖縄さん」と呼ばれていたようだ。
この男女混合グループに人との距離感が分からない特別キモいオタクが混じっていたようで不幸にもその特別キモいオタクに好かれてしまい、右を進むにも左に進むにもこのキングボンビーが居るせいで友達を失ったと語っている。
(にゃるらの人生って同じことされすぎだろ。ほんますまん)
にゃるら(Vの姿)
また本人もVとして活動していた時期もあるがあまりハネずに今は動画の公開も停止している。僕らくらいの世代では懐かしい「三田のキモオタ」や「ひろゆき」まで呼んでいた。
当時見ていてクオリティ自体は高かったし、ある程度再生回数もあったように思える(ほんとによく覚えてないけど通常回で1万くらいか?)が、やはり彼の本質はテキストにあるように思える。
にゃるらの本名
実はにゃるらの本名は喜屋武京介ではない。
「え?」と思うかもしれないが、彼がそう明言している。
未だに、自分の苗字に強い拒否感があります。
僕の今の苗字は二つ目です。一つ目は母親の苗字でして、生まれ育った沖縄らしい珍しさがあって気に入っておりましたが、母親が東京から来た男と再婚したことにより、現在は義父の苗字になりました。沖縄らしさはカケラもない、ありふれた苗字。
ここで言う一つ目の沖縄らしい苗字というのは言うまでもなく「喜屋武」で二つ目の苗字は「伊藤」(ちなみに僕の本名だ…)とか「鈴木」みたいな本土の苗字だろう。
今現在、にゃるらのマイナンバーカードやパスポートに記載されている本名は「喜屋武京介」ではなく「██ 京介」である可能性が一番高い。(███████████)
もはや「烙印」のようにまで感じます。ユダに「UD」の文字を刻まれた奴隷の気分。今では、本名より「にゃるら」と呼ばれる機会の方が遥かに多いし、地元の友人は僕を名前で呼ぶ。苗字のことなど忘れた頃に、身分証明という現実に向き合った瞬間、義父から刻まれた陵辱の証が目に入る。
この事実を隠しているわけではないが、最近の記事では巧妙に触れなくなっているので『「喜屋武」を使った僕への人格攻撃を行うアニメアイコンの大学生集団』の大多数は知らないのではないかと思う。
強調しておきたいのは、あくまで「喜屋武」というのは彼が愛していた母親の旧姓で、義理の父親から疑似的にレイプをされて刻まれた本名の方ではない。実は彼としては「喜屋武」と呼ばれたがっているのだ。
なので本気で悪意を持ってにゃるらの悪口を言うのであれば、
「██ 京介さん、メンヘラをおもちゃにするな」みたいな事を言うべきだ。(███████████)
にゃるら氏への誹謗中傷、罵Q辺りの第1世代キチガイは嫉妬からやってるんでしょうけど、今の大学生くらいの世代はハセカラ騒動みたいに『なんか人が集まってて面白いから』くらいの理由で叩いてる人の方が多いと思うんですよね
— 𝐵𝐸𝐴𝑈𝑇𝐼𝐹𝑈𝐿 𝑊𝑂𝑅𝐿𝐷 (@Silver_Ronin) January 15, 2025
別ににゃるら氏である必要はなくて、ネットの有名人なら誰でもよかった
このツイートの内容はよく分かるが、ハセカラ騒動のネットストーカーはこんな初歩的なミスをしないはずなのでまだまだ本気でにゃるらが嫌われてない気もする。「敢えて」喜屋武呼びしているのなら分かるが。その「敢えて」があるのかが重要だ。アンチもちゃんと彼のテキストに向き合っていただきたい。
にゃるらと結婚するためには
にゃるらガールズは必見だ。あなたはにゃるらと結婚できるかもしれない。
にゃるらと結婚するために絶対的に有利な条件として挙げられるのは「珍しい苗字である」ことだ。
結婚して相手の姓に塗り替え直すことが人生の目標の一つです。結婚生活なんて無縁と思っていましたが、義父の呪いから解放され、愛する人の苗字を貰う未来を想像すると、僕は結婚するべきと考えるようになった。その時こそ「にゃるら」でも「嘘の苗字」でもない、本当の名を名乗ることができる。
