「報われる努力がしたい」 『転スラ』『あの花』“転生”ブームが映す若者のリアル
2025年08月05日 公開
『転生したらスライムだった件』『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』など、なぜいま"転生もの"がブームなのか。タイムループから"転生もの"への流行の変化は、時代をどう反映しているのか。30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆さんが、令和のヒットの法則をひも解く。
※本稿は、『Voice』2025年1月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
『転スラ』から読み解く「転生」ブーム
本稿では、現代のヒットコンテンツを象徴する言葉として「考察」を用いている。考察とは何か。それは「作者の正解を当てる」ゲームである。つまり現代のヒットコンテンツの特徴は、正解やゴールといった、「報われる」着地点が設定されていることにある。
今回その例示として考えたいのが、「転生」ブームである。
『【推しの子】』『本好きの下剋上』『幼女戦記』など、とくにアニメやライトノベルのジャンルにおいて、「転生」は大きな流行の一つになっている。「転生」とは、死後に他の場所(多くは異世界である)で生まれ変わり、新しく人生をやり直すことを指す。多くの場合、前の場所での記憶をもったまま生まれ変わることになる。
たとえば『転生したらスライムだった件』(伏瀬、マイクロマガジン社、以下『転スラ』)は関連書籍シリーズ累計4500万部突破(2024年4月時点)、アニメは配信で海外市場にも進出するほどの人気シリーズ。本作は37歳の大手ゼネコン勤務の男性・三上悟が、通り魔に刺された結果、「転生」して異世界でスライム(リムル)になってしまったところから物語が始まる。
スライムになった彼は「捕食者」(相手を溶かして能力を奪うスキル)と「大賢者」(知覚速度や解析力が劇的に上がるスキル)のスキルを手に入れていた。そしてスライムながらに少女の体を借りたり、さまざまなスキルをゲットしたり、信頼できる仲間と出会ったりすることによって、異世界の国家をつくり上げる。
スライムと言うと、RPGでは最弱の存在。三上の「転生」ガチャは失敗したかのように見える。しかし彼は、序盤から「チート」(不正行為かと思えるほど凄いこと)のようなスキルを楽々とゲットするのだ。
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視界がクリアになった。
俺を襲った、脳を焼ききるような感覚が無くなる。
そして、今まで出来なかったのが不思議なくらい、当たり前のように世界が"視えた"。
『大賢者』はずるい能力かも知れない。
チートと言っても過言ではないだろう。
他人が持っていたら、反則だ! とクレームをつけるところだが、持っているのは俺だ。
何も問題は無かった。
(『転生したらスライムだった件1』)
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三上の「転生」は、さまざまなスキルを身につけられるスペック=スライムになったところから開始した。チートスキルは、三上が三上のままでは手に入れられなかった。転生して身体が変わったからこそ、手に入れられたのだ。
では「転生」が流行する以前には何が流行していたのだろう。それは、同じく時空移動であっても、同じ意識・身体のままで移動する「ループ」である。
ループものと呼ばれるそのジャンルは、たとえば2009年にゲームリリース、2011年にアニメ化した『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)が一躍有名になった。あるいは2011年放送のアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』もまた、ある目的から主人公がループを続ける物語である。1965年の筒井康隆の原案をもとに2006年にアニメ化された『時をかける少女』を思い出す人も多いかもしれない。
3作品とも、自分ではない他人を救うために、何度も時空を超えて過去改変を試みる。とはいえ、どれも安易に過去のやり直しを図るだけではなく、自分が変化させた過去についても逆説的に理解するようになる。
「ループ」と「転生」。どちらも日本のアニメやライトノベルで流行するフレームではあるが、はたしてその狭間に存在するのは何だろうか。
ゲームに必要なのはスペックか、オプションか?
