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地獄に墜ちても人を救う

『正法眼蔵随聞記』の中で、道元禅師が栄西禅師の事を語っています。

ある日、栄西禅師のところへ、貧しい人が助けを求めてやってきました。
「もう何日も、何も食べていません。このままでは、家族みんな飢え死にしてしまいます。」
「おお、それはかわいそうに。これを食べ物に換えなさい」と、
栄西禅師は、建仁寺の本堂の本尊をつくるための銅板をその人に差し出しました。
それを見ていた弟子たちが言いました。
「お師匠様、あの銅板は、ご本尊様をつくるためのものですございますぞ。仏のものを私用に使うのは大きな罪になるのではございませんか。」
栄西禅師は、「確かに、仏様のものを使うのは大きな罪で、ワシは地獄に墜ちるじゃろう。しかしな、ワシが地獄に墜ちても、飢えて死にそうな人を救わねばならんのじゃ。」
道元禅師は、この栄西禅師の逸話を引き合いに出されて、こう語られました。
「この栄西禅師の行いは、とても立派じゃ。おまえたち修行者も、これを見習わねばならぬぞ。」戒律を守ることは大切ですが、きまり戒律を厳格に守って、他人を見捨てるのは、「エゴ人間の善」に過ぎないのです。必要に応じて、きまりを破ることもあってもいいのです。善にとらわれ過ぎると、大きな悪を犯してしまうこともあるのです。
ある日、小学5年生の女の子が学校を遅刻してきました。先生がわけを聞くと、道ばたでけがをしていた、仔猫を家に持って帰って手当をしていたというのです。
 きまりから言えば、遅刻をすることは悪いことですが、命あるものを助けたいという気持ちは大切にしたいものです。命あるものを見殺しにしてまで善人を通すことはどうでしょうか。
 「諸悪莫作」は過去七仏に共通する教えでした。しかし時と場合によっては善悪を超えることも必要なのです。
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