にゃるらは結婚して嫁さんの苗字を名乗るつもりだ。入籍時に嫁の名字を選択する日本人男性はわずか4%と聞いたのでかなり珍しい選択だと言えよう。
実際問題、彼と付き合っていた「████」の本名は「新発田███」で結構珍しい苗字だ。
また彼が異常な執着を見せたセイキンの本名は「開發 聖也」で本当に見たこともない苗字をしている。
これらは偶然だろうか…(いやマジで偶然かも…)
もしにゃるらが開發の苗字を手に入れたのであれば嬉々として「開發 京介」の名前を入れたパスポートをSNSにアップするだろう…。
結論としてはにゃるらと付き合いたいのであれば、
まず自分の苗字を確認しよう。
運よく珍しい苗字(沖縄っぽい苗字であればなお良し)であれば、インスタのDM等で身分証明書の写真を送り、「にゃるらさん、私の名前褒めてください~笑」等と馬鹿のコメントを添えれば一週間以内ににゃるらとホテルに居ること間違いなしだ。
にゃるらと女性声優
他にも█████の顔面に厳しいという側面も持っている。
にゃるらの本質とは
本題に戻ろう。にゃるらの生い立ちについて特筆すべきなのは94年生まれでインターネット元年(95年)と殆ど同時期。物心がついた時にはインターネットにどっぷりハマる要素しかなかった。インターネットが一番おもろい時期なので。
小学低学年ほどでインターネットに触れ、中学時代には掲示板に大学生を自称してエロゲーの感想を投稿し、「こんな熱意のこもった長文は正体はベテランラノベ作家か?」と褒められたのを覚えているそう。幼いころから文章による成功体験があるのは彼らしい。
また沖縄のヤンキー文化にも結構どっぷり浸かっているというのも彼らしい側面だ。クソガキらしくワザップの裏ワザを教える要領でヤンキーたちにパチスロや麻雀の攻略法を教え、市民権を得ていたことを語っている。
薄々気付いてはいるだろうが彼は不登校が何だのと話す割には結構な友人がいた形跡がある。具体的なエピソードを話せば、沖縄を友達4人で自転車で一周したこともあるそう。めちゃくちゃ青春だ。
彼のモテ性もオタクからの批判対象であるが、沖縄のヤンキー文化で培った経験だろう。女子含め友人同士でオレンジレンジを流しながら防空壕で酒盛りしていた経験も話している。端からそっち側の人間だ。
次の章ではにゃるら改めて喜屋武京介が生まれ育った街、沖縄についてもう少し掘り下げていく。
第二章 にゃるらと沖縄
にゃるらと沖縄の県民性
先ほども記述したようににゃるらを語る上で欠かせないのが沖縄だ。沖縄に生まれ育つという事はどういう事なのか考証していく上で良い本がある。「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」だ。
ちなみににゃるら自身もこの本を勧めているし、単純に読み応えがあるので気になった方は読んでいただきたい。(書いている時点でkindleアンリミテッドにもある)
この本で印象的な話がある。沖縄県民はクラクションを鳴らせない。
沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。
(略)
ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。
車を運転している私が、往来の激しい国道で、違法に右折しようとしている車を見つけてクラクションを鳴らすと、周囲は違法運転をしている前の車ではなく、私の方を一斉に見る。違法運転している者を咎めるのではなく、それに対して声を上げた者に対して暗黙の批判が向けられる。「今鳴らしたのは誰だ!」という無言のメッセージが私に突き刺さる。
この瞬間、私は違法運転者から迷惑を被った「被害者」ではなく、クラクションを鳴らした「加害者」になる。
(略)
