生まれて初めて、サーキッ
トではなく公道でスリップ
ストリームを体験したのは
1980年代前半の東名だった。
マシンは400と250だったが、
互いにメーターは遥かに振
り切っている。
ビタリと後ろに着けると、
スーッと引っ張られる。
マシンのパワーではなく、
トルクスカスカのまま速度
だけが増す感じ。駆動で押
されるのではなく、まさに
引かれる感じ。
それ自体はサーキットと同
じだ。
そこで横に出て抜こうとす
ると風圧の壁が一気にドン!
と来て抜けない。コースの
場合抜ける事があるのは、
スリップの領域に入る入口
地点が手前でスリップ内加
速区間が長いからかも知れ
ない。
公道ではなかなか抜けなか
った。
エンジンも焼きつくのでは
と思える程の6速全開メー
ター振り切りだ。
分離給油でよくやるよ、と
は思うが、TON-UPの行き
先はそんなもんだ。
1980年代の走りの相方との
東京から大阪までの弾丸の
時の事だった。
互いに引っ張り合いながら
名神に入って竜王を過ぎた
あたりで巡行速度を全開時
より110程落とした。
しばらく行くと、信じがた
い事に、高速道路でネズミ
をやっていた。高速隊が。
かろうじて規制速度程度の
クルーズだったのでクリア
できた。
検挙されていたら、相方は
職業柄、社会問題となって
いた事だろう。二輪は高速
道路80制限の時代だ。多分、
懲戒と同時に新聞に載って
いただろう。
こちとら引退していたとは
いえ、かつて全日本瓶投げ
選手権千葉県大会出場選手
なので、どうでもいいいの
だが。
まあ、ラッキー。単なるラ
ッキー。ラッキールーラは
'77優駿優勝馬。俺は取った。
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