『逆行自我』MV映像を解釈する
はじめに
ファーストインプレッション
『逆行自我』のMVを初めて観た時、美しい映像と音楽が流れているのに、その意味がまるで掴めないという奇妙な感覚に襲われた。幾何学的な図形が踊り、視線が交錯し、意味ありげなモチーフが次々と現れて消える。「これは解釈オタクの考察待ちかな……」というのが、(ENIGMAにおける狛騎君の表現を借りると)"感情を取り繕う器用さ"のない正直な感想だ。
自分で解釈を試みようと思った理由
だが、いつきさんのMisskeyでの投稿を思い出し、考えが変化した。
『デフラグ』公開当時、リスナー間で主流だったメンヘラ / ヤンデレ解釈に対する見解を(やんわりと)公表するほど、作詞の曖昧さを気にしていたいつきさんが、なぜライブツアーのテーマ曲という重要な楽曲でこれほど難解な表現を選んだのか。その意図が気になって仕方なく、解釈記事を書くに至った。
楽曲の基本情報と背景
「正解はひとつではない」
ライブ前のインタビューにおいて、「棗いつき」はこう語っている。
今までのライブのテーマ曲にはわかりやすいものが多かったので、今回はみんながどう解釈したらいいか悩みそうな曲を目指しました(笑)。もちろんFeryquitousさんとわたしのなかで歌詞のテーマははっきりしているんですけど、ライブが終わるまでみんなにずっと意味を考えてほしいですね。正解はひとつではないので、どこをどう拾ってどう解釈するのか、どういうふうに受け取ったのかを自分なりにあっためておきながら、ライブに来ていただきたいです。
つまり、『逆行自我』の曖昧さは意図したものであり、聴き手に意味を考え続けさせることを前提にしているのだ。さらに、解釈に一意に定まる解が存在しないことも示唆されている。
なぜ「棗いつき」は我々にそんな困難を課すのか?それは、心理学において「Ambiguity Tolerance(曖昧さ耐性)」と呼ばれる、不確実性や多義性を受容する能力を試しているのかもしれない。正解のない難解な作品を前に悩み抜き、自分なりの解釈を持つという行為そのものが、この楽曲の制作意図ではないだろうか。
VOYAGERSが示すもの
ツアータイトルの由来と思われるVoyager計画では、人類が宇宙という未知の領域へ探査機を送り出している。特筆すべきは、探査機へ搭載されたゴールデンレコードだ。そこには地球の音楽が刻まれ、いつか出会うかもしれない異星人へのギフトとして、今も宇宙を漂っている。
着目したいのは、ツアー名がVOYAGERではなく『VOYAGERS』と複数形になっている点だ。この表記を見て、私は「棗いつき」一人のツアーではなく、オタク(や興業関係者)と共に進む航海を連想した。昨年の『TRAVEL2U』に続き、今年も一緒に、というメッセージが込められているのかもしれない。
(補足: 2024年のツアータイトルはTRAVEL2U、"2U"は"to you"という意味のLeetspeakである)
MV映像解釈 - 「棗いつき」の深淵を覗く
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
図形(●/▲/■)と見る動作の関連
MVの様々な箇所で目を引くのは、人の見る動きと関連づけて現れる図形だ。● / ▲ / ■というプリミティブなハンドサインを通し、「棗いつき」が何かを見ている様子が描かれている。
これらの図形が単なる模様ではなく、何らかの象徴的意味を持つと仮定する場合、いくつかの解釈が考えられる。本稿では、後述する眼球内での図形変化のシーンと合わせて、これらが"物事の見かたや捉え方"(自我と言い換えても良い)を表現していると仮説を立て、考察を進めたい。
さらに、このシーンで気になるのは、MV内の「棗いつき」の瞳に映る像も同じように● / ▲ / ■ へと変化する部分だ。一般的な美少女系デジタルアートの制作において、瞳への描き込みは特に大切にされる部分であり、これが場面に合わせて変化するのは偶然ではないように見える。