沖縄社会で「加害者」のレッテルを貼られることほど最悪なことはない。
それは、クラクションを鳴らす「加害者」の本土人の「共犯」とみなされてしまうと、様々な不都合が生じるからだ。
(略)
このルールは、本土人の目には見えない地雷(?)のようなもので、「沖縄の空気」を読めずにいると怪我をする。
つまり筆者曰く「沖縄県民は同調圧力が強く、世間の目を気にするあまりに声を上げられない。そこには社会的な圧力がかかるから」という。
観光客として訪れる牧歌的な沖縄とは全く違った光景だ。実際、僕も観光客として最近訪れたが現地人は優しい。しかし、優しさの裏にはむしろ、他人にケチをつけて自身が「加害者」になって世間から目立ちたくないという思想がある。
にゃるらもこの本についてこう語っている。
この土地を良くしようと行動することは、すべて「クラクションを鳴らす」こととなる。たとえ本気で沖縄をよくするためのスピーチをしようとも、地元民はみながそれに反発する。これまでのバランスが崩壊されると何もかもを失う。
にゃるら自身、こういった沖縄の閉塞感に苛まれ県外に飛び出した。
現に、僕含めてどうしてもそんな閉塞感に耐えきれない者たちはすぐに沖縄を離れた。僕なんて十数年戻っていないし母親の顔も見ていない。
にゃるらの思想と沖縄
ここで僕が思い出したのは彼が提唱したインターネット2の思想だ。インターネット2の思想について簡単に振り返る。
だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS
この言説は多少バズったので覚えている方も多いと思う。実際ににゃるらは2021年1月に、Discord上にオタク関連の話題を話し、政治の話などを禁止するサーバー「Twitter2」(現在は「ユクーリしていってね」)を開設した。このサーバーは現在1万7千人を超える大手サーバーだ。
かなり強引な主張をするが「だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS」とは沖縄の県民性と写し鏡だと思う。沖縄では出る杭は打たれる。インターネット2でも何かを主張したり、何かしらのアクションを起こそうと思えば排除されるのではないだろうか。(そんなんは関係なく定期的にアンチが荒しまくって大変らしいが…)
■INTERNET2は初代インターネットの悩みを全て解消した永遠のユートピアです。
ここまで辿り着いた貴方はもう悩みも苦しみもありません。
INTERNET2には楽しいことしかありません。
脳を空っぽにして何もかもをただ受け入れてください。
何も覚える必要もありません。日常系アニメのような緩やかな時が流れます。
それは幸福なことです。
INTERNET2では現実の一切を忘れてください。
社会のストレスも人間関係の束縛感もINTERNET2には持ち込まれません。
貴方は自由です。
INTERNET2は諍いも差別もありません。
雪解けの風が吹く春の訪れや、蜂蜜に集まる夜の森のカブト虫、毛布の中で見る夢、白いワンピースで振り向く少女、初めて読んだライトノベルの表紙、美少女キャラクターの嘆き…
ここまで話したが僕自身、インターネット2の思想を否定する気はない(もちろん沖縄の県民性も)。SNSの論争にはかなりうんざりしている。
しかしながら「日常系アニメのような緩やかな時」には鋭い同調圧力と別ベクトルの緊張感がある。日常系アニメに鬱展開を入れようものなら大炎上は間違いない。日常系アニメではないが、近い現象としては「くまみこ」を思い出す。「ラブライブ!」でネット民から穂乃果ちゃんが叩かれてたのも近い。
やはり「日常系アニメのような緩やかな時」と「周りの目を見て意見を言えない沖縄の県民性」は結構な相関がある気がする。
インターネット2の住民はいざという時にクラクションを鳴らせるのか?
