お客様の中にFeはいらっしゃいますか?
私という旅客機の中にさ、Feが居たら名乗り出て欲しいんだなも。
冗談はさておき。
私のFe(外向感情)はいったいどこにいるのだろう、という話です。
以前から、どんな診断をしてもFeがダントツの最下位を叩き出す。基本的にSeよりも低い。加えて、ExFJやISFJへのどうしようもない忌避感。世間的に見てどんなに「善い人」であっても、Fe的な揺らぎが見えた瞬間に「あ、」と、信用できない側の人間にカテゴライズしてしまう我が脳みそ。
どんな診断でも「貴方は周りの気持ちに敏感で、その気持ちに応えようとしますね」とか「人の考えが手に取るように分かるときがありますね」みたいな質問には真っ向から「まったく当てはまらない」をつける。
この手の質問をみるたび「人の気持ちの答え合わせなんてほぼ不可能なのに、何をもって分かってると答えられるんだろう?」とツッコミたくなるが、これに「そうなの、私は人の気持ちがわかるの」と真正面から答えられる人がF型に診断されるんだろうな。
(まぁ裏を返せば我々T型マシマシズだって「感情よりもデータを重視しますね」とか「感情に振り回されることはほとんどありませんね」にYes!Yes!しているのだから、小っ恥ずかしい自認をさらけ出していることに変わりはないのだけれど。)
というわけで徹底的にFeを嫌っているものの、Fe的な配慮が分からない訳ではない。何をすれば良いか、何をすれば相手が喜ぶのか、何をしなければ相手に自分の意図が伝わるのか──流石に30年も生きて、ある程度は学習した。それでもなお、Feの作り出す「こちら側が世界のスタンダード」という空気が苦手である。そんな同調圧力を出さないFe保持者、つまりかなり成熟した人間は大いに尊敬しているが、それはもはや「私にとって最高に都合がいい人」であり、これもやはり私は避ける。私は私にとって都合がいい人をどこまでも使い倒す悪癖があるため。
なぜ、こんなにFeが嫌いなんだろう。Feが分からないわけではないのに。使えないわけではない、あったほうが人生捗ると分かっている機能に対して、あまりにも忌避感が強い。Fe保持者を観察し、おのれに何故何故をし続けて、グロい答えにたどり着いたのでここに残す。
■Feを嫌う理由① 幼少期の躾
この記事で書いた通り、大人になってから振り返ると、私の母には明らかにASD傾向にある(娘の私にも引き継がれている)。「いま、会いにゆきます」放映時あたりで気がつけてたらまだ良かったんだけどね。当事者はやっぱ気付きづらいのかな。
母は「嘘」「不確定事項」「表で恥をかく行為」をとにかく嫌っていて、話を誤魔化したり、相手によって意見を変えることはズルい行為だと私を叱りつけた。
小4の私が母に「男の子にしていい話題と、女の子にしていい話題は違うんだね。女の子から『かわいいね』って言われたら、かわいいねって私も返さないといけないの」と一丁前に建前の話をした時。母は冷たい顔で「男女で態度を変えるなんて、嘘つきのブリっ子ね」と吐き捨てた。
いやでも実際、大多数の男女それぞれに好まれる話題やノリは異なるわけで。そういう「たしかに嘘だけど、場をとりなすための建前」みたいなものすら、母は憎んでいた。案の定ママ友はいなかった。
この価値観に生まれたときから晒されていたことで、私はFe的なものを「相手に媚びるズルい行為」「誤魔化し」「自己保身」と捉えるように育っていった。この病理には20歳前後で気が付き、就職してからある程度矯正したが、今でも根っこは変わっていない。
■Feを嫌う理由① あいまいさへの忌避
