高尾揚屋(あげや)入り図(『近世奇跡考』巻4)

 

 高尾は、万治年間(1658~61)の吉原の名妓で、下野(しもつけの)国(栃木県)下塩原塩釜村の出身で、父を長助という。万治中に江戸で亡くなり、形見の品を沢山、故郷に送ったが、すべて失って、今は少しも残っていない。ただ、高尾の自筆で、『伊勢物語』『源氏物語』『徒然草』などを写した一軸だけが遺された。これは、彼女がまだ存命中に故郷に送った物で、真筆に疑いなく、彼女の面影を今に見るように覚えるものだ。

 以上は、塩原に住んでいる湯盛という人に問うて記す。

 

と、京伝は述べている。たぶん、これは京伝の嘘や偽りではなくて、地元の貸本屋の伝手か、ないしは彼の作品の愛読者かの援助を受けて、得た情報と思われる。上の記載の直前に、京伝は歴代の高尾の存在を、11代まで文献に基づいて挙げているが、かような熱心さと実証性とを考慮すると、上の湯盛からの伝言の確実性を一概に否定することはできない。

 かような高尾への熱意から見て、上に掲げた揚屋(遊女屋から遊女を呼んで遊ぶ家)入りの図は、京伝が所有していた古画を用いたものであろう。その儀式は、前帯・打掛けの盛装に、高下駄を履き、八文字を踏み、若衆・新造・禿(かむろ)などを従え、華美な行列で練り歩く、というものだ。

 

 そういえば、『べらぼう』でも、こんな場面がありましたな。今後もまたあるかも知れません。

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