にゃるらはそんな窮屈な沖縄を出たのに、またインターネットで沖縄を再現していたのではないか。
別に悪いと言うつもりは毛頭ないが、にゃるら自身がどれだけ世界に羽ばたこうと「沖縄からは逃げられない」ような気がする。
●INTERNET2
7.0 多くの人間は幸福を享受する。
7.1 インターネット上で幸福により、満たされた感覚を得る。
7.2 INTERNET2上でコミュニティが発生する。
7.2.1 「コミュニティの生」が開始される。
7.3 コミュニティ間の諍いにより、INTERNET2上で争いが始まる。
7.4 INTERNET2上での戦争が始まる。
7.5 各コミュニティで王となった人間が台頭する。
7.51 INTERNET2でのコミュニティでの王になる方法は、で説明した内容と同様である。
7.5.2 各コミュニティ上の王は、自身のコミュニティをより強固にするため過激な選択肢をとるようになる。
7.5.2 ここでの過激さは、前述した過激さと同義である。
7.6 過激な争いが続くにつれ、人々は癒しを忘れる。
7.7 すべては初めに戻り、INTERNET1に戻る。
第三章 にゃるらと母親
ガチで長くなってきた。ちゃっちゃと行きたい。知ってるなら読み飛ばしてもらっても構わない。
・にゃるらとシングルマザー
にゃるらを語る上で欠かせない要素がある。「母親の存在」だ。にゃるらは本当の父親の顔を知らず女手一つで育てられた。
ここでは詳しく記さないが母親もまた沖縄が抱える「家父長制・貧困・教育」の犠牲者であるように思える。
お母さんは、幼い頃から父親、つまり僕の祖父にあたる人物から虐待気味に育てられました。兄妹が多い家庭の長女として生まれた母は、祖母に逃げられ育児放棄をした祖父の代わりに弟や妹の面倒を見るため学校に行かず、ひたすら家でバイトと家事をしてきました。
なので、僕と同じくほとんど学校に通っておらず、分数がなにかもわからないまま大人になりました。僕は母親から勉強を教わったことが一度もありません。小五時点で自分のほうが漢字や数字を理解しており、大人なのになんでだろう? と残酷な疑問をいだいたことがあります。子供故に口に出したことすらありました。お母さんは苦笑いで「お前はわたしと違って賢いね」と褒めてくれました。
オタクのnoteで自分の親の愚痴を書いているのをよく見かけるが、にゃるらの毒親エピはちょっと格が違う。そのまま北野武に映画を撮ってもらっても遜色ない出来だ。小学生時代は男漁りが酷かったらしく、
別れた晩には、必ず酔って帰ってくるので丸わかりです。玄関で倒れて暴れているのを無視していると、「わたし死ぬから!」と包丁を構えます。それでも反応せずに見つめ続けると、「うぅ……」と観念して包丁をしまい、ただ泣き崩れる。
母の失態よりも、恋愛って息子にこんな恥も外聞もない姿を見せてまでしたいものなのかとビックリした印象が記憶に残っています。母はめぞん一刻と花より男子が大好きでした。
このテキスト「母はめぞん一刻と花より男子が大好きでした。」で締められているの美しすぎる!こんな風景は小学にゃるらにとっては日常風景だったのだろう。
他にも代表的なものがある。これも名文だ。
母親は買物一つ難しい人間だったので中学にゃるらは付き合う他なかった。
眼前に数名のクラスメイトが居るのを発見しました。急いで母親と距離をおき、あたかも一人でふらふらしているフリをしたのですが、不自然に立ち止まった僕を心配して母が僕を呼びかけてしまい、そのせいでクラスメイトにも二人で買い物に来たのが即バレます。
クラスメイトたちは、別段気にせず僕に挨拶しました。こちらも冷静なフリをして挨拶を返し、再び歩きだします。しばらくして、何も悪くない母親に対して怒りが湧いてしまいました。あの時、空気を読んで振り返らなければ、僕が中学生にもなって母親と買い物に来る人間だと認識されずにすんだと、完全な逆恨み。
「オレ、一人で帰るわ」と告げ、早歩きで帰路を進みます。すると、母親は何が起こったのか理解できず、その場で泣き出しました。いい大人が街の真ん中で。僕のチンケなプライドが、お母さんの繊細な感情を猛烈に刺激したのです。
この状況こそクラスメイトに見られたら本格的にオワリです。急いで母親の肩を持ち、無理やり歩かせます。グラップラー刃牙で母親の死体を背負いながら商店街を歩くシーンまんまの状況。
どうにか家につくと、まだ泣いている母親に対し、ただ「ごめん、ごめんね」と言いました。いつまで経っても泣きじゃくっているので、コンビニでアイスを買ってきて渡しました。その瞬間、泣き止んでアイスを受け取る母。息子がプレゼントしてくれたのが嬉しかったのか、はたまた本当にただアイスが食べられて嬉しかったのか、本気で検討つかないような、そんな母親でした。
この文章を読んだ時、僕は「怒り」さえ覚えてた。母親としての振る舞いを完全に放棄し、疑似的に恋人関係を要求しているようにも見える。
まあそれでも何処となく文章に爽快感があるのは彼女のことを愛していたからなんだろうと想像がつく。
・にゃるらとNTR
色々あってにゃるら母は再婚をした。当時、にゃるらは高校生。再婚相手は金髪美容師の全くオタクに理解のないヤンキーだった。
そこで高校にゃるらはNTRに目覚めたと語っている。
金髪の男は、僕に対して妙に優しく振る舞い、欲しい物や現状の生活への不満など、美容室での雑談の域から外れた質問を投げかけてくる。彼はときおり母親の方を見ながら「子供は親と違ってしっかりしてるな」と軽口を叩き、母親も「もぉ~」と一笑する。
つまり、「寝取られた対象を前にして怪しまれない程度に堂々とイチャつく」お決まりのパターンまで行われていたのです。男側がちゃっかり女のケツ揉んでる感じのアレです。アレが現実に行われている!