INTxの偏見通り、私は白黒思考の人間である。これは以前にこの記事で書いたが、おそらく私の中の原体験に「カオスの中で大切にされた」と思える材料が少ないことが原因のような気がしている。曖昧な空気の中で、なんとなく好かれた、大事にされた、自分の意見が通ってきた──そういう経験が少ない。もちろん赤子のときは上下左右混沌の中、大人から庇護されて生きてきた。しかし物心ついてからは、一番身近な人間(=母)の不確定さに毎日ストレスを抱えていたため、曖昧なものを極端に恐れている節が見られる。
「多数派に従って日和見する」という行為は紛れもなく、態度をあいまいにして他責に生きる行為であり、私が嫌がっているのもさもありなん。
……この「曖昧な状態を嫌う」っていう特性、見事に母から引き継いでいるんだよな。どこかで断ち切らないと間違いなく、今後私と近しい間柄になるかもしれない人間にとっての害になる。早めに無害化したい。
■Feを嫌う理由③ 防衛本能
もはや鶏卵問題だが、他者と違う考えを持ちやすい私にとって、「他人の考えに染まる」はほぼほぼ精神の自殺行為である。Teエンジンで「最適化の末、そのように振る舞う」であれば問題がないが、「共感する」「自他境界を緩める」は大問題だ。「共感力がないからFeを嫌っている」のか、「Fe的な行動に忌避があるから、共感力を殺している」のか、自分自身ではもはや区別はつかないし、多分どちらの側面もあるのだろう。
……ここからが一番グロい仮説となる。
母の罵詈雑言から自分の精神を守るために、共感力を徹底的に封殺した可能性も捨てきれない。私が覚えている一番古い記憶は、深夜の高速、車を飛ばす母が、寝ている私に父への呪詛を吐き続けている場面である。夜の高速から始まるこの人生で、もし人並みの共感力を持ち続けていた場合、私は母の父に対する恨みに共振してしまっていた可能性が高い。己の遺伝子の半分に、もう半分から強烈な憎しみをぶつけることになる。そんな恐ろしい状況から自分を守るために、母と私との間に境界線を引くために、私は共感性を獲得せずに成長する道を選んだのかもしれないと、最近思うようになった。
調停離婚であれば親権は間違いなく母に渡ったと思うが、私の意見を尊重した(と見せかけて、自分を選ぶだろうと高を括っていた)母の期待を裏切り、私は父を選んだ。なぜって、父は私の前で母の悪口を言わなかったから。ENTPの父は私が父に共感しなくても、私を責めなかったから。そうして私の共感力は、育つ理由もメリットもなく、今に至っている。
私の文章を各種AIに読み込ませた際、「本来のEQは低くないが、感情に寄り添うこと、感情に重きを置くことを意図的に避け、感情を持つ集団から逃れようとするスキゾイド傾向がある」という診断を残してきたことがある。突いてきたな、と思った。
感情はあいまいで不確定で、意思決定に含めてはならないものだと、大人ならより一層そうなのだと、強く言い含めて生きてきた。私のFeはいまごろ、貨物室の片隅に追いやられていることだろう。
そういえば、酒癖が悪すぎる父の遺伝が怖くて、就職直前までお酒が飲めなかった。
それと同じように、誰かや自分の感情に重きを置いてしまったが最後、私の中に眠る、母と同じヒステリーが、感情に揺られて起きてしまうのではないのかと、この歳でまだ怖がっているのかもしれない。
お酒については、「社会人になってからじゃ取り返しがつかない」と一念発起し、周りの友人のお陰もあって克服した。だから次も、こうやって考えていくうちに解決できるのではないかと考えている。もしその時が来たら、私は私の中のFeに会えるかもしれない。
ばいばい。


コメント
2お疲れ様です🫡いつも記事みています🕊️
ちょうど私も今「本当にF型嫌い」って思ってたので共感でした✨
プライベートならまだしも、仕事上でのF型人間との付き合いは拷問です。。。
読んでいただきありがとうございます〜〜
F型を苦手としていても、悲しいかなF型のほうが影響力があるんですよね。どうにかして適応して、うまいことやっていきたいと思う日々です🥹