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Yさんが教えてくれたこと

11年前自分がまだ神奈川にいた頃仕事先で一緒だったYさんは初めて会った時からどこか淋しげで不思議な雰囲気を漂わせていました。


彼女と出逢った当初から一緒にいて不思議と心が落ち着いている自分に気付きました。


帰る方向が同じだからいつも一緒に帰っていました。

お互い口数が少ないからほとんどの時間がシーンとしていたけど、その沈黙の時間が全然疲れませんでした(笑)


Yさんは誰にも言えない心のキズを抱えていて、自分はそれをよく聴いていましたが、その彼女が


「てっちゃんも私も、そして他の人たちもみんな元々は1つだったと思うんだよね。」


と話しかけてきた時は当時の自分はそれについては「?」でさっぱり分かりませんでした。


でも今はそうなんだろうなって思っています。


両親の事を思い浮かべたその日に連絡が来たり、友人のことを思い浮かべた次の日に連絡が来たりとか😲


入ったばかりの職場で初対面で何か苦手な雰囲気の人はみんな別の部署へ異動したり退職したりして離れて行ったりしていました(笑)


間違いなく視えない何かの力が働いているのだと思います。


人を傷付けることは自分を傷付けることだし、人が喜んでくれたら自分も嬉しい。


人間は集団で支え合って生きてきたからそれは本能とも言えるかもしれないけど、もっと辿れば彼女の言っていた通り1つの存在だったのかもしれない。


元々1つだったものが分裂して分裂したもの同士がいがみ合ったり比較し合ったり愛し合ったりして。


彼女から「欲」という感情が見えたことはありませんでした。


自分の身体さえ自分のものでは無いようだし。


そう考えるとこの世に自分のものなんてあるのだろうか。


そもそも「自分」という存在すら幻なんじゃないか。


自分が存在している一部の世界と存在していない無数の世界が同時並列に進行しているんじゃないか。


「自分の好きなもの」→失う恐れが生まれる


「この人ならきっとこういう反応をしてくれるはず」→期待した反応が来ないかもという恐れが生まれる


「この人が好き」→嫌われるかもしれない恐れが生まれる


「これが好きだから続けたい」→出来なくなるかもしれない恐れが生まれる



ポジティブなものは裏を返せばそれが足枷にもなってネガティブなものにもなりそれに囚われて自分を見失ったりするのかもしれない。



一切の執着を無くすには何もしない・何も持たないことになるのだろうか。


確かに苦しみから解放されるかもしれないけど、そういう世界ってどうなんだろう?


最近そんなことをよく考えています



毎日「4444」とかのゾロ目や「8008」みたいな鏡ナンバー(?)を目にするのも、確率的にはとても低い筈なのに目にするのはこの世界の多くが実は視えないもので出来ている表れなのかもしれません。


これから何となく楽しみです。


Yさん元気にしてるかな🪽🌜

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