プロ野球広島が9月10日に25年ぶりのセ・リーグ制覇を果たした。25年という最も長い期間、優勝から遠かったが、1970年代後半から90年代前半にかけて赤ヘル旋風と称される黄金時代を築いた。その最中である75年途中から指揮を執り、在任11年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した広島元監督、古葉竹識氏(80)が当時を振り返った。名将が今明かす秘話とは…。
《古葉氏は熊本・済々黌高を卒業後、専大(中退)、日鉄二瀬を経て1958年、広島に入団した。63年には巨人の長嶋茂雄氏と首位打者争いを展開した(最終的は長嶋氏が首位打者)。64、68年と盗塁王に。70年にトレードで南海(現ソフトバンク)に移籍。71年に現役を引退した》
--小さいころからプロを目指していた
「戦後、プロ野球が再開して、巨人の川上哲治さんがスターだった。当時はラジオ放送しかなかったが、一生懸命スコアをつけた。そのくらい好きだった。野球を頑張って大きくなったら、神様のいる巨人に入りたいと強く思っていた」
--専大を中退し、社会人チームの日鉄二瀬に入った
「母校の済々黌高に行ったら、日鉄二瀬の濃人渉監督がたまたま学校に来ていた。『プロになりたいので鍛えてください』とお願いすると、『円満に(大学を)辞めるなら取ってやる』と言われ、専大を中退させてもらった。2年後、『広島に行け』と言ってもらえた」
--14年の現役生活後、南海でコーチに就任した
「なぜだか分からないが、当時、南海の選手兼任監督だった野村克也さんに『2軍コーチをやれや』と言われ、2年目には1軍コーチになった。そしたら、優勝した」
--74年、森永勝也監督の就任に伴い、広島へコーチとして戻った
「野村さんには『俺の気持ちの中では、来年もお前のコーチは決めている。絶対に帰さないぞ』と言われた。でも、最後には『(森永は)気持ちの優しい男で、選手にいろいろと言おうとしない。お前ならあいつの代わりに言える。仕方がないけど帰れ』と言ってくれた。これが、その後の監督就任へとつながった」
《75年4月、審判への抗議がきっかけでルーツ監督が退団。5月にコーチから監督に昇格し、リーグ初優勝を果たした。在任11年でBクラスになったのは2度しかなかった》
--監督就任のきっかけは
「三塁コーチをしていた5月の中日戦で、監督代行だった野崎泰一ヘッドコーチに『全部やってくれ』と言われ、指揮を執った。なぜか分からないが、3連勝できた。終わって広島に帰ったら、オーナーに『お前が監督せい』と言われた」
--プレッシャーはあった
「それまで3年間、チームは最下位。今年頑張らないと『辞めろ』と言われる可能性は高い。引き受けた以上は、ファンに喜んでもらえる野球をやって、悔いを残さないようにしようという気持ちがあった」