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死後の生命が感じる地獄の苦しみ


日蓮大聖人は、
「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」
と仰せられ、まず臨終のこと、死後の生命のことをよく弁えることが大切である、と教えられています。
なぜ、死後のことを弁えねばならないのか、といいますと、生きているうちは、たとえ嫌なことがあったとしても、他人に愚痴をこぼしたり、酒を飲んだり、遊びに行ったりと、それなりに気分転換をして紛らわせることができます。ところが、死んだらそうはいきません。
死んだら、主体的な活動は一切できなくなりますから、当然、身体を自由に動かして発散することも、他のことを考えて気分を紛らわすなどということも、一切できなくなります。そして、自分が生前に作った宿業を、一瞬一瞬、ただ受動的に感じ続けていくしかないーーつまり、もし、生前に謗法をして地獄に堕ちたなら、その死後の生命は、瞬時も休むことなく、地獄の苦しみを受け続けていくしかないのです。
なお、地獄とは、たとえば、生きながらにして全身を焼き尽くされるような苦しみであるとか、鉄と鉄の塊の間に挟まれて生身のまま潰される苦しみであるといった、凄まじい苦しみの様子が、経典にも日蓮大聖人の御書にも説かれています。ところが、最大の地獄である“無間地獄”(絶え間なく大苦悩が続く境界)についてだけは、まったく詳しく説かれていません。
その理由について、日蓮大聖人は、
「若し仏此の地獄の苦を具に説かせ給はゞ、人聴きて血をはいて死すべき故に、くわしく仏説き給はずとみへたり」
と示されています。
話を聞いただけで血を吐いて死ぬ、などということが本当にあるのか、と疑問に思う人もいるかもしれませんが、たとえば実際に、嫌なことを告げられてショックのあまり心臓発作を起こしたり、脳の血管が切れたりして死ぬ人もいるわけですし、また、不気味な映画を見て、本当に吐き気に襲われる人もいます。
このように、人は、見たり聞いたりするだけでも、本当に具合いが悪くなったり、ひどいときはショック死してしまうことも間々あるわけで、それから考えれば、「無間地獄の苦しみを克明に説いて聞かせたら、これを聞いた人がショックのあまり血を吐いて死ぬ」ということも、まことにそのとおりである、と申せましょう。
それほどまでに凄まじく、恐ろしいのが、無間地獄ということなのです。そして死後の生命は、その恐ろしい苦しみを、どのようにしてみても避けることができません。
その恐怖を真に弁えれば、我々は、ただボンヤリと生きて、臨終を迎えるわけにはいきません。
どうしても成仏を遂げて、死後にまで安息の幸福境涯を持っていかなければならない、どうしても成仏の境涯を獲得しなければならないーーだからこそ、今、生きている間に、しっかり仏道修行に励むことが大切なのです。
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