「原爆が投下されたのが公園で良かったですね。」それを聞いた高校生の私が綴った言葉。
私の原点。18歳の時に私が書いた拙い文章。
8月6日、日本に原爆が落とされた日に今でも読み返している。
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私は信じている。ペンの力は大きいと。世界から戦争がなくなると。対話によって平和がもたらされる日が必ず訪れると。平和を願い、ペンの力を信じている私は、将来、国際関係を専門にしたジャーナリストになりたいと考えている。ジャーナリストとしての私のテーマは、“当事者意識”。遠い国のことで、自分とは無関係であると感じるできごとを身近に感じてもらう文章を書きたい。そして、皆が国際問題について、当事者として考え、好奇心を持って取り組む社会を作りたい。
平和に強い関心を抱いたのは、高校1年の時に、広島に訪れたことがきっかけである。被爆者の方から「日本の若者に『原子爆弾が落とされたのが公園でよかったですね』と言われた」という話を聞いた。その若者は原爆のことを公園で小さな爆弾が爆発しただけだと思ったらしい。人類の汚点とも呼べる大きな被害が無知により、小さな事故として捉えられていた。無知は負の歴史を繰り返すことに繋がる。知識を身につける必要性を感じ「核兵器は廃絶されるか」という3万字の論文を書き、核抑止力に安全保障を依存する国際社会の構造を考え直すべきだと提言した。
この知識を生かしたいと考え、第14代高校生平和大使となった。今年の8月にスイス・ジュネーブに派遣され、国連欧州本部で英語でスピーチをし、核兵器の恐ろしさを世界に訴えた。私は核兵器の恐ろしさを外国に発信することばかりに目が向いていた。しかし、日本にも発信する必要性があると、スイス・ベルンの街頭にて核兵器廃絶の同意を求める署名活動をしたときに、強く感じた。それは、署名活動中に、あるスイス人の方から「こんな活動をする前に、日本人は政府に核兵器廃絶に真剣に取り組むことを要請するべきだ」と言われたからだ。
日本は核兵器廃絶に深く携わっているのに、なぜ彼がそのようなことを言うのか。彼の言葉の真意に疑問を抱き、調べてみた。すると、日本は核軍縮に対して消極的だと外国から思われていることを知った。日本は核兵器廃絶を訴えるが、アメリカの核の傘に入り、結局は安全保障を核兵器に頼るという矛盾を抱える。そして、半世紀に及び隠されていた核密約が政権交代により暴かれたことによって、国際社会の信用を落としたことを知った。
なぜ核密約が発生したのか。関係者は「日本の安全保障のためには核兵器が必要である。しかし、日本人は核兵器と聞くだけで、危険なものであると思考停止し、拒絶反応する“核アレルギー”がある。そのため、核密約するという手段しかなかった」と話した。
私はこれを知り、説明責任を果たさなかった政府だけでなく、国民に問題があると考えた。核兵器という言葉を聞くだけで、拒絶してしまう日本人。“核アレルギー”を持っていたことが、核密約を発生させてしまった原因の一つであると認識し、当事者意識を持ち、しっかりと現実を捉える必要がある。
ベルンでの署名活動は、日本で行う署名活動よりもはるかに多くの人が、私たちの声に耳を傾けて話してくださり、明確な自分の意見を持っていた。それは、核問題に対し、日ごろから自分の問題だと当事者意識を持っているからではないだろうか。日本人は核兵器の恐ろしさという観点で留まるのではなく、当事者意識を持って、核問題に取り組めば、世界の現状をより正しく理解できるであろう。
私はこれらの経験から、当事者となって考えることが重要であると考えた。これは、後藤新平の考えに近い。後藤は「自治は市民のなかにある」と市民の自治意識の醸成を掲げ、関東大震災の復興、台湾・満州のまちづくりにおいて実績を残した。そこには、後藤の地域に住む人を重視する考えがあった。政治上の問題として捉えるのではなく、現場に住む人間を当事者として捉えたことが、後藤の偉業の原点であると思う。
せわしなく日々を送る私たちも、他人事ではなく、その地域の人と同じ立場で、当事者として考える必要がある。世界の社会問題が、当事者意識を持てば、自分の問題となる。自分の問題となれば、解決策を論じる。解決策を論じれば、行動へと一歩踏み出すことに繋がる。このような人間の思考があるからこそ、行動に移すためには、まずは当事者意識を持つ機会が必要である。私は自分の得意な文章によって、その機会を世間に与えたい。
