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朝ドラの反省会タグについて

今見ている朝ドラ「おむすび」
主役はあの国民的美少女と謳われた橋本環奈であり、平成を生きるギャルが栄養士になるという概要だけ聞いた時は、キラキラ系朝ドラヒロインが食育というNHKらしい教育テーマで活躍(無双)する話くらいに思っていた。だから正直なんの期待もしない状態で見始めていた。

しかし実際に見てみると、この朝ドラ主人公が限りなく暗い。オープニングにあるような青春を謳歌している眩しい女子高生像がどこにもない。「こんなのオープニング詐欺じゃないか!」と思いつつ見てみると結はなかなか笑わない、笑えない子なのだということが話が進むに連れてわかってくる。

問題児の姉、生真面目過ぎる父、破天荒な祖父などに囲まれて育った結が控えめな性格に育つのは想像に難くないが少女時代の結は今とは真逆の明るく無邪気な性格の女の子だった。それが阪神淡路大震災を経験し、喪失感に苦しみ「どうせみんな消えてなくなる」と未来を悲観するような女の子へと成長してしまったのである。

序盤部分で描かれるのは米田結がハギャレンや四ツ木翔也と出会いによって考え方が変わっていく様子なのだが、どちらかといえば変身というよりは本来の姿に戻るというニュアンスの再生に近い。

そうこの物語は「再生」の物語であり、心を閉ざしてしまった米田結、神戸と理容師を諦めきれない聖人、野球を諦めざるを得なかった四ツ木翔也、ギャルを辞めてしまった歩、娘の死から立ち直れないナベさんの再生というように心に深い傷を負ってしまった人が再び歩き出す物語なのだ。

朝ドラ「おむすび」の良いところを上げると
・優しい
・細かい
・温かい
でありとことん人を傷つけないノンストレスなドラマなところである
作中に悪い人は基本出てこない、出てきたとしてもカツアゲギャルと夜のスカウトくらいだった気がする。

登場人物はみんな癖がありつつも仕事にプライドがあり時に衝突したりするも基本的には善人で普段のキャラとは違う隠された一面を持っているところが共通点かもしれない。脇役であっても一人一人が人生を歩んでいて(そのせいで主人公が華々しく活躍しない出てこないというマイナス面があるかもしれないが)ほんのちょっと会話の中に生活と人生が滲み出ているところが好きで、歩の「アンタ生きてんだからさ」のようにバックボーンから出てくる言葉がじんわりと沁みる。

自分が本格的に見ようと思ったのは普段はいい加減な性格の結の祖父・栄吉が神戸に行く息子や結を見送りせずに慣れた手つきで黙々と作業していたシーンがきっかけであり、派手に大声を出して電車を追いかけないのが意外だったからかもしれない。

このような意外性は作中によくあり予告で流れたパラパラシーンがギャグではなく泣けるシーンだったりする。この一見するとわかりにくく、でも実は大事なところを押さえているところが好きなのかもしれない。

わざわざわかりやすい台詞や絵や展開に頼らないのが視聴者を信じてるなぁと感じる。キスシーンや結婚式、初夜シーンも特にはなくプロポーズ後に食卓に食器が増える描写で二人が家族になったことが示されたり、そのプロポーズも男女というロールプレイから脱して結からしたのも良かった。何よりも米田結の名前が好きだから名字を米田にしたいという翔也の意見が目から鱗で、そもそも結婚も男女も対等だからどっちでもいいという一石を投じてきたなと思った。

「おむすび」では夫を支える妻という描き方も妻を支える夫という描き方もされておらず、夫婦はどこまでも一緒に苦楽を共にする相棒のような描き方をされていて、だからこそ聖人の「俺の店」という発言で愛子が家出をした際には「言わないだけじゃなくて思わないで欲しい」という一言を添えて謝罪させた。

