私を加害者にした東電は究極の加害者:山本謝罪文の開き直り

はじめに──謝罪していないなら何を主張したのか

山本太郎は2013年にライブ配信した動画で、10年以上も批判され続けている。

内容はこうだ。同年10月24日、秘書から国会で昼に弁当が出ると告げられ、山本は「ベクレてる(放射能で汚染されている)んやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」と答えた。続いて彼は「ビックリするほど頭を下げますよ。山本でございますー」と笑みを浮かべた。

動画公開直後から「ベクレてる」発言は批判を浴びた。

ベクレてるは山本が発言する前から一部で使用されていたスラングとはいえ、国会議員の言動としてあまりに軽率すぎるうえに、当事者の生業を妨害するだけでなく、根拠のない差別的な発言でもあった。

当時は原発事故から1年半経過して、被害の実情が知られるようになり、風評が被災地に害を成しているのも知られていたので、山本はうっかり「ベクレてる」と口走ったのではなく、かなり意図的に発言したといえる。

「ベクレてる」とGoogleで検索してみよう。2025年4月1日時点で、真っ先に表示されたのはれいわ新選組公式サイトの『過去の被曝に対する発言について 山本太郎(れいわ新選組代表)』だった。

なおサジェストされた他のクエリは、「山本太郎」と「ベクレてる」の関係、福島県との関係にまつわるものがずらりと並んだ。ベクレてると言えば山本、「東日本大震災」の「問題発言」と言えば山本と、人々に認識され繰り返し検索されていたのが一目瞭然である。

前述の『過去の被曝に対する発言について』には、「べクレてる」の五文字や、この発言についての記述はない。ないにもかかわらず検索結果の最上位に登場するのは、検索アルゴリズムが山本(および、れいわ新選組)とべクレてるに密接な関係があるとしたからだ。

『過去の被曝に対する発言について 』を読めば、山本がべクレてる発言に謝罪していないのは一目瞭然だ。それでも、れいわ新選組の支持者は山本が福島県(や東北の被災地)に謝罪した根拠として、この文章を持ち出す。ではいったい山本は何に謝罪しているのか、過去の何を清算しようとしたのかはっきりさせるため『過去の被曝に対する発言について 』を分析してみた。

『過去の被曝に対する発言について 』の本文は「太郎からのメッセージ」と題され、

私の未熟さゆえに傷つけてしまった人々に対して、許されるおわびの言葉など存在しないと考えますが、山本太郎に心をえぐられたとお感じになる方がいらっしゃるならば、私は加害者です。心よりおわび申し上げます。
私がどう未熟であったかをお話させてください。

と始まる。

これはメッセージの主題が「おわび」であるのを示している。ただし山本が謝罪する[対象]として示した心をえぐられた人々が誰なのか、彼は語っていない。また人々が傷つく原因となった[行為]も明示されていない。

このため、いったい何について、誰に謝罪するのかまったくわからない書き出しになっている。しかも、「私がどう未熟であったかをお話させてください」と、[行為]をはっきりさせないまま、行為の[背景]説明に話がすり替えられている。「私が未熟者でした」と頭を下げてみせるものの、誰に対して何をしでかしたのを謝ろうとしているのかわからない謝罪なのだ。

ではメッセージの後段で背景を説明しながら、謝罪の対象と、謝罪しなければならない行為が説明されるのだろうか。

文章を単語単位に分解して、単語どうしの関係性を統計的に解析した。すると、どのように未熟者だったか複数の話題とともに説明されているが、東北全体または関東を含む地域への風評加害や、福島県への風評加害についてまったく謝罪していないのがわかった。

次章から、以下の図や他の解析結果をもとに、山本が用いた詭弁について考察しようと思う。

話芸に頼って開き直る山本。

話芸が足りず踊ってみせるれいわ新選組。

意外に手強い彼らの手法は、同時に理論武装に欠ける彼らの弱点でもあった。

(今回は形態素解析・計量テキスト分析の結果だけでなく、読み取りかたに重点を置いて説明した)

以降、

・詭弁を読み解く──私を加害者にした東電は究極の加害者
・意味のない言葉の洪水──話題の山は煙に巻くためにある
・講演会話法──理論武装できない場当たり的な役者政治家

続きはnoteにて。


編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。

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