何か普通にNTRとか関係なく、めちゃめちゃ嫌だな…。
この後に当然の如く「私、この人と結婚するから」と母親から告げられ、
紆余曲折ありながらも16年間二人で暮らした思い出よりも、その金髪美容師と共に歩む未来のほうが大事なのか。
(略)
美容師の方はどうしていたのかと言うと、僕が持っている漫画やフィギュア、プラモデルなどの量に唖然としていた。もう、この時点で「このナヨナヨしたオタクが息子になるのか」という残念ムードが伝わってくる。僕は僕で、再婚はともかくこんなオタクを虐めてそうな金髪チャラ男なのかよと恐怖に包まれており、ヒロイン(母)に見守られる中、僕と美容師は互いに目で死闘を繰り広げており、その様子はさながらシグルイ。
(略)
それから超スピードでコトが進み、三人で暮らすためにボロアパートを引き払って引っ越し。生まれて初めて自室が誕生したので、「自室のみでオタク趣味を完結し、あなたたちの生活に一切迷惑をかけない」と暗黙の了解を制定し、どうにか漫画やゲームが捨てられる危機を脱するも、義父となった男は根本的にオタク嫌いらしく、ことある度に「インターネットより現実に向き合え!」「アニメやゲームばかりするな!」と叱るように。まぁ一般的に見ると至極真っ当なことを言っているので、べつに虐待とかではないのですが。
普通に虐待だと思うぜ!文化資本を奪うのは殺人的だ。
また、この文章で母親を思い切ってヒロイン(母)と称してるのも中々の覚悟だ。並みのオタクなら気持ち悪くて出来ない。宮崎駿じゃないんだから。
こういった経緯でにゃるらはNTRモノで抜くようになり、最終的に「寝取ってくれてありがとう」とも言っている。
しかし、にゃるらのコンテンツを見るに母親は許せているが、義父のことは全く許してないし向き合おうともしていないように見える。
実際問題、にゃるらが書いた全ての物語に父親は存在しない。
・にゃるらは超てんちゃんに母親の夢を見るか?
