池袋西口公園ウエストコースト文化論
正直、何がヨーロピアンでトラッドでウエストコーストなのかわかりませんが・・・ごちゃ混ぜ、和洋折衷が日本の良いトコロと思います。
以前の記事で何度か触れた「池袋西口公園はウエストコーストのような明るさがあった!」という私の主張ですが、冗談半分・本気半分で、「池袋が暗い、怖い、汚い」ばかりの意見にアンチテーゼとして書いてみました。
※ダークな部分があるのは否定しません
1980年代、西口公園の何処に「明るさ」を感じたのか?
記憶を引っ張りだしつつ「思い出補正された自論」を書き殴りたいと思います。※異論は受け付けます。
毎度のことながら、多々記憶違いがあると思いますがご容赦を・・・
まずは「池袋西口公園」の事前知識として「hoge584さん」「motzさん」にコメント頂いた下記の写真・動画をご参照ください。
ちょっと天気が良くない部分もありますが・・・
この広々とした公園に、天気の良い日は太陽の陽射しがサンサンと・・・
想像してみて欲しいです。
https://adeac.jp/toshima-history/texthtml/d100010/mp101000/ht0101010
https://youtu.be/DTiWsD4ICMY&t=262
ぶっちゃけ、1980年を中心とした前後数年のサーフィンブームによる、ウエストコースト発祥のサーフ・ファッション(陸サーファー含む)が影響していると思います。
そして、西口公園周辺の「ウエストコースト的な明るさ」を牽引していたのが「丸井池袋本店」と「丸井スポーツ館」だったのではないでしょうか。
東武、西武は百貨店なので全年齢が対象ですが、丸井は若者をメインターゲットにしていたと思います。
まぁ若者対象とは言え、当時から池袋は田舎的扱いだったので、新宿、原宿、渋谷に対して、多少の「池袋的なローカライズ」はあったかも知れません。
時代の雰囲気は、映画「波の数だけ抱きしめて」で感じることができるでしょう。
中山美穂さん、雑誌「Fine」に出てくるお姉さんマンマでカワイイですよね・・・
そんな状況の西口公園周辺について、数年に区切って思い出してみます。
◆1978~1979年頃
「丸井」含めて全体的にイマイチ、未だ垢ぬけてない印象です。
単なる「ランニング」が「ジョギング」なんて、何やらカッコ良く言われ始めて「ジョギングパンツ」が流行ったのはこの頃。
スケボーもこの頃でしょうか?
アメリカ西海岸カルチャーが一般に浸透して来た初期だと思います。
1979年6月、初代「ウォークマン」の発表会でスケボーやローラースケートでデモをしたのも同様の影響なのでは。
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-06.html
スポーツドリンクの「ゲータレード」が広がり出したはこの頃かな。
ストローが付いた専用ボトルに「粉」を水で溶かすスタイルでした。
※スクイズボトルと言うらしい。
レモン、オレンジの2種類が販売されていましたね。
後年、類似品の「ポカリスエット」が発売されます。
運動系部活での必須アイテムになりました。
最初の触れ込みは、運動中に水飲むと横っ腹が痛くなるけど、スポーツドリンクは痛くならない!でした。
初めて飲んだのは何かのイベントで試飲会があってそこで体験しました。
がぶ飲みしてもお腹がタポンタポンにならなかったのを覚えています。
この頃、毎年恒例となっていたテレビ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」も、向こうの文化を画面を通して身近に感じることができる機会でした。
当時はファラフォーセットみたいなお姉さんが憧れでした・・・
映画「サンバーン」のチラシ持ってたんだけどなぁ。
◆1980~1981年頃
「丸井ヤング館」から「丸井スポーツ館」に変わった頃。
丸井池袋本店が1977年に開店したので、元丸井池袋西口店(現・ビックカメラ)→丸井ヤング館→丸井スポーツ館とコンセプトが変更になりました。
この時期から「陸(丘)サーファー」が出始めたのかな。
別のトレンドとして「竹の子族」がこの頃。
「つっぱり」「竹の子」「ロックンローラー」「ハマトラ」「陸サーファー」カオスにも程がある(笑)
現代なら池袋で踊る人もいたでしょうね。
そんな状況の中、サーフィン・ブランドのTシャツやトレーナーが流行りました。Town & Country、O'NEILL、AIPAとかですか。
私は陸サーファーはやりませんでしたが、トレーナーは着てました(笑)
胸側でなく、背中側にデカイロゴがプリントされたモノが目に付くようになったのは、この頃からだと思います。
それまでは、背中にデカイロゴは祭りの法被や半纏くらいですよね?
Tシャツ生地の裏にロゴプリントして、表からはロゴが透けて見えるというのもありました。
ナイキのスニーカー、パステルカラーを使ったファッションもこの頃から?
クイックタンニング(コパトーン製?)を顔に塗って日焼けを演出している人がいたり、JOVANのムスクを付けたりしてた人もいましたね。
これらの商品販売を主に担っていたのが「丸井池袋本店」と「丸井スポーツ館」でしょう。
「YUKIYA」や「パルコ」「東武、西武の紳士服売り場」でも扱うようになっていたと思います。「サム紳士服センター」もかな?