ここで重要な点は、「棗いつき」が見つめているのは他でもない、MV鑑賞者たる我々(他我)であることだ。映像作品における演出上の効果に過ぎない可能性も考えられるが、単なるカメラ目線と片付けるのも無理があるだろう。ここでは一つの解釈として、MV鑑賞者との相互関係を示唆していると考えてみたい。
図形の変化
間奏の手前、●, ▲, ■, ▼, ◆, ?, !!! と図形が眼球内で変化していく。これに前述した解釈を使うと、他我が移り変わっていく様子のメタファーとして捉えることができる。ただ、こちらは先程と異なり、文字(? / !)が追加されている点に留意する。
図形から文字への変化は興味深い演出だ。一般的に?は疑問や不確実性を、!は驚きや発見を表す記号として使われ、?の後に!が続く構成は、疑問から何らかの理解や発見に至るプロセスを想起させる。
もし前述の仮説通り、図形が自我や他我だとするのなら、次に来る?は確固とした認識から疑問や不確実性への移行、つまり"我に対する疑問視"(内省と呼ばれる概念)を意味していると考えても良い。
十分な内省の後に発生するのは!(気づき)である。?と!はMVの他場面でも印象的に使用されており、!の後に必ず大きな場面転換が入る点を偶然と片付けるのは軽率だろう。
ハイポサイクロイド
大きな円の内側を小さな円が転がり、美しいハイポサイクロイドを作画する。Voyager計画との関連で考えると、小さな円の中心点を太陽、外点を公転する惑星として解釈することもできる。
(補足: 惑星には順行・逆行と呼ばれる、見かけ上の運動が存在している)
注目すべきは、ハイポサイクロイドの作画手法が持つ矛盾だ。中心点は時計回りに移動(≒ 順行)しているのに対し、外側の点は反時計回りに移動(≒ 逆行)している。
矛盾する2点と、それによって描かれる図形が何を象徴しているかについて、以下で考察する。
こちらを見返す「棗いつき」
作画過程を覗いていた我々を、「棗いつき」が見返している。ここで起きている"見る側から見られる側への転換"は、様々な解釈を許容する。一つの意見としては、冒頭で引用したニーチェの言葉:「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」の視覚化と解釈できる。
ハイポサイクロイドの"相反する2点から美しい図形が生まれる"という特性が何を象徴するかについても、複数の解釈が可能だ。
例えば、いつきさん本人と「棗いつき」の乖離、理想と現実のギャップ、あるいは個人と社会的な役割の関係などが考えられる。どの解釈を採用するにせよ、"矛盾する要素の共存"が鍵となり、それが「棗いつき」を構成していることは映像から読み取れる。
市松模様と選択範囲
画面中央の背後に広がる市松模様は、画像編集ツールにおいて「透明」を表す。この模様が見えるということは、その上にあったレイヤーが全て消え、最も深い部分(≒ 深淵)が露出している状態を表現している。
加えて、点線で縁取られた形状は、画像編集における選択範囲の表現として解釈することができる。これは、何かを選ぶ / 切り取る / 変更を加える、そういった能動的な行為の可能性を示唆している。
面白いのは、2ndライブのテーマ曲である『ストラゴヴィゴス』との対比だ。かつての楽曲においては「正解」「答え」という二者択一的な選択(Which would you choose?)が主だったが、今回は「矛盾」という様々な考え方を抱える言葉が使われ、選択へ範囲や形状という曖昧さが加わっている。
いつも正解なんて目に見えていて
躊躇ってたって答えは決まってんだ
それが僕なりの独創エボリューション
三分間世界逆行の典型的輪廻転生
二つあれば道理それが脳裏去れば理論は矛盾してんだ
近未来絶対的な方向 動的森羅万象
ふらつき慣れ 先立ち誰も彼も一人矛盾してキレんだ
『ストラゴヴィゴス』のサブタイトルは"The Struggle of Egos"だ。Egoは精神分析学において自我と訳され、フロイトの構造論における意識的な自己の側面を指す。同じ単語でも、語られる文脈が大きく変化した点は注目に値する。
楽曲解釈 - 深淵を覗くMV鑑賞者とは?