最近は男女の描き方や役割について小難しく考えてしまうけれども、上下も優劣もこうあるべき論もないところが良く、朝ドラにおいて理想化されがち、悪くされがち、もしくは薄くなりがちな男性キャラが活き活きとしているのも良いと思った。あくまで市井に生きる人たちでありそういうキャラというより生身の人間である。だからステレオタイプに当てはめきれない中身の変わる人間が良く出てくる。

作中ではギャルが偏見に晒されるシーンがあるが明るいギャル達であってもそれぞれ暗い部分を抱えていて、それでも前向きに今を全力で生きている。平成をテーマにした朝ドラで「なんでギャルが主役!?」とはじめは思ったけれど、服も機械も筆記用具もなにもかも無駄にピカピカキラキラしていた時代なのに不景気に災害にテロにと時代的には底なしに暗かったことを思うとそりゃギャルが時代の象徴になるよねと思った。

朝ドラ「おむすび」が細かいというのはその平成の時代を振り返るにあたっての当時の流行りや球団事情をよく押さえていて背景や服装や髪型がやたら懐かしく思えたり自分自身が時代を振り返るきっかけが散りばめられていることで、特に阪神淡路大震災であるとか東日本大震災の話の時は体験談が多数寄せられていて当時の記録が朝ドラをきっかけにして未来に残るエゴドキュメントになっている。

その被災描写もただ可哀想に描くのでもなく、ヒロインの活躍の場にするわけでもなく、課題として被災地の問題点を描いているのが、自分自身東日本大震災で被災した身なので嬉しかった。来週の次回予告の仮設住宅というワードが出てきただけで信頼できるし、被災した人間に高齢者や手話者、車椅子の方がいたのも見逃されがちな被災弱者の問題を取り上げてくれていると思った。記事には被災体験も実際経験者に取材をした上で作り上げているようにギャルにも取材をしてギャルの掟を作ったと書かれていたのでリスペクトのある作りなのがいい。画面の端の小物や登場人物の動きにまで拘っているのが伝わるので、よく言われる雑とは正反対だと思う。むしろものすごく拘って丁寧に作られている朝ドラが「おむすび」なのでマジでsage記事や反省タグに負けないで欲しい。

そう、なんだか前置きが長くなってしまったが「おむすび」視聴で頭を悩ませるのが、反省会タグなるものである。

反省会タグ、はじめは朝ドラを視聴していたファンが役者を不埒な目で見てしまってごめんなさいとキャッキャしていたものらしい(※要検証)のだが、いつの間にか批判的な感想を垂れ流す場になってしまったという。

反省というものは「自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。自分の行為をかえりみること。」と辞書にもあるが、つまり自省のことであり他人に反省を促すものではない。反省すると反省させるには大きな隔たりがあり、もし親が子供のことを思って反省させるのであればそれは親心がなせる業であるが、赤の他人に反省させるのはちょっとしたクレーマーに近い。

しかし反省会タグを利用する人間には歴代の朝ドラファンが親心で過剰に批判している場合も少なくない。合わなければ見なければいいのだが、朝ドラを見てきた立場でそれができない一種のコンコルド効果のような人もいる。

そう、朝ドラ視聴者にも大河ドラマ視聴者にもある種の使命感で見続けてしまう人達がいるのだ。そういう人に限って「嫌なら見るな」に対して「家族が見てるから仕方ない」であるとか「時計代わりに見るしかない」「視聴率下がっていいの?」などと屁理屈を捏ねたりする。それにプラスして「ちゃんとした朝ドラになって欲しい」と叱咤激励のつもりで呟いたりするので質が悪かったりする。

これは別にドラマに限ったことではない。古参オタクにありがちな余計なお節介マインド、もしくは本人達は思い出補正の中に生きているので自分の中の最高傑作と比較すると何も楽しくなくなる自分の好きなものしか認めたくない心理も関係している。

