「もっと何も考えずに、楽に生きられたらいいのに」渡邊渚が書き続ける遺書「大人になるにつれて内容はどんどん具体的に」、自分は「難しい人だなって思います(笑)」
PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、壮絶な治療と向き合った渡邊渚さん。そんな彼女が笑顔を取り戻すまでの“奮闘”や、新たな“希望”、かなえたい“夢”など、これまでの、そして、これからの“人生の転機”、THE CHANGEについて、話をうかがった!(全5回/第4回) ■【画像】屋上で「大きく伸びをする」渡邊渚と、彼女の初めての『週プレ』表紙&巻頭グラビア
「アルバムを見ているような感覚なんです」
渡邊さんの人生を語るうえで、避けては通れないのが、2004年10月23日に経験した新潟県中越地震だろう。それまで身近で感じることのなかった“死”を意識し、それ以降、毎年10月に“遺書”を書き続けている。 「中学1年生の頃から毎年10月に書いています。最初は、仲の良い友達の名前や、好きな遊びのこととか、本当に可愛らしい内容でした。 だから、昔のものを読み返すと、アルバムを見ているような感覚なんです。でも、大人になるにつれて、内容はどんどん具体的になっていきました」 ──具体的に、というと? 「この1年を振り返って、今の自分は何が楽しくて、何を生き甲斐にしていて、この先どんなことをしてみたいか、という目標のようなものを書くようになりました。 だから私にとって、遺書を書く10月は、年度末のような感覚なんです(笑)。“遺書”と聞くとネガティブに聞こえるかもしれませんが、私にとっては、自分と向き合うための大切な習慣なんですね。 あとで読み返すと、そのときの自分が何を考えていたのかを知ることができますし、読み返す時間もすごく大切なんです。きっと、この先もずっと書き続けていくと思います」 ──その遺書を通して、ご自身を客観的に見ると、どんな人間だと思いますか?
「言葉を選ばずに言えば、馬鹿らしいなと」
「うーん…“難しい人だな”って思います(笑)。どの年の遺書を読み返しても、“この1年、楽しかったー!”と、手放しで喜んでいる年がないんです。 何かしらに、ずっと悩んでいたり、考え込んでいたり。何ごとにも意味や意義を見出そうとしてしまうんですよね。もっと何も考えずに、楽に生きられたらいいのにな、と思うこともあります。 でも、今は“まあ、そんな自分も愛していきましょう”と、思えるようになりました」 ──今年の10月は、書籍の出版、事務所の立ち上げと、濃い1年が記されることになりそうですね。 「本当にそうですね。1年前の私は、今こうして取材を受けていること自体、到底、考えられませんでした。 きっとまだ働けずに、ベッドの中にいるんだろうな、と思っていたので。まさか会社を立ち上げ、こうした活動をしているなんて予想外でしたね。 でも、この経験があるからこそ、自分の限界を自分で決めることが、言葉を選ばずに言えば、馬鹿らしいなと思ったんです」 さまざまな経験を経て、自分の限界を自分で決めないという境地に至ったという渡邊さん。 そんな彼女が最近、やりたいことは何か? そして、人々に伝えたいこととは? 渡邊渚(わたなべ・なぎさ) 1997年4月13日生まれ。新潟県出身。2020年、フジテレビにアナウンサーとして入社。2024年3月末に退社し、以降はフリーランスとしてエッセイ執筆やモデル業、バレーボール関連のMCやメンタルヘルスにまつわる講演など、さまざまな分野で活躍している。フォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)、写真集『水平線』(集英社)が発売中。【起業家1年生渡邊渚とREALな社長 - モデルプレス×REAL VALUE】YouTube「REAL VALUE」公式アカウントで配信中! 吉田可奈
吉田可奈
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