早朝
夜明け前のためか空はまだ暗く、朝と夜の境界が曖昧な時間帯。
そんな時間帯のためか、街は静まりかえっていた。
(市壁の上、初めて来た・・・・・)
普段ならあり得ないほど早起きをして、僕は迷宮都市を囲む市壁の上にやって来ていた。
今いる場所は北西寄りの外縁部。巨大な市壁からは内側の都市を一望でき、そのあまりにも広大な光景に目を奪われる。
「お待たせ。」
「あっ!は、はい。」
「準備は、大丈夫?」
「はい!宜しくお願いします!」
鈴の音のような声に振り返り、僕はヴァレンシュタインさんに向き直った。
「お詫び、本当にこんなことで、いいの?」
「はい!勉強させて頂きます!」
何故、僕らが朝早くから市壁の天辺にいるかというと僕が
しかし、彼女は【ロキ・ファミリア】の幹部を務めており、下手な事はできない。
一応、フィンさんに許可をもらっているとはいえ、他派閥に目撃され、変な噂が立つと色々と面倒な事になる。
そのため、人目を忍ぶためにここを選んだのである。
「それじゃ、ヴァレンシュタインさん。そろそろ──」
「アイズ」
「はっ?」
「アイズ、でいいよ。」
「・・・・・流石にそれは馴れ馴れしすぎでは?」
「みんな私の事をそう呼ぶから。・・・・・それとも、嫌?」
「・・・・・アイズさんがいいのなら。」
少し沈み気味になったこの人の声を聞き、断れるはずもなかった。
一方でヴァレンシュタインさん・・・・・アイズさんは僕が名前を呼んだことにとても満足そうだった。
「それじゃあ──やろっか。」
「!」
アイズさんが剣を構える。
次の瞬間、彼女の纏う雰囲気が一気に変わった。
その体からは闘気というのにふさわしいものが溢れ出る。
流石は第一級冒険者。僕は顔を強ばらせ、唾を飲み込んだ。
「・・・・行きます!」
「うん、おいで。」
僕は持っていたナイフを構え直すと、アイズさんに向かって吶喊した。
昨夜
【ロキ・ファミリア】
「お詫び・・・・・ですか。」
「ああ。先日の件に加えて、今回も君には迷惑をかけてしまったからね。此方から何かお詫びをさせて欲しい。」
「は、はぁ。」
アリーゼさんからの予期せぬ
「此度はうちのアイズが本当にすまなかった。」
「その、ごめん、なさい。」
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン
【
どちらもオラリオに名を轟かせる第一級冒険者である。
そんな二人が僕に向かって頭を下げているという状況は、正直とても気まずかった。
内心、凄い量の冷や汗をかいていた僕に、【ロキ・ファミリア】団長であるフィン・ディムナさんがそんな提案をしてきたのだ。
「でも今回の件は事故のようなものじゃ───」
「だからといって何もしないわけにはいかないよ。それに先日の──酒場の件もあるしね。」
「は、はぁ。」
「そうよベル。この際だからなんかお願いしときなさい。」
「う、う~ん。」
フィンさん、アリーゼさんはそう言うけれど──悲しいかなそんなすぐに欲しいものは思い付かなかった。
お金──には余り興味はない。どちらかというと『スキル』で使用するための『ドロップアイテム』などの方が欲しかったりする。
武器や防具──個人的にはとても心を引かれるが、最近新しくしたばかりだし、特に物足りなさを感じることはなかった。
それにザルド叔父さんからは「武器、防具は自分の実力に合ったものを」と言われており、余りにも性能が良すぎる武器を使う気もなかったりする。
「兎───いっそ体で払って貰うってのはどうよ?」
「へぁっ!?」
「───何を言っているのかな【
「だってよ、何も思い浮かばねぇならこれぐらいしかねぇんじゃねぇか?幸い、【剣姫】は美人だ。これは役得ってやつじゃねぇの?」
「そ、それってベルと【剣姫】があんな事こんな事するってこと!?だ、駄目よ!!ベルは【
「お、おう・・・・・」
「そんな事する訳ないじゃないですかぁ!」