父親の存在は黙殺するが、むしろにゃるらは母親のことを書き続けているようにも見える。この件について実際に本人が口を開いて驚いた。
「世界中のメンヘラ女の心を掴んでいる超てんちゃんは僕の母親がモデルなんです!」なんて告白が出来るのはやはりにゃるらにしか出来ない気がする。個人的には明言されるとは思っていなかったので本当に驚いた。200万本売れてんだぞ。正気か?そういうのは本人が普通言うべきじゃなくて岡田斗司夫が小銭稼ぐために言う奴だ。
この点を踏まえていくと従来の「NEEDY GIRL OVERDOSE」の考察も結構話が変わってくる気がする。
まあ考察は色々あって僕が書くより優れたものがたくさんあるのでそちらを見ていただきたい。が、大体その中で一致しているのが
・ピ(主人公)は存在しない。あめちゃん(超てんちゃん)が作り出したイマジナリーフレンド
という点である。どういうことなのか。
雑に考察すれば…
「にゃるらはずっと母親を思っているのに母親にとってもう自分は存在しない」の裏返しみたいな感じになってくると思う。
特筆すべきなのは「NEEDY GIRL OVERDOSE」ではにゃるら作品で唯一実家が存在していることだろうか。
作家が頻繁に引用する美少女ゲームの世界では、しばしば両親の存在は「海外旅行」「海外出張」「既に死んでいる」等の理由であらかじめ対決可能性が放棄され、ストーリー中一切触れられないということは珍しくない。だから作家はこのテーマを無視してもよかったのだし、『NEEDY GIRL OVERDOSE』にしてみても、このイベントが無いからといってゲームが成立しないわけでもない。だから僕はこの描写を作家にとって必然性のある描写だったと考える。そして4作品の主人公のうち、親と直接対決した主人公はあめちゃんただ一人である。
この点を踏まえると、あめちゃんという存在は単ににゃるらの母親がモデルという訳ではなく、にゃるら自身が過剰に母親(つまりあめちゃん)に同化し、「インターネットを切って一人で実家に帰る」という自身の願望を映しているように見える。つまりは「NEEDY GIRL OVERDOSE」ではにゃるらは存在せず、にゃるらが母親に自身の願望を投影している、捻くれた作品だと言えるのかもしれない。
また、この記事では「NEEDY GIRL OVERDOSE」の核心部分には触れなかった。なんでかと言うと二ディガはシンプルに良いゲームなのでやってない人には是非プレイしてほしいからなんだぜ。
ゲームオタク以外は知らないと思うがロシアを中心に二ディガ系の良ゲーが沢山出ている。今の政治状況的にロシア人との共通言語はないと思えるが、その意味でこの作品は貴重だ。
第四章 にゃるらが叩かれる本当の本当の理由
ようやく本題中の本題に入ることが出来たが、
ここまで読んでくれたオタクにはにゃるらを叩く権利があると思う。
とは言え、叩く前に僕の意見も聞いていただきたい。
にゃるら叩きの起爆剤(?)となったのはIGNの記事だ。
一言でいうと本作の精神疾患と服薬の取り扱いは不適切だ。扱いとしてはエクスプロイテーション(過激であったり話題であったり搾取的な表現で耳目を集めるもの)といわざるを得ないし、精神疾患を患う者の見世物として描かれているからだ。
おっしゃる通りだと思います!
メンタルヘルスをフィクションに落とし込む時には細心の注意を払わなければならない。安易に書くとメンタル系の疾患を持っている人に悪影響を及ぼすし、時には自殺してしまうこともあるだろう。ちなみに僕も障害者手帳を持っているので何となく分かる。
実際に二ディガから完全に影響を受け、女オタクのヤバい行動がインターネットを見るだけでも散見される。次の記事は具体例。
しかしながら、フィクションの内容を不適切だという批判を圧倒的にコケにしていたのはオタクの歴史ではないだろうか。
所謂、非実在青少年問題とか。
今現在も性的なポスター等でツイフェミと表現の自由戦士が叩き合っているのを見るのは本当にうんざりするが、「フィクションだったら何をやってもいいんだ!」と連帯するオタクの気持ちも分からないでもない。
しかしながら、何でにゃるらのゲームとなると逆に学級委員長的なリベラリズムを発揮するのか。にゃるらのコンテンツをキャンセルしようと一部のオタクが本気で連帯しようとしてるのが見れる。が、その前にオタクの表現規制の歴史を振り返った方がいい。二ディガ何かよりもっと露悪的に描かれている「完全自殺マニュアル」だって前文を読むと良いことが書いてあったりもする。
例えばオタクが好きそうな話がある。
北野武は記者に「暴力映画の影響で実際に暴力行為に出る人間も居ると思いますが、その点についてどう思われますか?」と聞かれた時に「じゃあ、何でお涙頂戴の良い話だらけなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」と聞き返したそう。この問題提起はよく分かる。流石、北野武だ。
フィクションは現実に影響を及ぼすのは間違いない。ただ、それが全てでもない。曖昧なものを曖昧のままにしておくのは日本の良さでもあった。もちろん、作り手の技量が試される時代であるのは間違いない。今後二ディガやにゃるらの新作アニメが社会問題になる可能性は大いにある。それでもキャンセルカルチャーに乗っかることに僕は同意することは出来ない。
・にゃるらだけが何故叩かれるのか?
