【売野雅勇 我が道21】この人の歌詞を書きたい 矢沢永吉に送った24枚の恋文

[ 2025年8月22日 07:00 ]

当時の矢沢永吉

 この人の歌詞を書きたい。

 作詞家になり熱望していたのは矢沢永吉さんでした。ヒット曲を書けばいつか依頼が来ると思っていましたが、一向に来る気配がない。しびれを切らした僕は自分から売り込むことにしました。

 1988年の夏。矢沢さんの制作ディレクターをしていた東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)の桃井良直さんに思いを伝えると「矢沢さんに話してみるので、手紙を書いてほしい」と言われました。「魂に血がにじむような歌を歌ってください」。あふれる思いは600字詰めの原稿用紙24枚分にもなっていました。

 夏にアルバム「共犯者」を出した矢沢さんは、30代最後のツアーの真っ最中でした。桃井さんを通じて福岡・小倉でのライブに誘われた僕は、開演前の楽屋で矢沢さんと初対面しました。

 貴賓室のような部屋のドアが開くと、そこに矢沢さんが立っていました。ドアを開けて出迎えてくれたのです。矢沢さんはスエットの上・下に、アルマーニのサマージャケットを羽織っていました。敬意を表してジャケット姿で出迎えてくれた。その気持ちにグッときました。

 「僕ね、もっと岩みたいな人が来ると思ったのね」。手紙を読んだ矢沢さんは、僕の筆跡やその内容からゴツゴツした男を想像していたようで「優男が来たんでびっくりしたよ」と打ち解けて話してくれたので笑ってしまいました。

 改めてゆっくり話しましょうと握手し、部屋を出ようとした僕に矢沢さんは「今日は売野さんのために歌わせてもらいますから」と真っすぐに伝えてくれました。それまでの人生で聞いた最も美しい殺し文句でした。

 この年の冬、矢沢さんがアコースティックギターを弾きながら歌う1本のデモテープを聴きました。「売野さんが思う矢沢を書いてください」。締め切りは10日後でした。

 ♪SOMEBODY’S NIGHT――というサビは矢沢さんがすでに歌っていたもの。「使っても使わなくてもどちらでも結構です」と言われましたが、曲を繰り返し聴くほどに、この言葉にかなうものはないと確信。サビを決めるといつものように物語を構築していきました。

 矢沢さんが口にしていた「誰かの夜」から「偽名」という言葉を連想ゲームのように探し当てると、その誰かが偽名でホテルに宿泊するストーリーが浮かびました。偽名という言葉に、別の言葉が集まってくる。それは謎解きをしているような不思議な感覚でした。

 約束の日。僕は美しいカリグラフィー文字で書いた歌詞の原稿を手にスタジオを訪ねました。矢沢さんに渡すと、右手に原稿を持ったままじっと動かない。

 「断られるんだ」。緊張した僕は血の気が引いていくのを感じていました。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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