朝ドラ「おむすび」が不幸なのはこの点で近年の朝ドラの中でも最高傑作と名高い「カーネーション」「カムカムエブリバディ」の再放送が被っていることである。二作品のファンに加えてそして前作の「虎に翼」に思い入れが強いファン(といっても個々の作品ファンがいるわけでもなく歴代朝ドラの名作のファンと言った方が早い)も叩き棒にしてくるのだから遣る瀬無い。オマケにsage記事なんてのも出回るからまさに叩き放題の朝ドラなのだ。

なぜ反省会タグは流行るのか?
それは大感想時代だからであると答えるしかない。

個人の感想なんてチラシの裏程度の価値のとりとめのないものなのに、その感想が価値を持つようになってしまったのがSNSである。なんの力も持たない一個人が影響力を持つようになってしまった。だから自我が誇大化し「ただドラマを見ているだけの人」が一種の評論家へと進化してしまったのである。

例えばアニメの「○話で切った」報告。まったく知らないアニメであってもちょっとイラっと感じてしまう呟きである。本人にとっては「自分が見るに値しない作品」宣言をしているつもりだろうが、周りからすると「自分は最後までアニメを見続けることができない集中力0人間です」発言に他ならない。

しかし当人にとっては自分が「離脱」することが報告すべき一大事なのである。もし誰かと一緒に観る約束をしていた場合それは他人に報告する義務があるかもしれないが、自発的に見て自発的に切る行為に意味はない。それでも自分が見たかどうかが重要になっているのだから視聴者としての私に価値を置いているに違いない。

反省会もそうで大事なのは視聴者としての私であり、視聴者としての私を見てもらうために呟くのである。そして視聴者としての私が正しい意見を呟き制作陣を正すという構図を作り出す。反省会の内容を見てみると頻繁に出てくるのは「これはこうじゃないとおかしい」という内容であり、自分の中の常識であるとか、予想した展開の枠に収まらないと噴き出すパターンが多い。

朝ドラ「おむすび」では「箪笥の下敷きになって死ぬのはあり得ない」「避難所におむすびは持ってこれない」など阪神淡路大震災の描写で反省会タグが荒れる時があった。もちろんこれは阪神淡路大震災を雑に描く悪い朝ドラだと印象づけるためだが、当時被災した方々がこれに反論していた。

反省会も単なる揚げ足取りや難癖と思われないように注意してポストしなければいけないのだが、反省会タグを使う人にとってはドラマの粗探しが本分である。通常の感想が話の流れを見てなにかを感じ取る作業ならば反省会はウォーリーを探せなのだ。粗は探せば探すほど高ポイント獲得となる。

しかし疑問に思うことは「カーネーション」も「カムカムエブリバディ」
もそれはどうなの?という言動や都合よすぎといった展開があるのだが、そういった粗はスルーされがちである。面白ければ見逃されると言ってしまえばそれまでだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い精神で叩かれてしまうのはあんまりである。

また視聴者の読解力がない場合もある。反省会タグを見てみると「栄養士と管理栄養士の違いがわからなかった」という人が多い。国家資格であるとは結の就活時の台詞からも察せられるが、具体的な仕事内容は台詞では説明されず、藤原紀香演じる西城小百合との出会いによって描かれるのだ。

食べることが大好きな結はある日、食事を受け入れられないほどに体調を崩し病院で重症妊娠悪阻であることを知る。今までは食べることで健康になると信じていた結が食べないことで電解質のバランスを調整する=健康になる方法があると学ぶのだ。また西城小百合は管理栄養士としてなんでも制限するのではなく心に沿った提案をしてくる。そんな個人単位のケアをする西城に憧れて結は管理栄養士を目指すのだが、同時に同級生であったカスミンの被災地での話を聞いてもっと多くの個人に寄り添いたいと思ったはずである。健康な人の健康を守るために食事を提供する栄養士よりも病人などより多くの人の食事をカバーできる管理栄養士になることが結の自分ができることであり進むべき道でもある。

