過日、石川県七尾市に行ってきた。同市の図書館(七尾駅のすぐ前のビル3Fにある)に『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)が所蔵されているかどうか確認したかったからである。実は、以前同論叢がしかるべき図書館(石川県立図書館、岩手県立図書館、国会図書館)にどうやら所蔵されていないということを知った。そこで、もしかすると七尾短大は七尾市にあったのだから、七尾市立図書館ならばあるかなと思ったからである。
結論を言えば、その『七尾論叢 第11号』はやはり所蔵されていなかった。その他の号であれば何冊かは所蔵されてはいたのだが。
岩手からすれば遙か遠くの七尾市立図書館まで訪ねてきたわけだが、同論叢は残念ながら「なかったことだけがはっきりした」だけで、その他には得ることはなかったので、折角だから藤沢清造のことを少しだけ調べてみた。流石藤沢の出身地だけあった関係する図書等はかなり揃っていた。
その後、藤沢家の菩提寺西光寺に行ってみた。
《1 一本杉通りの由緒ありそうな店》(平成26年10月5日撮影)

をいくつか眺めながら進むと左手にそれらしい細い道があり、そこを辿るとやがて
《2 西光寺》(平成26年10月5日撮影)

があった。何とこのお寺は平泉と関係があり、あの藤原秀衡の孫感叡上人が開基した古刹であった。何となく懐かしさを感じた。
さて境内に入ると左側に建つ小さい小屋の脇に
《3 西村賢太が建てた清造の墓と自分の生前墓》(平成26年10月5日撮影)

があった。そして、左の斜面を登ってゆくとその奥の方に
《4 藤沢家の墓》(平成26年10月5日撮影)

があった。
《5 〃 》(平成26年10月5日撮影)

《6 この過去碑も西村賢太が建てた》(平成26年10月5日撮影)

ということになるようだ。どうやら西村は清造にかなり入れ込んできたし、入れ込んでるということがこれで納得できた。芥川賞の賞金をこの墓のためにかなり使ったのだろう。
続きへ。
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結論を言えば、その『七尾論叢 第11号』はやはり所蔵されていなかった。その他の号であれば何冊かは所蔵されてはいたのだが。
岩手からすれば遙か遠くの七尾市立図書館まで訪ねてきたわけだが、同論叢は残念ながら「なかったことだけがはっきりした」だけで、その他には得ることはなかったので、折角だから藤沢清造のことを少しだけ調べてみた。流石藤沢の出身地だけあった関係する図書等はかなり揃っていた。
その後、藤沢家の菩提寺西光寺に行ってみた。
《1 一本杉通りの由緒ありそうな店》(平成26年10月5日撮影)
をいくつか眺めながら進むと左手にそれらしい細い道があり、そこを辿るとやがて
《2 西光寺》(平成26年10月5日撮影)
があった。何とこのお寺は平泉と関係があり、あの藤原秀衡の孫感叡上人が開基した古刹であった。何となく懐かしさを感じた。
さて境内に入ると左側に建つ小さい小屋の脇に
《3 西村賢太が建てた清造の墓と自分の生前墓》(平成26年10月5日撮影)
があった。そして、左の斜面を登ってゆくとその奥の方に
《4 藤沢家の墓》(平成26年10月5日撮影)
があった。
《5 〃 》(平成26年10月5日撮影)
《6 この過去碑も西村賢太が建てた》(平成26年10月5日撮影)
ということになるようだ。どうやら西村は清造にかなり入れ込んできたし、入れ込んでるということがこれで納得できた。芥川賞の賞金をこの墓のためにかなり使ったのだろう。
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