シンガポールの「日本人墓地公園」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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「日本人が関係した世界史」 シンガポールの日本人墓地公園

JAPANESE CENTARY PARK

825B Chuan Hoe Ave 549853 Singapore

市内から20kmの郊外にあるため、タクシーで向かう

なぜこんなに市内から離れているのか

日本人墓地公園入口

「日本人墓地公園」と書かれている

1888年、娼館、ゴム園、雑貨商を経営して成功した「二木多賀次郎」が、

シンガポールで亡くなった娘子軍(からゆきさん)を哀れみ、自己所有のゴム園の一角に墓地を作ったのが始まり

かつてここはゴム園であった

中央の道を挟み、左は北西を向いている

右は逆を向いて建てられている

北西(左側)は日本の方向を向いている

入口の注意書き

今は、シンガポール日本人会が管理している

キレイに整備されている公園だ

公園内案内図

お地蔵さん

「ひのもと地蔵尊」

 

終戦時のシンガポールには、約8000人の日本人がいた

殆どは引き上げ船日本に戻ったが、41人がキャンプで命を落とした

この像は、シンガポールに住む女性の安産とその子供を見守る意味で建てられた

中野光三(1869年~1923年)

ステレツでも紹介した歯科医師

福岡県出身 1894年(明治27年)にシンガポールに渡り、中野医院を開き、30年に渡り活躍した

日本人墓地納骨堂

土葬が禁止されたための施設

山本音吉(ジョン・M・オトソン) 1819年~1867年

船が遭難し、アメリカの船に助けられ、その後世界を一周した男

日本に戻ろうとしても、入国を拒否される

シンガポール日本人移住者第一号とされている

シンガポールに立ち寄った「福沢諭吉(1835年~1901年)」の通訳も行っている

「御堂(みどう)」

日本人会は、無宗教主義のもとに特定の宗教に属さないことを決定

従って、仏教の「寺」を用いず「御堂」としている

ここまでは日本簿方向を向いている

御堂の隣には二木多賀次郎の墓

ここより、東南向き

「西村吉夫(にしむら よしお)」の墓

京都府出身 石原産業シンガポールの支配人

人本人会会長 1934年、イギリスからスパイ容疑をかけられ獄中で死亡

「日英同盟は1923年に失効している」

「先人を偲ぶ集いの場」拓く

戦前あまたの日本人が渡来し、当地で命を落とした者の記録

「マレーのハリマオ 谷豊」(1911年~1942年)

年配の方なら思えているかと思うが、テレビドラマ「怪傑ハリマオ」のモデルとなった

「真っ赤な太陽 燃えている~」が始まり

マレーのハリマオ(虎)と言われ、窃盗団1300人の頭目 

わずか31歳でマラリアにかかり現地で死亡

中央にはこんなアーケード

よく整備されている

蚊を心配したが、一匹もいない

花のアーケードの先には

「二葉亭四迷」の記念碑文

これはお墓ではない 遺骨は東京に埋葬されている

1908年(明治41年) 朝日新聞特派員として渡露

1909年 帰国途中のインド洋上で結核を患って死去

遺骨は掘り起こされ東京に移された

こんな赤い花

「からゆきさん」精霊菩薩

日本人娼婦が初めてシンガポールに現れたには、1870年(明治3年)だったと言われている

1920年まで50年も続いた

からゆきさんの墓は木標であったため、年月が経つと風化されつつあった

地元共済会が無名のまま「精霊菩薩」の文字を刻んだ墓石を経てた

一番奥のフェンス近く

中央が精霊菩薩

近くにはこんな石仏も

「佐藤登満(さとう とま)」 1889年没

日本人墓地に建立された最も古い墓

「馬来街(Malay Street十五 )」は、まさに前に紹介した「ステレツ」

他に15基の墓がある

アーケードの花

「上山柑翁(うえやま かんおう)」 1889年~1942年

蚊取り線香の発明者であり、大日本除虫菊(株)、後のキンチョー創業者上山栄一郎の長男

1930年社長就任 

インドネシアで除虫菊を栽培するため、訪れたセンバワン飛行場で、搭乗機が墜落して死亡

寺内寿一(てらうち ひさいち) 1879年~1946年

1941年、南方軍総司令官に着任

病気のため、日本軍降伏式に参加できず、ジョホーバルで死去

またこの花のアーケードを戻る

不思議なことが起こる

「御堂」から猫が近づいてくる

驚いシャッターを押したため、カメラのピントが合わない

私の足にしばらく絡みつき、気が付くといなくなっていた

「よく来てくれた」

と言いに来たような気がした

たぶん近くの家の飼い猫だと思うが

こんなになつくのは不思議だ

奥に気がゴムの木

ここはゴム園であった

戦没者慰霊碑

シンガポールで処刑されたり、自決した軍人の慰霊碑

「釋種楳仙和尚(しゃくしゅ ばいせんおしょう)」 1870年~1912年 

曹洞宗の僧侶 1893年インドの釈迦誕生の地に詣でるためシンガポールを訪れる

シンガポールに残り、西有寺(現在の御堂の前身)を建立

「日本人共同墓地記念碑」の碑文は和尚のもの

中野医院で入寂

こんな紫の花が咲いている

シンガポール市内から20km

滞在時間は30分

タクシーをメターを回したまま待たせても、3000円以下で往復できる

時間があれば一度訪れてはいかがでしょうか

誰かが伝えていかないと、忘れ去られてしまう

 

インドネシア ボルネオ島の「サンダカン」にも時間をつくって行ってみたい

以上「日本人が関係した世界史」の研究は終わり

明日は日本に帰る予定

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