先ほど述べたにゃるらだけが何故叩かれるのか問題。これについて私見を述べて終わる。
にゃるら本人も何故かリツイートした記事がこちら
この記事によると
もう結論から書いてしまいますが、
にゃるらさんが叩かれる本当の理由は
「オタク」のくせに色白「イケメン」で女に「モテてそう」だから
いや、そんな訳ないやろ!!!
にゃるらが不細工だと言いたい訳ではない。沖縄出身らしい整った顔はしていると思うが、、、
価値観が古すぎる。「ただしイケメンに限る」的な電車男の世界観で生きているのではないだろうか。まずオタクで色白イケメンだとしても普通にモテない。大学生くらいまでならそれでいいかもしれないけど、段々大した要素ではなくなってくる。
にゃるらがモテてるのは売れているクリエイターorインフルエンサーだからだろ!
この件について、ミソジニー論客の「小山(狂)」氏は核心を突いたツイートをした。彼の言う男女ツイートは全然同意出来ないことも多いが、にゃるらの話題になると何故か解像度が上がりまくる。やはり侮れない。
にゃるらが謎に叩かれる理由、あんま言いたくないけど彼が字書きだからというのはあると思う。絵が描けるとか作曲ができるみたいなわかりやすく「自分にできないこと」がやれる人というのはあんま嫉妬の対象にならないんだが、字書きというのは「もしかしたら自分もあれくらいやれるかも」と思われがち… https://t.co/TT93EPE07h
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) January 15, 2025
にゃるらが叩かれるのは「字書き」だから。
こっちの意見の方が完全に同意できる。大体考えてみてほしい、我々が学生時代に誠意を込めて叩いていたのは
・ラノベ作家
・脚本家
・歌い手
・ユーチューバーor配信者
辺りだろう。明らかに特別な才能を必要とする作曲家や漫画家のアンチも勿論いるが、なんとなく特別な才能がなくてもやれそうな物ばかりではないだろうか。
僕だって今ある妄想を実現できたら彼らをひねりつぶせる。そういう妄想をしていた。僕もそうだ。大学生になったら在学中にラノベ作家としてデビューしていて今頃、アニメ化くらいはしているだろうなという確信が何故かあった。正直、これはしょうがない部分がある。字書きの宿命である。
これに加えて、にゃるらは弱者芸の特性があった。これは今までの記事を見ただけでも十分に伝わってくるはずだ。つまり、にゃるらは「字書き」+「弱者芸」+「モテ性」の厄介オタクが一番叩く要素が詰まっている人物なのだ。
なので、オタク共がにゃるらを叩きたい気持ちはよーく分かる。
よーく分かるが、叩く前にこの記事が頭の片隅にあることを願う。
終わりに にゃるらへの提言
読んでいたらと思うとゾッとするが、一応本人が読む可能性もあると言えばあるので念のため記載しよう。
・インターネットを辞めるな
正直、アニメの制作も忙しい上に厄介オタクに絡まれているのはうんざりすると思うがやっぱり彼にしか書けないことは多い。ツイッターから離れるとしてもnoteくらいは続けてほしい。自分語りを恐れないで。
・筋トレの写真は正直、痛い
見るに堪えない。僕も筋トレを最近始めたので目に見える成果が出ているのは分かるが如何にも中年男性のダメさ加減が出ている。筋トレ写真で自分語りをするな。
・僕をブロックしないでくれ!
見ていただきありがとうございます。本当に酷いことも言いましたが、にゃるらさんへのリスペクトは本当にあるつもr
あれ?
なんだこれ?
体が
重い?
にゃるらさん! い、いや、そんなつもりは…。
そ、そんな…
これが、「王」の力だと言うのか…!!!
(死を覚悟している)
ごくっ…
(半殺しにされている)
結論
夜は寝た方がいい。
コメント
2最後面白すぎて、深夜なのにバカ笑いしてしまいました。ありがとうございます
にゃるらにこんな熱い気持ちを持ってるファンがいたなんて……w
羨ましい限りですねえw
あと、普通に読ませてくる文章ですばらしい