自分と自身の生き方を赤裸々にさらしてレイシズムと闘う男 男組 若頭 憂国我道会 会長
山口祐二郎公式ブログ「火炎人間」より
1985年、群馬県生まれ。歌舞伎町ホストなどを経て、新右翼「統一戦線義勇軍」幹部に。2007年に防衛省襲撃事件を起こして脱退。現在は、作家・活動家として活躍。
『奴らを通すな!! ヘイトスピーチへのクロスカウンター』の著者プロフィールより
山口の経歴について数行で説明することは難しく、正確に知るためには、その著書「ハイリスク・ノーリターン」(第三書館)を読むのがもっとも早道かと思う。

その扉には「ニート→ホスト→右翼→火炎瓶→脱原発人」と記載されている。中でもとりわけ目を引くのは、2007年7月に起こした「防衛省に火炎瓶を投げ込んだ事件」であろう。 そこに至った経緯は著書の中で語られている通りだが、社会を何とかしたいという彼なりの「正義感」が根底にあったことは間違いない。
無謀とも言える正義感は時に法を超え、時に自分を追い詰める。山口は2011年12月30日午前0時から、新宿区四谷にある東電勝俣会長宅前で水分も一切摂らないハンストに突入した。警察に説得され、近くの公園に移動した山口だったが、誰にも相談をすることなく、直前にTwitterで告知しての行動だったため、周辺の人たちにとっても寝耳に水のことだった。

福島原発事故の責任を取ろうとしない東電への怒りからの行動であったが、水分を摂らないのはあまりに無謀。集まった友人、知人たちは支援するとともに、「やめた方がいい」「水は飲め」と説得に当たったが、山口は拒んだ。
31日夜、顕著に体温が低下し始めた。年を越えて間もなく、駆けつけた針谷大輔・統一戦線義勇軍議長の説得を受け入れ、ハンストを中止した。この時、山口は死ぬ気だったと言う。
これ以降も、山口の正義感は紆余曲折を経ながらも継続中である。2013年1月、野間易通(→野間易通)の呼びかけに応えてしばき隊(→しばき隊)に参加し、2月以降、カウンター(→カウンター)の最前線に立ち続けている。
山口の2冊の著書は平易な文章ではあるが、自らの生き方を赤裸々に晒しながら、山口という一青年を超えて、この社会の矛盾や問題点を鋭く描くセミドキュメンタリーとしても読み応えがある。 とはいえ著書に対するAmazonのレビューは肯定的なものは少なく、「右」からも「左」からも否定的なものが大半である。
ブログ「火炎人間」やツイッターでは、連日のように山口の活動に対してネトウヨなどからの悪罵が投げつけられている。しかし、そんな批難など一向に意に介さずに「どんなことでもする。何でもお構いなしだ。差別主義者たちを消し去るためには」と強い決意を示し、彼の中にある信念はまったくぶれることがない。
こう書くと、あたかも山口が傲慢で頑固なだけの人間にも思えようが、その表情も口調も優しい。山口は「オラオラ、差別してんじゃねえよ」とヘイトデモに乱暴な言葉を投げつける。しかし、よく聞くと、ただの罵倒ではなく、「ヘイトなんか止めてこっちこいよ。一緒に飲んだ仲じゃねえか。また楽しく飲もうぜ! オマエはそっちにいなくていいんだよ」と呼びかけているのである。
山口はツイッターなどを通して接点ができたネトウヨと直接会って説得を試みている。彼はその経験を通じて「オレと同じところがたくさんある。どこかでズレちゃったんですよ」と語っており、それだけに話をした人間の姿をデモに見出すと、ほっとけなくなる。山口が向き合っているのは、遠くのレイシストではなく、もう一人の自分なのかもしれない。
そして、山口は虐げられる人々にも、かつていじめられっ子だった自分を見出しているようだ。
山口が会長を務める憂国我道会は右の立場からファシズムに対抗し差別と闘うべく次のような活動を行っている。
2014年6月14日 「怒りのドラムデモ ファシズム許すな!安倍政権打倒デモ」に参加
同6月22日 朝鮮総聯中央本部に対し、拉致被害者早期奪還に関し抗議街宣
同6月22日 インド大使館に対し、身分差別によるレイプに関して抗議街宣
同6月22日「命と自由を守る若者憲法デモ」に参加
既存の左右の枠組みに拘泥する人たちから見ればとりとめもない行動だろうが、山口の思想の根本は次の言葉に集約されているのではないだろうか。
法律はもちろん、歴史を作っていくのも俺たちなのだ。
『奴らを通すな!! ヘイトスピーチへのクロスカウンター』P124
山口は自ら行動することによって思想をも創り出そうとしているように見える。(MASA)
公式ブログ http://yamaguchiyujiro4.seesaa.net/
Twitter https://twitter.com/yamaguchiyujiro