【売野雅勇 我が道1】矢沢永吉との永遠の5分間 すべては「カッコいい!」と思う気持ちから

[ 2025年8月1日 07:00 ]

愛車のポルシェに乗り込み笑顔

 作詞家の売野雅勇です。夏真っ盛りの8月の「我が道」は、中森明菜さんの「少女A」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、矢沢永吉さんの「SOMEBODY’S NIGHT」などの歌詞を書いた僕が務めます。

 上智大学卒業後、レコード会社でコピーライターをしていた時にレコードディレクターから「作詞をしてみませんか?」と声をかけられたことが、僕の作詞家人生の始まりでした。

 米国の黒人たちから生まれたコーラススタイル「ドゥーワップ」を取り入れた音楽グループ「シャネルズ」(後のラッツ&スター)の2枚目のアルバム「Heart&Soul」に収録された「星くずのダンス・ホール」と「スマイル・フォー・ミー」で、1981年3月にデビュー。これまで1500曲以上の作詞をしました。

 僕が物事を始める時のきっかけになるのは「カッコよさ」。小学校高学年の時に器械体操部に入ったのも「カッコいいな」と憧れた男の先生が体操をしていたことが理由でした。

 アラン・ドロン、伊丹十三、今野雄二――。「カッコいい!」と衝撃を受けた人の中に、矢沢永吉さんがいます。大学時代に「キャロル」のコンサートを見てから、ずっとしびれる存在。作詞家になってからは「詞を書いてくれ」と言われる日を夢見ていました。ところが、待てど暮らせど吉報は届かない。こらえ切れずに作詞家人生の中で、ただ一度だけ逆オファーをしたのが矢沢さんでした。

 デビュー8年目に、ようやく出会えた矢沢さんのために書いたのが「SOMEBODY’S NIGHT」。完成した時はうれしくて、東京のスタジオに持って行きました。ところが矢沢さんは原稿に目を落としたまま、ひと言もしゃべらない。「断られるんだ…」と覚悟しました。

 実際は5分ほどだったんでしょうけど、その時間は永遠に感じられました。

 ようやく視線を上げた矢沢さんは、僕を見ると右手の中指で原稿をピシャッ!とはじいて「これだよね。矢沢、これ歌わないとダメだよね」と言ったんです。イスから立ち上がると「よくぞ俺の前に現れてくれたよね」と力強く僕の手を握りました。作詞家になり、来年で45年を迎えますが、今でも忘れられない。ドラマチックなひとときでした。

 稲垣潤一さんの「夏のクラクション」など、シティーポップと呼ばれる楽曲に携わってきたこともあって「東京生まれなんでしょう?」と言われるのですが、高校を卒業するまで生まれた栃木県足利市で暮らしていました。

 「カッコいい!」と思う気持ちに従い行動したことが、偶然の出会いを「運命」に変え、僕の道になりました。素敵な出会いに恵まれた僕の人生に、皆さんどうぞお付き合いください。よろしくお願いいたします。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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