人間だれしも後悔をいだくものです。
選択を繰り返す生き物だから。
そして、
痛い後悔の多くが「遅すぎた」ことによるもの。
(実際は「遅すぎる」も「早すぎる」もないのだけど)
時間が有限なので、
何かをしてあげようと思った相手がもういない「遅すぎた」
手に入れようとしていたものが無くなった「遅すぎた」
ずっと違和感に気づいていたのに無視してこんなことが起きてしまった「遅すぎた」
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対して、
「早すぎた」「早まらなければよかったのか」という疑念。
実はそんなことない、ということが大いにあります。
その決断が大きなものであればあるほど、
「あーあ」
「やっぱりこんなこと言わなきゃよかったかな」
「もうちょっと待ってみてもよかったんじゃないか」
「どうしてもっと留まって、頑張れなかったのか」
こういった感想は出てくるものです。
でも、それは表裏一体になったメリットに目を向けていないだけ。
「言ったおかげで相手が分かってくれた」
「あれ以上待っていたら、取り返しがつかなかったかも」
「もしあそこでとどまっていたら、自分がもたなかった」
「早すぎた」と思える決断こそ、実は大正解であること。
「遅すぎる」に至ることの怖さを知らないから言えるのです。
最も取り返すことが難しいものは、時間であり、健康です。
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あなたが
色々なことを考えた末に、決断したタイミングがそこだったのなら、
そこに正解があるということ。
時に、正しい決断は「早すぎた」と感じるものであること。
心と行動を一致させること、
これを優先すべき場面は意外と多いです。
時に、正しい決断であるがゆえに「早すぎた」と感じる。
頭の片隅に。