私たち平和大使の活動のモットーは“ビリョクであるが、ムリョクではない”。自分の小さな平和への想いを行動に移すことが微力であるが、世界を平和にする一歩となることを一人でも多くの人に訴えたい。長崎では、8月9日午前11時2分、原爆が投下された同日時に、市全体に鐘が鳴り渡る。平和への願いを共有するためである。私のペンの力は、ビリョクであるがムリョクではない。深い知識と、濃い経験、熱い想いがあれば、読み手の心の鐘を鳴らすことができるはずだ。
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自分の志がおれてしまいそうな時、
自分に自信がなくなった時、
そして8月に読み返している。
8年前の文章。
恥かしいが、公開した。
これはコンクールに出して、優勝した。
優勝スピーチで、賞金を使って養成所に入学して
お笑いジャーナリストになりたいと言って
審査員の偉い人たちが目をまるくしていた。
実は8年前に読売新聞にも掲載された。
その時は親も喜んでくれたけど、芸人になったら悲しんでいた。
8年前の自分の誓いに近づいているのだろうか。
あの時の審査員、親は、今の私を見てどう思っているのか。
「原爆が落とされたのが公園で良かったですよね」と感じる若い子に届ける術を私は持っているのか。
ーー追記(2023年8月6日)ーー
2022年はウクライナに取材に行きました。こどもたちの被害を取材するとともに、若者の安全保障観を聞いてきました。ウクライナの若者たちの思いを聞いてきました。
平和をただ「祈る」だけではなく、平和を「作る」ために私たちができることは何か考える出張授業を作りました。沖縄や広島に行き、語り部の方の取材もしました。取材を続け授業をアップデートし続けていきます。
・広島で被曝された語り部の田中聰司さん
https://youtu.be/53HpqWwOYBo
・平和記念資料館動画
https://youtu.be/pF47UF_Gxe8
授業を一人でも多くの子どもたちに届けたいと思います。
笑下村塾の活動も応援してください。
やってほしい学校があればお気軽に連絡ください。
https://www.shoukasonjuku.com/
平和は祈るものではなく、作るものです。
みなさん、平和のためにできることを一緒にやっていきましょう。
ジャーナリスト、これからも続けます。
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コメント
11ななさんの平和を願う気持ちが伝わってくる文章で心打たれました。
私は戦争の本質は他人の愛する人を殺すこと。暮らしを脅かすこと。だと考えています。国家同士の利益争いやお互いの正義のぶつかり合い。と言う意見に誰しも一度は辿り着くかもしれないけれど、更に辿っていくと、自分の欲のために他者を攻撃する。他者から奪う。それを最もらしい理由づけで正当化する。それが戦争の本質です。そういうことに莫大なお金や時間を投入するって虚しくないのかな。
「厳しさは暴力を教えこむことに通じる。」という考え方があります。例えば、兄弟が喧嘩しているのを母親が大声で「こんなことしちゃダメじゃない。」と二人を説得する。それは母親が目の前に気にくわない人がいたら、大声を出して暴力的な態度と言葉で相手にいうことをきかせる。という方法を教えていることになるらしい。そんな方法しか知らない攻撃的な人ばかりの世の中になったら、どうなるか。
そう思うと小さなことかもしれないけれど、今日も笑顔で穏やかに。批判、文句や愚痴は言わない。攻撃しない。それを下の世代にしっかり伝えたいと思います🍒
修学旅行で長崎を訪れました。バスの中でガイドさんのお話を聞きながらいろいろ調べているうち、このnoteにたどり着き、真剣に読ませていただきました。この文章を書かれたななさんと同じ高校生として、ビリョクではありますが責任をもって核と向き合っていきたいです。
残念ですが、核は恐ろしいからこそ抑止力があるのであって、しかも人類は核兵器を作る方法を知ってしまったので、たとえ廃絶してもまた誰かが作らないという保証はない。そう考えると核廃絶は現実味がなく、もし仮に核廃絶が実現するとしたら、それは核よりも恐ろしい兵器が出来てしまったときだと思います。
フレーフレー たかまつななさん