ループものについて、批評家の東浩紀は著書『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)のなかで、ライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』や小説『All You Need Is Kill』を挙げる。反復する時間とそこからの脱出という主題においては、押井守の映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が先駆的な作品であることも触れている。これらの作品は、2000年代にライトノベルや美少女ゲームとして流行する。
なかでも東が挙げた『All You Need Is Kill』の主人公キリヤは兵士としてループするなかで、厳しい訓練を重ね身体の戦闘能力を高めることに成功する。そう、東も指摘するとおり、戦闘能力と身体能力は、別として扱われている。つまり、「身体能力が以前と変わらなくても、努力によって戦闘能力さえ上がれば、ゲームはクリアすることができる」という前提が敷かれている。
身体は同じでも、ループし失敗から学び努力や選択を間違えなければ、今度は成功することができる。――考えてみれば、ループものはこのような前提に支えられているのだ。
一方、「転生」とは「身体」から変わることを指す。
先に述べた『転スラ』で重要なのは、「スライム」に転生したという事実だ。主人公の三上は「スライム」だからこそ、チートとも言えるスキルを獲得することができたのだ。つまり「転生」において重要なのは、どんな身体に、どんな能力に、どんな世界に、転生したのか、そのスタート地点である。
ゲームをクリアするために必要な要素が、「転生」と「ループ」では異なる。「転生」はスタート地点の変更を求めるが、「ループ」でスタート地点はいつだって変更されない。
つまりゲームをクリアするために必要なことが、
転生=能力(開始)
ループ=選択(過程)
という前提が敷かれている。
「転生」とは「開始で得るスペックが違っていれば、報われる」という前提に立ち、「ループ」とは「過程で選ぶオプションが違っていれば、報われる」という前提に立つのだ。
だとすれば、東はループものを「ゲーム的リアリズム」と呼んだが、転生ものとは、「ガチャ的リアリズム」であると言うことができるのではないだろうか。
「転生」とはガチャの概念を取り入れた想像力である。カプセルトイのように、自分の身体が何に生まれてくるかは誰にも選べない。だからこそひょんなことから違うカプセルトイに生まれ変わったら、もっと良いカプセルトイに生まれ変わっていたら、違う人生が待っていたのかもしれない。この自分のままである限り、自分の望むゴールは達成できない。だからこそ、「転生」による自分(自分の意識のままで違うスペックをもった自分)になれば、ゴールに達するルートに乗ることができる。
「転生」も「ループ」も「いかにゴール達成ルートに乗るか?」という物語構造である。しかしその手段には、ルートに乗れるスペックで開始するか、あるいはルートを探し当てる過程にあるかという違いがある。「親ガチャ」にしろ「転生」にしろ、現代のヒットコンテンツでは、生まれてきた場所や能力の影響力を強く重視する構造にあることは確かだろう。
『あの花』はスタート地点を異化させる
2023年に映画が公開され、小説はシリーズ累計発行部数100万部を突破した『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下『あの花』)をあなたは知っているだろうか?
私はたまに地方の中学高校に読書感想文講座へ行くのだが、「最近、朝の読書の時間に読んで面白かった本はある?」「好きな本か漫画はある?」と聞くと、いつも名前が挙がる本が『変な家』か『あの花』なのである。100万部の凄みよ......としみじみ思う。
さて、そんな小説『あの花』は、高校生の加納百合が、第二次世界大戦末期にタイムスリップしてしまい、そこで出会った特攻隊員・佐久間彰に恋をする物語である。
スーパーのパートと水商売で忙しいシングルマザーの母と百合は、折り合いが悪い。家庭の貧困状況から彼女はずっと、周囲から同情されたり陰口を叩かれたりしてきた。さらに彼女は、学校の勉強や交友関係もあまりうまくいっていない。そんな百合に母も怒りをぶつけてしまう。百合は「私だって望んで生まれてきたわけじゃない」と怒り、家出をしてしまう。そこで駆け込んで一夜を過ごした防空壕の跡地が、タイムスリップのきっかけとなる。
そう、百合はある意味「親ガチャ」に外れた少女である。そもそも彼女は、自分のいる場所や家庭に苛立ちを覚えていた。だが意図せずタイムスリップしたことで、特攻隊員の想いを知り、現代の平和が貴重であることを理解する。
......このあらすじだけ読むと、『あの花』はたんなるタイムスリップの話に思えるかもしれない。が、じつは本作は、日常を現代→戦時中と通過することによって、いまの自分のいる場所――つまり平和な日常――を異化させ、いま自分のいるスタート地点の価値を上げる、という構造を取る。
どういうことかと言うと、主人公百合は、現代の高校生のなかではスタート地点のガチャに外れているかもしれない。家庭環境が不安定で勉強が不得意である百合は、生まれのガチャを失敗しているとも言える。
しかし、現代ではなく戦時中の高校生(の年齢)と比較するとどうだろう。時代ガチャ大当たりである。食べ物に困らず、平和で空襲もなく、同級生の男性が特攻隊員にならなくてもいい世界だからだ。