A1. いつきさん本人である。
この楽曲を歌うのは、他でもない「棗いつき」である。『SEEK for MYSELF』や『ストラゴヴィゴス』がそうであったように、今回のライブテーマ曲もまた、いつきさん本人について歌う曲である。
「棗いつき」としての外的な評価や成功が積み重なるほど、本来の自分から離れていくような感覚。MVで作画されるハイポサイクロイドは、この乖離を幾何学的に表現している。中心点(活動)は着実に前進(順行)しているが、外点(自我)は逆回転(逆行)し、結果として美しいパターンを描く。
商業的に成功し、素晴らしい体験を生み出しながらも、自我は何か違う方を向いている。そんな矛盾や葛藤が『逆行自我』の映像で表現されているのだ。
A2. 「棗いつき」のオタクである。
MV内の「棗いつき」が見つめるのは、他でもない私達オタクである。『天気雨の旅』や『光になれたら』がそうであったように、今回のライブテーマ曲もまた、「棗いつき」とオタクの相互作用について歌う曲である。
あるオタクは"物語"を尊び、別のオタクは"音楽"を尊ぶように、「棗いつき」への期待は多様化しており、時には矛盾を生むことがある。こうした多様な期待や視点(他我)が存在することは、いつきさんにとって刺激でもあり、時に葛藤の源にもなるだろう。
『逆行自我』が示すのは、この葛藤こそが活動の源泉だということだ。順行と逆行が美しい図形を描くように、相反する期待や視点が交錯することで、より豊かな表現が生まれる。
MVで繰り返される図形の変化は、この他我の変遷を表している。他我の観察は疑問(?)を経て、新たな気づき(!)へと至る。これは、ファンとアーティストが共に変化していく過程そのものであり、そんな相互作用による創作の軌跡が『逆行自我』の映像で表現されているのだ。
A3. A1とA2、両方である。
A1とA2は二者択一ではなく、両方が同時に真実となる。なぜなら、アーティストの自己探求と、ファンとの相互作用は表裏一体の関係にあるからだ。
いつきさんが自我と向き合う時、その葛藤はオタクの多様な他我に対する観察から生まれる。逆に、オタクの他我が変化するのは、いつきさんの自我が活動を通じて表現されるからだ。疑問と気づき、それに続くハイポサイクロイドのように、両者は互いに影響し合いながら、一つの美しい軌跡を描いていく。
『逆行自我』の映像は、この二重性を許容している。自我と他我、内面と外面、創作と受容。これらの矛盾する要素が絡み合い、時に順行し、時に逆行しながら、新たな体験を生み出し続ける。正解がひとつではないのは、この動的なプロセス自体が作品の本質だからである。
総合的なツアー解釈 - "音楽"とは?
そして今、この解釈を試みている瞬間こそ、楽曲が仕掛けたメタ構造なのだろう。難解な作品を前に自分なりの解釈を模索する我々の姿は、ライブ前のインタビューで「棗いつき」が意図した通りの反応だ。
いつきさん本人が「今年の夏は一緒に"音楽"をやりましょう」とXで呼びかけていたように、今年のツアーは聴き手の参加を前提としている。ライブ会場でのコール&レスポンスによる対話や、会場全体の盛り上がりが"音楽"を完成させるように、『逆行自我』の解釈を試みる行為も、ライブを豊かにする営みなのかもしれない。
ツアーテーマ曲 #逆行自我 を公開しました❕
— 棗いつき⚜ (@itsukinatsume) July 12, 2025
口ずさめるくらいたくさん聞いてください
今年の夏は一緒に"音楽"をやりましょう https://t.co/QoyLLIfJrv
実際、インタビューで「どこをどう拾ってどう解釈するのか、どういうふうに受け取ったのかを自分なりにあっためておきながら、ライブに来ていただきたいです」と語っているように、解釈という行為そのものが楽曲体験の重要な一部として設計されている。
正解がひとつではないからこそ、オタク一人ひとりの解釈が意味を持つ。その多様な解釈を携えてライブ会場に集うとき、我々は一緒に"音楽"をやる『VOYAGERS』となるのだ。
おわりに
著作物の利用について
本記事では、棗いつき様の楽曲『逆行自我』のミュージックビデオから、考察・批評を目的として一部の映像をキャプチャし、著作権法第32条に基づく引用として掲載しております。
引用元: 【Original MV】逆行自我 / 棗いつき
補足
本記事の内容は個人的な解釈であり、公式見解ではありません。また、ここまで記事を読んでくださった貴方(ありがとうございます!)が、"自分なりにあっためている"解釈を否定するものでも、糾弾するものでもありません。


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