「あっっったり前じゃあ!!うちのアイズたんにそんな事させる訳ないやろ!!!そういう事をやっていいのはウチだけや!」
「お前も駄目だ!!」
「ごっほぉぉぉぉ!?」
ライラさんの爆弾発言により、騒然とする団長室。
フィンさんは困ったように眉間を摘み、アリーゼさんは僕を守るようにギュッと抱きしめ、ロキ様は激怒し、そんなロキ様にリヴェリアさんが手刀を叩き込む。
そんな一連の流れを見て、ガレスさんはうんざりしたような溜息をつき、必死過ぎる
因みに、ライラさんの提案に僕の心の中のお祖父ちゃんだけが「グッドアイデア!」と親指を立てて賛同していたが、駄目だよお祖父ちゃん。またお義母さんに魔法で吹き飛ばされるよ。
(と、兎に角、何か別の案を考えないと・・・・・)
この混沌とした状況に終止符を打つべく、僕は考えを巡らせる。あーでもない、こーでもないと必死になっていたその時──
「あっ!」
「ん?ベル・クラネル、何か思いついたかい?」
一つだけ妙案を思い付く。
思わず声を上げた僕に、フィンさんが反応する。
この人としても早急に事を終わらせたいのだろう。
「フィンさん、お詫びって物品じゃなくてもいいんですよね?」
「?ああ、構わないよ。僕たちに可能な事であれば。」
「だったら───」
僕は思いついた妙案を口にする。
それを聞いたフィンさん達、アリーゼさん達は皆一様に顔色を変える。
その顔が語っているのは「えっ?そんなのでいいの?」という驚きだった。
確かに普通に考えればこの提案はお詫びにならないのかもしれない。
しかし、僕にとってはまたとない機会であり、貴重な経験になるのかもしれないのだ。逃す手はない。
この提案を聞いたフィンさんは、少し思案した後、快く了承してくれた。
──その時、ヴァレンシュタインさんの表情が嬉しそうに見えたのは、僕の気の所為だろうか?
【アストレア・ファミリア】本拠 星屑の庭 団欒室
「──まさかベルが『【剣姫】との手合わせ』を望むなんてねぇ・・・・・。」
朝食を食べ終えたアリーゼ達は、団欒室にて寛いでいた。
今日の
そんな時に、ソファーに座っていたアリーゼがポツリと呟いたのだ。
「なんだよアリーゼ?不満か?」
「そういう訳じゃないのよ。提案した内容もとってもベルらしいと思ったし」
「あー確かに」
アリーゼが呟いた言葉にライラが意外そうな顔をし、話を聞いていたネーゼが苦笑しながら同意する。
ベルの本拠での鍛練などを見る限り、彼の『強さ』への思いはかなり強い。
なので、アリーゼが言った通り今回ベルが提案した内容については特におかしいところはない。ないのだが───
「──なんか【剣姫】に負けた気がする」
「「「「・・・・・わかる」」」」
「おい!いい年した大人が16のガキに対抗意識燃やしてんじゃねぇ!」
悔しそうな顔をしながら絞り出されたアリーゼの言葉に他の団員が同意し、ライラはそんな団員達に突っ込みを入れる。
彼女としては「マジか」と思わざるを得ない状況だが、アリーゼ達からしたら一大事である。
何せ派閥内で可愛がっていた
「落ち着いてアリーゼ。【剣姫】にそんなつもりは全くないと思うわ。それにベルだってそんなつもりで彼女に手合わせを依頼したわけじゃないだろうし・・・・・」
「それにそんなことは神ロキが許さねぇだろ」
そんな彼女達をアストレアとライラが宥める。
正直、焦りすぎでは?とアストレアは思うのだ。
確かにベルが他派閥の異性と二人っきりというのは、アストレアからしても何かモヤモヤっとした気分にはなるが、相手はあの【剣姫】である。【九魔姫】と同じくらい男の影が見えない彼女がベルをどうこうするとは思えなかった。
ましてやベルからそういったことをするというのも現状ではあり得ないといえる。
だってあのベルである。
初対面の時はネーゼの姿すらまともに直視出来ず、アリーゼのハグでは毎回のように恥ずかしそうに頬を染め、輝夜の
