振り返ればロバがいる

映画館データベースサイト「消えた映画館の記憶」を作成しているロバの人(かんた)です。データベースに基づいた映画館跡地の探索記録などが中心のブログです。愛知県在住。

両津市の映画館

(写真)橋本座の跡地にあるホテル東宝廃墟。

2025年(令和7年)7月、新潟県佐渡市両津(旧・両津市)を訪れました。かつて両津市には映画館「両津会館」「橋本座」がありました。

 

1. 両津市の映画館

1.1 橋本座(1913年5月-1969年頃)

所在地 : 新潟県両津市夷(1969年)
開館年 : 1913年5月
閉館年 : 1969年頃
跡地は「両津郵便局」南西60mにある「ホテル東宝」廃墟。

1913年(大正2年)5月、佐渡郡両津町に芝居小屋の橋本座が開場しました。大正時代には両津劇場も開場しており、1929年(昭和4年)の『大日本職業別明細図』や1930年(昭和5年)の映画館名簿には両者が掲載されています。

(地図)『大日本職業別明細図 第182号』東京交通社、1929年。

(写真)両津劇場と橋本座が掲載されている『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年。

 

橋本座の経営者は両津市における旧家の橋本家です。橋本喜一(市橋喜一)は東洋大学卒業後に橋本家の婿養子となり、新潟県立両津高校の校長などを務めた後、1962年(昭和37年)には両津市長に就任しています。

1963年(昭和38年)1月の三八豪雪や1964年(昭和39年)6月の新潟地震など、新潟県が度重なる自然災害に見舞われた時期であり、橋本喜一は1966年(昭和41年)の市長選挙には出馬していません。映画黄金期の両津市には橋本座と両津会館の2館がありましたが、映画館名簿には橋本座の経営者として橋本喜一の名前が掲載されています。

(写真)両津会館と両津橋本座が掲載されている『映画便覧 1967』時事通信社、1967年。

 

橋本喜一は1969年(昭和44年)頃に橋本座を閉館させると、1973年(昭和48年)頃には跡地にホテル東宝国民宿舎東宝荘)を建てて宿泊業に転向しました。8階建で佐渡島最高層のホテル東宝両津港周辺におけるランドマークだったようです。

佐渡島の観光客数は約120万人の1991年(平成3年)をピークに減少が続き、2023年(令和5年)には全盛期の1/3程度の約45万人となっています。ホテル東宝は2018年(平成30年)に廃業して破産申請を行いましたが、建物は解体されずに残っています。2024年(令和6年)7月30日の日本経済新聞記事によると、佐渡島全体ではホテル東宝を含めて約20棟もの大規模廃墟があり、佐渡市はその扱いに頭を悩ませているそうです。

(写真)橋本座の跡地にあるホテル東宝廃墟。

(写真)橋本座の跡地にあるホテル東宝廃墟。

(写真)両津の飲み屋街。

 

1.2 両津会館(1957年6月15日-1984年6月初頭頃)

所在地 : 新潟県両津市夷316(1980年)
開館年 : 1957年6月15日
閉館年 : 1984年6月初頭頃
1跡地は「正覚寺」南東30mにある2002年竣工のマンション「NEXT1」。

映画黄金期の1957年(昭和32年)には両津市2館目の映画館として両津会館が開館しました。1969年(昭和44年)頃に橋本座が閉館した後も営業を続け、1984年(昭和59年)6月頃に閉館したようです。両津会館の閉館後、2017年(平成29年)にガシマシネマが開館するまで、30年以上に渡って佐渡島に映画館は存在しませんでした。

なお、新潟港-両津港佐渡航路にカーフェリーが就航したのは1967年(昭和42年)、佐渡航路に日本初の高速船が就航したのは1977年(昭和52年)のことでした。

(写真)両津会館が掲載されている『映画館名簿 1984』時事映画通信社、1984年。

 

両津会館は正覚寺の山門や本堂と向き合うように建っていたようです。正覚寺には梵鐘はありませんが、近くの安照寺には富山県高岡市老子次右衛門が鋳造した梵鐘があり、日本海を通じた結びつきを感じます。

(写真)正覚寺(左)と両津会館の跡地にあるアパート(右)。

(写真)両津会館の跡地正面にある正覚寺

(写真)安照寺の梵鐘。

 

両津市にあった映画館について調べたことは「新潟県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(新潟県版)」にマッピングしています。

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