と短いながらもドラマの中で描写があるにも関わらずそこを読み取れないで、台詞で説明しなかったのが悪いとなっている。そうこのドラマ、口で全部明かされる系ではないので一々説明されないとわからない視聴者とは相性がとことん悪い。また待てない人とも相性が悪い。疑問に思うことが出て来たら瞬時に解消されないと気が済まないせっかちな人にも向かない。それくらい伏線とまで強くはなくても物語に繋がりや連続性があるのだ。思えば最初に出てくるスカートを短くめくりたがっている結には変身願望やお洒落願望があり元々ギャルになりたかった子だということがわかる。

制作陣が町中華のような作品にしたいといっているように派手さはなくでも安心感があるドラマがおむすびで噛んだらジワジワ味がしてくるタイプのスルメ作品と言ってもいい。だからといって難解なわけでもなくシンプルでありながらも飽きずほどよい苦みも感じられるような塩気のある作品…まさしくおむすびである。

反省会タグのなかでも「今日の話は良かった」のような一話単位で考える人もいれば作品自体が憎くて何が何でも全否定の人もいる。逆にそういう人ほど「カーネーション」や「カムカムエブリバディ」を神格化しているので、批判するにしてもあまり公平ではないというか贔屓の引き倒しな人が多い。すべての朝ドラの良し悪しを反省会タグで批判している人がいれば面白いのになぁと思うのに変なところで朝ドラファンにも権威主義的なところがある。個人の赴くままではなく皆が叩いているから叩こうとする人もいて、反省会のようなクローズドな場所で仲間意識も芽生え反省会入り浸りが日常と化してしまうんだなと思った。

実は私も反省会タグをよく見ていたことがある。
「ちむどんどん」と「虎に翼(後半)」で見てはいたが、リツイートすると人間性が疑われるのでしなかった。今思うとそれで良かった

反省会タグは甘味でもあり毒である。
ドラマを見てモヤモヤした部分がうまく言語化されていると「よくぞ言ってくれた!」とスカッとした気持ちになる。そして反省会ポストを見ているうちにだんだん視界が開けてくるような感じさえしてくる。不満に思った部分を自分で口にしないで誰かが代弁してくれるのはとても気持ちよく、何より孤独じゃないと感じる。そうして気持ちがだんだんと反省会寄りになり、自分の感想でさえネガティブな視方に切り替わって来る。そうして通常タグで絶賛している人を見ると「ドラマの良し悪しがわかってねぇな」と思うようになってしまうのだ。

そういえば自分は流行りものが嫌いなのだが流行りものを見ないことで自己を保っている気がする。要は天邪鬼なのだ。素直に大多数に従うよりも少人数に回った方がかっけぇという中二病も混じっているが、何かを否定すると自分が優位にさえ立てるような気分になる。何かを受け入れないことが最高の防衛術でもあり、最強の攻撃方法でもあるのかもしれない。

そもそも何も受け付けない状態で作品を視聴するのはきつい。
ご飯が食べられない状態なのに無理矢理食べてまずいと言うのは失礼な行為である。途中から無理になったのならともかくだが最初から否定から入ろうとすると何もかも楽しめないものだ。

朝の細やかな楽しみや息抜きだったはずの朝ドラが今や戦争装置である。
通常タグ民も反省会民もお互いを見てイラっとするのが習わしになってしまった。善と悪、光と影のようにどちらか一方が消えてなくなるという存在でもないので私は朝ドラ「おむすび」が終わるまでこのイラっと付き合っていくしかない。意見は誰しも自由に呟く権利がある。そして反省会なるタグがあるくらいには人々に見られ愛されているのも朝ドラで、会わない人のための避難所はあった方がいい。ミュートにすることで見ない権利を行使できるのだから。でもいい作品を作っても反対意見の方が多過ぎて全く評価されないというのもあんまりなので引き続き楽しく観賞したり感想を言おうと思う。思えばファンもアンチもコインの表裏みたいに表裏一体なのだ。ネットが面白くない場合も不貞腐れない技術を持つことが今の自分には大事だなと思った。







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