その点からベルの事は心配ないというのがアストレアの考えであった。だが、アリーゼ達の心配はそれだけではなく──
「ベル君、怪我してないかしら・・・・」
「いや、手合わせなんだから怪我くらいするだろ」
「流石に【剣姫】もLv.1相手なんだから手加減してくれるでしょう」
「そうだといいんですけど・・・・・」
「はぁ・・・・・お前らちょっと過保護すぎなんだよ。ベルだって男なんだから大丈夫だろうよ」
ライラはそう言うがマリューは心配そうな顔のままであった。やはり
だが、いつまでも心配し続けるわけにはいかない。
ライラの言葉通りに、この話題を打ち切ったアリーゼは昨夜フィンから提案された件──【ロキ・ファミリア】との合同遠征──についての話を進める。
───だが彼女達は知らない。今まさにベルの身にマリューが危惧していたことが起こっているということを。
「せやぁぁぁぁぁぁ!!!」
「───ふっ!!」
「ぐっ!!」
アイズさんへ向けてナイフを振るう。
しかし彼女は僕の振るった渾身の一撃を軽々しく払い、返す刀で蹴りを叩き込んでくる。
なんとか片腕での防御が間に合ったものの、僕の体は宙を舞う。
一瞬の浮遊感。だが、体が地面に叩きつけられる前に両手を地面に付き、自らの体を回転させることで体勢を立て直す。
「ぜりゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「!」
再びアイズさんへ吶喊する。
彼女はすぐに体勢を立て直した僕を見て驚いたような表情を浮かべたが、迎撃のために直剣を振るう。
凄まじく早い剣筋。当然だが回避は間に合わない。
「シッッッ!!!!」
「───!?」
故に、流す。
直剣をナイフで受け止め、その力を反らす。
アイズさんの顔が驚愕一色に染まり、ほんのわずかながら体勢が崩れる。
(もらった!!)
すかさず彼女の体に
気が引けるけど、彼女は手加減できる相手じゃない!!
「────ッ!」
「なっ!?」
当たると確信した蹴りは、彼女がバックステップをしたことで虚しく空を切る。───不味い!今度は此方が隙だらけだ!
「ふっ!!!」
「があっ!?」
その隙をアイズさんが見逃してくれるはずもなく、体勢を立て直した彼女から斬撃を受ける。なんとかナイフで受け止めたものの、先程のようにはいかず吹き飛ばされた僕はゴロゴロと地面を転がる。
「!だ、大丈夫!?」
「────っ。まだ、やれます!」
思わずといった感じに駆け寄ってくるアイズさんに返事をする。
幸い、胴体に鈍い痛みがあるだけで骨は折れていない。まだ続けられる!
僕の言葉を聞いた彼女は此方に向けていた足を止め、少しの間逡巡していたようだが、僕の心中を察してくれたのか再度剣を構えている。どうやら手合わせを続けてくれるらしい。
そんな彼女に心の中で感謝すると得物であるナイフを強く握り直し、立ち上がった。
(・・・・・やっぱり、すごい)
アイズは未だに闘志を失っていない目の前の
勿論、彼女が評価しているのはその点だけではない。
格上の攻撃を捌けるだけの『技量』
アイズの『虚』すらつくほど巧妙な『駆け引き』
数々の対応を繰り出してくる柔軟な『思考』
それらは第一級冒険者であるアイズすら目を見張り、それと同時に戦慄すらしていた。
──もし彼が私と同じ【ステイタス】だったのなら・・・
恐らく違った結果になっていただろう。
その事実にゾッとする──と同時に不思議な高揚感を感じていた。
(もし、この子から強さの秘密を少しでも知れれば───)
その時、お詫びをする立場にありながら彼を利用している事実に少しばかり罪悪感を抱くが、すぐにそれを飲み込む。
──
そう決意を新たにしたアイズは、既に立ち上がり臨戦体勢を取っているベルとの手合わせを再開する。
この後、手合わせが想像以上に白熱し、ボロボロになったベルを見てリリが絶叫するのはもう少し後のことである。