◆1982年~1984年頃
まだまだバブル前でリッチな感じはありません。
それでも向こうの文化に触れる機会も増え、小慣れた感じがして来ました。
映画「波の数だけ抱きしめて」は「1982年」を舞台にしているそうです。
アメリカのテレビドラマ「アメリカン・ヒーロー」が日曜深夜に放送されたのもこの頃。
その影響で、主演の「ウィリアム・カット」が出演するサーフィン映画「ビッグ・ウェンズデー」が再注目されます。
映画「E.T.」も1982年、今は当たり前の「ピザの宅配」「ハロウィーン」を知りました。「あんなデカイピザ!アメリカでは出前して貰えるんだ!」と驚きました。
「ハロウィーン」はなんとなく知ってはいましたが、仮装して町を練り歩くイメージはありませんでした。
映画「Big Wave」公開が1984年。
私の周辺では「ファーラーのズボン」に「デッキシューズ」が流行りました。広い範囲の流行かどうかはわかりませんが、デッキシューズはこの頃から定番になったのではないでしょうか。
涼しい時期には「ヨットパーカー」それまでフードなんて言葉知らなくて「ほっかむり」か「頭巾」でしたよね?(笑)
1983年春から「オールナイトフジ」が始まります。
土曜の夜は「ベストヒットUSA」で洋楽に触れつつ、「オールナイトフジ」へチャンネルを切り替える流れが定番でしたか。
オールナイターズとドジ井坂さんの「波情報」をサーフィンする訳でもないのに「フムフム」と毎週チェックしてました。
今はなんとなく解りますが(わかったふり)、当時の洋楽、ブリティッシュ、ウエストコースト、ニューヨークと一括りでしたな。
当時はアメリカTVドラマが定期的に深夜帯で放送されていたので、これも向こうのカルチャーに触れられる機会でした。
遊びの待ち合わせは「丸井池袋本店」前が定番になったかな。
携帯が無い時代、どうやって待ち合わせ決めてたんだっけ?
家電にいちいち掛けてたと思うけど・・・今度記事にしてみます。
「丸井スポーツ館」は、暖かくなると夏向けレジャーグッズが一階に溢れていて良い匂いが漂ってました。
独特なビーチサンダルのゴムの匂い、コパトーンや日焼けケア・ローションの匂い、JOVANのムスクも。
西口公園側のショウウィンドウのマネキンはカラフルなビキニに衣替え。
夏にはビーチサンダル、コパトーンはココでほぼ買ってました。
スニーカーも一階でしたね。
海に行くならやはり湘南、小田急乗って「片瀬江ノ島」へ。
海から帰って来て西口に到着すると「帰って来たな~」と、ホッとしました。
遊んだ後、お茶するなら「蔵王」が良いですね。
「サルビア」にも行ったけど。
特に夜遊び後は朝まで「蔵王」でトースト食いながら駄弁る。
※蔵王の手前に「JUN」がありました
マイタイ、チチ、マルガリータ、ソルティードッグ等々、トロピカルなカクテルが「町の酒屋」で売り出したのはこの頃でしょうか?
「ワンカップ大関」みたいに、ぱかっと開けるスタイルで、カクテルシリーズが売ってたんですよね。
居酒屋ではサワーばかりでカクテルなんて置いてない時代でした。
300Bにはあったかも、カフェバーに行かないとないか。
カフェバーなんて池袋あったっけ・・・?
なんて言ってますけど、飲むのはそんな洒落たトコロではなく、セキネの上にあった「大都会」か、ロサ並びの「庄屋」「源氏」なんですけどね(笑)
バブル前、西口公園周辺は本当に明るい雰囲気があったのですよ。
そして時代は「バブル」に突入するのですが、それでも今と比べて、もう少し落ち着いた雰囲気はあったと思います。
これ、私だけの感想でしょうか?
今後の西口再開発でどう転ぶかわかりませんが・・・
機会がある度に、何度でも、「池袋は明るい街だ!(だった!)」と主張したいと思います。
今回はこの辺で・・・
コメント
6自分の記憶があるのは1982年~1984年頃からですね。まだ小学生でした。西口公園で薄暗い感じがしたのは駅に一番近いところの舗装された一角という記憶があります。それ以外はだいたい開放感がある公園でしたね。埃っぽい広場では自転車をドリフトして遊んだりしてました
hoge584さん>>
コメントありがとうございます!
現在のステージ裏辺りですね~現在の植え込みもピンポイントで見ると、当時の雰囲気残してるかもw
私の記憶の中の近所も明るいんですよ。駅前は空間があってだだっ広いイメージ。明暗の暗の部分の代表はウィロードとビックリガードで、コントラストが効いている感じ。そして夜も街灯やお店の灯りで明るいですね(隣の区に引っ越したら夜が暗くてしばらく怖かった)。
motzさん>>
コメントありがとうございます!
ビックリガードは最近は通ることは少なくなりましたが昔も今もイメージは変わらないすね~
ウィロードは改修?で、公衆便所があった時代に比べると明るくなりました。
そういう意味では、池袋の3Kを完璧に表現していたのがウィロードだったかもですw
街灯の明るさ、丸井がなくなっただけで夜がかなり暗くなっていて驚きました。