百合は、タイムスリップ前は「毎日毎日、同じことの繰り返し。代わり映えのしない、平穏すぎてつまらない生活」と唱えていた。しかしタイムスリップを経て、自分の生活を「たくさんの苦しみと悲しみと犠牲の上に築かれたこの新しい世界」と思うようになる。つまり、自分の「平穏すぎてつまらない生活」が変わって見えたということである。
自分のスペックを、「現代」の人と比較していたが、「戦時中」の人と比較することで、よりよいものであることに気づく。タイムスリップによって現世を異化することで、スタート地点がどこにあるかという認識を変化させたのだ。
『あの花』は、百合にとって、親ガチャを無効化し、いわば時代ガチャをインストールする物語なのである。だとすれば『あの花』もまた、実際に「転生」のモチーフが物語の最後に登場するように、「転生」の流行のなかにあってヒットした作品であると言えよう。
ゲーム的リアリズムから転生のリアリズムへ
面白いのは、『転スラ』も『あの花』も、決して主人公たちが作中で努力を軽んじているわけではない点だ。「転生もの」と言うと、もしかすると「転生さえすれば、努力せずに異性に愛されたり幸せになったりする物語」とイメージする人もいるかもしれないが、じつはそんな簡単な話ではない。主人公はむしろ転生先でのほうが苦労する。努力や苦労を重ねざるをえない環境に放り込まれるからだ。
社会学者の土井隆義は、現代の若者は生得的属性を強く重んじる傾向にあるため、生得的に努力に向いている人は努力できるのだと考えていると説明する。
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彼らは、努力することの価値はそのお題目通りに認めています。素直すぎるほど素直に受け入れ、肯定しています。しかし、だからといって努力すれば自分の未来も拓けると思っているかといえば、けっしてそんなことはないのです。そんな未来がありうるなどとは露にも思っていません。なぜなら、それだけの努力に耐えられるだけの資質や能力は、自分には備わっていないと思い込んでいるからです。
自分はあらかじめそんな能力をもって生まれてきてなどいないと決めてかかっているのです。なぜなら、そんな能力もあると実感しうるような機会にこれまでほとんど恵まれてこなかったからです。
(土井隆義『「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの』岩波ブックレット)
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努力の価値は認める。だが自分は努力しても、人生が成功するとは思えない。――一見矛盾するように感じられる思想が若者のなかに両立する理由は、「生得的な能力」(スペック)という概念を補助線として引くと、理解しやすい。
つまり、最初からガチャに成功して「努力すれば成功できるスペック」に生まれてきていれば、努力して人生は成功させられる。だが、そもそも「努力できるスペック」に生まれてきていなかったら、格差が広がる日本では決して報われない。本気を出せるスペックと、出せないスペックがある。どちらに生まれてくるかは、ガチャ――生まれたときの運でしかない。
ならば報われるためには、スペックを変更させなければいけない。
そういう思想が若者のあいだで広がっている日本において、『あの花』は、戦時中という転生先を選んだ。百合は、戦争という数多の人びとが犠牲になる環境を経験し、自分たちの生きる世界を「そもそも命を脅かされない平和な場所」という「努力できるスペック」に変化させた。読者も百合に感情移入するうちに、自分のスペックが変わって見えるだろう。
そして『転スラ』もまた、物語の主軸は国家運営とそれにともなうバトル(戦争)にある。戦争のなかで、チームプレイがうまくいく意味や、戦争で国家同士が戦う意味が描かれている。できる限り武力ではなく話し合いによって共存共栄することをめざす物語は、平和な現実の希少さを読者に伝える。それはある意味、現実のスペックを――「時代ガチャ」勝者として――書き換える物語であると言えよう。
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大塚(英志)は、まんが・アニメ的リアリズムの課題は、「キャラクターに血を流させることの意味を小説がいかに回復できるのか」にあると述べていた。それを引き継いで言えば、ゲーム的リアリズムの課題は、「キャラクターに血を流させることを通じて、プレイヤーにいかに血を流させるか」にあると言えるかもしれない。
(『ゲーム的リアリズムの誕生』、カッコ内は筆者加筆)
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このような東の言葉を引くと、転生もの――つまりガチャ的リアリズムの課題は、「異世界で血が流れることを通じて、プレイヤーに血を流させなくてすむことの意味を回復する」ことにある、そう言えるかもしれない。
異世界で血が流れることで、現世はいかに努力できるほどに平和な世界か、照射する。それがもし転生のリアリズムの一つの意味なのだとすると、いま物語に求められているのは、「頑張ったら報われる」という努力できる場所を求める希望そのものなのかもしれない。
努力したくないのではなく、報われる努力をしたい。その気持ちが、現実は努力できる場所であることを教えてくれる「転生」ものを若者に手に取らせているのかもしれない。